1997年2月に捕獲され、3つの水族館に収容されたシャチたちは、解放を願う人々に’TAIJI 5’と呼ばれた。
2008年に名古屋港水族館に’ブリーーディングローン’の名目で貸し出されたメスが死亡して、すでに5頭全てがこの世にいないが、少しその履歴を記してみよう。
この群は、千島列島より北方周辺から子産み・子育てのために南下し、また北に戻るトランジエント(移動型)のシャチに分類されるだろうことが、スポング博士が確認した背中のサドルパッチと呼ばれる灰色の模様と、捕獲当時に吐き戻されたミンククジラの皮でほぼ確認されている。レジデント(定住型)シャチが主に生息海域の魚類を捕食するのと異なり、移動型のシャチは、主にアザラシやイルカ、クジラなど海生哺乳類を捕食すると考えられている。
*ちなみに、日本のシャチ研究は、2000年に入って主に民間の研究者によって始められ、現在は道東での個体識別も行われているようだが、 日本における定住型シャチの存在はまだ未解明のようである。水研センターによる北西太平洋の推定個体数は、2007年に飛躍的に激増した。 同年は、北の範囲も明らかでなく、水産庁もその信頼性について「水研センターに聞いて」と投げたくらいだが、令和2年度の’国際漁業資源の現況’でも「1992~1996 年の8~9 月の目視調査データの解析から、北緯 40 度以北で 7,512頭(CV = 0.29)、北緯 20~40 度で 745 頭(CV = 0.44)」と北限こそ示されたものの、1999年から開始された、ロシア、カムチャッカの調査など公開されているデータや、北海道の調査などは反映されていない数字である。
1。アドベンチャーワールド
オス1 捕獲時の体長・体重 3.75m・700kg (シャチの誕生時の体長は2.1~2.5m体重180kg程度と考えられている)
追い込みの後、母親にピッタリ寄り添い、捕獲作業時に浜で大きな鳴き声を上げていた個体。
1997年6月14日死亡
オス2 捕獲時の体長・体重 4.70m・1400kg
’キューちゃん’という名称でショーに出演していた。アイスランドからのメスシャチの’ラン’との間に子供が誕生したが、子育ての経験のない中、子供を攻撃し、子供は頭蓋骨骨折で死亡。
2006年9月18日死亡
メス 捕獲時の体長・体重 6.3m・5500kg (オトナ 体長5.5~9.8m 体重2600kg~9000kg )
1997年6月17日死亡
* 通常、成獣を水族館用に捕獲することはないが、この時、このメスは妊娠していると考えられていた。当時、内部告発でこのメスが流 産し体力を落としたため、スリングで宙吊りにして餌を流し込んでいたという未確認情報があった。スポング博士は、来日時、特にこの2頭の生存を危惧していた。
私たちは、4tトラックに黒幕を垂らし、水産庁前をスティックライトを灯してデモを行った。また、知り合いのシンガーソングライターにお願いして、シャチたちの哀歌を作ってもらって追悼ライブも行った。
2。太地くじらの博物館
メス 捕獲時の体長・体重 4.55m・1400kg
2008年9月19日死亡
’クー’という名称でのちに名古屋港水族館に貸し出された。
3。伊豆三津シーパラダイス
メス 捕獲時の体長・体重 5.5m・2600kg
2007年9月19日死亡
アイスランドから購入したオスのシャチ’ヤマト’のお嫁さんとして期待されて購入された。
これらのシャチは、公式には’学術研究’が目的だとされている。
この’学術研究’の中身を検証するシンポジウムが、2007年11月23日、東京海洋大学で開催された。3部の構成で、第1部は「シャチの動向と整体」、2部目が「飼育下におけるシャチ研究と繁殖」で、飼育経験の長い鴨川シーワールドが「国内におけるシャチ飼育の歴史」と「飼育下におけるシャチの繁殖」を発表し、その後、まるで杖k足しのように3水族館による発表が行われた。太地は「捕獲と輸送」、アドベンチャーワールドが「飼育環境・餌・成長」、と「疾病と予防対策」、伊豆三津シーパラダイスが「繁殖生理ー性ホルモン変動を中心として」で、間に名古屋港水族館による「血液性状・体温・噴気孔内細菌そうの検討ー日本産シャチの健康管理のために」が挿入された。
タイトルからも分かるように、動水が捕獲当初に提示した自然への理解や種の保存とは程遠い、すでに海外研究などで終わっているような飼育繁殖研究にとどまり(しかも一夜漬けっぽい内容)、同じ群に所属するシャチ間の交流観察や研究がなかったことを始め、野生シャチの生態研究とは程遠い内容であるばかりか、水族館同士さえ連携した研究をしてこなかったことが明らかになった。(後で企画した水産庁担当者が気落ちしていたという印象が残っている)。この目的の1つは将来的に学術研究目的でのシャチ捕獲の可能性だったと考えられるが、過剰な推定数を挙げてもなお、かなり無理筋だということが明らかになったシンポジウムだった。
ついでだが、終了後の懇親会で、当の推定数を作った担当者にそのことについて質問したのだが、「他で呼ばれていますので」と逃げられてしまった。
’SALTY Dreams'
「 ガラスのような青い海 黒潮の流れに体をまかせ
ある時は弾丸のように泳ぐ
呼び合う声 触れ合うヒレ
迷わないで はぐれないで
海の青さに負けないように
空中に身を躍らせる
高い空から降ってくる 太陽の光は
海の深さに溶け合って 七色の海の変わる
満月の夜 波間に眠れば
まだ見ぬ出会いを夢見て
空の青さに負けないように
空中に身を躍らせる
嵐の夜は深く潜ろう 水の中は暖かい
昨日生まれった幼子を ふたつのヒレで抱いて
流れ藻に小魚は群れ
遠くから歌が聞こえる
海の青さに負けないように
空中に身を躍らせる
海の青さに負けないように
空中に身を躍らせる」
97.06.21 tateno koichi
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