2023年9月 2日 (土)

フランスの水族館で生まれたシャチの家族が日本に?

須磨海浜公園内に水族館(神戸須磨シーワールドhttps://kobesuma-seaside-park.jp/pdf/230516_suma-naming-hp.pdf)

が新たに建設されることを懸念してきたが、最新の情報が入ってきた。それによると、フランスのマリンランド・アンディーブから4頭のシャチが日本に移送され、そのうちの何頭かは須磨シーワールドで飼育される可能性がある。

(情報簡単翻訳 ー情報もとはhttps://www.facebook.com/oceans.orcas

関係筋によると、マリンランド・アンティーブのシャチの移送は、2024年1月から2月の冬季閉鎖期間中に行われる予定だという。このことは、輸送を証明する航空会社からも確認されている。4頭のオルカ、ウィキー、イヌーク、モアナ、ケイジョ(いずれも血縁関係にある)は日本に輸出され、3つのパークに分散されるようだ:


- 鴨川シーワールド:4頭のメスのオルカがいる: ラン、ラビー、ララ、ルナ
- 名古屋港水族館: メス2頭、オス1頭:ステラ、リン、アース
- 神戸須磨シーワールド  


神戸須磨シーワールドはまだオープンしていないが、鴨川シーワールドを所有するグランビスタグループが開発中である。
2023年9月以降、オルカスタジアムへの一般入場は週末のみに制限される。MLAのオルカはすべて同園で生まれ、これまで一度も移送を受けたことがない。
フランス国内の活動家グループ(@cest.assez.associationなど)は、移送を阻止するための法的手段を模索するとともに、政府に支援を求めている。MLAはまだ許可を得ていないため、十分な世論の圧力があれば、MLAの決定を覆すか、許可を拒否することができると期待されている。
彼らの努力を支援するために、@cest.assez.associationのバイオグラフィーとストーリーにリンクされている嘆願書に署名してください。

(ここまで)

フランスでは近年、鯨類の水族館飼育が動物福祉の観点から問題視され、新たな飼育はできないことになった。また、現在飼育中の鯨類についても、飼育継続を望まない方向になっている。そのこと自体は喜ばしいことだが、飼育されてきた鯨類が今度は異なる飼育施設にうつされる懸念も大きい。

2023年8月19日 (土)

ロリータ=トキタエ、解放目前に逝去

マイアミ・ヘラルド紙が19日、前日18日の午後にロリータの愛称で呼ばれるシャチが死亡したと伝えた。

https://www.miamiherald.com/news/local/community/miami-dade/article278388494.html

捕獲されたのは推定4歳で、死亡した時の年齢は57歳とされる。アメリカの絶滅危惧種法にリストされ、長年飼育されてきたマイアミ水族館の環境に問題があると2022年に動物福祉法違反を指摘され、北西太平洋のもっと冷たい海のサンクチュアリに解放される目前の死だった。昨年秋から体調を崩し、回復途上にあると言われていたが、この2日間、容体が悪化、必死の手当も実らなかった。

同じく48年前に群れから引き離されていくつかの水族館を転々として87年からサンディエゴのシーワールドに閉じ込められ、解放の目処のなっていないノーザンレジデントに所属するコーキーの一刻も早い解放が望まれる。まだ間に合ううちに。

https://www.thesun.co.uk/news/18883667/seaworld-saddest-orca-corky-inbreeding/

2023年8月 9日 (水)

ロリータ(トキタエ)と呼ばれたシャチ

「人間が動物の生命を真に尊重するためには、どれほどの道のりが必要なのか」、8月5日付のロスアンジェルスタイムズの意見欄で、非営利団体「オーシャン・コンサーベーション・ソサエティ」の会長で、鯨類行動学の専門家、マッデレーナ・べアッツイはこう嘆いている。

 昨年、ロリータ(彼女の出身海域の先住民ルミ族の言葉ではトキタエ)と呼ばれてきたマイアミ・シーアクアリアムのシャチの所有権を、新たな持ち主が手放すことを決意し、マイアミ・デイド郡とロリータを支援する組織と共同でサンクチュアリに移送する法的拘束力のある共同署名を調印したので、連邦政府の許可が降り次第、ロリータは元々の住処であった北西太平洋の海域に設置されるサンクチュアリに移される運びとなった。

ロリータ=トキタエは、1970年、いまから半世紀前にワシントン州にあるペンコーブで捕獲された、1966年生まれと推測され現在飼育下で生存する唯一のサザンレジデントシャチだ。サザンレジデントのシャチは、2005年に連邦の絶滅危惧種法で絶滅危惧とされ、現在は73頭しか生存していない。

しかし、飼育下にある彼女は、当時同法の適用外で、生まれ故郷とは異なる暖かすぎる気候のマイアミの、日差しを遮る屋根もない狭い水槽で、1日3度のショーを強いられてきた。また、1980年にはパートナーとして導入されたオスのシャチのヒューゴを失いその後はたった一人で生きてきたのだ。群れで暮らすシャチにとって、この状況は望ましいものではなく、背ビレは折れ曲がり、同じところをぐるぐると回る、或いは壁に向かってじっと動かない様子を鯨類の行動ををよく知るベアッツイは「(その)絶望感に圧倒された」と記述している。

彼女の運命が変わる兆しを見せたのは、2015年、非営利団体の粘り強い抗議や訴訟の結果として、NOAAが飼育下にあるロリータ(トキタエ)を彼女が所属するサザンレジデント同様に絶滅危惧種法にリストすることになったからだ。即時解放は、50年間もの長期的な飼育下にあるシャチにとってリスクが大きいとNOAAは判断した。しかし、2022年になって、ロリータ=トキタエは改正した動物福祉法の対象となり、一般への展示も禁止されたことやその飼育状況の改善も求められていることから、新たな持ち主にとってもメリットは無くなったのだろう。

彼女の移送までの期間は早くて今後2年のうちが約束されている。サンクチュアリという環境が彼女にとってどう働くかはわからない。しかし、現在の貧弱な飼育環境から、彼女が健康であるうちに一刻も早く解放されることがのぞまれる。

2023年8月 8日 (火)

IWC,コガシラネズミイルカの絶滅警告

この8月6日、IWCは初の絶滅警告をコガシラネズミイルカに出した。

https://iwc.int/en/

コガシラネズミイルカは、カリフォルニア湾北部の、メキシコにのみ生息する2mにも満たない小型のイルカである。IWCによると、このイルカは1997年に570頭いたと思われているが、2018年には10頭しか確認できなくなった。原因は、同じ海域に生息しているこれも絶滅の恐れのあるトトアバという魚を漁獲するための刺し網による混獲である。トトアバは、コガシラネズミイルカとほぼ同じ大きさで、生息海域も同じくしているが、この魚の浮き袋が中国では高級食材、あるいは薬として珍重され、異常な高値がついている。

メキシコ政府は、2005年から、刺し網による代替漁法の奨励や生息海域の一部保護など、保護策を講じてきた。にもかかわらず、コガシラネズミイルカの混獲はおさまらず、生息数が増えることがない状態である。

IWCにおいても、この問題は毎回取り上げられ、早急な問題解決をメキシコ政府に求める決議を繰り返してきたが、刺し網によるトトアバ漁は継続し、密漁も横行(その金額の大きさから麻薬取引と比べられることも)、代替漁法は一向に進んでいない。

IWCは、トトアバの違法な国際取引が問題解決の壁となっていることを指摘し、直ちに、刺し網を100%他の漁法に変えない限り、絶滅は目前だと警告している。

 

 

2022年2月 7日 (月)

太地シャチ捕獲から25年

1997年の今日、2月7日に、太地にシャチの家族10頭が追い込まれた。この件については、ブログで何回も書いているので詳細はそれに任せるが、4半世紀前のことであるのに、いまだに強く記憶に残っている。このところ、資料整理を行なっており、昨年10月にも少し詳しい情報を掲載したところだ。

http://ika-net.cocolog-nifty.com/blog/2021/10/index.html

このところ、意見交換ができていないが、関係者の話では1昨年あたりでも、やはり、高額取引できるシャチの捕獲は魅力的らしいことが伺えた。幸いなことに、日本国内での捕獲は止まったままだし、また次の捕獲地になったロシアでも、海外への移動はできなくなったというニュースがあり、また捕獲は科学目的か教育目的に限られ(まだ懸念は残るが)、枠の提示は停止されているというのは喜ばしい。

ただ、それで問題解決というわけではなく、人間活動による海洋の汚染が、世界各地のシャチをはじめとしたクジラ類を苦しめていることは度々ニュースになっている。とくに、海の食物連鎖の頂点にいるというところでは、1990年代からシャチに溜まった高濃度の化学物質汚染が懸念されてきた。アメリカのサザンレジデント個体群の化学物質汚染と餌生物減少による激減は繰り返し問題となっていることは既知の話だろう。

日本の’国際漁業資源の現況’では、とてもたくさんいるかのように書かれているが、現実を見据え、きちんとした科学調査とその上での保全の前向きな施策が望まれる。

2022年1月 7日 (金)

ストランディングレコード(送付感謝)

昨年末に、2020年に収集されたストランディングレコードが、石川創さんから送られてきた。

氏が鯨研に在籍されていた時に開始されており、下関の鯨類資料室に移られてからも継続して記録されてきたものだ。資料室が閉鎖となり、移動されるということで、ストランディングレコードはストップしてしまうのか、と懸念したのだが、今回は、日本セトロジー研究会(山田格博士が会長)の「日本セトロジー研究」に掲載されることになったそうだ。山田博士はこれまでも座礁・混獲された鯨類の標本を管理されてこられた方で、部分的にストランディングレコードを公表されてきたと記憶しているところで、信頼できる移動先があって本当に良かったと感じている。

一方で、立場の異なる私のようなものに、石川さんがきちんとお送りくださったことに感謝、である。

記録の情報源となっているのは、

1。発見者あるいは観察者からのもの

2。新聞記事、書籍、雑誌ウェブサイト等からの収集

3。学術論文、学会報告などの公表された情報

4。他の公表されたデータベース等からの転載

という収集方法は変わっていないようだ。ただし、下関でのデータが西日本が主であったのに比べ、入手された情報は広がっているように見える。

もちろん、このデータベースが全ての座礁・混獲鯨を網羅しているわけではないが、毎年、夥しい数の鯨類が座礁したり、混獲されたり、また漂着したりしており、必ずしもこのデータベースで原因を究明することはできないかもしれない。

水産庁がHPで公開しているヒゲクジラの混獲数と必ずしも一致しないが、100頭を超えて推移してきたミンククジラの混獲は減少しているのは確かなようだ。

気になるのはスナメリの漂着・死亡数の多さだ。2018−2019では277頭、2020年は238頭と他と比べても飛び抜けている。

沿岸に生息するスナメリは(水産庁のレッドリストでは普通種だが、アジアの東スナメリについてIUCNは絶滅危惧種の1つとしている)、明らかに絶滅を危惧される個体群があり、その生息状況をかつて環境省と水産庁の共同で調査したことがあったと思う。このような調査を是非とも継続的にやっていただきたいものだ。

 

2021年11月 5日 (金)

太地シャチ捕獲事件(6)

 1997年2月に捕獲され、3つの水族館に収容されたシャチたちは、解放を願う人々に’TAIJI 5’と呼ばれた。

2008年に名古屋港水族館に’ブリーーディングローン’の名目で貸し出されたメスが死亡して、すでに5頭全てがこの世にいないが、少しその履歴を記してみよう。

この群は、千島列島より北方周辺から子産み・子育てのために南下し、また北に戻るトランジエント(移動型)のシャチに分類されるだろうことが、スポング博士が確認した背中のサドルパッチと呼ばれる灰色の模様と、捕獲当時に吐き戻されたミンククジラの皮でほぼ確認されている。レジデント(定住型)シャチが主に生息海域の魚類を捕食するのと異なり、移動型のシャチは、主にアザラシやイルカ、クジラなど海生哺乳類を捕食すると考えられている。

 *ちなみに、日本のシャチ研究は、2000年に入って主に民間の研究者によって始められ、現在は道東での個体識別も行われているようだが、  日本における定住型シャチの存在はまだ未解明のようである。水研センターによる北西太平洋の推定個体数は、2007年に飛躍的に激増した。 同年は、北の範囲も明らかでなく、水産庁もその信頼性について「水研センターに聞いて」と投げたくらいだが、令和2年度の’国際漁業資源の現況’でも「1992~1996 年の8~9 月の目視調査データの解析から、北緯 40 度以北で 7,512頭(CV = 0.29)、北緯 20~40 度で 745 頭(CV = 0.44)」と北限こそ示されたものの、1999年から開始された、ロシア、カムチャッカの調査など公開されているデータや、北海道の調査などは反映されていない数字である。


1。アドベンチャーワールド

  オス1 捕獲時の体長・体重 3.75m・700kg (シャチの誕生時の体長は2.1~2.5m体重180kg程度と考えられている)

     追い込みの後、母親にピッタリ寄り添い、捕獲作業時に浜で大きな鳴き声を上げていた個体。

     1997年6月14日死亡

  オス2 捕獲時の体長・体重 4.70m・1400kg

     ’キューちゃん’という名称でショーに出演していた。アイスランドからのメスシャチの’ラン’との間に子供が誕生したが、子育ての経験のない中、子供を攻撃し、子供は頭蓋骨骨折で死亡。

     2006年9月18日死亡

  メス  捕獲時の体長・体重 6.3m・5500kg (オトナ 体長5.5~9.8m 体重2600kg~9000kg )

     1997年6月17日死亡

        * 通常、成獣を水族館用に捕獲することはないが、この時、このメスは妊娠していると考えられていた。当時、内部告発でこのメスが流     産し体力を落としたため、スリングで宙吊りにして餌を流し込んでいたという未確認情報があった。スポング博士は、来日時、特にこの2頭の生存を危惧していた。

私たちは、4tトラックに黒幕を垂らし、水産庁前をスティックライトを灯してデモを行った。また、知り合いのシンガーソングライターにお願いして、シャチたちの哀歌を作ってもらって追悼ライブも行った。

 

2。太地くじらの博物館

  メス 捕獲時の体長・体重 4.55m・1400kg

  2008年9月19日死亡

  ’クー’という名称でのちに名古屋港水族館に貸し出された。

3。伊豆三津シーパラダイス

  メス 捕獲時の体長・体重 5.5m・2600kg

   2007年9月19日死亡

   アイスランドから購入したオスのシャチ’ヤマト’のお嫁さんとして期待されて購入された。

これらのシャチは、公式には’学術研究’が目的だとされている。

この’学術研究’の中身を検証するシンポジウムが、2007年11月23日、東京海洋大学で開催された。3部の構成で、第1部は「シャチの動向と整体」、2部目が「飼育下におけるシャチ研究と繁殖」で、飼育経験の長い鴨川シーワールドが「国内におけるシャチ飼育の歴史」と「飼育下におけるシャチの繁殖」を発表し、その後、まるで杖k足しのように3水族館による発表が行われた。太地は「捕獲と輸送」、アドベンチャーワールドが「飼育環境・餌・成長」、と「疾病と予防対策」、伊豆三津シーパラダイスが「繁殖生理ー性ホルモン変動を中心として」で、間に名古屋港水族館による「血液性状・体温・噴気孔内細菌そうの検討ー日本産シャチの健康管理のために」が挿入された。

 タイトルからも分かるように、動水が捕獲当初に提示した自然への理解や種の保存とは程遠い、すでに海外研究などで終わっているような飼育繁殖研究にとどまり(しかも一夜漬けっぽい内容)、同じ群に所属するシャチ間の交流観察や研究がなかったことを始め、野生シャチの生態研究とは程遠い内容であるばかりか、水族館同士さえ連携した研究をしてこなかったことが明らかになった。(後で企画した水産庁担当者が気落ちしていたという印象が残っている)。この目的の1つは将来的に学術研究目的でのシャチ捕獲の可能性だったと考えられるが、過剰な推定数を挙げてもなお、かなり無理筋だということが明らかになったシンポジウムだった。

ついでだが、終了後の懇親会で、当の推定数を作った担当者にそのことについて質問したのだが、「他で呼ばれていますので」と逃げられてしまった。

 

  ’SALTY Dreams'

   「 ガラスのような青い海 黒潮の流れに体をまかせ

  ある時は弾丸のように泳ぐ

   呼び合う声 触れ合うヒレ

   迷わないで はぐれないで

  海の青さに負けないように

  空中に身を躍らせる

  

  高い空から降ってくる 太陽の光は

  海の深さに溶け合って 七色の海の変わる

   満月の夜 波間に眠れば

   まだ見ぬ出会いを夢見て

  空の青さに負けないように

  空中に身を躍らせる

 

  嵐の夜は深く潜ろう 水の中は暖かい

  昨日生まれった幼子を ふたつのヒレで抱いて

   流れ藻に小魚は群れ

   遠くから歌が聞こえる

 海の青さに負けないように

 空中に身を躍らせる

 海の青さに負けないように

  空中に身を躍らせる」  

                          97.06.21 tateno koichi

 

2021年10月25日 (月)

太地シャチ捕獲事件(3)

シャチ問題への関心としては、都内の私立大学に拠点を置く’Free Orca'というシャチ問題に特化した勉強会のような組織ができており、IKANもそのメンバーとして、太地での捕獲以前からシャチ捕獲を警戒していたことも、捕獲に対しての素早い動きを作ることができた。

IKANは、シャチの捕獲が伝えられると、捕獲時に行政と当初シャチ購入を検討していた5水族館に対して、行政が10頭のシャチを解放するよう、また水族館はシャチを購入しないよう求める要望書を送った。また、捕獲後には太地町、和歌山県、水産庁とともに、シャチを買い入れたと思われる3水族館に対して申入書を送り、電話で水族館の見解を質した。しかし、水産庁の見解は(1)に書いたとおり、1992年に専門家が認めていた(事実ではないことを後に確認)というもので、太地くじらの博物館の答えとして「芸を覚えさせるのも学術研究の一部であり、ショーは研究成果を披露するためのもの」という捕獲の目的そのままの答えがかえってきたし、伊豆三津シーパラダイスは回答なし、アドベンチャーワールドに至っては、シャチを導入したことさえ認めようとしなかった。

IKANは違反イルカ事件の時に連携したNGOとともに、行政と水族館への抗議ファックス行動を呼びかけた(当時は、まだファックスが主流だった)。シャチの捕獲は許可の過程の不透明さも手伝い、メディアも大々的に報道したこともあり、予想以上の成功を収めることができた。聞いたところでは、ある水族館では1日に1300通ものファックスが届いたというほどの勢いで、いまだに水産庁の幹部によっては会うと、挨拶がわりにこのことで苦情を言うものまであるくらいだ。

抗議行動が大きくなった1つの理由として、海外からの抗議の声が挙げられる。違反イルカ猟事件では、海外の連絡先が不発だったのとは異なり、今回は、水族館に長期間囚われているシャチたちの解放運動をしてきた海外の人たちが積極的に動いてくれた。その中でも、鯨類研究者のポール・スポング博士の貢献が大きい。

スポング博士とは面識があった。1987年にエコロジーの季刊誌「オイコス」を発刊する際に、私は、初めて成田から海外に渡航した。反対闘争に関わる知人もいたため、それまで成田を使うことを拒否して海外渡航経験はなかったのだ。行先はカナダ。オイコスの編集に協力してくれたMさんの知り合いで、70年代からバンクーバー島と本当の間の海峡に浮かぶハンソン島という無人島に移住し、島の前の海峡を行き来するシャチの研究に携わっているスポング博士のインタビューをするためだ。Mさんから彼については事前に聞いており、かつてバンクーバー水族館に所属していた時にシャチと触れ合い、彼らを人工的な施設に閉じ込めることの間違いを知り、鯨類学者としての立場ながら、68年にアメリカ西海岸で捕獲され、シーワールドにいる’コーキー’の解放運動を担ってきた。Mさんの希望で、発刊2号ではクジラ問題を特集する予定で、スポング博士の立ち位置はとても面白いと考えたのだ。

そのご縁があって、Mさんからシャチ捕獲に立ち会った話を聞いたスポング博士が連絡をとってきた。たまたま、友人の寄付でコンピューターを導入し、初めてインターネットを使うようになったところで、シャチ捕獲とその連絡などによって、私は、インターネットの使い方(主にメールでのやりとり)と使い慣れない英語の勉強をせざるを得なくなった。最初はメール1本に半日以上もかかった。しかし、この便利な機械のおかげで、国内だけでなく海外の情報も支援も飛躍的に受けられるようになったのだ。海外におけるシャチ捕獲への怒りは凄まじく、大きな抗議集会なども組織され、毎日その抗議行動は大きくなるばかりだった。

海外では、鯨類保護の機運が高まり、シャチの生態研究も進むと、76年には北米西海岸でのシャチ捕獲がストップし、次に捕獲地として使われたアイスランドも1989年に捕獲をやめた。またハリウッド映画の「フリーウィリー」が大ヒットしたこともあって、人々は、シャチの自由な暮らしを求め、飼育施設からの解放へと向かっていたのだ。

2021年10月 8日 (金)

イルカ猟撮影ビデオ事件

水産庁への申し入れの強力な武器になったのは、水族館用捕獲の行われた21日と、捕殺が行われた22日に撮影されたビデオだ。特に、川口さんが撮影してくれた港から坂を上がったところに位置する解体小屋でのオキゴンドウ の激しい抵抗の様子は、見るものの気持ちを直揺さぶった。

これら2本のビデオは、それぞれの撮影者から、IKANに、活動のために委託された。そのビデオを、編集のプロがいるので送ってほしいという、IKAN立ち上げの母体となった団体の責任者から電話があったのは、オキゴンドウ の解放も終わって数日経ってからだったと思う。確かに2本の長いビデオを見せるより、綺麗に編集されている方がいいと考えたメンバーは、その2本を指定された京都の編集者と思しき人に送った。しかし、先方からは2週間ほど経っても何の音沙汰もないので、どうなっているかという問い合わせをメンバーの一人がした。その結果、ビデオがさらに編集のためとして、サンフランシスコに送られたということがわかった。ダビングしたものが少しあったので、実際の活動には支障がないため、その件はそれ以上追求しなかった。

ところが数日経って川口さんから電話が私にかかってきた。活動資金が入るかもしれないというのである。アメリカから、契約書のようなものがファックスされてきて、すぐさまサインが欲しいといわれたという。ただし、内容的に問題があるかもしれないので確認してくれという。

問題はあった。

そのドキュメンタリーの制作会社は、フィルムの使用量を提示するとともに、条件を言ってきていた。それによると、メディアなど商業的な利用には2年間使うなという。それだけではなく、なぜか、活動のためにもフィルムの利用ができないと示されていたのだ。何のために撮影されたのか、これでは全く意味がない。しかも契約書は、それぞれ二人の撮影者との個別契約になっており、代理人として記されていたのは、アメリカの活動家の名前で、フィルムを託されたIKANの名前はどこにもなかった。

さっそく、海外の活動事情を知っている知人に相談すると、幸いその知り合いがドキュメンタリー制作者を個人的に知っていたのがわかった。早速事情を話して、その制作会社の人に問い合わせをしてもらった。

結果、手違いを先方が認め、代理人としてIKANが記されただけでなく、商業利用以外の利用については何の条件もつけられなかった。しかも、フィルム使用料は、最初に提示された金額の2倍になっていたのだ。

間に入ってビデオを送るように指示してきたさる団体の責任者に事情を説明したものの、彼女がいうには、その海外活動家は、IKANのために骨を折ってくれたの一辺倒で、なぜ送ったのかの説明もなく、全く事情を理解してくれようとはしなかった。しかし、こちらとしても納得が行かず、結局それ以来、私とその団体との亀裂ができて残念な結果となった。

 

 

2020年10月 1日 (木)

伊豆、富戸でイルカ猟開始?

9月29日静岡新聞によると、いとう漁協・富戸支部が、今日、10月1日からイルカ猟を開始予定だということだ。

 

「イルカ漁、今季も実施へ 早期の探索で捕獲目指す いとう漁協

(2020/9/29 11:47)

 「伝統漁法『イルカ追い込み漁』を静岡県内で唯一継承するいとう漁協(伊東市)は28日、再開を表明した昨季に引き続き、今季も漁を実施する意向を明らかにした。漁期は10月1日~来年3月31日。水族館などで展示・飼育するための「生体捕獲」に限定した上で2004年以来の捕獲を目指す。」

9月初め頃は、まだ準備もしていない様子ではあったが、一応、今年度の事業としては挙げられているようだ。

水産庁による捕獲枠は、水族館に販売する主目的のバンドウイルカが24頭、カマイルカが26頭、オキゴンドウが7頭だが、このところ、バンドウイルカの移動時期が海流のためか変化しているようなので、昨年と同じように捕獲は難しいのではないかと期待している。

世界の潮流は、鯨類飼育反対の動きになって久しい。実際、2015年に伊豆半島のジオパーク認定に際して、イルカの追込みを行わないことが理由の一つにされていた。しかし、日本の水族館はまだイルカによる集客にこだわっており、そのために追込みによる捕獲個体の飼育を禁止する日本動物園水族館協会から脱退するところさえある始末。

今更だが、伊豆地方で乱獲で廃業を余儀なくされた漁協が複数あることからイルカの追込みのやり方はもちろん、狭い人工的な施設(中には海水浴場の一部を仕切るところもあるようだが)での飼育は野生動物の福祉の観点から大きな問題がある。イルカの好きな子供たちが、この事実を知らされないで、水族館などで見て喜ぶことが教育的であるはずがない。

たまたま、昨日、フランスで、イルカを含動物の娯楽目的での飼育を段階的に禁止するという表明がニュースになっており、これからは新たに鯨類を購入できなくなる模様である。

https://www.afpbb.com/articles/-/3307184

また、中国からアイスランドに移動して、サンクチュアリに入れられ、最終的に医療用のプールから広い湾内に放されたた2頭のベルーガのニュースも数日前にあったと記憶する。

https://belugasanctuary.sealifetrust.org/en/

イルカ猟師の人たちも、水族館も、需要があるからイルカを捕まえようとする。辞めさせる一番の力は、イルカのショーも飼育も拒否する市民の行動だと思う。

 

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