2022年10月27日 (木)

ピラン

IWC68は、ポルトルツ(ポルトリュージュ)のベルナルディンホテルで開催されたが、私たちの宿泊したマリン・バイオロジーセンターの入っている国立バイオロジー研究所の住所はピランだ。写真右がベルナルディンで、左がNBI。私たちは、ベルナルディンの宿泊客がビーチに出るための入り口からエレベーターで12階会場まで行けたので、到着までものの数分だった。                                        Img_1618

ピランは、ヨーロッパでの美しい街30選に入るそうだが、スロベニアを代表するとされる音楽家のタルティーニを冠した広場を中心に、やや密集した感じの古くて美しい建物がアドリア海を臨んでいる。そして街を見下ろす高台に、聖ジョージ教会、修道院が城壁に守られて立っている。

会議冒頭でのピラン市長挨拶にもあったように、スラブ系の民族だけでなく、かつてベネチア共和国に属したこともあり、イタリア文化も浸透し、また、イスラム系の文化もあって、さまざまな文化の交差する場所でもあるようだ。

ピランのバスターミナルから、1時間に4、5本の無料バスが出ており、昼休みを利用して、宿泊場所から街のスーパーまでちょっと買い物ということができ、一度は教会まで急な上り坂を登り、頂上からアドリア湾に面する街を見下ろすという贅沢もできた。秋も深まっていく中、気温は暖かく、静かな海で泳いだり、ヨットを楽しんでいる人たちも少なくなく、バスはいつでもほぼ満杯という状態で、中心部には観光する一団や、学生たちの集団もみられた。

通常、IWC会期中にこうした観光ができる機会は少なくて、今回は宿泊施設に感謝しかない。多分、研修施設として設置されている部屋代は格段に安く、向かいが共同キッチン兼ダイニングという、信じられないような好条件で、ほぼ外食なしで安く済ますことができたのも乏しい財布の中身から、また、ターキッシュエアラインの都合で、滞在日数が増えた事情からも、大変ありがたいことだった。

「IWC事務所をスロベニアに移しちゃったら?」という声が聞こえるほど、これまでスロベニアは本会議だけではなく、科学委員会の主催地にもなってきた。科学委員会はブレットという湖のある別の観光地なのだが、次回も科学委員会はそこで行われるようだ。

私たちにとっても3度目の訪問で、それなりにリラックスもできたいい思い出が残る会議だったと感謝している。

 

2017年11月11日 (土)

ミートフリーマンデイ

かつて、60年台始め、ビートルズがまだ’大人’に受け入れられていない頃、友人たちに訝られながらも迷いなく支持してきた。今では嘘のような話。で、その頃はジョンのファンでしたが。

http://www.onegreenplanet.org/news/paul-mccartney-tells-world-to-go-meat-free/?utm_source=Green+Monster+Mailing+List&utm_campaign=70d96db1c8-NEWSLETTER_EMAIL_CAMPAIGN&utm_medium=email&utm_term=0_bbf62ddf34-70d96db1c8-106932221

2016年8月 2日 (火)

追記:アクティブラーニング?

 7月23日のシンポジウムは、2大学の交流学習をベースに、3つの議論を呼び起こしそうなテーマをめぐっての、学生たちによるパネルディスカッションの試みだった。もちろん、議論には、賛成派と反対派が存在する。
今はやりのいわゆる「アクティブラーニング」と呼ばれる形式なのだろう。
 しかし、前のブログに報告した通り、この賛成、反対はかなり限定的な情報と考え方を土台とした、行き先が見える議論だ。もちろん、担当する教師による評価に関係してくることでもある。
 多分、ゴリゴリに教えこむより、より効率的に思想教育ができる危険性がある学び方だと感じた。
 
 

2015年10月 3日 (土)

地方創成の行方は???

私たちの力量不足ではあるが、日本政府の推進している捕鯨政策とそれに反比例する需要の激減、大手企業の捕鯨産業からの撤退、調査捕鯨のいかがわしさについての国際社会の反発、国際司法裁判所の判定など、ここまで問題が明らかになってきているというのに、無批判に伝統だからと捕鯨を礼賛する国内意見(映像や書き物など)は一向に減らない。

まだ読んでいないので、もしかしたら書評を書いた人の思い込みかも知れないが、またしても1冊、そのように感じられるものが出たようだ。

→ここから
 http://www.nishinippon.co.jp/nlp/reading_guide/article/198320
 西日本:書評_捕鯨の是非に揺れる現代にこそ読むべき、捕鯨に生きる人々の物語
  2015年09月30日13時40分 (更新 09月30日 13時54分)
 鯨分限 伊東潤 著

 和歌山県太地町は、古式捕鯨発祥の地といわれる、まさに「クジラの町」だ。
 江戸期に捕鯨技術を発達させ、鯨油や鯨肉で大きな富を築いた。時代が変遷して
 も捕鯨とともに生き、今も税収の3割が捕鯨によって創出されている。

え??税収が3割も捕鯨によって創出?と違和感を覚えて、知り合いに聞いてみた。
すると、

 <太地町の町税は平成26年度の決算によると約2億5千6百万円。
 そのうち個人の町税は約1億円。後は法人税、固定資産税、軽自動車税、たばこ税、
 入湯税で約1億5千6百万円。
 約1億円の個人の町税のうち追い込み(現在は12隻、24名)と正和丸(5名?)
 の乗組員の所得で(税収が)約3千万円ということは現在あり得ないと思う。>

という回答がかえってきた。
以前から何回も指摘している事だが、太地のような町は、原発のある町と同じように、国からの補助金で成り立っているようなものだ。実際に太地の一般会計の25億のうち、9割は町におりて来る補助金や過疎債。確かに見た目は福祉政策など一時的に進むかもしれないが、それが将来にわたってどのように地方に力をつけていく糧になるかはかなりあやしいところ。
地方創成などと言っているが、このようなやり方で地方の健全な自立などありうるのだろうか?地方自治によって、地方行政が自立し、力をためる代わりに、じゃぶじゃぶと税金をつぎ込んで都合良いように操るようなやり方は、誰のためにもなっていないと思うのだが。

2015年9月19日 (土)

入間ジョンソン基地跡地 防衛省案’受け入れ’

 今朝方の採決はインターネット中継で見た。いちいち合点のいく、野党の意見、その涙ぐましい奮闘を応援しながら、なんでこんなことになっちゃったのか、と自問しつづけていた。
 火曜日から、昼の時間は国会前の活動に参加することにしていて、昨日もそうだったのだが、迂闊なことに、実は地元でも消さなければならない火種が灯っていたのを見過ごしてしまっていた(消すのは難しいかが)。
 入間市議会が開催されており(なぜか私は月末と誤解していた)、昨日がその最終日で、田中市長が終了挨拶で、ジョンソン基地東側の跡地について、防衛省の計画案を受け入れると表明したのだ。
 市長肝いりの審議会答申を受けての一種の茶番劇で、市民は賛成しているわけではないのだが。
 南海トラフ地震、首都圏直下型地震と、来るべき災害に対する拠点整備だと言えばなかなか反対しづらい。しかし、そうした懸念に対しての苦渋の決断ではなく、市長的には現政権の方向に合致している計画そのものがウエルカムなのだと思う。
 大災害の対策を実施することは、どこか遠くでアメリカ軍の下請けをするよりも前向きであることは確かだ。しかし、ならば、残された28haの緑地で行うというみみっちい計画ではなく、すでに整備されている300haの自衛隊基地をそのまま災害対策拠点にするくらいの気構えでなければ、と感じる。この曖昧な計画で、政府が日本の人々が今後受けるかもしれない大災害に、真剣に向き合っているといえるだろうか?

2015年6月22日 (月)

そういえばこんな手紙を書いた事が・・・

 そういえば、孫が動物園に遠足に行った後、こんな手紙を書いたのだった。
後に機会があってその幼稚園に行ったとき、多くの先生から手紙の事についての感想をいただいた。多くが知らなかった事を伝えた事への感謝だった。

ここから:


動物園への遠足について
            倉澤七生(○○組 ○○祖母)
○○先生、
○○幼稚園のみなさま、

 いつも子どもたちによい保育環境をくださってありがとうございます。
 日頃のご検討に敬意を抱くものとして、今回の動物園への遠足について一言意見を申し上げたく、手紙を差し上げることにしました。固い信念のもとに保育を実践されている方々に申し上げるのも僭越かと思いますが、どうか年寄りの繰り言とご勘弁くださいますよう。
 結論を先に申し上げますと、私は現在の多くの動物園における野生動物の飼育に否定的な考えを持っております。以下になぜ私がそう思うか、その理由について説明いたします。

 私は、1987年より10年余、エコロジー雑誌「オイコス」を企画・編集・発行していました。雑誌では、様々な環境問題に取り組む市民活動や世界の環境や自然にまつわる情報を紹介し、また自らの実践にもつなげてきましたが、そのテーマの一つが自然保護、動物の福祉でした。

 「いきものを大切に」という言葉は今では当たり前にいわれ、「いのちの重みはみな同じ」ということばもよく聞かれますが、実際にこれを実践し、実現することはなかなか大変なことです。しかし、このことばは今日、単なる修辞や一部の人たちの倫理観としていわれるのではなく、将来的な人の生存の観点から非常に重要だと認識されるに至っています。
 自然や動物の研究や調査を通じ、私たちは、自分たちも自然の一部であり、それを破壊することは自分たちに跳ね返ってくることだということを理解するようになりました。それと同時に、そうした研究により、動物たちと人間の距離というものは以前に思っていたように遠いものではないということを日々学びつつあります。動物たちの中には、力や攻撃性ではなく、知性と経験でリーダーを選ぶゾウやシャチのような生き物がいます。社会的な動物の多くが仲間の死を悼み、再会を喜ぶ私たちと同じ喜怒哀楽の感情を持っていることが動物の行動研究によりわかるようになってきました。これまで私たち人間はそうした動物たちを「人間ではない」という理由で、意識もしないままに捕獲し、食料とし、駆除し、閉じ込め、人に都合の良いように改変してきました。
 しかし時代を経て、動物たちへの人間のあり方について、国をまたがる条約や各国の政策の中で、強弱こそあれ規制がかけられるようになり、また、動物の福祉の観点から法律が作られるようになりました。
 ボリビアなどのように、自然の権利に関する法律を作った国もありますし、ドイツのように生き物の権利に関して憲法で保証する国もあります。
ボリビア「母なる大地の権利法」
http://cade.cocolog-nifty.com/ao/2010/12/post-ad79.html
ドイツ「ドイツ憲法の動物の権利」
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/214/21406.pdf
 また、多くの国々が動物の福祉に関連する法律を制定し、展示する動物の飼育基準を作成しています。日本にも動物の愛護と管理に関する法律がありますが、数値目標などの具体性に乏しいため機能を十分果たしていないうらみがあります。
環境省 動物の愛護と管理に関する法律
http://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/1_law/outline.html
(1)基本原則
すべての人が「動物は命あるもの」であることを認識し、みだりに動物を虐待することのないようにするのみでなく、人間と動物が共に生きていける社会を目指し、動物の習性をよく知ったうえで適正に取り扱うよう定めています。
展示動物の飼育基準
http://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/laws/nt_h160430_33.pdf
第1 一般原則 1 基本的な考え方
管理者及び飼養保管者は、動物が命あるものであることにかんが み、展示動物の生態、習性及び生理並びに飼養及び保管の環境に配慮 しつつ、愛情と責任をもって適正に飼養及び保管するとともに、展示 動物にとって豊かな飼養及び保管の環境の構築に努めること。また、 展示動物による人の生命、身体又は財産に対する侵害の防止及び周辺 の生活環境の保全に努めるとともに、動物に関する正しい知識と動物 愛護の精神の普及啓発に努めること。
 
 ここで重要なのは、「人と動物が共に生きていける社会を目指す」という言葉ですが、「共に生きる」とは一体どういうことなのか、どうすれば人間以外の生き物を尊重できるのか。それを理解するには、動物たちの生態(暮らす環境や暮らし方)を科学的に知リ、彼らの生き方を尊重する、それができない場合は生態に沿った環境作りに務めることが必要ではないでしょうか。中には、あまりに環境が違いすぎて人が飼育できないものもいるかも知れません。
 私は、そうした認識を後天的な知識としてではなく、当たり前の感覚として養っていくことが非常に重要だと考えています。ですから、子どもたちの初期的な自然や動物に関する教育のなかでは、こうした動物たち(特に人間が開発したものではない野生動物)の生態を理解することが不可欠だと思います。
 残念ながら、今の日本の多くの動物園ではそうした最初の教育を与えることができていないと私は感じています。野生動物を仲間と隔離し、その生活環境とは遠く隔たった狭くて人工的な施設に生涯閉じ込めるということを、子どもたちが「見て実感する」という大義の上で当然と見なしているからです。子どもたちは、確かにその動物の大きさとか、肌触りのようなもの、鳴き声などを観察できるかもしれません。しかし、彼らが生来どのような環境で生活をしているのか、どういった行動をとるかは、コンクリートの床や散らばる人間由来の餌、孤立して、限られた空間で知ることは大変むずかしいことです。
 また、その野生動物がどのようにして連れてこられたのか、ということも重要です。私は、以前に希少動物のシャチの捕獲を目撃したことがあります。前の日までお母さんのおっぱいを飲んでいたと思われる子どものシャチも捕獲され、その4ヶ月後には死んでしまいました。まだそのときの子どもの鳴き声が私の耳に残っています。

 その動物をその動物たらしめているものは、その個体だけでなく、何十億年と適応してきた環境や共存してきた他の生物の存在です。環境から切り取って、生き物を単一の姿形だけで認識することは、時に大きな間違いにつながります。野生の動物をあたかも犬やネコなど、ペットと混同している人たちは少なくありませんが、こうした既に植え付けられた勘違いを正すことは大変難しいことです。しかし、子どものまだ大人よりはまっさらな感覚で見る場合、大人とは異なった反応も期待できると私は考えます。
 実際、いただいたおたよりの中に、子どもの感想の一つとして、マントヒヒがぐるぐると回っているのを見て、「なんでだろう?」という健全な疑問を抱いた子がいたということが書いてあったのを見つけ、うれしく思いましたし、またその言葉が、私が手紙を書こうと言う勇気をくれたのでした。ちなみにこの行動は「常同行動」といって、生来の活動を阻害されてしまった動物が、目的もなく同じ行動(ぐるぐる回るとか、頭を振り続けるなど)をする異常行動で、日本の多くの動物園でしばしば観察されることです。

 私の知り合いにズーチェック(ZooCheck)という動物園オンブズマンのような組織を立ち上げた人がいます。その人は、これまで世界二千カ所以上の動物園を見て、その点数をつけ、動物園や活動している人たちにアドバイスをしてきました。その基準となっているものは、動物の科学的な生態です。その点から彼は、現状での動物園で動物を見ることが、少しも子どもたちの教育になってはいない、と言っています。

ズーチェック カナダ http://www.zoocheck.com/
ロブ・レイドロー氏 インタビュー「動物にとっての動物園」
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/237

 私も一度彼につきあったことがありますが、例えばカメの水槽の前で、カメが人前ではじっとしているから不活発だとたいていの人は考えるが、実際は夜間にかなりの距離の移動を行う動物なので、狭い水槽に入れておくことはカメに苦痛を与えることだ、と言われたのに少し驚きました。しかも、隠れ場所もなく、人が水槽を叩いたりすることでよけい大きなストレスがかかっている。こうしたひどい展示が行われる問題は、飼育する人たちや経営者が十分な生態への知識を持っていないことだ、と。
 彼は最近も、カナダの動物園で飼育されていたゾウを、ゾウたちのサンクチュアリに移す計画が進行中です。こうした地道な活動を、彼は何冊かの本にしていますが、残念ながらまだ日本語に訳されてはいません。

 子どもたちの教育は次の世代につながっていきます。私自身は動物園での野生動物飼育は、野生動物のことや自然のことを知るのではなく「弱いものには何をやってもかまわない」というメッセージになるのではないかと危惧しています。また、野生動物と家畜動物やペットとの違いを知ることも阻害し、結局は自然や動物の保全に逆行するのではないかと思います。

 私は動物園に行ってはいけない、と主張したくてこれを書いたわけではありません。ただ、子どもたちには動物たちが、元は自分の生活を持っていたこと、好き好んで狭い檻に入っているのではないことを機会があれば伝えてくださることを望みます。また、これをきっかけに、人間が自然とつながっていること、自分たちの都合で好き勝手に振る舞っていいわけではないことを子どもたちに伝えていただきたいと思います。
 地球上の有限な自然資源は、既に持続的な消費の上限を超えているという報告もあります。自然とのつながりを理解することは、将来世代が生き残る道でもあるはずです。

 子どもたちが心も体も健かに成長していくことの、なかなか難しい時代にあると常に感じています。しかし、日々の子どもたちの成長の中に、希望が残っていることを信じています。
 
 長い手紙をお読みくださってありがとうございました。
                          (2012年 11月2日)

2015年5月12日 (火)

よくわからないが「平和」の文字が

 クジラ問題ではありませんが、今朝の新聞の「安保法案:自衛隊活動、大幅に拡大 平時から戦時まで」というタイトルが気になった。
要するに(9条の改正なしの範囲で)これまで規制されてきた自衛隊の武力行使を緩和しようとするもので、14日には閣議決定する予定らしい。
しかも、
   安保関連法案は多岐にわたるため、既存の法律10本を束ね一括して改正するための
  「平和安全法制整備法案」と、他国軍への後方支援のための新法「国際平和支援法案」
   の2本として国会に提出する。」(毎日新聞記事より)
と、国内、国際の二つの戦争協力法案に、「平和」という冠がついているところが姑息だ。誰がだまされるのだろう?と思うのだが、だまされるというのは往々にして、だまされたい気持ちがあるものだから・・・

 ジョンソン基地跡地利用計画もこうした一連の自衛隊活動の拡大に沿ったものなのだろう。訓練する「公園整備]にしても、新たな病院建設にしても、新たな事態に対応出来るように進めているのだと認識していく必要がある。
 5月29日と30日には住民説明会が開かれる予定。

そういえば、防衛省の予算の使い方が全く不透明でなってないという記事が出ていたのだった。

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/toyo-20150511-69177/1.htm


2015年4月25日 (土)

オフトピックですが(基地)

 昨日、入間市産業文化センターで、今年度第1回目の基地跡地利用計画審議会が開催された。
審議委員は地元東町の自治会や産業関係者、医師会、地元小学校PTA、それに公募3人(公募している事すら知らなかったのが)。
 今回は次善にチェックしていて、傍聴をすることができたが、全体の雰囲気はすでに喜んで受け入れます!状態で、騒音対策などのほか、訓練施設をどれくらい利用できるか(サッカークラブとか、野球クラブなど所属の体協と防衛省との話し合い)自衛隊病院に産婦人科を設置してほしいなど、どの程度の獲得物があるか、という損得問題が中心。28ヘクタールに及ぶ緑の土地開発に関しては誰も懸念していないようだった。事前に出した意見書は反映されず、終了後に企画課の担当者に話しにいったらアセスなども防衛省が必要ならばやるだろうという消極的な対応でしかなかった。また、5月1日からパブコメを実施し、5月末に説明会を開催するという事で、個人的な回答はご容赦、あわせてHPで公表するという事だった。
 みなさん、米軍から国に返還されてすでに四半世紀。何でこの期に及んで防衛省が?とおもわないのだろうか?
傍聴していた知り合いの方から、ベトナム戦争の頃、血だらけのシュラフに包んだ人たちが入間基地に運び込まれたという話を聞いた。基地というのはそういうところだ、と改めて思った。「米軍の援護をする」という形での戦争突入に着々と進んでいる今、「災害対策のため」という美名の入間基地の拡張(+病院建設)はいろいろな意味で彼らの政策上便利なのだろう。

2015年3月19日 (木)

オフトピックですが

 埼玉県の狭山市と入間市にまたがる自衛隊入間空軍基地は、戦中は陸軍航空士官学校があったところで、敗戦後はアメリカ軍に接収され、ジョンソン基地と名付けられた所の一部である。
 ジョンソン基地は1958年ごろから徐々に日本に返還され、1978年に全面返還となった。現在、埼玉県の支援で国から戻された基地跡地の一部は、稲荷山公園(狭山市)や彩の森公園(入間市)に整備されているが、入間市内にまだ40haほどの国有地が残されており、二次的な自然ではあるものの、入間市に豊かな自然の恵みを供給している。しかし、この跡地を「草ぼうぼうの空き地」と見なす人々がおり、たびたび買い戻しの計画が立てられて来た(予算面で難しいため計画は進んでいなかった)。この跡地計画には、個人的に自然をそのまま残してほしいという意見書を議会等に送ってきている。
 この跡地の一部をこの3月、防衛省による防災拠点整備計画として使用するという提示が行なわれたと言う事を新聞報道で知った。具体的な提案としては、首都圏の直下型地震の対処計画として自衛隊派遣人員11万人と捜索救助用航空機260機派遣予定のうち、基地跡地(留保地)はこれに対して一個師団級(6千〜8千人)の増員部隊の集結場所となるなど、十分な規模の人員を迅速に輸送、展開が可能ということである。また、平時は基地訓練用地となる他、病院を設置して自衛隊関係者の診療を行うという(退院診療に支障がなければ、救急患者受け入れも可能性があるとされる)。
 実際の訓練がどのようなものになるのか、また、病院利用がどの程度切実かという事は分からない。また、地図を見ると、緑地帯の設置として考えられているのは、周辺に目隠しか?と思われる程度の緑のベルト地帯が作られるだけのようで、到底自然を残すような処置ではない。訓練施設の一部は週末などに市民に開放するとされるので、市の設置した審議会では「市民利用に一定の配慮がある」として受け入れる方向のようだ。

 資金不足の入間市が買えないまま推移すればいいと考えていた私が甘かったのだが、これを覆すのはむずかしい。でも、災害対策拠点であれば、現在の入間基地で十分ではないかと見える。これはむしろ「災害」という名前を使った基地拡大計画で、現政府が進む方向に合致するものではないか、という一抹の不安を感じざるを得ない。

2014年2月 7日 (金)

1997年の今日(2月7日)、シャチの捕獲が

 2月7日は、私たちには特別の日である。1997年に和歌山県太地で10頭のシャチの群れが湾の追込まれ、そのうちの5頭が‘学術目的’で捕獲され、3つの水族館に売られた。

 小型鯨類の中でも、シャチに関しては研究が進み、その複雑な社会性や音響などが当時でも明らかになっていた。すでにアメリカでは1978年には捕獲が止められており、シャチの捕獲は世界中に驚愕を持って迎えられた。各国大使館前では激しいデモが行われ、水産庁や水族館は抗議のFAXで業務が出来なかったと言われる。いまも私たちのところには当時送られてきた(処分しなければと思いつつ出来ないでいる)ファックスのうずたかい山がある。

 シャチのうち、白浜のアドベンチャーワールドに入れられたシャチ3頭のうち、まだ乳飲み子であったオスのシャチと、妊娠を疑われたメスのシャチが4ヶ月後に、他のシャチたちもその後も次々と死んでいき、とうとう2008年には名古屋港水族館にブリーディングローン名目で貸し出された最後の1頭も死んでしまった。
 その前の年、捕獲シャチの学術研究発表という形ばかりの研究発表会があり、その後、水産庁の資源の現況では突然シャチの推定個体数が跳ね上がるというイベントもあったが、今のところ、具体的な捕獲計画は持ち上がっていない。

 その代わりに、ロシアのカムチャツカ、サハリン海域でのシャチ捕獲が本格化してきた。
これは実は、2001年に名古屋港水族館がシャチの捕獲をロシアの業者に依頼し、失敗したことに端を発しているのだが、名古屋港水族館はシャチ1頭の買値を1億円とし、失敗した業者に数千万円を支払うという信じられないことをしたのだ。それに味を占めたのか、ロシアの業者は2003年にシャチ捕獲に成功(しかし、捕獲したシャチはやがて死亡)、その後はほぼ毎年のように捕獲を実施してきた。

 そして今年は、計7頭のシャチが捕獲され、捕獲業者はなんとソチに水族館を建設してシャチ2頭を入れ(他は中国に売り払ったらしい)、オリンピックにかこつけて稼ぐことを考えた。しかし、ブラックフィッシュ効果もあってか、強い反対の声が上がった。そのせいもあってか、シャチたちはモスクワの狭い水槽にいるという。

 ロシアの同海域に、ロシア政府は毎年総計で10頭の捕獲枠をつけており、シャチ研究者からは異なる個体群をひとくくりにした推定個体数での枠に反対している。

 シャチのような頂点捕食者は元々それほど数がいるわけではなく、北米においても数千いると思われていた個体数が実は千頭あまりであったことが個体識別の結果明らかになっている。日本周辺のシャチも、北米とのつながりや、オホーツクのつながりなど解明すべきところが全く分かっていないまま、数だけ一人歩期しているのが現状だ。

 今回のオリンピックに絡んでは、性的な少数者への差別など人権問題で、フランスやドイツの首脳がオリンピック参加を控えた。その間隙を縫って、どこかの首相が関係を強めるためにでかけるようだが、どうせなら、ロシア–日本海行きのシャチの移動情報等、国境を越えて共同で調査するくらいのことをしてみせたらどうだい。