そういえば、孫が動物園に遠足に行った後、こんな手紙を書いたのだった。
後に機会があってその幼稚園に行ったとき、多くの先生から手紙の事についての感想をいただいた。多くが知らなかった事を伝えた事への感謝だった。
ここから:
動物園への遠足について
倉澤七生(○○組 ○○祖母)
○○先生、
○○幼稚園のみなさま、
いつも子どもたちによい保育環境をくださってありがとうございます。
日頃のご検討に敬意を抱くものとして、今回の動物園への遠足について一言意見を申し上げたく、手紙を差し上げることにしました。固い信念のもとに保育を実践されている方々に申し上げるのも僭越かと思いますが、どうか年寄りの繰り言とご勘弁くださいますよう。
結論を先に申し上げますと、私は現在の多くの動物園における野生動物の飼育に否定的な考えを持っております。以下になぜ私がそう思うか、その理由について説明いたします。
私は、1987年より10年余、エコロジー雑誌「オイコス」を企画・編集・発行していました。雑誌では、様々な環境問題に取り組む市民活動や世界の環境や自然にまつわる情報を紹介し、また自らの実践にもつなげてきましたが、そのテーマの一つが自然保護、動物の福祉でした。
「いきものを大切に」という言葉は今では当たり前にいわれ、「いのちの重みはみな同じ」ということばもよく聞かれますが、実際にこれを実践し、実現することはなかなか大変なことです。しかし、このことばは今日、単なる修辞や一部の人たちの倫理観としていわれるのではなく、将来的な人の生存の観点から非常に重要だと認識されるに至っています。
自然や動物の研究や調査を通じ、私たちは、自分たちも自然の一部であり、それを破壊することは自分たちに跳ね返ってくることだということを理解するようになりました。それと同時に、そうした研究により、動物たちと人間の距離というものは以前に思っていたように遠いものではないということを日々学びつつあります。動物たちの中には、力や攻撃性ではなく、知性と経験でリーダーを選ぶゾウやシャチのような生き物がいます。社会的な動物の多くが仲間の死を悼み、再会を喜ぶ私たちと同じ喜怒哀楽の感情を持っていることが動物の行動研究によりわかるようになってきました。これまで私たち人間はそうした動物たちを「人間ではない」という理由で、意識もしないままに捕獲し、食料とし、駆除し、閉じ込め、人に都合の良いように改変してきました。
しかし時代を経て、動物たちへの人間のあり方について、国をまたがる条約や各国の政策の中で、強弱こそあれ規制がかけられるようになり、また、動物の福祉の観点から法律が作られるようになりました。
ボリビアなどのように、自然の権利に関する法律を作った国もありますし、ドイツのように生き物の権利に関して憲法で保証する国もあります。
ボリビア「母なる大地の権利法」
http://cade.cocolog-nifty.com/ao/2010/12/post-ad79.html
ドイツ「ドイツ憲法の動物の権利」
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/214/21406.pdf
また、多くの国々が動物の福祉に関連する法律を制定し、展示する動物の飼育基準を作成しています。日本にも動物の愛護と管理に関する法律がありますが、数値目標などの具体性に乏しいため機能を十分果たしていないうらみがあります。
環境省 動物の愛護と管理に関する法律
http://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/1_law/outline.html
(1)基本原則
すべての人が「動物は命あるもの」であることを認識し、みだりに動物を虐待することのないようにするのみでなく、人間と動物が共に生きていける社会を目指し、動物の習性をよく知ったうえで適正に取り扱うよう定めています。
展示動物の飼育基準
http://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/laws/nt_h160430_33.pdf
第1 一般原則 1 基本的な考え方
管理者及び飼養保管者は、動物が命あるものであることにかんが み、展示動物の生態、習性及び生理並びに飼養及び保管の環境に配慮 しつつ、愛情と責任をもって適正に飼養及び保管するとともに、展示 動物にとって豊かな飼養及び保管の環境の構築に努めること。また、 展示動物による人の生命、身体又は財産に対する侵害の防止及び周辺 の生活環境の保全に努めるとともに、動物に関する正しい知識と動物 愛護の精神の普及啓発に努めること。
ここで重要なのは、「人と動物が共に生きていける社会を目指す」という言葉ですが、「共に生きる」とは一体どういうことなのか、どうすれば人間以外の生き物を尊重できるのか。それを理解するには、動物たちの生態(暮らす環境や暮らし方)を科学的に知リ、彼らの生き方を尊重する、それができない場合は生態に沿った環境作りに務めることが必要ではないでしょうか。中には、あまりに環境が違いすぎて人が飼育できないものもいるかも知れません。
私は、そうした認識を後天的な知識としてではなく、当たり前の感覚として養っていくことが非常に重要だと考えています。ですから、子どもたちの初期的な自然や動物に関する教育のなかでは、こうした動物たち(特に人間が開発したものではない野生動物)の生態を理解することが不可欠だと思います。
残念ながら、今の日本の多くの動物園ではそうした最初の教育を与えることができていないと私は感じています。野生動物を仲間と隔離し、その生活環境とは遠く隔たった狭くて人工的な施設に生涯閉じ込めるということを、子どもたちが「見て実感する」という大義の上で当然と見なしているからです。子どもたちは、確かにその動物の大きさとか、肌触りのようなもの、鳴き声などを観察できるかもしれません。しかし、彼らが生来どのような環境で生活をしているのか、どういった行動をとるかは、コンクリートの床や散らばる人間由来の餌、孤立して、限られた空間で知ることは大変むずかしいことです。
また、その野生動物がどのようにして連れてこられたのか、ということも重要です。私は、以前に希少動物のシャチの捕獲を目撃したことがあります。前の日までお母さんのおっぱいを飲んでいたと思われる子どものシャチも捕獲され、その4ヶ月後には死んでしまいました。まだそのときの子どもの鳴き声が私の耳に残っています。
その動物をその動物たらしめているものは、その個体だけでなく、何十億年と適応してきた環境や共存してきた他の生物の存在です。環境から切り取って、生き物を単一の姿形だけで認識することは、時に大きな間違いにつながります。野生の動物をあたかも犬やネコなど、ペットと混同している人たちは少なくありませんが、こうした既に植え付けられた勘違いを正すことは大変難しいことです。しかし、子どものまだ大人よりはまっさらな感覚で見る場合、大人とは異なった反応も期待できると私は考えます。
実際、いただいたおたよりの中に、子どもの感想の一つとして、マントヒヒがぐるぐると回っているのを見て、「なんでだろう?」という健全な疑問を抱いた子がいたということが書いてあったのを見つけ、うれしく思いましたし、またその言葉が、私が手紙を書こうと言う勇気をくれたのでした。ちなみにこの行動は「常同行動」といって、生来の活動を阻害されてしまった動物が、目的もなく同じ行動(ぐるぐる回るとか、頭を振り続けるなど)をする異常行動で、日本の多くの動物園でしばしば観察されることです。
私の知り合いにズーチェック(ZooCheck)という動物園オンブズマンのような組織を立ち上げた人がいます。その人は、これまで世界二千カ所以上の動物園を見て、その点数をつけ、動物園や活動している人たちにアドバイスをしてきました。その基準となっているものは、動物の科学的な生態です。その点から彼は、現状での動物園で動物を見ることが、少しも子どもたちの教育になってはいない、と言っています。
ズーチェック カナダ http://www.zoocheck.com/
ロブ・レイドロー氏 インタビュー「動物にとっての動物園」
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/237
私も一度彼につきあったことがありますが、例えばカメの水槽の前で、カメが人前ではじっとしているから不活発だとたいていの人は考えるが、実際は夜間にかなりの距離の移動を行う動物なので、狭い水槽に入れておくことはカメに苦痛を与えることだ、と言われたのに少し驚きました。しかも、隠れ場所もなく、人が水槽を叩いたりすることでよけい大きなストレスがかかっている。こうしたひどい展示が行われる問題は、飼育する人たちや経営者が十分な生態への知識を持っていないことだ、と。
彼は最近も、カナダの動物園で飼育されていたゾウを、ゾウたちのサンクチュアリに移す計画が進行中です。こうした地道な活動を、彼は何冊かの本にしていますが、残念ながらまだ日本語に訳されてはいません。
子どもたちの教育は次の世代につながっていきます。私自身は動物園での野生動物飼育は、野生動物のことや自然のことを知るのではなく「弱いものには何をやってもかまわない」というメッセージになるのではないかと危惧しています。また、野生動物と家畜動物やペットとの違いを知ることも阻害し、結局は自然や動物の保全に逆行するのではないかと思います。
私は動物園に行ってはいけない、と主張したくてこれを書いたわけではありません。ただ、子どもたちには動物たちが、元は自分の生活を持っていたこと、好き好んで狭い檻に入っているのではないことを機会があれば伝えてくださることを望みます。また、これをきっかけに、人間が自然とつながっていること、自分たちの都合で好き勝手に振る舞っていいわけではないことを子どもたちに伝えていただきたいと思います。
地球上の有限な自然資源は、既に持続的な消費の上限を超えているという報告もあります。自然とのつながりを理解することは、将来世代が生き残る道でもあるはずです。
子どもたちが心も体も健かに成長していくことの、なかなか難しい時代にあると常に感じています。しかし、日々の子どもたちの成長の中に、希望が残っていることを信じています。
長い手紙をお読みくださってありがとうございました。
(2012年 11月2日)
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