新・生物多様性国家戦略の5年後の見直しは、2007年の4月に準備がスタートした。早速、持った環境省との意見交換会では、その時の生物多様性企画官の亀澤氏に早速新しい戦略についての環境省の意向を聞いた。海洋の保全に関して気になっていた’海洋’の範囲を聞いたところ、当然のように「もちろんEEZまで入ります」という答えだったのに喜んだ。亀澤氏は、のちに局長になられた人で、2019年の象牙問題では国内管理にすごく後ろ向きな姿勢を批判され、ナショジオでは名前まで出されて指弾されてしまったが、この時は、かなり積極的な保全への熱意を示していた。名前に’亀’がつくから、とボン条約批准に関しても条約本体には手をつけられないまでも、個別の協定に踏み込めればと個人的な感想も述べておられたくらいだ。
ついでに言うと、新戦略の時に私がフロアから発言してしまった前例から、第3次から当たり前のようにフロアからの発言も会議の最後にではあるが許されるようになったし、夏の盛りには、傍聴者にもガラスポットに入れられた水が自由に飲めるように配慮するというそれまでにないような開かれた姿勢があった(傍聴許可のメールの末尾に「暑いのでどうぞお気をつけてお越しください」という言葉が添えられていたのはこの時だけだ)地域でのヒアリングも開始された。なんと!私も埼玉会場で、県にはない’海’の保全について、発言する機会をいただいた。団体名もそのままだったので(普通は問題を起こさないよう野生法ネットの名前)、環境省担当者の心意気に感動してしまった。
しかも・・・・・・
第3次の環境省パンフレットを見ていただけばわかることだが、このど真ん中、見開きにはダイナミックな小笠原のザトウクジラの姿が。
http://www.biodic.go.jp/nbsap.html
もしかしたら、例の’悪夢のような民主党政権’であったからかもしれないと思う(確信している?)のだが、環境省との関係もとても良好で、そのまま2008年の生物多様性基本法制定から(同法が国会を通過したことは、神戸でのG8環境大臣会合の場で、最初に自民党の森山議員から伺ったと思う)、名古屋COP10までその関係が維持され、それが条約会議成功の大きな鍵だったと断言できる。生物多様性保全の会議の成功は、単に主催国政府だけではなく、多様な主体、とりわけ、保全に貢献するNGOの協力が欠かせないからだ。
私たちは、民主党内に2009年に設置された「環境施策をNGOと進める」ワーキングチームに協力し、党内の勉強会でのプレゼンテーションを行い、また、その時のCBD事務局長、ジョグラフ氏と民主党の勉強会に協力した。さらに、野生法ネットメンバーを含むCBD市民ネット世話人として、「国連生物多様性の10年」提案では副部会長として環境省・外務省への働きかけを活発に行い、CBD会議の先立つ国連総会で、日本政府がこの提案を行うことに成功した。
海に関しては、世話人としてCBD ネットに「沿岸・海洋生物多様性保全に関わる作業部会」を組織し、その年5月の海洋のシンポジウムでは白山義久氏を講師に招いたり(ちょうどザトウクジラ移動のドキュメンタリーの日本上映が決定して、そのトレイラーについて参加した彼が適任ではないかと推薦した)、7月の海部会のシンポには、CBD事務局の海洋を担当されているジヒュン・リー博士をお招きすることができた。素人の大それた思いつきでやったことが本当にうまく行って、来日してくれた博士には本当に感謝しかない。本来は事務局からの参加は難しかったらしいのだが、ジョグラフ氏が特別に許可してくれたらしい。
また、この時に博士を連れていくつかの関係機関を周り、環境省の渡辺綱雄審議官(当時)との面談も果たすことができた(この機会を通じ、オーシャンズデイに関して日本政府の共催が進んだと私は思っている)。
さらに、会議の前に、日本の魚食に関するさまざまな問題提起を行うパンフレット「海恵」を作成したがこれが大変好評で増刷するほどになった。事務所で行った撮影現場は魚臭さが激しく、ベジの私としては結構これがキツかったが、撮影の方はなんとかうまくいったのだ。
残念なこともあった。部会長をお願いした某研究者に、私の’独走(暴走かな?)’が逆鱗に触れたようで(反捕鯨はテロリストだという漁業関係者からのクレームを受け入れたこともあるらしいのだが)、私の排除し始めたのだ。そのため、せっかく進んでいたPEWとのコラボもダメになり(PEWも反捕鯨認定された)、なんとか海部会としての会議への意見書は出したが、その後は地域の活動がメインにだんだんなってしまった。
一方、政府内では内閣府において海洋基本法が2007年秋に制定され(国家戦略の海洋への言及はこのためもあった)、環境省もCOP10に合わせて海洋生物多様性戦略策定と重要海域選定作業に入った。会議では、またオーシャンズデイ・アット・ナゴヤを共催し、イベント後の記者会見で、渡辺綱雄審議官が海洋生物のレッドリスト作りを公表された。2002年の水産庁との攻防からの8年ぶりの悲願が実った瞬間だった。(海のレッドデータがご存知のようにダメダメなのは、渡辺さんの責任ではない)

COP10海部会の作ったパンフ 第3次国家戦略パンフ 第3次国家戦略の見開きページ
最近のコメント