2023年4月15日 (土)

G7札幌環境大臣会合で2008年神戸会合を思い出す

G7環境大臣会合が札幌で開始されたようだ。

2008年に行われたG8環境大臣会合は神戸で行われ、私たち市民グループは、前の年から気候変動と生物多様性保全の2つに分かれてそれぞれ活動を行い、その日に備えた。その模様は、以下のブログに記録してある。

https://app.cocolog-nifty.com/cms/blogs/230836/entries/52307329

気候変動の認知度に比べ、生物多様性保全は当時格段に関心の低いイシューだった。たしか、同じ時期にベルリンで生物多様性条約のCOP9が開催されており、国際的に気候変動と並べて生物多様性を推奨したのが当時のドイツ首相、メルケルさんだったと覚えている。NGOフォーラムという環境問題の2つを連ねたネットワークは、元原子力資料情報室のメンバーで、すごいエネルギーの持ち主の大林ミカさん主導であったが、私たちも1999年から活動を継続してきた元野生生物ネットを通じて、多方面に働きかけたり、なれないポジションペーパーを書いたりした記憶がある。

生物多様性に関する主要メンバーがベルリンに行っていたため、図らずも、大臣会合で3分間のプレゼンテーションの機会を与えられたが、その中で、意見の1つとして話した公海での調査にも国際的な合意が必要では?という投げかけは(当時は知らなかったが)この2月に国連で討議されたBBNJの範疇だったのだと後付けで気づく。

当時、私は海洋担当で、NGOとして海洋全般に取り組むグループもなかったため、一手に引き受けたものの、ほぼ国際的な知識もなく、なかなか大変だったことを思い出す。野生法ネット当時からのことだが、おかげさまで、クジラ問題をもっと広い見地から俯瞰することもできたし、海洋にかんする諸問題について、色々と学んだ。クジラ問題はともすると政治・経済的側面でばかり語られがちだが、こうした関わりから、私自身は問題の本質を見誤ることがなかったのだと今更ながらに認識する。

 

2022年1月21日 (金)

生物多様性国家戦略の検討

1992年5月、生物多様性条約が採択され、日本は翌年の5月28日に同条約を批准した。それ以来、日本は条約の求める国家戦略を5回、改定した。そして、名古屋における第10回条約会議で採択された愛知目標の見直しを経て、新たな政略策定に向けた検討が進められている。

2002年の新戦略以来、なんらかの形で議論に参加してきたが、この20年間感じ続けたことは、「歯がゆい」「まどろっこしい」ということだ。元々、「生物多様性」という言葉の曖昧さも手伝って、さらに条約そのもののあり方がどんどん抽象化していることも一因だろうが。日本国内で海洋の保全が蔑ろにされてきたことが腹立たしいということもあるが、度重なる改定の中で、大筋では抽象的に過ぎ、瑣末なところで具体的過ぎるというあり方にあまり変化は見られない。

 

1月19日、環境省による3回目の生物多様性国家戦略小委員会が開催された。

資料は以下。https://www.env.go.jp/council/12nature/y128-01b.html

検討委員は資料にある18人で、委員長は中静透 氏( 国立研究開発法人森林研究・整備機構 理事長)。
議事はYouTubeで配信された。

3時間余で行われた議論は、大筋の構成のあり方から、細部の行動計画にわたり、委員からの山盛りの注文があって、この後の環境省の仕事が思いやられる。ここまで、政府が手取り足取りしなければならないのかなあ、という疑問の残る意見もあるし、1つ1つが認知度の高低の問題というより、「知った以上は引き受けなければならないけど、あまり嬉しくないなあ」というような義務感が先行しては前に進みにくいのでは、という懸念もある。

本来は、人々の生活における質と豊かさとして評価されるべきところが、(そうしなければヤバイらしい)というようなおどしでは、結局は個人的な生活の質や豊かさの認識に、つながってこない気がする。

委員のうちの何人かは日本古来の伝統的なあり方や考え方について言及し、明記するように提案していた。ここでも同じような気がかりがある。かつての文化がそのまま受け継がれることが難しい時代の変化は半端ではない。近代化によって生活が劇的に変化してくる中、価値観が変化してしまった。伝統的な文化を受け継ぐということは、日々の暮らしをなんとか凌ぐ中で「余裕があれば」という位置に押しやられてる現状を打開できるのだろうか。それでなくても「伝統文化」というものが、しばしば自分たちの理屈として都合よく利用されてきたことは今更いうまでもない。

また、1992年リオサミットで生まれた’持続可能な利用’という言葉が日本では大いにもてはやされてしまった訳で、「持続可能性」という言葉をどう使うか、もう少し丁寧に考える必要もありそうだ。

本当に綺麗な空気とか、清涼な水とか、汚染されていない大地、そしてそこで育まれる命たちへの渇望みたいなものが意識下で育っていかない限り、表面的な方法論をやり取りしてても’行き着くところに行くだけ’じゃないのか、と斜めに見てしまうのは悲しいが。担当者の方たちの真剣さに疑いはないものの、’環境省’という行政が、本気で変革を求めているとも思えず。

1つ面白かったのは、どれだけ本気なのかわからないが、よりによって経団連のひとの口から、経済成長がよいことだということの上にたったGDP一本槍への疑義が語られ、生物多様性保全への道筋を、社会資本から、コモンズへの価値観の転換や自然資本の価値などを認識する上で生物多様性がきっかけとなると 提案されたことだ(まあ、経団連だから言えたのかもしれないが。ただし、「生物多様性が成長の一要素」というのはこれまでの話ではないか。脱成長とは言えないのだろうが????)。国家戦略のこれまでの流れの中で、経済的な停滞を嫌う優柔不断さが、戦略の実効性を大いに削いでいるのではないか、と感じてきた。土台が傾いているのに、屋根瓦を修理していてどうするんだ?じゃない?

 

2021年12月 8日 (水)

生物多様性国家戦略の中の海洋

新・生物多様性国家戦略の5年後の見直しは、2007年の4月に準備がスタートした。早速、持った環境省との意見交換会では、その時の生物多様性企画官の亀澤氏に早速新しい戦略についての環境省の意向を聞いた。海洋の保全に関して気になっていた’海洋’の範囲を聞いたところ、当然のように「もちろんEEZまで入ります」という答えだったのに喜んだ。亀澤氏は、のちに局長になられた人で、2019年の象牙問題では国内管理にすごく後ろ向きな姿勢を批判され、ナショジオでは名前まで出されて指弾されてしまったが、この時は、かなり積極的な保全への熱意を示していた。名前に’亀’がつくから、とボン条約批准に関しても条約本体には手をつけられないまでも、個別の協定に踏み込めればと個人的な感想も述べておられたくらいだ。

ついでに言うと、新戦略の時に私がフロアから発言してしまった前例から、第3次から当たり前のようにフロアからの発言も会議の最後にではあるが許されるようになったし、夏の盛りには、傍聴者にもガラスポットに入れられた水が自由に飲めるように配慮するというそれまでにないような開かれた姿勢があった(傍聴許可のメールの末尾に「暑いのでどうぞお気をつけてお越しください」という言葉が添えられていたのはこの時だけだ)地域でのヒアリングも開始された。なんと!私も埼玉会場で、県にはない’海’の保全について、発言する機会をいただいた。団体名もそのままだったので(普通は問題を起こさないよう野生法ネットの名前)、環境省担当者の心意気に感動してしまった。

しかも・・・・・・

第3次の環境省パンフレットを見ていただけばわかることだが、このど真ん中、見開きにはダイナミックな小笠原のザトウクジラの姿が。

http://www.biodic.go.jp/nbsap.html

もしかしたら、例の’悪夢のような民主党政権’であったからかもしれないと思う(確信している?)のだが、環境省との関係もとても良好で、そのまま2008年の生物多様性基本法制定から(同法が国会を通過したことは、神戸でのG8環境大臣会合の場で、最初に自民党の森山議員から伺ったと思う)、名古屋COP10までその関係が維持され、それが条約会議成功の大きな鍵だったと断言できる。生物多様性保全の会議の成功は、単に主催国政府だけではなく、多様な主体、とりわけ、保全に貢献するNGOの協力が欠かせないからだ。

私たちは、民主党内に2009年に設置された「環境施策をNGOと進める」ワーキングチームに協力し、党内の勉強会でのプレゼンテーションを行い、また、その時のCBD事務局長、ジョグラフ氏と民主党の勉強会に協力した。さらに、野生法ネットメンバーを含むCBD市民ネット世話人として、「国連生物多様性の10年」提案では副部会長として環境省・外務省への働きかけを活発に行い、CBD会議の先立つ国連総会で、日本政府がこの提案を行うことに成功した。

海に関しては、世話人としてCBD ネットに「沿岸・海洋生物多様性保全に関わる作業部会」を組織し、その年5月の海洋のシンポジウムでは白山義久氏を講師に招いたり(ちょうどザトウクジラ移動のドキュメンタリーの日本上映が決定して、そのトレイラーについて参加した彼が適任ではないかと推薦した)、7月の海部会のシンポには、CBD事務局の海洋を担当されているジヒュン・リー博士をお招きすることができた。素人の大それた思いつきでやったことが本当にうまく行って、来日してくれた博士には本当に感謝しかない。本来は事務局からの参加は難しかったらしいのだが、ジョグラフ氏が特別に許可してくれたらしい。

また、この時に博士を連れていくつかの関係機関を周り、環境省の渡辺綱雄審議官(当時)との面談も果たすことができた(この機会を通じ、オーシャンズデイに関して日本政府の共催が進んだと私は思っている)。

さらに、会議の前に、日本の魚食に関するさまざまな問題提起を行うパンフレット「海恵」を作成したがこれが大変好評で増刷するほどになった。事務所で行った撮影現場は魚臭さが激しく、ベジの私としては結構これがキツかったが、撮影の方はなんとかうまくいったのだ。

残念なこともあった。部会長をお願いした某研究者に、私の’独走(暴走かな?)’が逆鱗に触れたようで(反捕鯨はテロリストだという漁業関係者からのクレームを受け入れたこともあるらしいのだが)、私の排除し始めたのだ。そのため、せっかく進んでいたPEWとのコラボもダメになり(PEWも反捕鯨認定された)、なんとか海部会としての会議への意見書は出したが、その後は地域の活動がメインにだんだんなってしまった。

 

一方、政府内では内閣府において海洋基本法が2007年秋に制定され(国家戦略の海洋への言及はこのためもあった)、環境省もCOP10に合わせて海洋生物多様性戦略策定と重要海域選定作業に入った。会議では、またオーシャンズデイ・アット・ナゴヤを共催し、イベント後の記者会見で、渡辺綱雄審議官が海洋生物のレッドリスト作りを公表された。2002年の水産庁との攻防からの8年ぶりの悲願が実った瞬間だった。(海のレッドデータがご存知のようにダメダメなのは、渡辺さんの責任ではない)

 

     
COP10海部会の作ったパンフ   第3次国家戦略パンフ         第3次国家戦略の見開きページ




2021年12月 3日 (金)

野生生物保護法への長い道のり

1999年7月に発足した「野生生物保護法制定をめざす全国ネットワーク」は、9月に当時の環境庁審議官や各地の関係者や専門家をお招きし、国立オリンピック記念青少年センターでお披露目を兼ねた集会・シンポジウムを開催した。シンポジウムは2部に分かれ、冒頭に鹿野審議官より改正法についての説明を受けた後、クマ、サル、シカ、カモシカ、鳥と、特定鳥獣に指定されている種の課題と管理法などについての発言とパネルディスカッションが行われた。また、夜の部では、野生法ネットの参加者と昼の部におけるパネラーなどによる今後の活動方針が話し合われた。地方からの参加者もあり、地域ブロックによる活動を推進する方針も確認された。

法改正により開始された特定鳥獣の保護管理を巡っては、ネットとして意見を提出したのち、実際の地方の動向を知るためのアンケート調査も開始し、予算と人材に悩む地方の声を改めて確認し、その結果を公表した。

 様々な声を聞く中で、明治時代の狩猟法に発した鳥獣保護法の限界が再認識された。5年後の見直しにしたがって2002年に改正された新しい鳥獣保護法は、カタカナ書きの法律を現在の他法令に倣って平仮名に変えた際、法の目的や定義が新たに書き加えられ、「鳥獣」は全ての野生鳥類・哺乳類と定義された。しかし、一方で、80条に例外規定が設けられ、いわゆる「衛生害獣」と呼ばれるネズミなどとともに、海生哺乳類は、ジュゴンとに日本アシカ、アザラシを除く種が既存の法律で管理が行われているとされ、水産庁の管理に委ねられることになった。今回の改正に向けて、どのような取り組みをするかという議論の中で「海生哺乳類保護法」という声も出たが、残念ながらこの案は見送られ、80条の削除の方向で合意された。

こうした流れの中、全国の自然保護・動物福祉団体をはじめ、多様なNGOに呼びかけて野生生物保護基本法の制定に向けた賛同団体を募った結果、最終的に124団体の賛同を得た。また、国会議員への野生生物保護基本法の制定を求める請願署名を開始した。全国から4万を超える賛同署名が集まり、連日事務所にはたくさんの署名が届けられた。

法文作成に関しては、環境問題を熟知している佐藤謙一郎もと衆議院議員にアドバイスを受けることができ、また衆議院法制局の教えを乞うこともできた。法文案は、地方のヒアリングなどを経て4回修正され、出来上がったものが民主党の田島一成元参議院議員を通じて超党派での検討に伏せられた。

残念ながら「野生生物」「保全」という文言が、一部議員に嫌われており、最終的には、超党派の環境系議員の歩み寄りによって法案は「生物多様性基本法」というより幅広い、したがって漠然としたものになって2008年6月に閣議決定されたが(このときはちょうど日本では神戸でG8環境大臣会合の最中で、さらにドイツでCOP9が開催されている時だった)、この結果として、生物多様性国家戦略は法定計画に格上げされた。

 

           

1999年7月8日東京新聞           2008年4月23日朝日新聞

2021年11月22日 (月)

それは1999年の鳥獣保護法の改正で始まった

調査捕鯨の開始前後から捕鯨推進のキャンペーンはより激しくなった。1980年初めに各大手新聞社の中にそれを声高に主張するジャーナリストが育成され、いわゆる有識者と呼ばれる人たちの中にも捕鯨推進に肩入れする人たちがいて、国内では反対意見がなかなか表面に出ることができなかった。1987年に出したオイコス2号のクジラに関するもう1つの立場を表す特集号は、捕鯨政策に批判的な人もなかなか表には出てくれず、取材相手がなかなか見つからなかった。客観的な立場で捕鯨問題を扱ったジャーナリストなどは、激しい捕鯨推進派の攻撃にうんざりしており、私たちに付き合ってくれなかったほどだ。そんな中では、市民活動をする人たちも捕鯨については推進、あるいは黙認という状態があり、国内でのクジラ保護の前には高い壁が立ちはだかっていた。

オイコスではその後も度々クジラ問題を取り上げたものの、それまでの国内活動の経験から’クジラ’に特化した活動の限界を強く意識しており、オイコスでのさまざまな関わりから、国内の環境分野で活動する大小の自然保護や動物保護団体とのつながりを持っていたが、ある時、知り合いから1998年初めに浮上した「鳥獣保護法」の改正(悪)問題をなんとかしたいという相談を受けた。しかし、法改正問題に立ちむかうためには、大きなネットワークを組織する必要があると、当時、事務所をお貸ししていた「ツキノワの会」という自然保護団体を主導するWWFーJの草刈秀紀氏に持ちかけ、彼を代表とする「鳥獣保護法改正を考えるネットワーク」を立ち上げ、日本野鳥の会や日本自然保護協会に呼びかけて保護法改正問題に共同で立ち向かうことにした。ニュースレターの発行や3回に及ぶ各地の当事者を交えてのシンポジウム、農水(初めての試み)を含む省庁との意見交換など精力的な活動を心がけ、鳥獣保護法というごく一部の関係者以外関心を持たないトピックの広がりを進めた。

特に、私たちが当時懸念したのは、「特定鳥獣保護管理計画」で、十分な保全・管理の備えを担保しないままでの地方移譲への移譲が、野生鳥獣の管理に適切ではないのではないかという懸念を持っていた。そんな中、北海道での先行的な管理の一端としてのエゾシカ狩猟の活発化によって使用される鉛弾による絶滅危惧種のオオワシやオジロワシの鉛弾による中毒問題がその懸念を確信させることになった。仲間の写真家やメンバーが現地に向かい、証拠となる写真が届けられた。私たちの働きかけなどもあり、メディアの脚光を浴びたことから、鳥獣保護法が初めて国会で大論議を呼び、それまでほんの一部の関心しか呼ばなかった野生生物保護問題が市民の関心を集めることになった。環境庁との意見交換(というより、当時高い壁のあった環境庁との対決といったほうが正しいかもしれない)私たちの中でもほとんどの人が経験していなかった議員会館もうでも活発に行われ、当時まだ元気だった野党の強い攻勢により、法改正があわや廃案というという前代未聞の事態にまで行った。

環境庁は、せっかくの法案を廃案にするあけにはいかないという判断から、日本自然保護協会の担当者に働きかけがあり、(活動してきたいくつもの団体ではなく、その中の1つの大手にだけ持ちかけるのは姑息なやり方だったと思う)、力量不足の自覚の中、抗議書をおくるとともにいくつかの取り決めを交わすことで、それ以上の議論紛糾を回避することになった。結果として獲得したのは、透明性の確保とNGOの関与を深めることだ。以降、検討会などに大手NGOの参加が可能となった。しかし、その結果が不十分だった1つの例として、あれだけ問題となった鉛弾中毒がいまだに継続していること、根本的な保全・管理の不足の中での地方丸投げが現在の鳥獣との軋轢を生む遠因にもなっているのではないかと思う。

ひとつ、この’改正’問題の紛糾で、環境庁の予算が増えたことは大事なことだと思う。予算が少ないことは、省庁間での立場の弱さも手伝って、彼らの保全への志向を弱めることだから。

改正が決定したのちの1999年7月、私たちはバラバラの活動を法制度確立という共通の目的に一本化して「野生生物保護法改正をめざす全国ネットワーク」を結成した。代表には鳥獣保護ネット代表の草刈さんがそのままついたが(2年後からは故本谷勲農工大教授)、事務局長選定のところでちょっとした問題があった。すでに会計は元銀行マンだった自然保護協会の田村さんが適任とされ、事務局長に同じ自然保護協会の吉田さんが推薦された。しかし、吉田さんは、同じ団体が要職を占めるのは問題があるとし、たまたまクジラつながりのもとWWF-J出身で、GPーJで初めて南極に向かう船にも乗った舟橋さんが私を推薦したことから、最初は私を会計にして、事務局長を吉田さんという案がまとまりかけた。しかし、私が会計をするのはクジラが山を登るよりも困難だと、私自身がよく知っていたので、強く抵抗、そのまま他に推薦人がいないまま、私が事務局長を拝任することになってしまった。確かに、大手保護団体以外が役につくことは良いと思ったし、クジラのためにもちょっとは役立つかな、と思ってはみたが、その後の事務局の(会計以外の)仕事のほぼ全てが私の事務所にかかってきてしまい、これが結構キツかったのは事実だ。幸い、活動方針は参加団体の会議で進められ、あまり困ったことにはならなかったし、そこで、特に多くのアイデアを出してくださったALIVEの(故)野上さんには本当に感謝している。

2021年11月15日 (月)

生物多様性国家戦略と海(始まり)

11月5日のニューズウィークは「クジラは大気から大量の炭素を「除去」していた、「森林全体に匹敵」と米研究」というタイトルで、捕鯨全盛時代前のクジラの生息が、CO2をどのようにして減少させていたかを解説した。2019年のIMFの「自然界が示す気候変動の解決法」に次いで、クジラの生息が、クジラを食料資源として利用するよりもずっと地球環境と人類にとって役に立っているという報告だ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/9d7e36598c87e0a1c9c7ac9f619dccb1f6ebc80c?page=1

https://www.imf.org/external/japanese/pubs/ft/fandd/2019/12/pdf/Chami.pdf

このような認識は世界に広まってきているが、日本では知られていないばかりか、捕鯨関係者の嘲の対象となってきたことは残念なことだ。環境省も含め、政府関係者にとってクジラは水産資源という認識が普通だ。

では、生き物を守るための条約のもとで作られる生物多様性国家戦略はどうか。

1992年にスタートした生物多様性条約を日本は1993年に批准し、最初の生物多様性国家戦略を1995年に策定した。しかしこれは生物多様性の保全の見地から言えば名ばかりの、各省庁が作成した別々の戦略を束ねただけのもので、「ホッチキス留め戦略」という悪名をつけられたものだ。海洋に関しては、水産庁の主張がそのまま掲載され、市民の声はほぼ無視されている。

2002年に取り掛かられた次の新・国家戦略は、前回の汚名を注ぐべく、屋久島自然遺産登録に辣腕をふるった小野寺浩氏が計画課長として、その元で実務を渡辺綱男氏(二人とものちに自然環境局長)が担当し、環境省の積極的な攻めで始まった。いわゆる有識者を集めて生物多様性国家戦略懇談会が開かれ、新しい戦略を検討、NGOとの意見交換が行われ、大手NGOのヒアリングも行われた。ちなみに、座長は小野勇一北九州自然史博物館館長(当時)、以下委員は朝野直人(福岡大学法学部長)、大島康行((ざい)自然環境研究センター理事長)、篠原修(東京大学工学系研究科教授)、星野進保(総合研究開発機構研究員)、鷲谷出水(東京大学農学部生命科学研究科教授)各氏(いずれも当時)。

2001年8月25日の毎日新聞は「身近な自然も保護」という見出しで、懇談会の模様を伝えている。その中で、「身近な自然が急速に消滅している国内の現状を踏まえ、国土全体を保護対象にするよう発想の転換を促し種の保存法を強化し、「身の回りの野生生物にも対象をを拡充した『野生生物保護法』の制定を提言した」と書いている。

ヒアリングでは海洋と海生生物についてのIKANの要望を、WWF-Jが代弁して発言してくれた。それに対して、参加する有識者の一人が質問したため(どなたか失念)、思いがけずその答えは私に振られ、フロアから不規則ながら発言する機会を得た。陸の動物と同じく、海の動物についても保護管理が必要ではないかという私の発言に対し、座長が「ご意見はしっかりと受け止めた」と発言されたのには、腰を抜かしそうなくらい驚いた。そして、新たな戦略の中の第3部行動計画に、本当に‘海棲哺乳類の保護と管理’が書かれていたことにはさらに驚いた。水産庁管理の資源としての扱いではない表現が登場した。しかし、水産庁の行動計画においては、残念ながら捕鯨は捕鯨推進派の主張そのままのクジラ獣害説をはじめとした問題記述があり、渡辺氏は、私たちの修正要求を受け、水産庁とのやりとりに相当苦労したようだ。

 

2020年9月16日 (水)

地球規模生物多様性概況第5版

昨日、国連の生物多様性条約事務局による「地球規模生物多様性外鏡」の第5版が発表された。

国内報道はどうかあん?と思っていたが、珍しく今朝、毎日新聞に記事が出ていた。

https://mainichi.jp/articles/20200916/ddm/012/040/080000c

GBO5は、2010年に名古屋で開催された第10回会議(COP10)で採択された20の生物多様性保全の目標の世界における達成度を測る最終報告書と言えるもので、発表前から達成が厳しいことは想定されていたが、60に細分された20の項目のうち、全て達成されたというものはなく、国家戦略策定が進んだとか、外来種の駆除とか、いくつかでは前進が見られたものの、全体としての達成度はわずか10%程度という悲しい状況のようである。

(愛知目標については:

https://www.biodic.go.jp/biodiversity/about/aichi_targets/index_02.html)

海に関しては、目標6(水産資源の持続的案漁獲)、目標10(サンゴ礁等気候変動や酸性化による影響を受けやすい脆弱な生態系への悪影響の最小化)、目標11(保護地域)、目標12(絶滅危惧種)などだが、目標3の有害な補助金の廃止もまた、漁業活動の重要な課題になるだろう。

有害な補助金についてはガーディアンの記事の中にも出てくる。

xhttps://www.theguardian.com/environment/2020/sep/15/every-global-target-to-stem-destruction-of-nature-by-2020-missed-un-report-aoe?utm_campaign=conservation_none________&utm_source=facebook_environment&utm_medium=social&utm_content=3rdparty_general____linkcard_&utm_term=___&fbclid=IwAR0b4P_LoGOMzw7WN6GxDR0GLJIIAHW7MI1fFGHoHM8LH9G7zZ6mYoQhOvc

それから一応は達成されたカテゴリーに入っている海洋保護区だが、日本国内に設定された保護区は、その多くが漁協の管理海域に

依存しているところから、生物多様性保全にどれくらい貢献しているのか、厳しいチェックが必要だと思われる。

全般の解説は、これまでもIUCN日本委員会としてしっかりウォッチしてきた自然保護協会の道家さんの報告味詳しいのでご覧ください。

https://www.nacsj.or.jp/2020/09/21770/?fbclid=IwAR0_zNI2aip0kfjMZ35xoeA1_Dv4e_7lGv91G6Wc2vyGVatllDTIIyqtsIM


 

また、環境省が新たな戦略を策定中なので、より保全が進むように声をあげてください。

 

 

2020年5月25日 (月)

沿岸の生物多様性とクジラ

5月22日は、生物多様性の日。今年は本来ならば、愛知目標の検証年だし、国連生物多様性十年の最後の年だ。十年前のCOP10では、主に東京と愛知のNGOがネットワークを組織し、会議に臨んだ。IKANは海の部会を立ち上げ、事務局のリー博士をお呼びしてシンポジウムを開催したり、日本で消費されている代表的な魚たちの現状を知らせる「お魚ガイドブック」を作って市民に訴えかけたり、また、主宰する政府を盛り立てる下働きに励んだのを懐かしく思い出す。

あれから海の保全は進んだか?と言うととても心許ない。確かに海洋生物のレッドリストはできたし、また、日本の重要海域の選定も行われた。しかし、その内実はとてもお寒いどころではないと私は思っている。海洋環境と海洋の生き物たちが私たちの、そして私たちの将来世代にとってかけがえのない、たやすく失ってしまっていいものではないと言う認識の共有が残念ながらできていない。

クジラについていえば、2018年に日本がIWCを脱退し、2019年に商業捕鯨が再開されて以降、話題となるのはどこでどの大きさの鯨が取れたか、いくらで販売されたか、と言うものばかり、産業の継続が危ぶまれる中、クジラ種や海域の拡大を求める捕鯨工船の関係者と小型業者はすでに調査捕鯨でも捕獲が難しくなっていた鮎川周辺から八戸、そして室蘭と、捕獲しやすい海域の開拓を求めているようだ。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202005/CK2020052502000131.html?fbclid=IwAR14ThXXR0aZFuOKtjVivTZma2opYkY2W758iTSRer6tFa3QC-1rCm4mOIM

コロナウィルス下ではあるが、洋上ではそれほど問題ではないようで、小型もそのまま操業を継続しているし、近々捕鯨工船も鯨を求めて出かけると言う噂も聞いた。

最近、たまたま行政の方と話す機会があり、商業捕鯨の再開に際し、これまで国際世論任せであったクジラの保全はこれからは国内でどう見ていくか、私たちの責任という話になります、と訴えた。しかし、クジラの話はどこでもちょっとばかり重たい話になってしまうので、任期中に尻込みしないで立ち向かうと言う酔狂な人はなかなかいないと言う諦めもある。

生物多様性の日に、珍しくも環境大臣が国際社会にメッセージを寄せている。

https://www.youtube.com/watch?v=iuq3wZZAG4w&feature=youtu.be&fbclid=IwAR2W1-p_HTiCLkoa02rZ2TfW5E1S2K0RPGFjnMM1juXIH3OyjkYN3rzSZV0

’毎日ステーキ’の方がよく言ったと思うが、それだけに、このコロナの状況下でーそれ以前の環境行政の脆弱さと世論形成の弱さを思えばー多分、鎮まれば即経済の側からの激しい巻き返しが想定され、なんとか踏みとどまれるところがあれば、と祈るような気持ちだ。

2017年11月17日 (金)

希少野生動植物種保存基本法検討会を傍聴

  11月15日、環境省の主催する希少動植物種保存基本方針検討会を傍聴した。
これは、6月に公布された種の保存法改正に伴い、国会での附帯決議に対応して基本方針を変更するためのものだ。検討するメンバーは、法律改正の検討会に関わった人たちだ。今回も、座長には石井実大阪府立大副学長が選ばれた。(ついてながらもう一人の方でなくてよかった。ちなみに、石井実さんは、5月の参考人質疑で、海洋生物の評価は、環境省が一元化してやった方がいいというコメントをしてくれた人だ)

  今回、12月27日と合わせて2回議論される内容は、基本的な考え方を、2014年作られた「絶滅の恐れのある野生生物種の保全戦略」に基づくものとし、具体的には国際希少種に関する(国民からの)提案制度について、絶滅回避のために生息域外保全を進める認定動植物園に関すること、いわゆる里地里山に生息する特定第二種の動植物の選定、選定基準などに関する透明性と情報公開、希少種解除に関する事項など。
 生息域外保全に関しては、「保全施策の補完」ということが明記されているが、今後、どのような形で認定されていくのかはまだまだ注視する必要があるだろう。
  
 今回は、国会でヒアリング対象となった日本自然保護協会の辻村さんとトラ・ゾウ保護基金の坂元弁護士が再び、 力強い意見陳述を行った。
 残念なことに基本的な変更の考え方の中に、海洋生物に関する記述は直接はないが、辻村さんは、国会質疑に引き続き、環境省と水産庁に分かれ、不透明で信頼性も低い海生生物のレッドリストの問題点を指摘してくれた。
これが具体的に書き込まれることはないにしても、何らかの形で本文中に海を出したいものだ。
坂元さんは、国際取引に関連して、ワシントン条約の取引禁止種の幾つかをず〜〜〜〜〜と留保し続けている日本のあり方に関して、見直すべきという意見も出してくれた。

 一方で、坂元弁護士が訴えるワシントン条約決議による象牙の国内取引市場閉鎖については、委員メンバーのうちの二人が取引推進のフロントラインに立つ人たちなので、最初からスタンスが決まっていたようなものなのだ。ゾウを絶滅させないための国際的な努力と決議に対し、日本は国として取引継続を選んでいること、決議は拘束力を持たない、とか、決議そのものも恒久性はなく修正されるものだとか、だから、この二人は最後になって反対意見を出してきた。

 1989年、象牙の取引が禁止されたが、南部アフリカ3カ国を中心とした利用を主張する国と、東部、中部の禁止を求める国が対立、しかし日本のメディアはこれを「先進国が貧しい途上国に規制を要求する南北対立だ」という歪んだ主張を垂れ流した。
そして、伝統と言いつつ、適切な管理が可能であることを主張し続けた結果、とうとう、1999年には日本に1回限りの取引が認められることになった。さらに、2007年に南部アフリカ3各国にかぎり日本のみ、しかし2008年にはワシントン条約事務局保有の象牙競売と、象牙市場はじわじわと解放されてしまった。
 その間、監視の手が届かない東部、中部、そして、ついには管理されているはずの南部アフリカにおいてさえ、象牙のためのゾウの密猟が繰り返され、このままでは絶滅ものがれないという危機感から、昨年の国内市場閉鎖決議が行われたのだ。もし、決議は修正されるものだというなら、将来どうするかではなく、今、ゾウを救うため新たに採択されたこの決議に従うことこそが象牙取引再開の引き金となった日本の務めではないのか? 
 不安定さの収まらないアフリカ諸国にあって、象牙をはじめとする野生動物は、テロ組織の資金源になってますますアフリカ諸国を苦しめていることは多くの人の知るところとなっており、当時のような単純な「南北対立」などは通用しない状態になっている。

 象牙の禁止と解禁に揺れた当時、利用の根拠とされた、「貧しいアフリカ南部諸国においては利用することによって保全ができる」と提唱された「キャンプファイア作戦」というものが本当に機能しているのか、現状をみれば結果は明らかではないのか。
 1989年当時、条約事務局にいながら象牙取引を進めて事務局を解任され、その後、アフリカ諸国を巡って象牙取引を訴えてきたK氏は、キャンプファイア作戦が「機能している」と、そして、取引先の南部諸国は’管理されている’から問題はないと今でも思っているのだろうか?

さらに現状に追い打ちをかける話がある。国内取引を中国とともに閉鎖する決意を明らかにしたアメリカが、トランプ政権にかわって、ゾウをはじめとした野生動物のいわゆるトロフィーハンティングを認め、ハンティングの’戦利品’の輸入を認めると公表した模様である。
http://abcnews.go.com/US/trump-admin-reverse-ban-elephant-trophies-africa/story?id=51178663

2017年4月27日 (木)

種の保存法国会審議衆議院その2「穴」

 25日、朝から種の保存法改正に関する審議が、石井実阪大教授(蝶の専門家で、検討小委員会の座長)と日本自然保護協会の辻村千尋氏のヒアリングで開始した。

国会で、絶滅の危機に瀕する種をどのように保全していくのかという議論が行われているこの日、辺野古では、埋め立て工事が始まっていた。
変則的だが、ここは、最後の質問に立った自由党の玉城デニー議員の締めくくりの言葉から始めたいと思う。彼は、今日は非常に「やるせない気持ちだ」という言葉を二度、冒頭に使っている。沖縄の言葉で「チヌワサワサー」と「チルダイ」というのだそうだが、心がざわめき、脱力しているような状態をいうらしい。非常に重要な議論をみんな真摯に行っている、しかしどこかに穴があいている、と彼は訴えた。

辺野古を生息海域の一部としているジュゴンを同法対象に、という意見が繰り返し出ている。この日は、玉城デニー議員はもちろん、共産党塩川鉄也議員もかなり執拗に、他の法律にある規制措置だけではなく、生息域をこそ保全し、種の回復を図るべきではないかと質問し、(ジュゴンを提案制度を使って繰り返し訴えてきた)自然保護協会だけでなく、政府参考人の石井実氏からも、科学的見地からは当然掲載されるべき種であり、様々な障害があるにしても、なんとか保全措置を取り、回復を願いたいというこたえを引き出している。

2002年に共産党岩佐恵美議員(当時)が谷津農水大臣に迫り、水産庁との覚書からジュゴンを除外してもいいという答えを得てからすでに15年。その間、防衛省による「環境調査」という名目での機材投入などからか、ジュゴンは海域から見られなくなったものの、先ごろまた、付近で子連れの個体が発見されている。絶滅回避の、ギリギリの瀬戸際といえるかもしれない。
環境省としても基本は守りたいわけで、今後のレッドリスト掲載の検討において、曖昧ながら海域の保護を含めて検討する、という返事をしている。しかし、この「検討」というのは使いようでどうにでもなる言葉だ。
いつまで検討するつもりかわからないが、生態的なデータも少なくなく、絶滅に瀕していることが明らかである大型哺乳類、しかも世界的に生息域が北限である貴重な種(そしてその生息する海域における沢山の希少種も含め)を守れなくて、一体何のための法律なのか?

海生生物のレッドリスト問題については、同じく塩川議員が非常に的を得た質問を繰り返し、政府参考人の石井実教授から、水産庁は水産資源が重要なので、純科学的には難しいところがあるかもしれない。環境省が評価して、それから水産庁が資源としてどう利用するのか考える、というのが理想だという答えを引き出してくれた。
午後からの審議においても、レッドリストで住み分けをするのではなく、水産庁の持つ知見と研究者の協力を得て環境省が行えば住み分けしなくても済むのではないか?と問いただした。
亀澤局長は将来的に知見を蓄積していきたいという答えだったが、山本大臣は水産庁が「船を持っている」ことが水産庁が評価している妥当な理由だと考えたらしかった。水産庁だって、調査が必要な時は、業務委託したりしているし、予算をつければいいだけの話で、船を持つことがそれほど重大なことなのか?

スナメリについては、毎年のストランディングレコードでは最高の死亡数を示し、研究者の人たちが海洋汚染や混獲、船舶との衝突(特に東京湾)など非常に大きな懸念を示している。
また、シャチのように、北海道で個体識別されている数は羅臼で239頭、釧路で105頭を数えるのみで、北太平洋の東海域で600頭以下という報告もあるというのに、水産庁は1990年代の調査結果として(当時の解析では生活史が類似しているとされるコビレゴンドウからの推定地で1300頭くらいだったと記憶している) 、日本周辺海域全てが生息域だとし、推定個体数は7531頭という途方もない数を出している。
ツチクジラはその生態に未だに未解明のところが多くあるが、小型沿岸捕鯨対象種で、3つあある個体群のうち、希少な個体群と考えられるオホーツク海の推定610頭の群れから毎年10頭の捕獲枠が出ている。そして、このなかに、もしかしたら新種が混じっているかもしれないという調査結果がNOAAから出され、ナショナルジオグラフィック誌で報じられている。まだ最終判定に至ってはいないものの、漁業者はこれを「カラス」と呼び、明らかに異なるクジラをいう認識を持っていたらしい。今回これについての記述などもちろんない。

全体的に、捕獲対象種では減少したと考えられないないから、そして捕獲対象外では脅威がないから、ランク外だといとも簡単に切って捨てている。
これがどれほど信頼できない評価なのか、ことさらに言うまでもないと思うが、肝心の環境省はこれを持って「多くの知見を有する」と評価するのだ。

しかし、こうした情報も一般的には伝えられておらず、陸域の「見える」生き物と比べると親近感にかけるためか、関係者の反応は鈍いと言わざるをえない。また、「クジラ」と言うと、途端に政治的な色合いを帯びてしまうため、下手に近寄りたがらない向きもあるかもしれない。環境省が所轄するかどうか、ということはこの点からいっても重要なものだ。

今回、最終的に付帯決議が12、ついた。科学委員会の独立性、透明性、提案制度に生息地を含む、希少種を保護するための里地里山の保全、違法に輸入された希少種の生息地への変還、ワシントン条約掲載種の国際情勢を踏まえての見直し(これには少し期待)などがあったが、海に関しては六番目に希少性の透明性を高めること、水産庁との令閨では「同法の趣旨に沿って」適切に行うというもの一つ。これで前に進めるのか?という疑問も残る。

感想としては、前進したところもあったが、やはり種の保存法のターゲットは陸域なのだなあということだ。
「穴」。


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