正義?生理?
NGOの活動を続けて来たが、振り返ってみれば、活動の端緒は誘われたとか、その活動に関わる人は少ないが、発信することは重要かもしれないと言う程度で、正面切って正義を主張するようなことは一度もなかった気がする。どちらかというと、生理的にそうしないと気持ちが悪いと言う思いから活動を続けという曖昧な理由で、逆にあまり強く正義を振りかざすような態度には引いてしまうところがある。そうした私のあり方が変な誤解とか曲解を招くこともあるようだ。
いくつか具体的な事例を上げてみようと思う。
一つは、ある著名な野生動物保護の大御所で、コンラート・ローレンツの「ソロモンの指輪」を日本に紹介した作家のO氏だ。私にとってはひどい被害で、公開するほどのことでもないと思って黙ってきたが、すでに物故されたので、書き残ておこうと思う。
オイコスを編集していて、ワシントン条約会議で象牙の輸出入の禁止とその後の緩和の方向性への懸念から、当時のWWF日本委員会の担当者に取材を行った事がある。しばらくして、突然、O氏から電話が来た。オイコスの第1号で取材した事があり、それなりに当時は尊敬する人だった。
驚いたことに、象牙に関してアフリカで活動をしている人を支援する組織を立ち上げることにして、そのお披露目の広告を出すので、その口座を開設し、事務所として登録してほしいというのだ。当時は私自身、離婚して事務所の運営に苦労していた時期であり、とても受けられる状態ではなかったので断ろうとすると、彼は公衆電話からかけていてもう小銭がなくなったので、それでお願いします。広告は明日です、と電話を切られてしまった。よほど切羽詰まっているのだろうと思い、また、信頼されていると早とちりもし、まあ口座管理だけならなんとかなるだろう、と安易に引き受けてしまった。しかし、それだけで済む話ではなかった。
基金を集めるための様々な活動を求められ、ニュースを発行し、そのお金を送る際に、ケニアの銀行送付は危険とか、小切手にして遅れとか、現地にいる彼の教え子から随分無茶な要求が繰り返された。無休で奉仕する私をこき使うのは当然と彼らは思っているようだった。さらには、ワシントン条約会議日本開催に当たり、そのアフリカの代表が来日することになり、その世話とか、メディアへの紹介とか煩雑な仕事をすべて回され、事務所の運営されおぼつかないときに目が回るようで正常な判断もできない日々が繰り返された。O氏にとっての最大の楽しみは、助手を伴っての毎年のアフリカ旅行だということもその後知ったが、基金のおかげで結構現地でいい目を見ているようで、私にも一度行ったらどうかと言われたのだが、とてもではないがそれほど基金が集まる状態ではないし、私自身、日々の暮らしでいっぱいいっぱいだったのだ。
その後、ある出版社からの動物写真集に入れるキャプションを書く仕事をもらい、書いたところ、写真家が気に入らず、アフリカに行ったことがないことをその理由に上げたので(実際は、その後使われたキャプションは最初に書いたものだったので、なにか他の理由があったのかもしれない。心当たりがないこともないが)これはやはり一度見てきたほうがいいな、と決心して、タンザニアを訪問した。考えても見なかったことだが、自然の空気は思ったよりも体に良いらしく、出かける前から体調不良に陥っていたのがそれまで経験したことがないほど、体が楽になったことに驚いた。タンザニアの国立公園を巡るサファリで、たまたまレンジャーの人たちに遭遇したので質問することにした。時期は忘れてしまったが、その1,2年ほど前に、基金で、タンザニアで苦労しているレンジャーの人たちに医療キットを送るというプロジェクトを実施したことがある。そのキットの贈呈式の写真も現地から送られていたので、それが実際にどれほど役に立っているのか、知りたかったのだ。ところが驚いたことに、医療キットどころか、その団体名さえ誰もしらなかった。
帰国後、早速そのことを報告をすると、O氏と助手さんは顔を見合わせた。
それから少し後で、なんの相談もなく、O氏が選任した3人の理事が、事務局の運営に携わることになったと伝えられた。大学教授など、研究者の人たちで、実際に事務所に来られたので、勝手だなあと思いながら断ることもできなかった。事務局が2回ほど行われたが、具体的に何かが変わるということもなく,その人達からなにか提案があったという記憶もない。しかし、O氏から新たな新聞広告を打つと聞かされたときに、医療キット問題もあったため、できませんと反対したところ、「事務局長を解任する」と突然言われ、理事たちが(一人を除き)賛成したので、私は解任され、事務所として機能してきた当時のオイコス事務所も使われないことになった。翌日、「このことを何処かに暴露すれば、NGO全体に大きな悪影響があるから、決して外に漏らさないように」という脅しの電話がかかってきた。騒ぎ立てるほど暇でもなかったのでそのままにしたが、実はその間に、野生生物保護の別組織を着々と組織していて、私はいずれにしても邪魔だったということがわかった。もともと無理なことを引き受けた私が馬鹿だったのだと後悔はしたが、すでに遅かった。
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