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2026年4月23日 (木)

再生可能エネルギーと暮らし

 署名のサイトから、何度も風力発電による自然破壊、渡り鳥への影響や人の健康彼岸への懸念から反対してほしいというお願いが来る。もちろん、石油や石炭などの化石燃料からの脱却による二酸化炭素の削減は私達の使命でもあるから、再エネへの転換は不可欠だと思うが、地域の自然を壊してまで必要なのか・・・無条件で再エネ=善にはいくつかの問題を感じてもいる。

 まずは規模。採算性と営業利益を問答無用の前提としていること。大規模なエネルギーをいっぺんに作りたがり、たとえば原発をできるだけ人のいないところに作って都会に送るというやり方では事故はもちろん、エネルギーのロスも送電の過程で起きていると聞く。地域における小規模の水力発電や太陽光発電は企業にとってメリットが少ないから大型というのなら、使う側が大きな電力会社を頼まず地域にバラしてしまえばいい。そういうシステムで運営しているところもある。うちは、子どもたちが建て替えるときにパッシブソーラーという方法を選んだ。建物を循環する水で、冬は暖かいし、夏は結構涼しい。もう一つは、裏の小さな木立(箱森)を死守したので、夏の真っ盛りに裏に行くと、表より2度以上低いのがわかる。この頃は、わが町でも木立がどんどんなくなり、照り返しの激しいコンクリートに変えられているが、木々を復活させることは地域全体の生活の福祉につながる。落ち葉などの手入れを面倒くさがってはだめでしょう。

 もう一つは、私達の暮らしを変える覚悟。かつて、私たちが作っていた「オイコス」という季刊雑誌で「くらし、かえる」という特集を組んだことがある。1994年のことだ。本当はその2年前に編集部に提案したのだけど、そのときは、誰もそんな事できるわけがないと反対され、時期を待っていて、やっと作れた誇らしいものだ。原子力資料情報室の故高木仁三郎さんと、もと消費者連盟代表でこの1月29日になくなった冨山洋子さんの「人がつながって、私が見える」というタイトルで、自分たちの内なる風景を大切にし、次世代に何が残せるのかということを、原発問題に始まり、過剰な消費の問題点について企業型社会を崩そうと、突っ込んだお話をしてもらった。

 今でもどんどん便利を求める今の暮らし変えるなんて無理と思う人がいるかも知れないが、私たちが今やっていることは、私達の将来世代の受けるべき貯金で言う「元金」をどんどん食いつぶし、弱い立場の人たちを圧迫しているのであって、褒められたことではないのだ。

 特に気になるのは、日本の過剰包装について。すでに前の世紀から問題になり、特に海外から来た人が驚いたという話を何回も聞いたが、時が移るにつれてますます激しくなっている。プラスティックゴミの問題は頭でわかっていても、食品などに特に小分けして使われる包装は誰のためか。エネルギー危機で「ナフサが〜〜」と医療機関における様々な道具の利用に支障が出ているとか、農業に必要なガソリンが〜〜と特定の問題ばかりメディアは取り上げるが、その前に私屋っちが日常で異利用している不必要な使い捨てのものを減らそうという自分たちで見極め、行動が必要だ。

 

 再エネの問題で、最近知人から、洋上風力発電に関する問題点を教えてもらった。沿岸に暮らす人にとってはモーターによる健康被害が海の景観だけでなく発生し、また、そこを通過する渡り鳥や、水中生態系への影響が懸念されるが、海外ではすでに規制があるのに、日本は野放しであることを聞いた。台湾では、沿岸近くの洋上風力発電における影響が、人だけでなく海洋生物、特に絶滅が危惧されるタイワンシロイルカ(50頭くらいしか残っていない)学者などに共有され、公共放送でも情報発信されて厳しい規制が作られたという。辺野古のジュゴンを想起させることだが、日本ではもともと環境影響評価が適切に機能していないので、企業による計画が先行し、それに合わせる形でしか環境影響評価ができないという話は昔から聞くところだし、きちんとした評価ができるように法体系を変える必要がある。また、どうにかして、現在進行中の計画に対してすぐに調査を行い、様々な方法を駆使して規制を考える必要がある。洋上風力問題を訴えるているのは、山形県鶴岡市の市議の草島新一さんという人で、すでに短いビデオを作成しているので、紹介したい。

https://www.youtube.com/watch?v=SLGUubaJVRk

南極条約第48回協議会、広島で開催

 今朝の新聞で、かつて南極で最大で、南極大陸を離れ、40年漂流していたA23aという名前の氷山が細かく砕け散ったという記事を見た。温暖化の影響で、南極の氷が溶けだし、海水面の上昇が懸念されている。

また、世界最大のペンギン、コウテイペンギンがIUCNで絶滅危急種に指定されたということも聞いた。南極の棚表が崩壊して、ヒナが溺れ死ぬことがその理由の一つということらしい。

 こうした事例への懸念は、私達の将来的な生存につながる。気候危機(最近では気候崩壊とも言われる)は人の作り出した災害であり、すでに取り返しがつかない状態に突き進んでいるが、それをできるだけ引き止めるのは私達の責任だ。対処はまた、国の施策により進めることが重要だ。しかし、今の政府には、そうした認識の欠片も見られない。アメリカとイスラエルの国際法を無視したイランへの奇襲により、結果的に現在中東からインド洋への通行ができなくなっており、中東の石油に頼ってきた日本でもその影響は甚大だ。しかし一方で、この状況に対して、脱炭素化(石油利用を控える)へと舵を切っている国もある。しかし、日本の首相は、なんと、ガソリンに補助金を使って解決しようとしている。為政者としての責任放棄としか思えない。さらには、武器輸出の解禁だ。仮想敵との’勇ましい’戦いに高揚するどこかのおバカさんに、私達の命を預けていることがにわかに信じがたい。誰が’こんな’人を選んだのか・・・勇ましく戦いたいなら、いっそビデオゲームでお仲間たちとせっせと戦ったらいい。わたしたちに必要なのは、きちんと外交のできる能力のある、世界的、将来的視野を持つ代表ではないのか。

 とこんなとき、南極条約の協議会が、広島で開催されると言うことを知った。10年くらい前に一度、ASOC(Antarctic & Southern Ocean Coalition 南極・南大洋連合、日本ではFoE japanが参加)という南極及び南大洋海域の生態系の保全を目的とした国際NGOの連合組織の呼びかけで話を聞きに行ったことがあった。そのときは、ロス海の海洋保護区設置が話題だったと思うが、当時は日本の調査捕鯨海域だったのでIKANへも呼びかけがあったと思う。今回のテーマが、広島での南極条約会議の紹介だったのだ。なぜ、南極かというと、南極は、武器も核も持ち込まないという約束が守られてきた平和の地ということで、選ばれたらしい。日本の無責任な責任者も、武器輸出などという物騒な事を進めるのではなく、会議に参加し、平和を守ることを少しでも学んだらどうかと思うのだ。

https://nankyoku-hiroshima.com/

 

2026年4月12日 (日)

本が出版されて2ヶ月たったが・・・

 これまでのおよそ30年かけての活動を本にして2ヶ月。その間、様々なことがあり、思うことも色々とあった。まずは、捕鯨問題という、限られた人しか興味を持たないトピックを出すことにしてくれた出版社と編集者に感謝をいいたい。もちろん、出版社に繋いでくれた知り合いにも。

 本が出てから、知り合いから、励ましや批評を頂いたのはすごく嬉しかったし、思いがけないところからもとても丁寧な感想を頂いたことは少しびっくりした。一方で、ネットを見れば(一応、時々検索をかけている)、私の意図とはかけ離れたような批判もある。これは想定済みではあるけど、食べる、食べない論争ではないよ、と最初からいっているのに、そこで拳を振り上げたがる人はうざいものだ。

 まず、当時、制作・編集した「オイコス」というエコロジーの雑誌で取り上げるようを知り合いに提案され、一方的な情報しか流れていないことに疑問を持つという素人的なところから始まったのだが、長い間、クジラ問題と関わってきた中で、だんだんと明らかになってきたことが少なくない。そして、問題解決のために多様な側面から知識を得ることで政府や業界への不信だけでなく、クジラから始まる地球環境への理解と人の暮らしという、オイコスの原点に回帰した。

 クジラを食べる、食べないの前に、クジラが特定の国や人の所有するモノではないというは繰り返し強調したつもりだったが、そこはもともとの「反捕鯨アンチ(としか言いようがない)」には通じなかったみたいだ。

しかし、そうしたすでに確立した「あっち側」ではない多くの人には、国際機関としてクジラの保全と管理を担っている国際捕鯨委員会(IWC)への政府・捕鯨推進勢力の歪んだ情報発信について、時系列で説明を行い、その中で脱退の問題点も指摘した。個々の部分は、かなり時間をかけたし、国内に流布している誤情報を訂正したつもりだ。保全(conservation)と保護(protection)、保存(preservation)の言葉の違いと使い方はとても重要なので、少しもたついたがそこは丁寧に説明を行った。どうも政府がconservation committeeを強いて「保存委員会」と訳してきたのは意図的ではないのかと思ったのだ。「保存」はそのままの状態に手を付けないという使い方だが、「保全」は、人が介在してでも本来の状態を維持させるというもので、IWCの委員会は保全の方だ。特に脱退を口実とした2018年の日本の捕鯨委員会の提案は本来的なところからは的外れのものだったことが読むことで理解いただければと思っている。

 もう一つ、イルカについては「動物福祉」の観点からの踏み込みが浅かったかもしれないと考えているのだが、面白いことに、ネットでの感想は、捕鯨反対・捕鯨支持どちらもが、イルカ飼育には問題を感じてているようだ。幼いうちに親から引き離されて、一生を狭い飼育場所で過ごすことが可哀想だと感じるようだ。クジラ問題がどちらかといえば、「顔」が見えないのに比べ、個としての存在が見えることによるのだろうか。

 新書としての出版で、編集者の意向としては手に取りやすい価格、1000円にこだわったので、実際に書いたものの3分の2くらいは入れ込むことができなかった。種類の説明に入るはずの私の描いたイラスト(1枚だけ、カバーに゙シロナガスクジラが使われたが、なぜか表紙裏では団体名になっていてイラスト使用量は払われなかった)はじめ、写真や図版などは全く使えなかった。本当は省いてしまった余分な情報が私にとって重要だったりもするので少し残念でもあり、このブログでおいおい、書き足すのもありかな、と思っているところだ。

 大手出版社から出すことへの期待は結構あった。「人目につきやすいかも」と思ったからだ。一方で、少しばかりお金が入ったことでの葛藤はある。これまでの活動では私自身の収入というものは自分の活動における必要最低限以上ほぼない状態で、お金が入るということに関してはかなり疎い状態があった。これまでも、イラストなどで出版社と関わったこともあったし、その中での取引では口約束以上の正式な契約というものはないに等しかった。それでも、その際にはさすがにどれだけの収入があるかということは主に事務所の継続に係ることでもあったから、それなりに気にしたし、出版社によっては誠実な対応というものもあった。今回は、フリーランサーの知人の紹介であり、任せていたので出版契約というものはなかった。しかし、途中で判明したことは、書き手が私ではなく、紹介した知人になっていて、その人の書き方も理解の度合いも私の考えとほど遠かったこともあり、編集者にお願いして、途中から私が書くことになったが、相変わらず、ライターの印税分は取られているのもちょっと違和感がある。まあ、私のような立場の人はもともと使い捨てなのだろうと少し被害妄想があるが、フリーランスで仕事をするときには、まず契約内容を確認することをおすすめする。

 

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