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2023年4月26日 (水)

備忘録ーIKANの参加したIWC本会議 5

2014

<IWC65回会議 ポルトルージュ・スロベニア>

○会議の内容

・ジェニーン・コンプトンーアントワンさんは、IWCで初の女性議長。カリブ諸島のセント・ルシア出身。

・科学委員会の今回議長は、東洋海洋大学の北門利秀さん。要領よく、端的(すぎる?)に科学委員会2年分の会合内容を解説。2013年、北西太平洋のミンククジラ(コモンミンク)の資源評価が終わり、2015年にはそのプロセスが終了と紹介。

・先住民生存捕鯨の議論で、前回の増枠の否決の後、内部的な協議が行われ、デンマーク政府とEUの共同提案による決議案(先住民生存捕鯨の尊重と管理の明確化)をパッケージで提出、コンセンサスでの採択を目指し、前回同様の対立の末、最終的に投票にかけられ採択された。

・南大西洋サンクチュアリ 今回はアフリカの関係国との協議をへて、合意文書「モンテビデオ宣言」が出されたことを報告し、コンセンサスを求めるも、捕鯨推進派の反対の声がおさまらず。

・日本の小型沿岸捕鯨に関し、日本は北西太平洋のミンククジラのRMP評価が終了した結果の捕獲枠17頭を持ち出した。しかし、調査捕鯨で実施している数と、混獲は勘定に入っていない。もはや、意地としか思えない提案。

・オーストラリアがRMPの枠の算出は8つのステップのうちの3つ目で、未完成と発言。日本(森下さん)は、もし8つのステップを踏んだら認めるのか?と質問した。日本としては、どうせ、過程を経て提案したとしても、反対するんでしょ?と念押ししたかったのかもしれない。

・モナコが再び、小型鯨類の国際管理を訴えた。決議案は採択された。

・食料安全保障の提案 飢餓の撲滅のためクジラも他の水産物同様利用対象に、という提案(2022年段階でまだ議論中)

・この年、3月31日に、オーストラリアが国際司法裁判所に提訴したJARPAIIの訴訟で日本は敗訴し、停止の判決が出たところから、、特別許可の是非を科学委員会のアドバイスの元で本会議で議論しようというニュージーランド提案。(日本はこれを『引き伸ばし提案』などと呼ぶ)。日本は、ICJの判決は日本とオーストラリア、ニュージーラド間の話だから、IWCの枠組みに拡大するべきではないとし、一方、南アメリカ諸国は、致死的調査を容認する可能性から、より厳しい内容を求め、まとまらない。

・日本は判決を受け、新たな調査計画を策定するとしている。

* ついでだが、日本政府は、このICJ判決で負けたところから、IWC脱退を画策し始めたということだ。振り返ってみれば、日本の沿岸小型捕鯨の提案のチャランポランさなど、それらしい兆候はあったはずだ。しかし、私たちは、調査捕鯨による業者救済が確かだったため、脱退しようとしているのに気が付かなかった!

・副議長を務めたベルギー代表が急病で帰国し、その後亡くなったことを受け、急遽次期議長の選出が行われ、議長は、ブルーノ・マイニニ氏、副議長は森下氏に決まった。

○ IKANの活動

・ 「調査捕鯨は税金の無駄遣い」というパンフレットを配布

2016

<IWC66回会議 ポルトルージュ・スロベニア>

○ 会議の内容

・激しい対立議論を禁止されてから、会議の受け入れ国に立候補するところがない。スロベニアが親切にも手を差し伸べてくれてまたしても開催地はスロベニア。もう、本拠地をスロベニアにしちゃったら?という声が聞こえるくらい。

・先住民生存捕鯨のWSで講演したアラスカ大学の政治科学者ドロー氏が先住民の権利についてレクチャー。このところ、国際会議での先住民の権利を評価し、その考え方に学ぼうという意向が強く決議などに反映されている。しかし、IWCではすでに先住民に対する捕鯨の管理は認められている。揉めているのは、その考え方に異を唱えるのではなく、枠の設定とこの時は違反に対しての合意形成なのだが。もっとも、枠の設定をIWCという機関が行うことそのものの束縛感が強いことが根底にあるのも確かだ。

・森下交渉間が2つのIWCを提唱。捕鯨推進は沿岸捕鯨や食料安保について検討し、反捕鯨はクジラ保全や環境、動物福祉を担当すればいい、と。

○ IKANの活動

・先にリリースした「日本政府の真北西太平洋鯨類捕獲調査計画(NEWREP-NP)の撤回を」という国内団体による共同声明を、NGO発言の機会をもらって発言。特に道東での起床個体群の捕獲への懸念を訴えた。

・ 23.7g改訂版を作成して配布。

 

2018

<IWC67 フロリアノポリス・ブラジル>

○ 会議の内容

・2000年から繰り返し提案してきた南大西洋サンクチュアリの成立を願って、満を辞してブラジル政府が主催したIWCだが、残念ながらその願いは叶わなかった。

・一方で、2006年のセントキッツ宣言に対抗し、クジラの非致死的利用と保全を訴える「フロレアノポリス宣言」が採択された。

・日本は、資源の安定しているクジラに捕獲枠を設ける附表修正と、保全委員会(日本的には保存委員会)に対抗した捕鯨委員会の設立提案。前回の森下提案の具体化した提案で、「これまで機能してこなかった管理機関としてのIWCの役割を果たすため、パッケージで提案。否決。これまでの議論から、なぜ絶対通らないような提案をしたのか?と幾つもの国が首を傾げるような提案だったが・・・・

* 採決後、谷合農水副大臣が「共存する可能性がないなら、あらゆる選択肢を考えざるを得ない」と。オオカミ少年かと思いきや、年末ギリギリに脱退が表明された。

○IKANの活動

・「日本のIWC改革案に反対する」というパンフレットを配布。

・ パンフの中身に沿って、再びNGO発言の機会をもらった。

・ 調査捕鯨による手厚い業者支援があってこそ継続してきた捕鯨に関して、まさか脱退して排他的経済水域内のみで商業捕鯨を再開するとは考えても見なかったことは残念なことだった。

・ 脱退後、毎日、中日・東京、北海道新聞、デイリー東北などから取材を受け、日本にとってのデメリットについて強調するも、国内ではさらに無関心が広がっている。

 

2021

<IWCバーチャル会合>

・コロナのパンデミックの中、いくつもの国際会議と同様に、IWCもオンラインでの会合を持ち、IWCの課題の1つとも言える、予算に関して、次の本会議までのつなぎ予算を決定した。日本という大きな資金源を失ったこともあり、今後の予算編成に真剣な議論があった。途上国から、パンデミック下での経済的な困窮を抱える現状から、分担金支払いが不能な場合の参加と議決権についての検討を行い、次回会議で結論を出すことも決まった。

・脱退後初会合には、森下丈治x諸貫秀樹氏の他に外務省漁業室長、政府系NGOの自然資源保存協会が参加した。

・IWCの発足から75年の節目にあって、国際NGO50余によるオンラインイベントが開催された。

 

2022 

<IWC68回会議 ポルトルージュ・スロベニア>

○本会議内容

・4年ぶりの対面会議が、3度スロベニアのポルトルージュで開催された。

・冒頭から、会議運営のための資金問題。なんと、締約国の84カ国のうち32カ国(捕鯨支持国)が少なくとも3年以上の滞納状態だ。これに対して、捕鯨支持側はIWCが経済的に破綻しているとしながら、一方で分担金を支払っていない国も投票権を与えられるべきと主張している。議論の末、2010,2011,2012年の滞納国は投票権を今回限り与えられるが、それ以前からの滞納国は投票権はなし。

・IWCの効果的な運営についての作業部会(WG-OE)の報告と議論。予算改革の議論では、3つの選択肢が検討された。1。赤字予算解消のため予算を減らす、2。予算を減らしつつ、締約国の分担金を増やす。3。締約国の分担金を図学して赤字を解消する。最終的な結論は、予算を減らしつつ、分担金の少ない途上国への負担は行わない形での締約国の分担金を増やすことで決着。

・投票権をめぐって、2010年より前から分担金を滞納している国の権利が失われたことや、捕鯨推進での参加国が少ないことから、附表修正(4分の3の票獲得)でのの可能性が大きくなった。そのことに危機感を抱いた捕鯨推進国は、傍聴参加の日本も含め、会議室から雲隠れして投票成立の必要な定足数を割ることに成功。南大西洋サンクチュアリの投票が阻害された。

・会議の構造的な改革で検討されていた管理委員会についてははっきりした結論は出ず。

・韓国が、捕鯨反対の立場を鮮明にする。国内世論を受けた転換。

・次回本会議はペルー、科学委員会はスロベニアとアンティグアで開催される。

○IKANの活動

・2日目のランチタイムに、捕鯨実施国の反捕鯨NGOの記者会見。しかし、今回会議での記者参加はほぼゼロに等しく、あまり効果はなかった。

・EIAのジェニファー・ロンズデールさんが、過去の貢献を称えてAWI(動物福祉研究所)からシュバイツアー・メダルを受賞。これは、1981年に、アルベルト・シュバイツアー博士が、動物の福祉に貢献した人に送ることをAWIに許可したもの。

 

2023年4月20日 (木)

備忘録ーIKANの参加したIWC 4

2010

<IWC第62回会議 アガジール・モロッコ>

○ 会議の内容

・ 「捕鯨をIWCが管理する」という強い意志を持って、満を辞して選ばれたチリのマキエラIWC新議長が病気のため会議不参加。のちにチリ代表も辞任するという事態に。

・ この舞台裏としては、日本の調査捕鯨に対して枠の削減→調査捕鯨の終焉というシナリオに、双方が納得しなかったことが考えられる。日本にとってその時点では調査捕鯨の終焉などありえなかったし、アイスランドとノルウェーは、提案にある自国流通に反発。また、韓国は、捕鯨に参画するつもりがあったため、実施国だけの議論に不満。一方で、国際的には、それまでクジラ問題に限定されていたNGOを超え、国際的な人権団体などが商業捕鯨再開反対を強く訴え、署名を開始した。また、海洋関係の科学者200人が商業捕鯨に反対する署名に名を連ねた。

・会議はコミッショナーによる非公開会議に移り、本会議の再開は2日後。

・ 民主党政権下で初めての会議であり、「政治主導」の旗のもと、参加を表明していた赤松農水大臣が辞任したことを受け、舟山康江政務官が出席。「科学を無視して市民の声を受け入れた」とIWCを強く非難。会場の多くが唖然。

・グリーンランド先住民生存捕鯨で物議を醸してきたザトウクジラの捕獲、EUおよび南米諸国の反対を宥め、かなり無理をしてのコンセンサス。グリーンランドで捕獲されるザトウクジラの個体群は、カリブ諸国から毎年回遊。繁殖海域のカリブではウォッチングで人気がある。

○ IKANの活動

・ 日本沿岸の希少個体群J-stock混獲の実際を黥研レポートをもとに作成し配布。

・会議前に、民主党議員に対してクジラ問題について説明に回った。

・2010年は、日本で生物多様性条約第10回会議が開催された年でもある。2009年に、CBD市民ネットの世話人の一人として、沿岸・海洋の作業部会を立ち上げ、アガジール前にもナイロビのSABSTTA(科学技術助言機関会合)に参加したり、CBD事務局の海洋担当のリー博士をお招きして集会を持つなどし、その後COP10の参加と、直接的にクジラではないが、多忙な1年だった。

・PEWの呼びかけで、会議直前にサメのワークショップを開催する企画をだし、先方は予算も出してくれたのに、作業部会長はPEWも反捕鯨団体と思ったらしい。イベントを進めるIKANに対し、「クジラ問題を扱ってるところは、シーシェパードと同類のテロリストとして疑われる。作業部会に漁業関係者が来なくなる」と、IKAN排除に乗り出したため、せっかくの良い機会を失ってしまった。

2011

<IWC63回会議 ジャージー・イギリス>

○ 会議の内容

・日本の要望で、初めに会場の安全な航行ー調査船妨害に対する非難。コンセンサスで。

・会議の運営 参加費の支払いは、現金や小切手、クレジットカードではなく銀行振り込みによるものというイギリスからの提案。これまでの票買い疑惑に対して、支払いの透明性を高める狙い。当日カバンに詰めた現金を持ち込んでいた国もあったらしい。

・定足数の操作!日本は小型沿岸の提案を今回断念したので、サンクチュアリ提案も断念すべきと主張。どうしても投票に固執するなら、捕鯨支持国は会議場の外に退出すると。2022年のスロベニア会議ではこれを実行に移し、投票を阻止したわけで、ここで実験したのだった!この時に回避作を講じるべきだったよね?IWC !

○ IKANの活動

・「もうきっぱりやめよう!調査捕鯨」日英でのパフレットを作成し、配布。

・調査捕鯨問題に関し、民主党議員への働きかけを試みた。筒井康隆農水大臣(当時)が、その後「有識者の検討会を設けて検討する」という記者発表。1986年に開始して以来初めてのことだったが、実際は水産庁主導で非公開で開催され、参加委員の中に海洋や鯨生態に関する専門家はいない。そのうえ、第1回目で検討会の名称まで「今後の調査捕鯨のあり方について」から「鯨類捕獲調査を安定的に実施数ため」に変更。理由について宮原水産庁次長(当時)は変更理由について「鯨類捕獲調査をやめることを議論するのではないか」あるいは「否定的に議論するのではないか」という意見があったため、と返事。

中間取りまとめは以下(最終取りまとめは見当たらず):

https://www.jfa.maff.go.jp/j/study/enyou/pdf/chukantorimatome.pdf

・2011年は忘れもしない、大震災の年だった。いまだにその傷跡が修復されたわけではないし、この6月には、福島原発敷地内の放射能汚染水が満杯になるから海に流すという話もあり、相変わらずの日本の態度に腹が立つが、この震災の年に組まれた補正予算でなんと震災のための復興予算が、調査捕鯨のため(というより鯨研の赤字補填)に使われたことが明らかに。

2012

<IWC64回会議 パナマ>

○ 会議の内容

・空席だった議長のワンポイントリリーフとしてブルーノ・マイニニ(スイス)氏。非常に公正で冷静沈着な、議長役として最高。

・南極のミンククジラの推定個体数、51万頭で合意。

・南大西洋サンクチュアリ またしても否決

・グリーンランドが、前回会議でのかなり無理筋提案を受け入れたのも束の間、再びザトウクジラの増枠を要求。さすがに否決。2002年アラスカ以来の出来事。

・またしても海の航行安全についての議論。

・調査捕鯨 JARPAIIの評価が2014年に発表される予定。

・何と、韓国が調査捕鯨の自国内海域での開始を宣言(ただし、帰国後すぐに取り消された)

・モナコ クジラの多くは高度回遊の種で、国連海洋法条約でもその管理に特別な必要性を認められているが、IWCが管理するクジラ類は限定的なので、クジラに関する専門家が集まるIWCが国連との共同管理を行おうという提案。しかし、捕鯨関係者は現在の管理する種に限定し、また他の小型鯨類は扱いたくないので反対。

・小型沿岸捕鯨 コンセンサスができないため持ち帰り 「先住民生存捕鯨のみ認めるのはダブルスタンダード。農業や林業は商業性を認められているじゃないか」

・パナマ以降、IWC本会議は2年に一度開催に決定。

○ IKANの活動

・日本人がどの程度鯨肉を消費しているのか、ということを明示するパンフレット「23.7g」を配布。実は、日本人が年間一人食べるのは23.7gで、チョコバーくらいの大きさということを示すのは、日本がクジラをものすごく食べているかのように思っていた海外の人たちへの贈り物。

2023年4月19日 (水)

備忘録ーIKANの参加したIWC本会議−3

2008年

<IWC60回会合 サンチャゴ・チリ> ←この年から、Ikaーnet日記に記録があるので、詳細はそちらで。

http://ika-net.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/iwc_833d.html

○ 会議内容

・ホガース議長(米)のリーダーシップのもと、3月に中間会合が開催され、妥協の難しい課題を除き、合意できる可能性のあるところを本議会で討議、妥協の難しい課題は賞作業部会で非公開に議論されることになった。対立の明らかな33項目については、個別項目で解決するのではなく、パッケージで「取引」できる状況に導き、問題解決を図る、という方針で、基本的に採決はなし。

・「IWCの未来」と名付けられている議長サマリーでは、1。会議の実質と手続き場の改善 2。個別論点と合意形成の可能性について3つのAnnexに収められている。

・Annex A 手続きの改正ー1。事前の合意形成を求められ、対立する見解の解決は議長裁量で。決議案の提出時期を会議60日前にする(それまでは前日)2。新参加国は、参加承認の30日後に投票権付与。3。公用語は英語だが、作業言語としてフランス語とスペイン語使用。

・AnnexB 実質的議題進展のための小作業部会の設置。各24ヶ国が参加し、扱うテーマをパッケージとして検討し、合意形成に持っていく。テーマは、会議の目的、海洋のガバナンス、モラトリアム、調査捕鯨、日本の小型沿岸捕鯨、科学委員会の機能から倫理と福祉、海洋保護区気候変動など。

・AnnexC 科学委員会に関する諸問題。結論を本会議と切り離した際の影響、途上国の科学者の参加、キャパビル、招待科学者に関して。

・オーストラリア環境相のピーター・ギャレット(もと人気バンド’ミッドナイト・オイル’のリードボーカル)が、南大洋における非致死的調査の開始を宣言。IWC科学委員会のもと、国際的な共同調査でのクジラ類をはじめとする調査で科学的知見を収集し、保護と管理に貢献するとしており、これまでも着々と実績を上げている。以下のリンクで確認できる。

https://www.marinemammals.gov.au/sorp/

・小型沿岸捕鯨に関して、再び「商業捕鯨そのもの」という批判。

・調査捕鯨に関しては、2006年のJARPAの評価から、科学委員会が「科学調査=調査捕鯨の致死的調査にはIWCの評価が必要」と報告。調査結果として18年間で数千頭のクジラを殺し、100億もの税金を費やして、ミンククジラの推定個体数はもとより、目的の1つである自然死亡率(〇から無限大)もわからなかったのだ。(森下コメント「21世紀には他の動物を殺してはいけないという話ならわかるが、なんでクジラはいけないの?」)

・NGO発言の再会。今はなきジョン・デンバーが。NGOのプレゼンテーションとして歌を歌って以来、禁止されてきたNGOの発言が両陣営のNGOそれぞれ3団体ずつ許された。日本からは捕鯨推進側のウーマンズフォーラム魚と反捕鯨の立場からグリーンピス・ジャパンが行った。ただ、議事内容と関係ないところで、一緒くたに発言されることに意味があるだろうか?

○ IKANの活動

・会議前に、小型沿岸捕鯨基地の予備調査をし、それをパンフレットにまとめた。問題点として、「捕鯨基地は必ずしも捕獲地ではない(日本政府が主張した地元のみの消費に当てはまらない可能性)。例えば、合致するのは宮城県鮎川のみで、捕鯨の歴史を誇る太地ではかつてミンク鯨領が行われていた当時でさえ、ミンククジラの捕獲はない。網走はJ-stockの捕獲を回避するためこの時点では捕鯨は許可されていなかった。核基地では食文化よりも業として鯨肉を販売。千葉県和田では伝統的に利用されてきたのはツチクジラ。他にももし、沿岸捕鯨が開始されたとして、調査捕鯨との肉の区別はどのようにするのか、という疑問など。

・会議とは直接関係ないが。

 私がどうしても一度は地理を訪れたかった理由は、ビクトル・ハラのいた場所をこの目で見たかったからだ。彼は、シンガーソングライターで、ギター1つで同胞の思いを歌い上げ、アジェンデを助けたのだが、クーデターにより逮捕され、虐殺された。もう40年も前の話だが、彼の歌は今でも歌い継がれており、日本でもデモで、彼の歌「平和に生きる権利(El derecho de vivir en paz)」が歌われるようだ。チリの若いNGOに聞いたところ途方に暮れた顔をされ、(政治的すぎるのか)と残念に思った。彼の生き様は、とても尊敬できるし、作った歌だって普通にすごくいい歌なのに。

 会議は、サンチャゴの市街地と少し離れたいわゆる高級な住宅街だったので、最後の日に地下鉄で、ダウンタウンに行った。まずものすごい人混みの活気に気圧されてしまってまんまとカメラをすられてしまった。しかし、ストリートバンドのグループの一人がビクトル・ハラのTシャツを着ているのを見て気を取り直した。そして、サンクリストバルという巨大なキリスト像のある町外れの埃っぽいテントに偶然みつけ入ってみると、なんと、私の好きな「鋤(El Arado)」が聞こえてきた!早速入って見ると、土産物を売る初老の少し疲れた男の人が俯いていた。「ビクトル・ハラでしょ?」と聞くと、頷きながら「人間の歌(Canto a lo humano)」のMDを掲げて見せてくれた。時に、IWC参加は、こんなご褒美をくれる。

 

2009

<ローマ中間会合 ローマ・イタリア>

○ 内容

・すでに2回行われた非公開の小作業部会(モラトリアム、調査捕鯨、日本の沿岸小型捕鯨)についての報告が行われた。作業部会では、客観的な外部専門家として招聘されたデ・ソト大使の仲介で、議長による調査捕鯨の枠の削減→消滅と沿岸捕鯨再開がパッケージで提示。日本は調査捕鯨の中止はあり得ないと返答。

・内容的には激しい議論こそないが、内容はどちらも変わらない。

・南極の調査捕鯨を妨害するシーシェパードに関する非難で終始。

○IKANの活動

・NGOとしての5分間スピーチで、課題解決に向かっていることを歓迎するが、沿岸小型捕鯨再開で気希少個体群J-stockへの配慮がないことを指摘。また、ニシコククジラとともにクジラの混獲回避に向けてアクションプランの作成を提案。沿岸捕鯨基地の現状を紹介し、調査捕鯨と沿岸小型の両方が実施された場合の肉の区別はできないことから、モラトリアムの元で沿岸捕鯨再開はありえない。

 

<IWC61回会議 マデイラ・ポルトガル>

○ 会議内容

・日本政府の正常化への貢献ー日本が本来認めていない保全委員会の検討議題やIWCの管轄街の小型鯨類の議題削除を求めない。サンクチュアリを容認、調査捕鯨の捕獲数の削減を譲歩の印ともちだした。

・森下コメント「漁獲減少がクジラのせいだとは言っていない。その可能性を検討するためにクジラと魚の関係を調べる」捕鯨はしないし、クジラも食べないが、増えすぎたクジラが自分たちの魚を横取りするので、捕鯨は食糧安全保障上必要、と叫んでいた(今も叫んでいる)参加国にさしたる動揺も見られないということは、彼らも元々信じていなかったのだろうか???

・ミンククジラの推定個体数、まだ結論に至っていない。・・・が、これまで日本がIWCに協力し、個体数推定のための目視調査船の貸し出しを突然打ち切る。

・北西太平洋の調査捕鯨についても議論があった。沿岸の希少個体群への影響懸念と同時に、アメリカは、日本と韓国で増えていて、調査捕鯨を上回る混獲の回避のための韓国をすべきだとした。(中間会合で発言が少しは役に立った?)

・太地・三軒町長「調査捕鯨なしには日本の捕鯨はない」

(確か、2016年に意見交換した時にも、彼は『(同じ小型捕鯨協会の)S氏が商業捕鯨再開と言っているのは間違っている。再開すれば、小型は立ち行かなくなる、とおっしゃっていたのを覚えている)

○ IKAN の活動

・沿岸の小型鯨類の捕獲について日・英でのパンフレットを作成し、配布した。

 

 

2023年4月18日 (火)

備忘録ーIKANの参加したIWC本会議の記録 2

2006年

<IWC58回会議 セントキッツ&ネビス>

○ 会議の内容

・議題について日本は今回は小型鯨類の削除だけに絞るとして投票。30対32棄権2(セネガル、グアテマラ)で否決。

・同じく日本提案で無記名投票の導入は30対33棄権1(ソロモン)で否決。捕鯨・反捕鯨互いに同盟国を引き入れ続け、3カ国が70カ国になった。投票結果は僅差。

・RMSでモラトリアムの解除有無と調査捕鯨継続有無で両者折り合わず。作業部会は停止。

・日本の’IWC正常化’提案 「IWCはICRWの求める「適切な資源管理及び捕鯨産業の発展」という機能を失った。IWCを正常化しなければその存在意義がなくなってしまう」ランチタイムに日本が主催して「正常化会合」が行われた。日本がお誘いした国々は、第2IWC の設立を期待していたらしく、日本が「和やな会合にしたい」と冒頭にいったことに不満。日本政府は翌年2月に東京で会合をすると宣言。

・ 所謂「セントキッツ宣言採択!!!

通常、ホスト国への礼儀で、出された宣言をコンセンサスで採択するが、今回は頂上対決の片方の文言(つまり日本の言い分を概ね引用)を主張し、だからこそそのまま受け入れられずに採決にかけられた。結果は33対32棄権一(中国)で採択!!

大体は日本の平常か提案に沿ったものだが、いくつかは何度読んでみても、内容がおかしい。一例として「海洋資源を開発オプションの一部として利用することは、農業の多様化を期待する多くの国にとって、極めて重要である。」ってどういう意味か?「科学的な調査によって示されたクジラが莫大な魚を消費している事実は、クジラ資源の管理は沿岸国における食糧安全保障の問題であり、今や生態系管理は国際的な基準になったのであるから、クジラ資源の管理はより広い生態系管理のコンテクストで考慮されるべき。」

 日本の誘いでIWCに参加した国々は、捕鯨をするつもりはないし、鯨肉も食べたいと思っているわけではない。漁業支援中心の無償支援が彼らの多くにとって重要であり、宣言を出したセントキッツも漁業国ではないからかもしれない。

 NGOについては「食料安全保障と国家発展のための資源利用に関連する主権者の権利に関する問題について、私利私欲のキャンペーンを行う多くのNGOが、政府の政策を指示しようとする際に脅迫を使用することは容認できないとして拒否すること」と全面対決姿勢。

・宣言が採択されたのを受け、日本がホストする正常化会合の他、南アメリカの国々が会合を開き「ブエノスアイレス宣言」を出している。参加した国々の多くは沿岸のコミュニティにおけるホエールウォッチング事業の発展を経験し、零細漁業者にとっての重要性を認識してきた。

・ 南極における調査捕鯨船妨害に関しての抗議提案(日本、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカの提案)がコンセンサスで採択。

・ 最終日に、ホスト国のセントキッツが、会議運営費で8500万円もの赤字ができたので、IWCになんとかしてほしいという要望。

 

○ IKANの活動

・ 開催前に外国人記者クラブで開催した鯨肉のダブつきに関しての記者会見に大きな反応があり、ロイターやブルームバーグの配信によって最終的に100以上の記事が世界的に掲載。IWC会議内でも多くの取材を受ける。

・ グアテマラのNGOとの会話で、日本大使館からの人が、会議前にグアテマラ政府に日本を支持するよう強く迫ったことをメディアが報じ、国内問題に発展。多くの人たちが反対したため板挟みになった政府は、IWCは今回初参加だったが、結局会議の出席を見送ったとのこと。

・ ODAの現場。首都バセテールの浜辺で、魚屋さんと思しき人が板を敷いてしゃがんで魚を捌いている。内臓をもらうため、グンカン鳥などものすごい数の鳥が集まっている。埋立したと思しき向こうっ側では日本の支援した立派な漁業関連施設がぽつんと人気もなく立っているのが見えた。新しい漁業複合施設もまた別に建設中ということだが、首都からだいぶ離れたところで、ゲート前で警備していた女性に「日本の支援は役になってる?」と聞いたところ、「少なくともこの仕事があるからね」という返事。

・ 日本の「正常化会合」、南アメリカ諸国の会合の他に、アメリカのPEW財団が、ニューヨークと東京で「A Change in Climate for Whales」を開催。VARDA GROUPのレミ・パルマンティエとBBCのリチャード・ブラックの進行で行われた会合は、一方の主張を取り上げるのではなく双方の言い分から解決策を見出そうというもの。

https://www.pewtrusts.org/en/research-and-analysis/reports/2008/02/03/a-report-of-the-second-pew-whale-symposium-a-change-in-climate-for-whales

東京会合にはIKANも参加した。

https://enb.iisd.org/crs/whales/pew2/

 

2007年

<IWC59回会議 アンカレッジ・アラスカ>

○ 会議内容

・新たに議長に選出されたビル・ホガース氏の先導で「妥協の精神」と投票回避のための「参加しません」が推奨され、議論の対立点が解決していないのに、議論と投票を最小化。議事は促進されたものの、最終的に日本が脱退宣言を行うことに。IWC副議長の森本稔氏は、日本代表団の座席から、会議に文句をつけるお仕事に専念。

・JARPAIIのザトウクジラ捕獲への懸念から、オーストラリアおよびニュージーランドはそれぞれ環境大臣を派遣。オーストラリアのターンブル環境大臣から、ザトウクジラ捕獲に衝撃を受け、反対署名を集めて自費で会議に参加した13歳を筆頭とする少女たちを紹介、議長に4万人の署名を提出。

・ザトウクジラについては、両国ではウォッチングで人気が高いが、日本で肉としての評価は高くない。さる筋によると、小型沿岸捕鯨のバーターに使いたかったらしいと。実際、ザトウクジラの捕獲は実施されなかった。

・クジラの人道的捕殺に関して、日本政府が「日本は捕殺時間短縮に努めており、半数以上が即死している」との発言に、「え!半数だけ?」と一瞬会場に衝撃が。

・ 下関で否決されてしまった先住民生存捕鯨の5年間ブロックの捕獲枠見直しが議題にあるが、すでに2月の段階で異議を唱えないという日本の立場表明があり、その後での安倍首相(当時)のアメリカ訪問でもそのことが確認されたようだ。グリーンランドが今年も捕獲枠拡大を要求。

・いくつかの投票。南大西洋サンクチュアリ提案−4分の3に届かず否決

・小型沿岸捕鯨で森下交渉官「小型沿岸捕鯨の歴史は、破られた約束の歴史」と発言。まずはモラトリアムの受け入れで、アメリカの排他的経済水域での漁業許可のために仕方なく受け入れたのだが、その2年後にアメリカは自国200海里での創業を禁じてしまった。次に、モラトリアムの見直しを約束の1990年に行わなかった。1992年のRPMは本会議で認められず、前回RMSも停止となった、などなど。

・さらに「木材も自動車も商業流通しているのに、なぜクジラだけは全面的に禁止するのか?」疑問を投げかけた。

・また、メキシコの質問、ミンククジラが生態系に果たす役割はまだ分かっていないのに、という意見に、「(JARPAの調査は)RMP管理にではなく、RPMの改善に役立っている。車に例えれば、燃料のインプットではなく、車の機械そのものを改善する、すなわち、生態系を改善して研究に資することを考えている」

・JARPAIに案する科学委員会での見直しについてのWSの中間会合が東京で開催された。収集されたデータに関しては解釈の違いなどで合意はなかった。南極ミンククジラの個体数推定はまだ。

https://www.icrwhale.org/pdf/SC59Rep1.pdf

・小型沿岸捕鯨での支持が広がらない中、中前明水産庁次長が先住民生存捕鯨を認めながら小型沿岸捕鯨を認めないダブルスタンダードに「もはや忍耐が尽きた。国内議会の羊頭中心に脱退と新機関設立を促されているのでこれを検討する」

・2009年のIWC開催地はポルトガル・マデイラと東京の一騎討ちだった。ポルトガルのプレゼンテーションに続き、横浜の紹介が行われた。が・・・中田宏市長(当時)は「(脱退の可能性を受けて)こういう事態なので招致を辞退する」続き、副議長でもある森本稔代表がこの方針が国のものであることを保証。

○ IKANの活動

・ クジラ害獣説に対抗して「クジラが魚を食べ尽くす??なわけがないっ」というパンフレット(日・英バージョン)を会場で配布。

2023年4月17日 (月)

備忘録ーIKANの参加したIWC本会議+中間会合 その1

最近、物忘れも激しくなってきたようなので、これまでIKANが参加してきたIWC会議について、書き残してみようと思う。特に、最初の頃はブログにも残されていないのでIKA-Net ニュースなど残っているものを見直した。

IKANとしての最初の参加は2000年で、2009年の中間会合を含めるとすでに18回の参加になった。これまで、資金面を含め色々と支えてくれてきたみなさんにまず感謝。

2000年

< IWC52本会議(アデレード)>

○ 会議の内容(IKANの立場から)

・日本の北西太平洋での調査捕鯨拡大(ニタリクジラ50頭、マッコウクジラ10頭)についての議論沸騰ー多くの参加科学者が反対の意見

・日本の捕鯨外交への批判ー人口7万人の小国に、7億円の漁業支援行い、会議直前に日本政府がサンクチュアリ提案に反対するよう議会に圧力をかけ、環境大臣が抗議の辞職をしたことから、日本の捕鯨政策としての海外支援への批判があった。

・科学委員会の報告で、それまで公式推定個体数76万頭だった南極のミンククジラの個体数がすでに最良の推定数ではない(もっと少ない可能性)。

・日本政府は、クジラが増え過ぎて人間の食べる魚が減る(ある大臣は’美味い刺身が食べられなくなる’とコメント)と会議で調査捕鯨でのクジラ捕殺を正当化する主張。

○ IKANとしての活動

・事前に「日本政府実施の調査捕鯨とその拡大に反対する」という声明を国内NGOによびかけ、76団体から賛同を得てIWCにオープニングステートメントとして提出。(早速、捕鯨推進の理論的支柱であった今はなき大隅清治さんが飛んできて賛同団体の住所等を要求。もちろん拒否)

・「食品汚染を考える会」のアドバイザーの立場から、IKANも鯨肉の不当表示と汚染についての記者会見に参加。国内で販売されているいわゆる鯨肉は、当時、調査捕鯨の鯨肉だけでなく、沿岸で捕獲された歯クジラ(イルカ類)も含まれ、そのうちの一部は高濃度の水銀やPCBに汚染されているという調査が、日、米、英の科学者によって公表されたのを受け、その結果発表を行ったものだ。

これについては、毎日新聞が’欧米が日本人にサバを食べろとお節介’という記者意見を掲載。反論するも頑なに立場を変えようとしない。そういえば、IWCに参加している記者まわりをした時に、朝日の坂口という担当者に’なんで日本の立場を貶すのか’と、カンカンになってお説教された覚えもある。「日本人は皆、鯨を食べるし捕鯨を支持」というのが日本政府の主張だったのだから、それに異なる見解を述べられることは困ることだったろう。

・そして、参加して一番驚いたことは日本のコミッショナーの態度の悪さだった。反対する国の代表の意見に対して怒鳴り返す、科学者に対して馬鹿にしたような反論を繰り返す。相手方は余裕で、馬鹿丁寧な反論。これは私にとってもうざい。大隅清治氏に「みっともないからやめてほしい」、と言ったのだが、ニヤニヤ笑って、「こういうのが受けるんですよ」と一蹴されたことも驚きだった。

 

2001年

<IWC53回会議 (ハマースミス・ロンドン)>

○ 会議の内容

・モラトリアム採択で一旦脱退したアイスランドが留保付で復帰を申請ー否決

・日本の小型沿岸捕鯨再会提案ー否決

・南太平洋サンクチュアリ、南大西洋サンクチュアリ提案ー否決

・マッコウクジラ違反捕獲に関する著書に関する議論 元捕鯨会社役員の回顧録で実際の捕獲数や違反の隠蔽が明らかになったことについて。

○ IKANの活動

・ 「食品汚染を考える会」「グリーンピース」との共同行動で、ノルウェーから荷積みされていた鯨油脂の日本輸出に反対するキャンペーンを実施。会場でも横断幕を持って訴えた。

・ この頃から、倉澤個人への脅迫じみた書き込みが多数あった。「白人の足の裏を舐める輩」とか、「早く死んでもらいたい」「売国奴」など。IKANの行動など、大体においては屁のカッパだったはずだが、汚染問題ではカウンターパンチが効いたのかもしれない、と今は思う。そういえば、鯨類研究所が、築地の業者たちに、「調査捕鯨の肉は汚染されていません」というお知らせを配ったのだった。身内だけ庇うのか。

・ 一方で、日本コミッショナー小松正之氏の「ミンククジラは海のゴキブリ」「オーストラリアが東チモールに軍隊を派遣したような方法でなく、外交的な方法やODAを使っている」というラジオインタビューが広く知れ渡り、日本政府は躍起になって票買いを否定。しかしさらに、ワシントン条約で日本がモンゴルを買収した事実関係もBBCを通じて流れ、またもや日本の捕鯨国への取り込みが議論になった。

 

2002年

<IWC54回会議 下関・山口>

○ 会議の内容

・日本が北西太平洋調査捕鯨に、新たにイワシクジラ50頭を加えた。これには、世界の著名な科学者21人がニューヨークタイムズに反対声明の広告を出している。

・スエーデンが「サンクチュアリ継続」「EEZ内での改訂管理方式による沿岸捕鯨と肉の国内流通」という妥協案を出したが、否決される。

・先住民生存捕鯨の枠の見直しの行われるところ、日本が、提案している小型沿岸捕鯨を認めないならば、アメリカのアラスカ先住民の捕鯨も認めないという主張を行い、初めて先住民捕鯨枠が否決されるという事態になった(これは後で日本が交渉して修復)

・日本政府「我々は失うものがないから頑張れる」

・アイスランドの留保付き復帰が認められた。

○ IKANの活動

・前の年からIKANはグリーンピースジャパン、IFAWジャパンとともに「クジラ保護連絡協議会」を設立し、活動を開始した。また、NGOの活動のコーディネーターを務め、夢広場でコンサートやトークなどのイベントを開催し、また海外団体の行動の支援も行なった。AWIの故ベン・ホワイトさんの子マッコウクジラの着ぐるみとダンスの手伝いや、IFAWのティピー設置など、また各メディアの対応もおこなった。ここにきてそれまでになく、私たちの活動に関してのメディアの露出がおおかった。

・1993年京都会議のときは、捕鯨推進がわの激しい嫌がらせなどが行われたので、海外のNGOは戦々恐々としていたが、下関市はきちんとホストの役割を果たし、海外ゲストからも好評を得た。

・クジラ害獣説はまだ生きており、大口を開けたクジラに空から魚がいっぱい降ってくるバスが運航されたりしたが、仲間たちも面白がって写真撮影をしていた。

・アラスカの先住民枠をけっぽった小松正之さんは、のちに辞職(アメリカ怖し!)

 

2003年

<IWC55回会議 ベルリン>

○ 会議の内容

・ベルリンイニシアチブを20カ国が提案ーIWCの委員会の中に、科学委員会、財運委員会と並び、保全委員会が成立。日本はボイコット。

・南極ミンクの推定個体数引き続き検討中。

・96年にアイルランドが提案した「公海での捕鯨禁止、RMP(改訂管理方式)に基づく沿岸のみでの捕鯨」について、今回、日本政府は「集中的な補殺と沿岸の系群への脅威となる可能性がある。小規模の捕鯨船では監視員などの人数が増えて経費がかかる」と反対意見を述べていたことに注目!

・科学委員会が油田開発で生存を懸念されているニシコククジラの保護への周辺国の参加を要請。

・2つのサンクチュアリの設立、再び否決。

○ IKANの活動

・IWCに参加していた宮城県知事が各国NGOと意見交換したいとのことで紹介。このような積極的な政府関係者は初めてだった。NGO やトンガとマオリのウォッチング船の船長らと語り合うも、結局溝は埋まらず。

・幾つかの反捕鯨団体がそれぞれ独自に抗議活動を展開した。だいたいは今回の宿を紹介してくれたイギリスの団体WDCS(今は WDC)の楽しいイベントに参加。

・保全委員会の内容はすでにIWCで実行されているものも多い。また、将来的にクジラたちが健全に生息することは捕鯨する側にとっても重要だろうと考え、日本政府のやり方に強い憤りを覚えた。

 

2004年

<IWC56回会議 ソレント・イタリア>

○ 本会議内容

・新しく、コートジボワールやツバル、スリナム、ベルギー、ハンガリーが参加

・この頃の日本政府は勤勉に冒頭から毎回「クジラ保全委員会」「福祉と人道的捕殺」「環境と健康」「ホエールウォッチング」「サンクチュアリ」はIWCの議題に相応しくないからと、削除の動議を出していたのだったと思い出した!

・これもまた、この頃は恒例になっていた無記名投票の要求。

・病欠した議長のフィッシャー氏(デンマーク)のRMSに関する9つの提案は、モラトリアム解除の是非や調査捕鯨継続の是非など多くがまだ議論の最中で未決着のものだったので継続検討。

・2つのサンクチュアリ提案またもや否決。

・日本沿岸捕鯨基地への救済措置はアメリカの修正でコンセンサスで通過。「ミンククジラ捕獲停止のために生活に困難を来している沿岸捕鯨基地への緊急救済措置をできるだけ迅速に行う」(具体的な救済措置が検討されたわけではないのに注目。ちなみにその後行われた牡鹿町の報告会で、「この救済措置によって年間50頭だったミンククジラの調査捕鯨の捕獲枠は来年から70頭増の120頭となり鮎川沖と釧路沖でそれぞれ60頭ずつ捕獲できるようになる」と前漁業交渉官が説明した。政府委託の調査捕鯨と沿岸小型捕鯨を同じものと考えているのがわかる)

・ 南極の鯨類調査について政府は「ミンククジラは減少または安定。代わりに、ナガスクジラとザトウクジラが著しく増加し、シロナガスクジラの資源回復を脅かしている」。それでも南極のミンククジラは76万頭を触れ回る政府。

・政府の日本国内での説明「クジラが生態系を破壊する」IWCでの説明「海洋生態系の総合的な管理」

・粕谷俊雄博士「調査捕鯨が産業として成り立つことは(IWCの)誰も予想していなかった」。

・ 生息数も生態も全く解明されていないソロモン諸島のバンドウイルカが前年大量に生け捕りされた件とロシアでのシャチの生け捕りに、生態未解明のまま捕獲するべきではないという科学委員会の勧告。

・議論が並行して頓挫しているRMS(改訂管理制度)の早期完成決議通過。日本政府は次の年までに完成しなければ’思い切った措置を辞さない’、と宣言。

・モナコ提案で、会議の分担金が微調整された。参加費は、GDPにより4つに分けられ、途上国は参加費が定額に抑えられている。モナコやサンマリノは国の規模が小さいので、GDPで決められると高額になるので、変更を提案して採択。ちなみにこの時点での参加費はGDPだけでなく捕鯨をしているというところからも日本が一番高く、2580万円。

○IKANの活動

・国際NGOの様々なイベントに参加または見物。地中海のネズミイルカの死骸が持ち込まれたり、地元のケーキ屋さんのイルカのケーキの展示など。

・HSUSが中心となって日本のクジラ獣害説の批判。漁業問題では世界第一人者のダニエル・ポーリー博士がクジラと漁業に関する研究を発表。

http://www.seaaroundus.org/magazines/2004/Nature_20_Jul_2004.pdf

 

2005年

<IWC57回会議 蔚山・韓国>

○ 会議の内容

・ 日本政府、JARPAII(第二期南極海鯨類捕獲調査)を発表。ミンククジラ850頭に加え、ナガスクジラ、ザトウクジラ50頭最初の2年間はザトウクジラはゼロでナガスクジラ10頭。紛糾。第一期の検証もこれからという中(2006年予定)の提案に、科学委員会の科学者63名が計画に反対。

・ 北西太平洋の希少個体群J-stockに関して、日本と韓国、ロシアの共同調査勧告。日本と韓国での混獲問題の指摘。日本は乗り気でないのに比べ、韓国は非致死的調査を提案。採択。

・ RMSの議論、モラトリアムの解除の有無と調査捕鯨の是非をめぐり再び頓挫。

・会期中というのに、国会議員17名が会議傍聴。

○IKANの活動

・ 韓国、KFEM(KOrean Federation for Environmental Movement)NGOとの交流。韓国でも比較的大きな環境NGOで、蔚山に建設されようとしている鯨の解体施設に反対し、会議場前に『ホエールエンバシー』と名付けられたテントで抗議行動をしていた。このNGOの名前は、原発に関しての原子力資料情報室との共同行動に関して記憶にある。

・ 英国のWSPAとNGOレセプシオンを共催したグリーンコリアも会員数が8万人で環境問題に積極的に行動してきた。韓国政府の論理的なあり方は、こうしたNGOの力によるところが大きいと、しきりに感心(と反省)。

2023年4月15日 (土)

G7札幌環境大臣会合で2008年神戸会合を思い出す

G7環境大臣会合が札幌で開始されたようだ。

2008年に行われたG8環境大臣会合は神戸で行われ、私たち市民グループは、前の年から気候変動と生物多様性保全の2つに分かれてそれぞれ活動を行い、その日に備えた。その模様は、以下のブログに記録してある。

https://app.cocolog-nifty.com/cms/blogs/230836/entries/52307329

気候変動の認知度に比べ、生物多様性保全は当時格段に関心の低いイシューだった。たしか、同じ時期にベルリンで生物多様性条約のCOP9が開催されており、国際的に気候変動と並べて生物多様性を推奨したのが当時のドイツ首相、メルケルさんだったと覚えている。NGOフォーラムという環境問題の2つを連ねたネットワークは、元原子力資料情報室のメンバーで、すごいエネルギーの持ち主の大林ミカさん主導であったが、私たちも1999年から活動を継続してきた元野生生物ネットを通じて、多方面に働きかけたり、なれないポジションペーパーを書いたりした記憶がある。

生物多様性に関する主要メンバーがベルリンに行っていたため、図らずも、大臣会合で3分間のプレゼンテーションの機会を与えられたが、その中で、意見の1つとして話した公海での調査にも国際的な合意が必要では?という投げかけは(当時は知らなかったが)この2月に国連で討議されたBBNJの範疇だったのだと後付けで気づく。

当時、私は海洋担当で、NGOとして海洋全般に取り組むグループもなかったため、一手に引き受けたものの、ほぼ国際的な知識もなく、なかなか大変だったことを思い出す。野生法ネット当時からのことだが、おかげさまで、クジラ問題をもっと広い見地から俯瞰することもできたし、海洋にかんする諸問題について、色々と学んだ。クジラ問題はともすると政治・経済的側面でばかり語られがちだが、こうした関わりから、私自身は問題の本質を見誤ることがなかったのだと今更ながらに認識する。

 

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