生物多様性国家戦略の検討
1992年5月、生物多様性条約が採択され、日本は翌年の5月28日に同条約を批准した。それ以来、日本は条約の求める国家戦略を5回、改定した。そして、名古屋における第10回条約会議で採択された愛知目標の見直しを経て、新たな政略策定に向けた検討が進められている。
2002年の新戦略以来、なんらかの形で議論に参加してきたが、この20年間感じ続けたことは、「歯がゆい」「まどろっこしい」ということだ。元々、「生物多様性」という言葉の曖昧さも手伝って、さらに条約そのもののあり方がどんどん抽象化していることも一因だろうが。日本国内で海洋の保全が蔑ろにされてきたことが腹立たしいということもあるが、度重なる改定の中で、大筋では抽象的に過ぎ、瑣末なところで具体的過ぎるというあり方にあまり変化は見られない。
1月19日、環境省による3回目の生物多様性国家戦略小委員会が開催された。
資料は以下。https://www.env.go.jp/council/12nature/y128-01b.html
検討委員は資料にある18人で、委員長は中静透 氏( 国立研究開発法人森林研究・整備機構 理事長)。
議事はYouTubeで配信された。
3時間余で行われた議論は、大筋の構成のあり方から、細部の行動計画にわたり、委員からの山盛りの注文があって、この後の環境省の仕事が思いやられる。ここまで、政府が手取り足取りしなければならないのかなあ、という疑問の残る意見もあるし、1つ1つが認知度の高低の問題というより、「知った以上は引き受けなければならないけど、あまり嬉しくないなあ」というような義務感が先行しては前に進みにくいのでは、という懸念もある。
本来は、人々の生活における質と豊かさとして評価されるべきところが、(そうしなければヤバイらしい)というようなおどしでは、結局は個人的な生活の質や豊かさの認識に、つながってこない気がする。
委員のうちの何人かは日本古来の伝統的なあり方や考え方について言及し、明記するように提案していた。ここでも同じような気がかりがある。かつての文化がそのまま受け継がれることが難しい時代の変化は半端ではない。近代化によって生活が劇的に変化してくる中、価値観が変化してしまった。伝統的な文化を受け継ぐということは、日々の暮らしをなんとか凌ぐ中で「余裕があれば」という位置に押しやられてる現状を打開できるのだろうか。それでなくても「伝統文化」というものが、しばしば自分たちの理屈として都合よく利用されてきたことは今更いうまでもない。
また、1992年リオサミットで生まれた’持続可能な利用’という言葉が日本では大いにもてはやされてしまった訳で、「持続可能性」という言葉をどう使うか、もう少し丁寧に考える必要もありそうだ。
本当に綺麗な空気とか、清涼な水とか、汚染されていない大地、そしてそこで育まれる命たちへの渇望みたいなものが意識下で育っていかない限り、表面的な方法論をやり取りしてても’行き着くところに行くだけ’じゃないのか、と斜めに見てしまうのは悲しいが。担当者の方たちの真剣さに疑いはないものの、’環境省’という行政が、本気で変革を求めているとも思えず。
1つ面白かったのは、どれだけ本気なのかわからないが、よりによって経団連のひとの口から、経済成長がよいことだということの上にたったGDP一本槍への疑義が語られ、生物多様性保全への道筋を、社会資本から、コモンズへの価値観の転換や自然資本の価値などを認識する上で生物多様性がきっかけとなると 提案されたことだ(まあ、経団連だから言えたのかもしれないが。ただし、「生物多様性が成長の一要素」というのはこれまでの話ではないか。脱成長とは言えないのだろうが????)。国家戦略のこれまでの流れの中で、経済的な停滞を嫌う優柔不断さが、戦略の実効性を大いに削いでいるのではないか、と感じてきた。土台が傾いているのに、屋根瓦を修理していてどうするんだ?じゃない?
« 日本の海生生物・保全と利用のギャップについて | トップページ | アイスランド捕鯨撤退 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント