野生生物保護法への長い道のり
1999年7月に発足した「野生生物保護法制定をめざす全国ネットワーク」は、9月に当時の環境庁審議官や各地の関係者や専門家をお招きし、国立オリンピック記念青少年センターでお披露目を兼ねた集会・シンポジウムを開催した。シンポジウムは2部に分かれ、冒頭に鹿野審議官より改正法についての説明を受けた後、クマ、サル、シカ、カモシカ、鳥と、特定鳥獣に指定されている種の課題と管理法などについての発言とパネルディスカッションが行われた。また、夜の部では、野生法ネットの参加者と昼の部におけるパネラーなどによる今後の活動方針が話し合われた。地方からの参加者もあり、地域ブロックによる活動を推進する方針も確認された。
法改正により開始された特定鳥獣の保護管理を巡っては、ネットとして意見を提出したのち、実際の地方の動向を知るためのアンケート調査も開始し、予算と人材に悩む地方の声を改めて確認し、その結果を公表した。
様々な声を聞く中で、明治時代の狩猟法に発した鳥獣保護法の限界が再認識された。5年後の見直しにしたがって2002年に改正された新しい鳥獣保護法は、カタカナ書きの法律を現在の他法令に倣って平仮名に変えた際、法の目的や定義が新たに書き加えられ、「鳥獣」は全ての野生鳥類・哺乳類と定義された。しかし、一方で、80条に例外規定が設けられ、いわゆる「衛生害獣」と呼ばれるネズミなどとともに、海生哺乳類は、ジュゴンとに日本アシカ、アザラシを除く種が既存の法律で管理が行われているとされ、水産庁の管理に委ねられることになった。今回の改正に向けて、どのような取り組みをするかという議論の中で「海生哺乳類保護法」という声も出たが、残念ながらこの案は見送られ、80条の削除の方向で合意された。
こうした流れの中、全国の自然保護・動物福祉団体をはじめ、多様なNGOに呼びかけて野生生物保護基本法の制定に向けた賛同団体を募った結果、最終的に124団体の賛同を得た。また、国会議員への野生生物保護基本法の制定を求める請願署名を開始した。全国から4万を超える賛同署名が集まり、連日事務所にはたくさんの署名が届けられた。
法文作成に関しては、環境問題を熟知している佐藤謙一郎もと衆議院議員にアドバイスを受けることができ、また衆議院法制局の教えを乞うこともできた。法文案は、地方のヒアリングなどを経て4回修正され、出来上がったものが民主党の田島一成元参議院議員を通じて超党派での検討に伏せられた。
残念ながら「野生生物」「保全」という文言が、一部議員に嫌われており、最終的には、超党派の環境系議員の歩み寄りによって法案は「生物多様性基本法」というより幅広い、したがって漠然としたものになって2008年6月に閣議決定されたが(このときはちょうど日本では神戸でG8環境大臣会合の最中で、さらにドイツでCOP9が開催されている時だった)、この結果として、生物多様性国家戦略は法定計画に格上げされた。
1999年7月8日東京新聞 2008年4月23日朝日新聞
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