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2021年10月 7日 (木)

1996年のイルカ猟事件の反省など

1996年にIKANが遭遇したイルカ違反捕獲事件は、たくさんの課題を残した。1つは、違反に問題の焦点が当てられたため、イルカを捕獲することに関する議論が十分できなかったこと。違反を正すにしても、罰則がないなかで、水産庁と県、漁業者で内輪での解決が行われたー水産庁の強い意向で解放が行われた一方で、漁協の違反行為(遠回しの説明から推測するとオキゴンドウ の枠を持っていた太地の枠をまわしたもよう)と捕獲数の事実隠蔽についてはIKANの再々の要望にもかかわらず、明らかにできなかった。後の話だが、1999年に行われたイルカ猟では、無理だとしていた県の立ち会いがあったこと、捕獲枠外のイルカの解放が自主的に行われたらしいことは一応評価するが、屠殺方法の残酷さについては漁師たちに自覚は全くなく、映像がIWCで公開されたことにより、水産庁の指導でこっそりと変更されたものの、水産庁が採用したデンマークのフェロー諸島で行われているイルカ捕獲の方法自体も問題が指摘されているものだ。

捕獲枠が持続的かどうかという議論も必要なものだった。当時のIKANメンバーは鯨類の専門家でないばかりか、生物学的にも全く素人だった。日本の鯨類学者として国際的な評価を得ている粕谷俊雄博士に無理を言って話を聞きに行ったのは、1997年シャチ捕獲事件の後だったが、それでみんなの理解は飛躍的に進んだ。

富戸の持っている枠(バンドウイルカ75、スジイルカ 70頭、マダラ/アラリイルカ455頭)であるが、水産庁による「日本の希少な野生水生動物」をみると、スジイルカ の捕獲が年2万頭を超える年もあった。80年代に入ると捕獲数が激減、対象がマダライルカ(アラリイルカ)にに移ったようだが、せいぜい2〜3000頭の捕獲数であり、それも90年代には難しくなった。そもそも母系の群れで移動している繁殖率の低いイルカを、一網打尽にする追い込みという方法は、イルカの個体群消滅に繋がる可能性は高く、種の存続に適切かどうか、素人にもわかることではないだろうか。バンドウイルカは、96年の捕獲時にも漁師が「バンドウはまずい」と死んだ個体を蹴飛ばしたという報告があるように、もともと食用での捕獲ではなく、生け捕りが目的であったようだ。水産庁の提示する捕獲枠の問題がここに現れてているように思える。

捕獲数激減により富戸、川奈、安良里の3ヶ所あった捕獲地が最終的には富戸1箇所になったことでも、出地方での追い込み漁は決して持続的ではなかったことが明らかだ。


 

 

*写真 オキゴンドウ のと殺(この写真をもとに水産庁が補殺数を5頭とした)

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