太地シャチ捕獲事件(2)
2月8日に現地入りしたメンバーは、湾に隣接する入江に囲い込まれた10頭のシャチの様子と、水族館の話し合いの様子を見聞きしたのち、いったん引き上げてきた。水族館の飼育員たちはどのシャチを取るかで揉めていたようだ。どこも、まだ幼い飼育しやすい幼い個体を選びたがる。シャチの群れは、基本的に母系家族なので、水族館の要望に応えられるような(若い個体ばかりの)構成になってはいないはずだ。その場で「妊娠しているメスがいる」という話が出ていたことも伝えられた。
いつ捕獲が始まるのかわからない状況の中、IKANの’親’団体のHさんが9日に現地に行くということで、ご一緒させてもらった。国内線で白浜空港まで行き、そこからは各駅停車で太地に行くという計画で、羽田で挨拶すると、Hさんはまだビデオの件を引きずっていたようで、一緒に行くのは迷惑と言う態度を崩さなかった。それはそれで仕方ないことだ。
その日は太地の民宿で1泊し、夜間にシャチの様子を見に行った。仕切り網で一か所に囲われたシャチたちは1箇所にかたまり、意外なほど静かに水面に浮かんでいた。ライトが赤々とその様子を照らし、見回りの船が行き来しているようだ。せっかくの儲けの種を、手放すようなはめにならないように見張っているわけだ。明らかに親子と思われるメスのシャチとぴったりとそのメスに寄り添う小さな子供の姿が確認できた。
翌朝6時ごろ、同じ宿に宿泊していた関西のNGOが捕獲が始まったようだと知らせてくれたので、大急ぎで身支度をして宿を飛び出した.途中、畠尻湾手前のトンネルでトラックにすれ違い、シャチを運んでいるところを確認したが、これは、太地町立くじらの博物館に搬入された2頭のメスの子供だということが後でわかった。アイスランドから来たオスシャチのお嫁さんとして伊豆三戸シーパラダイスに搬入されたアスカと太地くじらの博物館で飼育され、のちに名古屋港水族館にブリーディングローン名目で運ばれたクーだ。
浜辺には、焚き火が焚かれており、大勢の人が見守っていた。地元の人たちや観光客とともに、多分メディアや保護の側の人たちがいて、ビデオや写真撮影をしていた。浅瀬には体を半分水面から出た状態で1頭の大きなメスがもがいていた。尾鰭の後ろ側の白に鮮やかな血の色が滲んでいた。浜には、小さな子供(赤ん坊)のシャチが引き上げられ、濡れ毛布をかけられていた。大きな声で泣き続ける赤ん坊シャチの声は、哺乳類一般の赤ん坊がお乳を求めて泣き叫ぶ声そのもので、心臓を鷲掴みされたような気分になったが、何をすることもできず、ただ呆然とつったっているだけの自分が本当に情けなかった。
少し離れたところでそれよりもう少し大きめの子供をズックでできた担架に引き上げる作業が行われ、その向こうの仕切り網の中に残りの5頭が入れられていた。1頭の大きなメス、多分浜に上げられている赤ん坊シャチの母親だと思われるシャチが、仕切り網に体を押しつけ、声に呼応してこちら側に来ようとしているように見えた。見物人の中から、多分漁師の知り合いと見える女性が、「こわくないの〜?」と声をかけた。すると一人が作業から離れ、5頭のいる仕切り網に向かい、何とシャチの背に登った。「イルカに乗った少年!!!」漁師はご機嫌だったがこちらは吐きそうになった。大型の哺乳類の多くだけでなく、小さな鳥でもネズミや昆虫でさえも、身が危ういとなれば必死で抵抗するのに、シャチは静かなまま動かないのが何とも焦ったい。
担架に乗せられたオスの子供はクレーンで吊り上げられ、トラックに乗せられて連れて行かれた。これは、初め行方はわからなかったものの、後で支援者がアドベンチャーワールドで発見し、後々ショーにも使われたオスの子供だ。浜で泣き叫んでいた赤ん坊と浅瀬でもがいていた大人メスは、2隻の船に宙吊りされて、太地湾に運ばれて行った。この2頭も同じく白浜のアドベンチャーワールドに運ばれたことを後で知った。
その後、仕切り網が解かれるが、残された5頭は逃げようとせず、船で追い払われた。その間3時間ほど。途中からひどく具合が悪くなった私は、民宿から移ったホテルで、情けないことにとうとう倒れてしまった。
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