« イルカ猟撮影ビデオ事件 | トップページ | 太地シャチ捕獲事件(1) »

2021年10月 9日 (土)

団体名の由来は

 前述のように、私はもともとメンバーとして団体に入り、活動を始めたわけではなく、同僚の一人が立ち上げに参加し、そのことがきっかけで仕事場を連絡事務所に貸し、そのままずるずると活動に参加することになったのだ。そのため、この長々しい名前の由来について知ったのは、数年経ってからだ。

当初このネットワークには参加するメンバー団体があり(参加している団体の名前は知らされていた)、それぞれにイルカに関わる活動をしている団体だったが、活動内容は、立ち上げのきっかけとなった保護団体のように、水産庁と話し合うことさえ妥協と考えるようなところから、海外団体の支部で、鯨類の保全に関わるセミナーや教育活動をしているところ、映像で海と鯨類について伝えようとするもの、イルカと泳ぐことが鯨類問題の緒と考え、その方面で活動するもの、イルカ情報を発信するところなど、日本のイルカ保全を、という一応の方針は掲げていても、スタンスはかなり異なる。そして、ネットワーク立ち上げの時に「これまで活動してきた団体にマイナスになるような、セミナー活動やツーリズムは行わないで、イルカ保護のための実戦に限るという一札を入れられていたようだ。そのため、’アクション’という言葉が加えられたという。まあ、汚れ仕事専門に徹してほしいといったところか。今更名前を変更するのも面倒だが、名前倒れも甚だしい事は言われなくてもよくわかっている。

メンバーの中にも、それぞれの団体に所属していた人たちが集まっており、考え方や関わり方もそれぞれ異なっていたらしいが、それも後で知ったことで、私自身は、最初メンバーという自覚もなかったくせに、どうすれば解決できるのかということに専心して突き進んでいたので、私が動いたり提案することで内部とも外部団体とも軋みを作り出していたらしい。

特に、当時の代表は、元々がストリクトな動物保護を目指す団体出身だったこともあり、ビデオ問題で私がそこと溝ができたことがそのまま代表との溝にもなり、方針の違いが生まれて、団体の決裂危機状態まで進むことになった。私個人のそれまでの多少の経験も手伝って、若者のやる危ういことを黙って見ていられなかったという老婆心も仇となったと思うが。

« イルカ猟撮影ビデオ事件 | トップページ | 太地シャチ捕獲事件(1) »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。