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2021年9月22日 (水)

2。IKAN、イルカ猟との遭遇

IKANの立ち上げは、1996年の春だったと思う。ある動物保護団体の会誌にイルカ保護団体立ち上げを訴えたSさんらが、その団体の協力でスタートさせたのだが、そのことを知ってはいたものの、この時私は参加していない。

捕鯨問題については、特にオイコス発刊当時は調査捕鯨開始と被り、「調査」の名を借りた捕鯨の継続という国のあり方に強い違和感があったので、誌面でそのことを繰り返し問題にするのは当然と考えていた。しかし、イルカ問題については全くと言っていいほど知識が不足しており、そんな中で沿岸の漁業者と対峙するのを躊躇う気持ちがあった。しかし、発足の出だしで団体連絡先となった人のところに嫌がらせがあり、連絡先になることを断られたため、急遽オイコスの仕事場を連絡先として受けてくれないかともちかけられた時には、事務所の責任者として断ることができなかった。

1996年10月19日深夜に、オイコスの事務所に一本の電話がかかってきた。たまたま、居残って仕事をしていたいたA氏が電話に出たところ、伊豆富戸で、イルカが湾の仕切り網に囚われているから、なんとかして欲しいというのだ。チイチイというイルカの鳴き声に気がついたのは、付近でダイビングをしていたダイバーだった。私自身は、富戸という地名さえ知らなかったのだが、富戸は、東京に近いダイビングスポットとしてダイバーたちには知られるところで、彼らは、自分たちの泳ぐ海でイルカが殺されようとしていることが我慢できなかったらしい。翌々日未明、事務局メンバーは連絡係も残さず揃って現地入りし、事務所での連絡と各種対応は必然的に任されてしまうことになった。

現地から知らされたところでは、およそ300頭のイルカが、湾内の仕切り網に閉じ込められているということで、10時ごろから近隣の水族館関係者による選別が、さらに狭く仕切られた網の中で行われたということだった。追い込まれたのは多数のバンドウイルカとオキゴンドウ であることがのちにわかる。実は、IKANの事務局メンバーもろくに知らなかったのだが、イルカ捕獲には規制が1993年に設定されていたことが、県の水産課とのやり取りの中でわかってきた。水産庁からあたえられた静岡県(つまり富戸)における捕獲枠はバンドウイルカ75頭とスジイルカ70頭 、マダライルカ455頭で、オキゴンドウ 捕獲は許可外であった。

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