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2021年9月29日 (水)

5。水族館からの解放

10月23日、県水産課の指示で湾内に残っていたおよそ150頭のイルカが解放された。仕切り網が解かれても、中にいるイルカたちがなかなか出ていかないので、漁師たちが船を使って追い出したようだ。しかし、これで解決したとは誰も考えなかった。

10月21日から22日にかけての捕獲で、6頭のオキゴンドウ が生け捕りされ、伊豆三津シーパラダイスと下田海中水族館に搬入された。これについても、違反捕獲なのに水族館に販売して展示するのは問題ではないか?とIKANは水産庁と県の対応を求めたが、当該水族館は違反をしたのは漁協であり、水族館ではない、また、群れから引き離されたオキゴンドウ は野に返せない、などの反対姿勢が当初あり、動物園水族館協会は「混獲により、枠外のイルカが捕獲されたとしても研究のため飼育を許可してほしい」旨の要望を水産庁に出した。また、動物園、水族館の監督官庁である文科省は、「違反を知らずに購入した水族館は善意の第三者であって、返還する義務はない」という答えだった。

IKANは関係省庁と県だけでなく、水族館の親会社の西武グループと椿山荘にたいしてオキゴンドウ 解放を求める緊急行動を仲間によびかけ、25団体の連名で要望も行った。

30日になって、県の強い指導で解放の方向にあるという水族館からの返答があり、31日朝、県水産課立ち合いのもと、6頭がリリースされたという報告があった。これが日本で最初の水族館からのリリースになった。

職員の話によると、トラックで運ばれてきたオキゴンドウ は、1頭ずつ海に離されたが、先に離されたものはその場にとどまり、6頭全ての解放が終了して初めて外海に泳ぎ出したという。

しかしここで事件が終わったのではなかった。年が明けて、内部告発をする1本の電話がかかってきたのだ。

2021年9月26日 (日)

4。イルカ違反捕獲の新聞報道は

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イルカ違反捕獲事件は、新聞だけでなくテレビでの放映され、それまでイルカは水族館で見られる可愛い動物くらいに考えていた人たちにもが肉のために捕獲されていたことを知らしめた。「The Cove」が日本のイルカ猟を初めて伝えたというふうに言われているが、それよりも10年以上も前に、IKANが問題に直面し、抗議行動を実践していたのだ。

近頃のメディアの伝え方は、まず、「鯨類は水産資源であるのが日本の常識」というところから始まっているので、反対する声を拾うのにそう熱心ではない。しかし、この時は、イルカ捕獲の是非よりも、違反行為があったということで報道もわりとしやすかったことだろうし、またそのことを最初にメディアに伝えたのがNGOだったこともあって、獲る側だけでなく、保護側の意見も掲載する結果となって、今から見ればかなり公平だったと感じる。たとえば、10月23日の朝日新聞は、「イルカとりすぎ港外に解放ー静岡・伊東 75頭制限に200頭」という見出しで、「静岡県伊東市の富戸漁港にイルカの群れが、十八日から囲い込まれたままになっていたため、動物保護団体が二十二日にイルカを外界に戻すよう県や地元漁協に申し入れた」という書き出しになっている。他紙でも違反捕獲で記事になった。もっとも当時は、これでも業の側に偏りすぎだと私たちは感じていたのだ。

TBSテレビが(多分22日だと思うが)違反捕獲についての報道を夕刻と10時過ぎの2回にわたって報道した。その時に漁協の側で発言したのが現在はイルカウォッチングを行っている石井泉さんだ。彼は映像で「漁師が取った獲物を全て水揚げするのは当然のこと」というような発言をしている。後で知ったのだが、この猟は、93年に捕獲枠が設定されてから始めての猟で、この時、捕獲枠について知っていたのはほんの一握りの漁協幹部のみで、捕獲に携わった漁師たちはそのことをまったく知らされていなかったそうだ。

このことをきっかけに、石井さんは間違いは正して真っ当な仕事であることを認識してもらおうと漁協内部で主張し、孤立することになる。

<違反イルカ捕獲の新聞報道一覧>

10月22日 共同通信「割り当て以外のイルカ捕獲/反捕鯨団体が静岡で確認」

10月23日 朝日新聞「イルカ取りすぎ 港外に解放/静岡・伊藤75頭制限に200頭

      産経新聞「イルカの追い込み漁、待った/規定外の種類捕獲

         共同通信「追い込んだイルカを解放/漁協が調査を開始」

10月24日 静岡新聞「枠外の捕獲認める/イルカ漁で伊東市漁協/県、放流を含め指導」

10月25日 水経新聞「捕獲枠のない鯨類の捕獲禁止徹底指導/水産庁が静岡県に」

      朝日新聞「許可外のクジラ捕獲/2水族館に6頭を売却」

10月31日 共同通信「ブリジット・バルドーさんが抗議の手紙」

      共同通信『枠外捕獲のイルカを解放/6頭群れをつくり、沖に去る」

11月1日 静岡新聞「6頭すべて放流/枠外捕獲のオキゴンドウ 」

 

2021年9月25日 (土)

3。違反の是正は

翌日は水族館用の選別が行われたのち、解体が始まった。最初に駆けつけたIKANの事務局メンバーは、初日の選別の模様を撮影したのち引き上げてしまったため、この日のビデオ撮影は、前夜遅くに急遽お願いしたアニマルライツセンターの故川口進さんが行った。オイコス発刊当時に、彼が同じく亡くなったALIVE(当時はJAVA)野上ふさ子さんとともに事務所を訪れ、意見交換をした経緯から、雑誌に執筆してもらうなどして交流があったのだ。川口さんは、アニマルライツセンターでの活動でこういう場合に何をすべきかをよく知っており、現地での彼のアドバイスで、マスコミへの通知とともに富戸漁協に対し、違反操業を直ちにやめるよう申し入れ書をファックスで行った。

しかし、この申し入れは無視され、解体が開始されたので、続いて県、水産庁、イルカを搬入した水族館宛に、操業の中止とともに、網内にいるイルカと水族館に搬入されたイルカの解放を求めるファックス申入書を送った。また、水産庁に対しては、許可されていないオキゴンドウ の捕獲に関して証拠となる写真を送り、しかるべき対応を求めた。

静岡県の担当者との話し合いを事務局メンバーが行い、県の担当者がその時にはゴンドウ捕獲を知っていること(マゴンドウが5頭混じっていたのでそれはリリースするよう指導した)と漁協との連絡は行っているものの、遠隔地なので立ち合いは難しいというような返事をもらったようだ。当初県が受けた報告では、生け捕りと解体で37頭なのであと40頭の解体が予定されているという。しかし、すでにこの時には、オキゴンドウ の水族館捕獲6頭に加え、かなりの数のバンドウイルカと数頭のオキゴンドウ の解体が行われていた。

 私は応援部隊として水産庁対応を担当するよう求められ、当時まだ存在した水産庁沿岸課の西嵜氏と繰り返し折衝することになった。捕獲現場での写真により、オキゴンドウ の捕獲と補殺の生々しいビデオと写真を持って行き、違反行為の是正を求めた。県担当者は、弱って動けないゴンドウを解体したという報告を受けたと主張したが、実際は、港のとっつきにある解体用の小屋が壊れるくらい激しく暴れた個体もビデオに写っており、漁協からの報告は信用ならないものだった。第三者の監視を受けるという経験がない中で、かなり乱暴なことをやったのではないかと思われ、県だけでなく水産庁の監督責任を問うしかないと考えていた。これまで関係のあった動物保護団体を中心に、抗議のファックスや電話をお願いした。マスコミの取材も入ってきていた。

夕方、水産庁より、湾内に残っている100頭あまりのイルカが解放されるという知らせを受けた。

2021年9月22日 (水)

2。IKAN、イルカ猟との遭遇

IKANの立ち上げは、1996年の春だったと思う。ある動物保護団体の会誌にイルカ保護団体立ち上げを訴えたSさんらが、その団体の協力でスタートさせたのだが、そのことを知ってはいたものの、この時私は参加していない。

捕鯨問題については、特にオイコス発刊当時は調査捕鯨開始と被り、「調査」の名を借りた捕鯨の継続という国のあり方に強い違和感があったので、誌面でそのことを繰り返し問題にするのは当然と考えていた。しかし、イルカ問題については全くと言っていいほど知識が不足しており、そんな中で沿岸の漁業者と対峙するのを躊躇う気持ちがあった。しかし、発足の出だしで団体連絡先となった人のところに嫌がらせがあり、連絡先になることを断られたため、急遽オイコスの仕事場を連絡先として受けてくれないかともちかけられた時には、事務所の責任者として断ることができなかった。

1996年10月19日深夜に、オイコスの事務所に一本の電話がかかってきた。たまたま、居残って仕事をしていたいたA氏が電話に出たところ、伊豆富戸で、イルカが湾の仕切り網に囚われているから、なんとかして欲しいというのだ。チイチイというイルカの鳴き声に気がついたのは、付近でダイビングをしていたダイバーだった。私自身は、富戸という地名さえ知らなかったのだが、富戸は、東京に近いダイビングスポットとしてダイバーたちには知られるところで、彼らは、自分たちの泳ぐ海でイルカが殺されようとしていることが我慢できなかったらしい。翌々日未明、事務局メンバーは連絡係も残さず揃って現地入りし、事務所での連絡と各種対応は必然的に任されてしまうことになった。

現地から知らされたところでは、およそ300頭のイルカが、湾内の仕切り網に閉じ込められているということで、10時ごろから近隣の水族館関係者による選別が、さらに狭く仕切られた網の中で行われたということだった。追い込まれたのは多数のバンドウイルカとオキゴンドウ であることがのちにわかる。実は、IKANの事務局メンバーもろくに知らなかったのだが、イルカ捕獲には規制が1993年に設定されていたことが、県の水産課とのやり取りの中でわかってきた。水産庁からあたえられた静岡県(つまり富戸)における捕獲枠はバンドウイルカ75頭とスジイルカ70頭 、マダライルカ455頭で、オキゴンドウ 捕獲は許可外であった。

イルカ猟についての備忘録(1996年〜)1.きっかけ

1980年代の初め頃のことだったと記憶しているが、ある写真家が、クジラが歌を歌うのを知っているかと聞かれた。初めて聞いた話だった。ロジャー・ペインという生物学者が、まだ商業捕鯨が実施されていた1967年代に、繁殖期に、オスのザトウクジラが出す鳴音を録音し、それが複雑な歌の形式を持っていることに気がついた。クジラの歌は、保護を願う人たちにとって、大きな贈り物となった。

1987年、自分たちの事務所で「オイコス」というエコロジーの季刊雑誌を編集、発行することになったとき、クジラ問題を原発や人権問題とともに1つのトピックとして扱うことにしたのは、編集に携わる中で、かつてグリーンピースの運動に関わった人から、国内ではクジラ問題が全くと言っていいほどきちんと議論されていないことに知らされたからだが、私の中ですんなりと胸に入ってきたきっかけとなったのがこの歌うクジラだったのだと思う。それらい、捕鯨問題に土江は自分なりに、色々と学んできた。

イルカについては、多分、発行し始めてすぐに、情報がもたらされたことによる。北海道で、イシイルカ が捕獲されているのを、観光船の乗客が見つけて教えてくれたのだ。しかし、国が相手の捕鯨と多少異なり、沿岸漁業者の生業に対してはうかつに動くことはできなかった。

その後、オイコスの編集をしていた仲間が、1996年のイルカ保護団体の立ち上げに参加したことから、徐々にそのことを無視できなくなって行ったのだ。

 

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