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2019年7月26日 (金)

大切なモノと大切な命

 最近では人様への連絡も、概ねメールやSNSなどで済ませることができて、文字を書く機会はほぼなくなったわけだが、これは、という時にはハガキや手紙に実際に書くように努力している。使っているのは60年近く前に父親からもらったシェーファーの万年筆だ。自分にとって大切なモノは、時としてあたかも生き物のように感じ、扱うということがある。

 一方で、私のうちには2匹の猫と1匹の犬がいる。実際の生き物に対しては、それほど’大事に’扱っているという意識はないが、彼らが何を感じて、あるいは何を欲しているかということを日々感じずに済ますことは難しい。

すでに年寄りの域に入っている猫たちは、まったく空気の読めない若い犬が苦手で、できるだけ近づかないようにしている。安心できる場が減ったために、こちらが用意した居場所は拒否し、叱られても叱られても埃だらけの隅っこにいたがるかと思えば、夜はテーブルの上で寝ていたりする。気に入らないことがあると、私以外の人の膝に乗って、ちらりと人の顔を見たり、場合によっては、仕返しのつもりかこっそり衣類などにおしっこをかける。

犬の方は、ホームセンターの片隅のペット屋に10ヶ月も売れ残っていた白い雑種を、見かねた娘が引き取ったもので、幼すぎるうちに親と引き離された典型の「噛みつき」と「むだ吠え」癖がある。それでも最近は、噛みつきかけてハッとして引き下がり、申し訳なさそうに畏まるようになってきた。ものを大切にする場合とは異なり、生き物との付き合いは、彼らが人との生活を学んでいくとともに、人も彼らを知り、付き合い方を学んでいく過程なのだと知らされる。

この過程をどう認識しているかは、扱い方に関係してくる。「愛護」という困った言葉が動物との関係で公用語にされている関係上、人が一義的に動物の上に立ち、その上で人の思うように可愛がったり、あるいは無下に扱ったりしていいような考えがまかり通る。彼らのニーズに応えているのか、あるいはそのつもりであっても自分勝手な思い込みから、動物たちの求めを無視したり、さらには虐待しているかどうかは、その動物たちの要求がどのように受け止められているか、と言う相手あってのことだが、相手は人の言葉を喋らないのだから、実際はわからない。そこで最近では、その動物の生態とか生活史を科学的に検証して判断する、基準を設けるというのが国際的なあり方だが、日本ではまだそこまでたどり着いてはいないのが実情だ。一つには、やはり人が絶対上という考え方が一般的であって、動物の側に踏み込んで判断するということは特殊な人たちという先入観があるからだろう。

 

先日、選挙のために馬を引っ張り出している人がいることを知った。この方は、繰り返し、子ども達に学べ、子どもたちの声を聞くべしと言っている。そして、馬を登場させることでこれまで人が作り上げてきた人工的な環境がどれほど人を損なうかということを人々が認識すべきだという。

(私は、馬は選挙に出てどんな得をするのか?馬の声は聞いいたのか?と思うのだが、まあそれはさておき)

馬は野生動物というより、ずっと人間と暮らしてきた動物なのだから、馬が歩けないような街の方がおかしい、というようなことも言っていて、それはその通りだ。馬が息の詰まるような場所はもちろん、人にとっても快適な場所とは言えない。だからと言って、選挙運動の人ごみの中の馬を見て、大方のおとなはもちろん、子どもたちが違和感を感じて「馬がかわいそうだよね?何とかして」というような反応をするだろうか?水族館のイルカのように、そこにいるのが当たり前の消費物(見るもの)に成り下がるだけではないのだろうか。

都会に、馬も子どもも溢れるような空間を創出するのにはどうすればいいのか、ということをこの方の説明からは見つけられなかった。今の記号化された、現実感の阻害された世界をどう直視し、回復していくのか。自然と切り離され、自然を怖いとさえ思うような子供たちも増えている現状を見れば、’子どもたちの声を聞け’というだけでは解決できないのではないかと思う。しかし、その方は「馬がいても不自然ではない空間を」ともおっしゃっているようなので、そこに解決のヒントがあると思った。

馬も人も快適な空間を創出する具体的な計画を公約にしてもらったらいいのだ!

例えば、都心から車を追い出して、道路のコンクリートを引っぺがす。海からの風を遮るような建物を作らない(汐留の駅で感じたのだが、Dn2とかKdoのそびえ立つビルの真ん中に大きな風穴を開けたいと思ってしまう)。道路に埋めてしまった川を生き返らせ、そこを風の通り道にして公園と公園を、小さな木立と木立を緑のコリドーで結び、緑の中での暮らしができるように都市の再開発をする。

「そんな夢みたいなことを」という方がいるかもしれないが、すでに幾つかの国ではそうした試みが行われ、実際にかなり成功したところもある。カナダでは、IOCのエコなオリンピックという求めをうまく利用して、オリンピックを機に、緑のまちづくりが始まった。海からの風の通り道の確保や、緑の遊歩道、熱を放射しない舗装の方法、あちこちにある緑あふれる公園とそれをつなぐ回廊など。その試みは、様々に修正され、まだ続いている。

https://vancouver.ca/files/cov/greenest-city-action-plan-implementation-update-2018-2019.pdf

都市の緑化は日本ではかなり限定的な使われ方をしているし、世界中の子どもたちが自分たちの将来の権利を奪わないで、と気候変動問題で大きなデモなどもしているにかかわらず、残念なことに、今回選挙ではどこも主要課題に挙げなかった。

喫緊の課題である気候変動対策や防災対策としても都市のグリーン化(持続的なまちづくり)は非常に有効だ。そうした都市の改変は一極に集中している今の都市の在り方を変える方向に向かうだろうし、人々の暮らしや健康にも貢献する。

例えば、世界保健機構が出している都市の緑と健康に関する報告書を見ればそのことは明らかだ。

https://www.cbd.int/health/who-euro-green-spaces-urbanhealth.pdf

きれいな空気と水、そして息をすることができる空間は金持ちのためのものではない。

私は毎朝、毎晩、片道15分の道を、夏は日照りの中、冬は空っ風の中、通り過ぎる車を横目で見ながら通勤している。毎度ここに緑の並木道があれば!と願うが、車を購入したいとは一度も思ったことはない。自分だけが車を持つことが解決ではないことを知っているからだ。

基本的に、きれいな空気、水そして緑は、自然の与えてくれる恵み=ただのものなのだ。人(そしていうならばすべての生き物)にとっての権利なのだ。

だから、緑の公共事業の推進は、きっとあなたも馬も幸せにする!?

それにね、もう一つ。子どもの声を聞け、というなら、まずこれをご静聴あれ!

グレタ・トゥーンベリはもう有名すぎるほどの子どもだが、毎回、私は自分の不甲斐なさを思って泣かずには聞けない。

https://www.youtube.com/watch?v=VFkQSGyeCWg

 

2019年7月11日 (木)

課題が多い・・・

釧路での沿岸小型捕鯨が、商業捕鯨開始から1週間でミンククジラ12頭を水揚げして一旦終了し、9月にまた再開するということだ。

夏場は、太平洋沿岸でツチクジラ猟がある。

さて、この期に及んでメディアは(進軍ラッパを反省しないまま)商業捕鯨の将来性に疑問を投げかけている。

捕鯨イケイケだった産経でさえ

 一方、本年度までは国からの補助金が出るが、水産庁は捕鯨業者の自立を求めており、来年度以降の補助金は不透明だ。

沿岸操業では調査捕鯨と同様に捕鯨業者の団体が主力のミンククジラの販売を担うが、採算は見通せない。

(7月9日Sankei Biz)と補助金抜きの成立は難しいと伝えている。

まさか、バレンタインチョコレートとか、恵方巻きとか、そもそもなかったところに需要を生み出すような楽天的な

未来を想像していたのでもないと思うが、もし、冷静にここ20年くらいの鯨肉需要を把握していれば、補助金なしで

の実施は難しいことぐらいわかっていただろうに。そういう意味では、2017年に「商業が始まれば間違いなく小型は

つぶれる」と言われた地方行政の方の意見は当事者の肌感覚での意見だったのだと思うし、今更「自立」を求めるの

は無責任ではないのか。

それはそれとして、相変わらずメディアの伝え方は、経済的にどうかという側面だけで、赤い血の滴るような肉の写真を

掲載するが、その肉の元であるクジラの生きた様は出てこない。

捕鯨する側は、100年続けても絶滅しない数を獲ると言っている。本気でそう思っているのだろう。

それでも、例えば、日本海側に主に生息している希少な個体群のJ-stockはオホーツク海からさらに太平洋側に移動している

可能性もある。さらに、IWCではこの二つだけではなく最大で5つの個体群が存在する可能性を指摘する科学者もいて、

IWCの科学委員会では結論が出ていない。

現在科学的にもその存在が明らかだとされている日本海側の希少個体群は、10年近く続いた沿岸での調査捕鯨で一部の

人たちはどれくらい混じっていたかを知ってるはずだが、今のところ、一般には公開されていない。

また、今回も捕獲された12頭がどちらに所属しているかということも発表されていないし、いずれ殺されてからでは遅すぎる。

こう考えると、100年先どころか、商業捕鯨がまだ消滅する前に、いなくなってしまうかもしれない。将来世代に責任を持つ

ならば、まずはこうした希少個体群の有無をしっかりと調べ、どうすれば混獲を回避できるかの答えを用意すべきだった。

他にも、共同船舶の行っている母船式捕鯨では、国際的には希少種であるイワシクジラも対象だし、すでに1頭捕獲した

ニタリクジラの群れには、最近別種であることが判明したカツオクジラが混じっていると言われる。

カツオクジラに関しては、今のところほぼ何もわかっていないと言って良い。

捕鯨推進勢力は、こうした事実に関しては、海外の動物愛護が、とか、クジラを特別視する海外の団体が、と言う巧妙な

はぐらかしを行って、日本の子供達、日本の将来世代にどのような損失を与えうるかという話には持って行こうとしていない。

アメリカでは、気候変動がフェイクニュースだとしてしまうような大統領もいるが、一方で若い人たちは、今や気候変動は

人権問題だとはっきり認識し、示してきている。

気候変動は人権問題、その通り。そして、生物多様性の消失もやはり同じように人権問題だという認識を私たちはしっかり

と持つべきではないだろうか?

 

今回、7月21日に行われる参議院補選で、自然を訴えて立候補している人がいる。初めてのことだと思う。

こうした動きが、もっともっと当たり前になって欲しいと切実に願っている。

 

 

 

 

 

2019年7月 2日 (火)

産業の視点しかない日本メディア

昨日(7月1日)から、クジラの捕獲が始まった。しょっぱなから、8mもある

大きなミンククジラを捕獲したとニュースが流れている。

昨日、今日と、各紙商業捕鯨再開のニュースを結構大きく取り扱っている。31年ぶりでの

再開に、’心の底から’喜んでいる関係者のコメントが掲載されている一方で、鯨肉の

売れ行き不振から、産業の将来性を危ぶむ論調がそれぞれトーンは違うものの垣間見られるが

クジラを殺すことに関しては、「100年捕鯨を続けても資源に影響はない数」である

という水産庁のコメントを全く疑いもしないようだ。他の魚種では管理の不手際が

散々批判されているのに、これほどまでに深く信頼される捕鯨班!

 

朝日新聞:商業捕鯨、不安乗せた船出 肝心の食卓ニーズは尻すぼみ

     商業捕鯨、なぜ日本だけに批判? 際立つ「まずい」戦略

毎日新聞:日本の商業捕鯨再開 「期待と不安が入り乱れての出港」 販路の開拓も課題

読売新聞(30日)商業捕鯨 明日開催 「クジラのまち 期待と不安 肉の品質向上・消費戻るか」

日経新聞:商業捕鯨再開、多難な船出」海域・頭数限定/読めぬ需要/国際批判リスク

これらの報道の中には、日本沿岸のクジラに関しては関心がないようで、種別と捕獲数

以上の情報はない。

(韓国のメディアは日本海に生息する希少個体群の捕獲を懸念する記事を載せているが)

主要メディアは見た限りでは国内関係者(捕鯨者や家族、レストランなど)の声を取り上げ、

クジラ=切り身という切り口での報道ばかりで、国際法違反という声以外は、批判は

海外から来るものとしてその中身は検証しない。

日新丸船団がニタリクジラを捕獲する大方や小笠原周辺のウォッチングのことさえ取り上げない。

取り上げない陰に、海外は残酷だと言っているとか、クジラは知能が高いと言っているとか

これまで言いふらされてきたことを鵜呑みにしてうるさがっているだけに見える。

 

珍しく、日刊スポーツが茂木健一郎氏のコメントを載せているのが僅かな救い。

『茂木氏、捕鯨を支持する一部意見に私見「間違い」』

「グリーンピースもシーシェパードも関係ない。今の感覚に照らして、

クジラという大型哺乳類を捕獲することが、果たしてほんとうにやり

たいことなのか、やるべきことなのか、1人1人が胸に手を当てて考え

てみればいい。ナショナリズムとの結びつけは、人の感覚を摩耗させ、

目を曇らせる」

 

こういう意見はごく稀で、捕獲上限頭数を来年の捕獲枠とし、その数が本当に

IWCで科学的に容認されるものかどうかには関心がないし、現在懸念されている

ミンククジラの希少個体群に属する個体の混獲や、ニタリクジラに混じっている

カツオクジラの誤獲といった日本沿岸における生物多様性の損失については

なんの懸念も抱いていないようだ。

さらに、今回の水産庁のお知らせには今年の捕獲枠として、6月まで行ってきた

沿岸調査捕鯨の捕獲頭数や定置網に混獲される数を差っ引いたものとしているが、

調査捕鯨の79頭はさておき、混獲については2018年はまだ公開されていないが、2017年

は164頭、2016年は168頭、2015年は154頭と、それを差っ引いたら捕獲数は

マイナスでは?という多さ。

もれ聞いたところでは、この年末までの商業捕鯨の海域が希少個体群の多く

回遊するオホーツク海ではないので、混獲されたクジラを遺伝子解析して

希少個体群だとされた頭数は勘定しないのだそうだ。それってありか?

 

あえて言うが野生の大型哺乳類であるクジラは海洋生態系に欠かせない要だ。

特に、今回は日本の排他的経済水域内での捕鯨になるため、本来は沿岸の生物の保全

は私たちの将来世代への責任だと一人一人が自覚し、水産庁の甘い言葉を疑ってかかり、

安全性を確認していかなければならないなずなのだ。

 

 

 

2019年7月 1日 (月)

商業捕鯨が

昨年のお約束通り、今日、7月1日から商業捕鯨が始まった。

http://www.jfa.maff.go.jp/j/press/kokusai/190701.html

捕獲するのは、ミンククジラ52頭(うち32頭が沿岸、20頭は母船式

で排他的経済水域内))とイワシクジラ25頭、ニタリクジラ150頭

(いずれも母船式)ということだ。

北海道新聞によると、操業期間は、「小型捕鯨船5隻は釧路沖で1週間、日帰り操業」し、

その後、千葉県南房総市や宮城県石巻市などの沿岸でツチクジラ漁を、9月に再び釧路港

に集まり、10月末まで共同でミンククジラを捕獲する計画だそうだ。

一方、「共同船舶による母船式捕鯨は下関を出港後、1カ月程度操業し、仙台で最初の

水揚げをする」のだそうだ。

今年春から6月に行ってきた沿岸調査の79頭分は枠から差し引いてあること、混獲

されたクジラに関して配慮されているというは不幸中の幸いではある。

ただし、枠は12月までなので、2020年にはどのような枠がつくのやら。

小型沿岸捕鯨に関しては、これまでも調査捕鯨でミンククジラを捕獲してきたことから

概ね捕獲の予想はできるかもしれない。

捕鯨船団は、下関から北上し、小笠原海域などでニタリクジラを捕獲すると言われて

いるが、さらに北に向かって、北海道でイワシクジラとミンククジラを探す予定なのだろうか?

これにかかる1ヶ月というのが対象種の捕獲を達成するのに十分なのかどうか

 

は私にはわからないが、これまでの供給分を担保するためにニタリクジラに結構大きな

枠が付いている。ニタリクジラは、四国沖でウォッチングの対象となっているクジラだ。

今後、捕鯨を続けるにあたってウォッチングとの関係はどうなのだろう?

また、ニタリクジラに混じっているカツオクジラと言う、ニタリクジラだと思われて

きたために、まだ未解明の種の混獲はどうやって防ぐのだろうか?

これまで公表されてこなかった、希少な日本海側個体群(北海道や太平洋側にも移動している)

の混獲情報は、公開されるのだろうか?

「100年安心な枠」だと水産庁が言っているとか、「未来永劫、クジラと付き合っていく」

と漁業者が言っている、とか新聞には書かれているが、あまりに都合良い話で、納得の

できるものではない。また、水産庁の監督官による監視も「厳重」と言えるのか?

電子機器でリアルタイムの情報が伝わる方法は取れないものか。

 

先週、水産庁に懸念事項を書いた質問書を持って行ったが、返事はしばらく来そうにない。

 

それにしても、久々に捕鯨班の部屋を覗いて、職員が倍くらいに増えているように見え、

驚いた。

 

 

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