学校給食
昨日、練馬在住の方から、学校給食に鯨肉が出たが、子供が拒否できないか?というメールをもらった。
学校給食については、そもそも戦後の子供たちが飢えていた時代に、アメリカの小麦粉と
脱脂粉乳で(将来的にお得意さんになるような食品で)スタートした。
当初は子供たちのためだったはずのものだが、やがて、「教育」の名の下に、学校給食会
という団体が輸入食品を独占的に配給、やがて調味料や加工食品なども全国の学校に
下ろすようになり、子供たちをカモにした様々な食材が提供された。冷凍食品のKは、
学校給食を、新製品のヒット性を占う場として利用してのし上がったという話は知る人ぞ知る。
ご存知のように、米飯給食が許可されたのは、1976年、コメ余りが激しくて、古々米を
なんとかしなければならなかった時だ。
学校給食は、その後、徐々に「給食献立の不均衡をなくし、栄養士や調理師の未熟さを
カバーする」という名目で、共同献立が各学校による自主的な給食をつぶす方向で働き、
やがて何万食という給食を一挙に作るセンター方式から、民間委託へと変わっていく。
しかし、「教育の一環」という方針は変わらず、「残さず食べる」ことが義務付けられる。
売れない食材が捌ける場所、また味になじみを覚えさせる場所として学校給食は
食品業界にとっては理想的な場なのだ。
クジラ肉が学校給食に提供されたのは、南極での捕鯨が盛んになった1940年代の
終わりと思われるが「1951年に東京都立衛生研究所が行った調査では、小学生が
学校給食で嫌いな肉として挙げたのは豚肉16%、牛肉7%、鯨肉23%で、鯨肉を
嫌いと挙げている小学生が突出して多い」とwikiに書かれているように、51年には
間違いなく学校給食に導入されていたのがわかる。
また、作戦がうまくあたったというべきかその世代を中心に今、鯨肉食(特に竜田揚げ)
に対する郷愁が強いというのは周知の事実。
さて、7月から商業捕鯨が再開の運びとなるはずだが、関係者が懸念しているのは
どれだけそれで商売が成り立つか、ということだ。だから、彼らにとって学校給食は、
食材を捌けて、将来的なお得意さんを育むための実に都合の良い場となっていくに
違いない。しかも、給食無償化という摩擦の少ない方向が進んでいることだし。
現に下関では、これまで7万食だった鯨肉給食を10万食まで増やす予算を組んだという。http://www.news24.jp/nnn/news16321144.html?fbclid=IwAR2i9gD3XC8zD1wrHcEVyyDFAzX6gqrEgdxMpYVZKYSxXrcc6vjUb1MeS98
古くから伝統的に食習慣があったのは西日本などのごく一部の地域だ。それを守ろう
というのは仕方ない。しかし、こうして新たな需要を無理やり作り出し、商売にして
いこうというのには大いに疑問がある。
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