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2017年9月27日 (水)

「腑に」は落ちない

 例の映画についての話のつづき。
 映画のパンフレットでドキュメンタリー作家の森達也氏が書いているが、「問題の本質は外国人に’殺すな’と言われるから、自分は食べないけど捕鯨に賛成する」という捕鯨支持の意見で、映画を見た人たちが一番『腑に落ち』たのはそこだったと聞いて少し驚く。映画でコメントした本人は、批判的に言っているのだが。
 以前には、捕鯨を支持する立場にはそれなりの根拠があったと思うが、捕鯨産業が縮小し、鯨肉を食べなくなって捕鯨が一般の関心を引かなくなった今、ネットを中心として「他から言われたくない!」というのが一番大きな根拠(?!)になってしまったのだろうか。
 そして、それにお墨付きを与えたのが今回の映画かもしれない。「The Cove」で何となく後ろめたさを感じ、加害者の感覚を抱えていた人たちが、今回の映画によって「そうだ、(いくら肉を食べなくても産業的に成り立たなくても、海外からいろいろいわれても、)これが彼らにとって大切な’アイデンティティ’だったのだ、と何となく心の底に沈殿した後ろめたさを払拭したのだろうと私は思う。
「ナショナリズム」というほどのはっきりしたスタンスもないこうしたあり方は、現実に触らないで済んだ事に安堵しているわけで、それを利用したい側にとっては大変都合が良い。
こうした結果が製作者の意図したこととは思いたくないが。

 監督は、雑誌のインタビューに答えて「人口3000人の小さな町で起きていることから、今世界で起きている世界の衝突、分断が象徴的に見えてくる」と言い、’ローカル対グローバル’と言う今日的な課題に取り組んだつもりだと言うようなことを発言されている。
 日本の中の一地域として、ひっそりと(国内でさえもあまり知られないまま)漁をしていただけだろうに、という監督自身の共感が、画面に溢れている。そして、町の人々との考え方の違いから、わざわざ遠征してきた活動家たちに町の平穏がかき乱され、その上、世界の悪者に仕立て上げられてしまった・・・
監督としては、「The Cove」において強者が弱者を叩くというあり方に怒りを覚えているわけだが、イルカ猟に関して言えば、日本という国が認めたイルカ殺しの継続を何とかしたいという活動家の(結果的に無力な=行為を止められない)ジレンマから、解決の願いを託した、というのがThe Coveだったと思う(世界的に有名にはなったものの、目的は達せられなかったが)。そういう意味では、社会派ドキュメンタリーが明らかにしてきた、大国が他の小国を脅かすとか、グローバル企業が地域の開発で住民を追い詰める(つまり具体的な破壊行為が前提にある)というようなものとは質が違う。(イルカ猟に関係ない大多数の町の人々の感じる迷惑感とか、恐怖、警察官宿舎用のマンションを町が借り上げたとか、海上保安庁出動に経費がかかるとかが被害がないとはいわないが)

映画では、国や県、町の介在を示すわけでもなく(国家権力による海外活動家締め出しくらいしかわからない)、またThe Coveの活動家たちの主張に反論するような議論を展開するわけではなく、被害者としての太地の人々を(事実の検証もなく)これでもか、これでもかと写す。この前のブログで「対抗ツイート」と書いたのはそのためだ。つまり、客観的な事実で争点を洗い出すのではなく、ローカルな町に国際的な発信力と対抗できるだけの力を与えたい(だからこそ、この映画をつくる意義がある)と言う、これまでの捕鯨イケイケ路線にありがちな話に落ち着いてしまったのではないか。「他人にとやかく言われたくない」というのが映画終了後の多くの人々の感想であることが、結果的には余分な勘ぐりを封じるいい方法だったのかもしれない。

 イルカ猟を続けている人たちは、威勢のいい応援団の追い風に乗って、多少は安心してイルカを追いかけられるようになるかもしれない。しかし、自分のなりわいの将来的な展望を真剣に考えようとした時、果たしてこれが役に立つのだろうか?なまじ、町民のアイデンティティと持ち上げられた分、引くに引かれなくなってしまったのではないだろうか?と老婆心で思う。


2017年9月 9日 (土)

対抗ツイートだった・・・

 「おクジラさま 二つの正義の物語」のプレミアム上映に行ってみた。
先行上映は3回目ということで、50人弱ほどの人が集まっており、参加者は業界の人たちのほか、クラウドファンディングの大口寄付者や監督の知人、友人などであるらしかった。私は、登場人物の一人として招かれた。
 うたい文句である公平なドキュメンタリーだと最初から期待していたわけではないが、清潔に整った太地の街並みを背景にクジラ祭り、供養などの映像とともに、太地の町長をはじめとした関係者、そしてイルカ漁業者と、イルカ猟推進の立場からの意見がそのまま言いっぱなし状態であふれんばかりに出てきた。
SS活動家ももちろん出てきたが、小さな町の人たちの言い分の中ではどうしても’異物’という感じが拭えない。

 ではこの映画で何をしたかったのか?という問いは、後半で、ストーリーの導き手のアメリカ人、ジェイ・アラバスター氏がイルカ漁業者に問いかけるところで合点がいった。

 アラバスター氏は、コンピュータの画面で、Cove Gardiansが行っているリアルタイムでの追い込みの様子の発信と、それに対する世界中からのツイートを見せ、太地にはこれに対抗できていない、と語りかけるのだ。
つまり、この映画は、太地の側からの対抗ツイート代行であり、公平性とか正義というのは、世界発信されているイルカ漁の映像とそれに対する批判に対してのものだったということだ。
だから私の発言は、こうしたツイートを補強するために用意されたとみるべきで、だからこそ、三軒町長は私のコメントに対して「いいこと言っている」という批評をしたのだ。

 私は、撮影前に佐々木監督が話を聞きに来た時、私自身が望むことは問題の解決であり、映画がさらなる溝を作るものであって欲しくない旨を伝え、彼女も自分としても解決したいと思うからこそだと返事をもらっている。
この映画で何を解決したと彼女が考えているのか、私には未だにわからない。
太地の人たちの多くのコメントが正確さを欠いていることについては、取材時に私や佐久間さんが行った説明でほぼ解決済みで、それを彼女が理解していたと思っていたからだ。漁業者に恨みがあるわけではなく、そうした問題点をきちんと見ていくことが解決にはなくてならないものだと私は考えているからだ。

例えば、伝統については、私も中でコメントしてはいるが、それが太地での勢子船の映像とか、クジラ祭り、博物館の(なんと動く!)クジラ絵巻などの紹介に対して、私のコメントは説明不足であると感じる。

イルカ漁業者が、自分たちは獲物がなくなれば困るから、一番持続的な利用を知っているということに関して言えば、(私は不透明であるとしか言えていないが←残念!)今回の新たなイルカ漁業対象種の追加の理由が、当の太地町の、「マゴンドウとバンドウイルカが捕獲できなくなったので経営的にやっていけない」という要望からであることが水産庁の担当者の発言からわかっているが、これは彼らの主張する持続的な漁業と大いに矛盾している。

 また、監督曰くの「なんちゃって」対話集会では、その中で唯一とも思われる生産的な意見「(問題解決のために)私たちが皆さんたちにしてあげられることは何ですか?」を最後に質問した海外活動家に対して、町長は’きっぱり’と「太地町のことは太地の町民が考えること」だと言い放ったのは乱暴だ。問題があると考える人たちがいるからこそ、太地での事件が起きているわけで、それを部外者は関係ない、としか考えないからこそ、解決できないと思わないのか。(あるいは、町長としては、問題は太地で既に完結しており、他は雑音なのかもしれないのだが)

ここで解決の一番の障壁となるのは、実は町で完結できないものだ。
3千の太地町民のごく一部の人たちの事業が太地全体を潤しているわけではなく、町費に匹敵する(あるいは上回る)ほどの補助金が毎年投入されていることが一番大きく、それは町が捕鯨という名を売ることで得る収入なのだ。
例えば、建設予定の道の駅の建設費は
「233,280,000円の内訳は113,000,000円が国庫補助金、
107,000,000円が過疎債
、後の13,280,000円が一般財源だ」
と太地町議員である漁野尚登氏はブログで述べているが、これが最初でも最後でもないことは彼のブログを遡ることで理解できる。
https://blogs.yahoo.co.jp/nankiboys_v_2522/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=2

トイレの改修工事もあったと思う。
平成27年度太地町一般会計補正予算(第1号)において公衆便所改築工事の予算が計上されていました。
企画費
歳入
国県支出金 2000万円 地方債 2000万円 一般財源 398万円

https://blogs.yahoo.co.jp/nankiboys_v_2522/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=7

 ある研究者によると、こうした補助金による支援は他の漁業村でも盛んに行われているようだが、原発に対するものと同様、その町の健全な発展を助けていると考えるのは難しい。
補助金問題は、監督に何回も「捕鯨推進という盾を掲げる代償として、まるで麻薬漬けのようになっている補助金問題を何とかしないと」ということは伝えてある。
今回、映画は国の捕鯨政策には全く触れなかったが、地方(ローカル)対国際(グローバル)に問題を置き換えるためにも、政策問題は邪魔だったのだろうか。それともあまりにも歪さがわかりやすいので、出すわけにはいかなかったとか。

 最後に二つ、太地の救い(問題解決)のように出てくる水族館でのイルカ飼育問題と、森浦湾の国際的なクジラ研究構想だ。どちらもこれまでこのブログで批判してきたことだが、監督にも問題点は指摘してあったと記憶する。

 まあ、こうした指摘をどうにかするよりも、太地からの対抗ツイートが重要と感じたからこそ、そこで手堅くまとめたんだろうなあ、と思いつつ、やはり釈然としないのだった。
 

2017年9月 8日 (金)

ワシントン条約海からの持ち込み許可証

 日本政府は、モラトリアムの元、調査捕鯨の名の下にクジラを捕殺している。
南極で、ミンククジラ333頭、北西太平洋では2002年から、日本がワシントン条約の取引禁止規定を留保していない、北半球のイワシクジラも捕獲するようになった。
どこかの国に所属しない公海での、ワシントン条約で規制されている種を捕獲する場合は「海からの持ち込み規定」というものがあり、捕獲する国の管理当局が持ち込み前に許可証を発行することになっている。
そこで、イワシクジラに関してはどのような許可証が発行されているのを水産庁に聞いてみた。すると、持ち込むときではなく、調査捕鯨に出航するときに、IWCの捕獲許可証とともに発給するということを教えてくれた。
どんなものか知るには、情報公開請求が必要だと聞き、やってみた。
まず、イワシクジラが捕獲され始めた2002年から今年までの請求をしたが、文書の保存期間を過ぎたものは出せないということで、2010年(平成22年)からのものが、請求してから1ヶ月余を経て手に入った。

実際に見ると、イワシクジラのみではなく、公海で捕獲されるすべてのクジラの捕獲予定頭数と、同時にバイオプシーサンプルを取る予定のクジラ10種に関して、水産庁長官の名前で許可証が発行されていた。
また、2010年には、船の名称なしだったものが、翌年からは、積み込む予定の(?)日新丸、勇新丸、第二勇新丸の3枚が発給されている。
なぜ、わざわざ情報請求の対象となっているのか、よくわからない。Photo


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