スロベニア その他の話
<映画で使われた?>
会議の初日の事。太地町の三軒町長がニコニコして「映画見ましたよ」と話しかけてくる。「えっ?私まだ見ていないのですけど、なんて言ってました?」と聞くと「いいこと言ってましたよ」とうなづくだけで具体的な話にはならなかった。
S監督は、2時間ほどのインタビューの一体どこを切り取ったのだろう?
気を取り直して「そういえば森浦湾・・」と言い始めると、「いやいや、あれは記者が勝手に書いたことで、私たちとは関係ないことです。私たちが思っているのは、森浦湾で国際的な鯨類研究をしようということですから」という。
それでは、ボルチモア水族館のように、飼育イルカを解放するためのサンクチュアリにしたら?というと、「ええ。水族館のイルカを入れて、ゆくゆくは繁殖した子供を放すことなども考えています」。それはちょっと、と思ったが、いずれ伺いますからその時意見交換しましょう、とその場を離れた。
会場で座ろうとすると、大隅御大が近づいてきた。「やあ、嬉しいな。あなたが考えを変えたって聞きましたよ」という。びっくりして「え??」と聞き直すと「捕鯨推進になったというじゃありませんか」????。そんなことどなたから?と聞いても答えがない。例の映画だな、とまた不安になるが、捕鯨を是認したコメントなど言っていないことには確信がある。
それでも、彼もさすがに3日目のNGO発言(10月18日に出した日本のNGO17団体の共同宣言)の後は、むっとした顔で話しかけては来なくなった。
<2つのIWC>
6月以降、森下丈二代表がIWCの二分化を主張し始めている。曰く、捕鯨推進は沿岸捕鯨や食料安保(南極など公海での操業?)を、そして反捕鯨はクジラ保全や環境、動物福祉を担当すればいい、と。ここにはクジラが生きて動いているものだという認識は全く感じられない。
また現在、調査捕鯨で好き勝手をやっている日本は、すでにこの主張を実践しているようにも見える。
これまで反対する人たちがいて、きつく監視してきたからこそきちんとした管理への道筋ができた。また、必要なところ(例えば先住民捕鯨)には、枠が設けられてきたのだ。対立そのものは決して悪いわけではない。ところが、
「対話」とか「理解を得る」とかいいことを言っている日本がやっているのは、とにかく規制を受けない捕鯨を存続するために条約改正に踏み込まれないことだ。そのためには、4分の3を反捕鯨に取らせないことが至上命令であるのは明らかだと思える。
一方で、反捕鯨側はどうかというと、例えば、ニュージーランドは2014年にどのようにIWCを改革していくのかという投げかけの決議案を出し、採択された。また、今回も、オーストラリアとともに、科学許可の要件等を議論する作業部会設置を含む特別許可のを管理できるための決議を通している。日本がいくら反対し、今も古くないと言い張っている国際捕鯨取締条約は、すでに性格が変わっているのは確かなのだから、本気でIWCの将来を考えるなら、この方向に踏み出さざるをえないだろうと思うが、二分の一で採択される決議には拘束力がないため、埋めるべき溝は埋まらないのが現実だ。
日本は、「IWCの将来」と銘打って、捕鯨時代の条約を復活させようと、様々な思惑で日本に加勢する国々を巻き込んで行っている。’かつてのような乱獲はありえない、守るべきは守り、持続的な利用を推進する’、と言いながら、今回のNEWREP-NP案を見ればかなり疑わしいものだ。
そして、モラトリアムを解除するための4分の3は獲得できないことを承知の上で、2006年のセントキッズ宣言とか、今回の食料安保決議などを通じ、モラトリアムの事実上の突破を狙っている。
もう一つの動きは、小型鯨類の保全活動や環境と健康に関する決議案の提出だ。前回の小型鯨類に関しても他機関と連携して保全に努めること、今回のクジラの地球生態系への関与や水俣条約と連携して、水銀の汚染が報告されている鯨類に関して、同条約に貢献しようというもので、「非致死的調査により」という文言が「持続利用」勢力は気に入らない。これらは、2分の1の獲得で採択されるので、捕鯨推進の反発をよそに採択される。調査捕鯨にストップをかけられないまま、こうした決議案を持ってくる気持ちはわかるが、それでは問題は解決しないのになあ、と複雑な思いだ。また、こうした動きが捕鯨に反対する勢力の自己満足に終わらないかということも懸念される。
一方でNGOはというと、発言の機会が増えた分をうまく活用できているわけではないような気がする。今回、発言の機会は加盟国の発言がおさまってからで、必ずしも議論として噛み合わせられるわけではなかったし、また事前に発言内容を知らせる必要もあり、実際に行われている議事に対して影響を与えるのは難しいと思った(違ったかもしれないが)。このままでは、相変わらずのガス抜きに終始するかもしれず、もっと体系的な動きを考える必要がある。と、きちんと作戦会議などに参加しないまま偉そうなことを言っても仕方ないのだが。
本当は、このことに責任があるのは私たちなので、(あえていうが)’暴走’の止まらない日本を、どうやって私たち市民が止められるかということだと感じている。どんどん民主国家でなくなっている現在、ますます難しいことになってはいるが。
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