IWC スロベニア報告(1)
24日から28日まで、スロベニアのポルトロス(ポルトルージュ)で66回IWC本会議が開催された。
ことしはユーチューブで実況をしたそうなので、時間があればそちらで実際の議論はご覧になれるはずだ。
だが、今年で70年目という長い歴史を持つIWCの入り組んだ議論というのはなかなか本質を捉えにくいかもしれない。しかも今年はなおさらわかりにくい議論が多いようだった。記者さんたちは、一つ議題が終わると大急ぎで日本代表団席に行き、話を聞いており、海外の人たちとは全く接触しない。これで「バランスのとれた」取材ができているかというと、日本政府が言っているバランスでしかないことをここで改めて書くことも残念だが、せっかく異なる見解をのべようと接触しても、(一つのメディアを除き)全く相手にしようともしない。
そのことを勘案し、これまでのような詳細報告は控え、表に出てこない問題点や感想などを少しずつ報告することとしたい。
IWC報道で「日本政府、反捕鯨国に本質論提起」という見出しが見える。
私も会議二日目、ある新聞記者に、森下氏が「問題(捕鯨推進/反対の二項対立)の根本原因を追究して解決を図りたい」といっているが、「根本原因」というのはどのようなものだと思うか、という質問を受けた。
もちろん、その根本原因は、日本が実施している調査捕鯨以外にない!
それはすでに参加国にとっては言わずもがなの話になっている。調査捕鯨の停止を求めて22回もの決議が採択され、また妥協案が出されてきた。今や、日本がどれほど議論をふっかけても、反対する諸国は日本の使い古された主張を真面目に聞く気も、細かく反論する気も既に失っているようだ。
今の日本にとって、一つだけ大事なお仕事というのは、実は4分の3を取られないように画策することだと私は思っている。会場にいる人たちの多くも気づいているかもしれないが、日本がかき集めた同盟国は、「自分たちに利益をもたらす日本」を応援しているので、それが調査捕鯨だろうと、沿岸捕鯨だろうとどうでもいいのではないだろうか。
日本のODAを使っての票買いは、会議の運営を妨げるものとして、これまでも多くの批判を受けてきた。仮にも問題の本質を問おうというのなら、こうした行為は即座にやめなければならない。
https://www.transparency.org/news/pressrelease/20060611_vote_trading_threatens_the_integrity_of_the_international_whaling
これを書いている最中に、ドミニカ国のモナ・ジョージさんがこの10月31日に亡くなったという知らせを受けた。私が彼女に初めて会ったのは2000年にアデレードで開催されたIWCで、その年、日本はドミニカ国のサンクチュアリでの投票棄権というドミニカ内閣の決断を覆し、日本支持に回るような介入を行った。(少なくとも7億円が1年で支払われたということだ。人口7万人の小さな国に、だ)そのことに抗議し、当時の環境大臣、アサートン・マーチン氏が辞任をしたが、その経緯を記者会見で発表したのが彼女だった。自分自身にとっても初めての海外での会議参加だったこともあり、話とともに彼女の出現はとても強烈だった。
今年9月に行われたCITESの会議中にも多方面からバラされたように、日本はTICAD(アフリカ開発会議)とか、COMHAFAT(大西洋沿岸アフリカ諸国漁業協力閣僚会議)でアフリカ諸国に働きかけ、「食料安保」という大義をアフリカ諸国の意見として出させている。国内では、食料自給率やフードマイレージに絡めて、へんてこな主張が繰り返されていることは既にブログで紹介している。ご存知のように、日本が最もクジラを食べていた時期、幾つかのクジラを殆ど絶滅に追い込んだ時期だって(大量の油を輸出していたことはまた別の話だが)、日本国内の食料供給のほんの一部を形成していたにすぎない。政府代表の主張する日本の自給率を上げるためには全く役に立たないし、ましてや9億人という想定される飢餓人口の解決をどうやって果たすつもりなのかは謎だ。また、クジラをほかくしても食べてもいないアフリカ諸国に、そんな話を提案させること自体が罪だと私には思われる。
もう一つ、日本の非道は、サンクチュアリの否決だ。ブラジルをはじめとするラテンの国々が、2000年から何回も提案してきたことで、当初は確かに周辺国との合意が不十分であったし、日本のいうところの「科学性」に欠けた部分もあったかもしれない。しかし、提案を繰り返す中で、科学的な根拠、管理手法とともに、周辺国との合意形成にも十分力を注ぎ、その創設を願ってきた。提案国の沿岸地域ではホエールウォッチングが盛んで、貧しい零細漁業者が生きたクジラによって大きな恩恵を被っていることも、提案理由の一つだ。また、この所、国際的には、海洋の危機的な状況とその回復、保全が大きな課題になっており、様々な国際条約などでも大きなトピックとして扱われている。アメリカやイギリスも「これまでで最大級」という海洋保護区を設置するなど、海洋の保全と管理が政策としても重要視されている。また、つい最近では、CCAMLR (南極の海洋生物資源に関する保存委員会)でロス海の海洋保護区が合意された(ちなみに日本が調査捕鯨をしている海域でもある)。
クジラに関して言えば、その生態系に果たす役割についての研究が急激に進んでおり、今回もチリ提案の決議として採択されている。
広い海域を、複数の国が共同で管理することのメリットは少なくない。こうした状況を知ってかしらずか、地球の反対側に等しいところの日本が、偉そうに科学的ではないとか、クジラを殺さないという選択が気にくわないと、反対票を固めるのは恥ずべき行為ではないだろうか。
「科学的でない」というなら、日本の海洋保護区こそ、科学的ではない典型だと思っているのは私だけではないだろう。漁協が関与している、近隣漁協との連携や、周辺住民との合意形成も関係ないような漁区をすべて「海洋保護区」と称して、愛知目標である10%を達成したと言っているのだから、まったく「よく言うよ」なのだが、メディアは日本が反対するからよくないことらしいくらいしか問題意識はないようで、前回よりも多い反対票によって否決されたことを強調するだけだ。
確かに今回も採択されないだろうな、という予測はあったが、それでも情けない気持ちに変わりはない。次回開催地はブラジルなので、主催者への敬意が票に現れるといいのだけど。
もうひとつ、IWC での大きなトピックは、先住民生存捕鯨だ。IWCが唯一公式に認める捕鯨であり、細かいところでの意見の相違はあれど、クジラを消費的な利用をするということに関しては了解がある。
今回は、閉会中に行われたワークショップや小委員会の報告を、先住民捕鯨の議長、セントルシアのジャニーン・コンプトンーアントワン氏の欠席を受けて、IWC副議長の森下丈二氏が行った。とても丁寧な逐一の報告が入り、その後に、グリーンランドで開催されたワークショップで講演を行った、アラスカ大学の政治科学者のドロー氏の30分ほどのレクチャーもあった。国連の人権宣言から、先住民の権利宣言に至るまで、それなりの歴史の重みを持った話ではあったが、最後に、あたかもIWCがきちんと向き合っていないかのような方向に引っ張ったのに多少の違和感を感じた。
アルゼンチンが、2013年度にグリーンランドがIWC の捕鯨枠なしで捕獲したことについて繰り返し問題としている。会議全体では、その違反事実には目をつむって、今後枠をつけないような不面目なことを起こさないようにという暗黙の了解ができてはいる。しかし、2012年会議で枠がつかなかったのには訳がある。その年、グリーンランドの枠の要求が毎回増えていることが議論になった。グリーンランド的には、人口も増え、クジラ肉の需要もそれにつれて増えているからというのだけど、実際には地元スーパーなどで販売されるとか、観光レストランで出されるとか、さらには、前の時はナガスが大きすぎて、捕獲するのが難しいのでザトウの枠を要求したのに、なんでまたナガスか?など色々出てきて、それが果たして枠の増加として認められるかということが議論になった。そして、まだ議論を深めたいという意見があったにかかわらず、デンマーク代表は採決を望んだ。EUは先住民のニーズを満たすための捕鯨は認めるものの、修正提案はIWCの要件を満たしていないと反対、一方アメリカは賛成し、投票に付され、結果的に否決という結果になったのだ。それ以前にも、下関のIWC会議で、日本のコミッショナー代理が日本の沿岸捕鯨を認めないならと反対し、アラスカ先住民の枠がつかなかったことがある。それについては中間会合で決着がつき、問題は収集された。今回もどうするかという話し合いが持たれたようだが、結局はグリーンランドが捕鯨を遂行してしまったというのが顛末だ。今回のような場合にクレームをつけることはかなりの勇気がいることであるが、アルゼンチンの意見にも一理あると私は思う。先住民の権利を尊重することが重要だからこそ、きちんと向き合うことも必要であり、センシティブな問題だけに毎回悩ましい議論になる。
このほかにも小型鯨類の保全に関して、これまでよりも頻繁に議論が行われている。多国間を移動している種が多いこともそうだが、また、鯨類の管理全般を行う国際機関はほかになく、絶滅の淵にいる種を手をこまねいて絶滅させるわけにはいかないというのがその意見理由だ。今回、バキータ(コガシラネズミイルカ)に関する決議がアメリカから出されたが、日本とその仲間は採決に参加せず、その理由を声明書として出した(ロシアは投票不参加だが声明には賛同せず)。意地でも捕鯨対象種しか認めない日本のあり方は、やはり大きな問題だと改めて思う。
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