「大型哺乳類との共存に向けて」を聞いてきた
土曜日(7月23日)、知り合いから教えてもらった掲題のミニシンポ(東京農工大と海洋大の合同)に行った。
(ポスターはこちら)
http://www2.kaiyodai.ac.jp/~gnakam1/img/symposium_poster.pdf
<ミニシンポの進行>
基調講演をそれぞれの大学の教授が行い、その後、オオカミ導入の是非、JAZAは今後も野生イルカ導入を禁止すべきか、日本はIWCを脱退すべきかという3つの論争を呼びそうなテーマについて賛成と反対に分かれた学生たちが議論を行うというちょっと新しい試み。
開催趣旨には、人口の加速的な増加と野生動物との軋轢について触れたのち、1972年の人間環境会議が’アメリカの陰謀によるベトナム戦争犯罪隠し’のため、クジラ問題が環境問題として利用されたというようなことが書いてあり、学生たちの議論の熟度が最初から危ぶまれるような企画ではあった。
<基調講演1:エゾシカフィードバック管理、オオカミ導入への幾つかの疑問ー梶光一氏>
最初登壇された農工大の梶光一氏は、1999年の鳥獣保護法改定時に、現横国大の松田弘之氏とともに、北海道で法改正に先駆けて野生動物に数理生態学を導入、フィードバック管理によってエゾシカの捕獲管理を実施した行政担当者で、当時、私たちが組織していた鳥獣保護法の’改正’に疑問を持つ自然保護団体のネットワークによるシンポジウムにお招きしたことがある。その時は、新たな管理法による大量捕殺への懸念を感じたが(狩猟者が捨てて行くシカの死骸に残った鉛弾で、希少なオオワシやオジロワシがバタバタと死んだ)、結局はその管理法でもエゾシカの増加は収まらなかった。梶氏はその後行政をやめて現在の農工大に移られたと聞いている。
◇北海道の自然環境の変化、アメリカとの違いは
梶さんの話では、さすが現場を知る人だけあって、いわゆる野生動物の増えすぎの原因についてもきちんと把握しており、その中から、後の議論のテーマの一つ、オオカミの導入についての問題点(自然環境の変化、そして、イエローストーンとの面積と他の公園とのつながりに対する日本の面積の狭さ、社会の問題共有や銃社会かどうかなど)も鋭く指摘された。(後の学生たちの議論の中ではそれが十分反映されていたとは見えなかったのが残念だが)
<基調講演2:捕鯨は日本の自給率を上げるって?!>
ご存知、IWC日本政府代表&IWC副議長の森下氏は、現在、海洋大学に出向という形で先生をしているようだ。
最近の彼の手法として、話はのっけから反捕鯨の主張の解説と反論。現状を考えるとこうした方法しか取れないのかもしれないが、やはり最初は捕鯨の意義なり、その正当性を主張すべきで、こうした反・反捕鯨まがいの戦法は、IWC副議長はもとより、政府代表の講演としてはまず失格ではないのかと感じた。
さらに、クジラを水産資源の一部と認識すべしという例として、クジラを欧米が特別視していることを問題としながら、日本の自給率の低さ、さらには、フードマイレージの異常な大きさについて各国との比較を行い、これだけ日本は問題がある、だから食料の多様性を守るためにも選択肢の一つとしてクジラは重要だと、信じられないような自説を展開。南極に行って、国民一人1年で30グラム以下の鯨肉を調達することがどのように自給率を上げ、フードマイレージを下げるのに貢献するというのか? さらには、自給率を着々と上げている欧米先進国に対して、どうして日本がクジラを取らないと対抗できないのだろうか?
確かに、彼は「クジラで全ての問題が解決するとはいっていない」と言うが、自給率の下がった根本問題や上げるための問題提起は他に一切していない。後で、学生が自給率との関係でクジラを捕ることの正当化を展開したことでも効果のほどは明らかだ。そして、さらに驚いたのは、彼が小学生に対して市販の弁当の写真を見せて、そこに出てくる食べ物のほとんどが輸入だと子どもたちに教えた(東京は99%が輸入)といったことだ。彼の言いたいことは国の農業・漁業政策への批判ではない。単に捕鯨の正当性を訴えるための誘導策でしかない彼の作り話を、どれだけの小学生が信じたのだろうか?
<パネルディスカッション>
ルールは、まずテーマごとに一人解説者を立て、その後、賛成、反対各二人が意見をいい、座長(加藤秀弘教授)が会場参加者もディスカッションを進める、というもの。
・その1 オオカミの導入
最初の解説者が、意見まで踏み込んだために加藤座長からルール違反とされ、話途中でしどろもどろになった。多分、中で一番文献調査をしたような形跡があるので、少し残念だった。
オオカミに関しては、90年代から導入を熱望する方が農工大におりオオカミを導入するための組織も作られ、議論が度々繰り返されてきた。そして、今回もこれまでの主張同様、日本の本来の生態系を回復するために導入すべきかどうかという議論が行われた。賛成する方は、増えすぎたシカ対策にオオカミのような生態系の頂点に立つ捕食者が必須と主張し、反対する方は、導入効果が不確かであり、希少動物や家畜、あるいは人身被害が懸念されると主張。生態系回復の賛成論者は非常に単調で単純なモデルを提示するだけで説得力がなかったが、反対意見は賛成意見への反論だけで、独自の展開はない。この議論で決定的に欠けていると思われたことは、オオカミが管理のための道具としてのみ扱われ、生き物としての議論がなかったところだ。短いディスカッションによる制約と言えないこともないかもしれない。しかし、誰もオオカミをどこから持ってくるのか問題にしなかったし、導入によって問題が引き起こされたらやめればいい(オオカミを排除する)という意見さえあったのだ。
オオカミは、アメリカなどではクジラ同様、(森下氏曰くの)象徴動物の一つである。だから、導入に際しても様々な意見があり、国立公園から出てきたものは容赦なく殺されるし、その数も半端ではない。希少動物としてオオカミ保護を訴える人たちによる訴訟をたくさん起きている。導入後の情報もアメリカの魚類野生局における回復計画を始め豊富にある。もし、多様な情報に接していたら、管理の道具としての側面だけではなく、オオカミそのものに関するたくさんの情報が得られたはずで、議論にも膨らみが出たはずである。そして、あるいはオオカミという動物について、もっと知りたいと思う人もいたかもしれない。
野生動物の管理を考えるときに、利用する生き物についての知識(あるいは誤解を恐れずに言えば’愛’)なしに機械的に処理していくことで問題は本当に解決するのか? という疑問は今に始まった事ではないが。
・その2 JAZAは野生導入禁止を続けるべきか
最初の解説者は最初の轍を踏まないよう慎重にコメント。しかしそれを含む議論は、賛成、反対ともWAZAが横車を押してきたという認識で、本来問われているはずの水族館のあり方に関する議論は無きに等しかった。両者とも、集客のためのイルカショー継続を前提としており、そのための方法論に終始し(動物園と水族館を別組織にする、とか繁殖技術確立の可能性など)、昨年の国内メディア報道の域を出ない。一人、JAZAの役割について解説した学生もいたものの、繁殖すらままならないというのに、「種の保存」と教育目的をイルカ野生捕獲が停止されることでそこなわれるという主張は理解できない。
また、捕獲されてきたイルカが捕獲技術が改善されているとか、絶滅の懸念がないと言い切ってしまうことにも、疑問を感じた(そうした発表をした人が賞を受賞したことも驚き)。
・その3 IWC脱退の是非
最後のIWCを脱退すべきかどうか、という議論では、大学での教育の成果が現れており、賛成、反対の全てが日本の捕鯨政策に疑問を抱かず、IWCにおける議論(彼らは一致して日本が不当な扱いを受けていると考えている)では、日本が粘り強く立場を主張すべきというのと、参加していても無駄だから脱退した方がいいというところでの議論に終始した。ただ、一人欠席した人の代わりに発言した学生が、唯一、点を線につなげる思考を持っており、食料安保に関連して、捕鯨最盛期で2万頭以上鯨を捕獲していた時代でも、国民の年平均で2kg余であり、現在の鶏肉20kgと比してもあまりに少なく、また野生動物であることから安定供給は難しいと発言し、少しホッとする思いだった。
しかし、この発言は加藤座長に「専門家の方から意見が出ると思いますよ」というかなり冷ややかな対応を受けた。
追記:
カメクジラネコさんのブログ。http://www.kkneko.com/ushi.htm
「捕鯨は牛肉のオルタナティブになれるか」
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