裏コーブ見てきた
目の具合がずっと悪いので映画はあんまり見たくはない。でも、この映画が予想以上にいろいろなところで物議をかもし、友人に「見に行こうよ」と誘われて行く気になった。
映画を作ったのは、元はハリウッド映画の配給会社の事務員だったという人で、なんでも国際司法裁判所(ICJ)の判決に納得がいかなくなって、突然仕事を辞め、映画会社を作り、貯金をはたいて、「The Cove」に反撃するための映画を作ったというのだ。これだけでもかなり首を傾げたくなるような話だが、映画の中では繰り返し「大好きな立田揚げが食べられなくなる」と言う危機感を動機として訴えている。当時のメディアは確かに「食べられなくなる]と大騒ぎしたが、それをそっくり信じたということだろうか???
映画そのものは、(「きれいな映像」とはいいがたいものの、始めてカメラを手にしたというのに全く手ぶれもない!)しつこいくらい、様々な人からのコメントを重ねることと、捕鯨にまつわる日本の歴史の様々な証拠を紹介することで進行し(短期間に良く集めたものだと感心)、縦軸にはこれまでの捕鯨推進の人たちのプロパガンダの焼き直しの、特に目新しいことはない引用が続く。
ただ、うまいなと思ったのは、とにかく、コメントをインターネットの掲示板のごとくに批判も訂正もなく、ただただつぎからつぎへと繰り出していくことで、その流れに乗っていくと、切り身についての話だけが日本におけるクジラ問題であるかのように見えて来る。映像版掲示板、あるいはツイッターとでもいったところだろうか?ウソであれ、間違いであれ、太地の人や鯨肉を食べたい人のことばを抽出し、繰り返し、それに捕鯨推進の中核的な存在である米澤元コミッショナー、ジャーナリストの梅崎氏、太地町長やもとクジラの博物館館長、森下/諸貫政府代表及び代表代理、さらには例のICJ裁判で日本側証人をしたノルウエーの鯨類学者ワロー氏などのキメのコメントをうまく挟み込み、たたみかけていくことで、欧米の日本いじめ、とかアメリカの陰謀という反・反捕鯨の主張を本当らしく見せる。これまで、海外から批判されて肩身が狭いと思っていた人たち、ニッポンの優位性を主張したい人たちには一服の清涼剤にでもなるのだろうか、当日の20人弱の観客の多くがサインを求めたり一緒に写真撮影をねだったりしていたのに少し驚く。
コーブへの批判は、ほぼ太地町に駐留する海外活動家たちの威圧感ある姿で、イルカ猟の実態とか、イルカ漁師の主張など、コーブの内容そのものへの批判は出てこない。シーシェパードの言葉も断片的に差し挟まれるが、多分、彼らの主張は彼女にとっては宇宙人の言葉も同然なのだろう、深く追求されるわけでもなく、反論するわけでもない。まあ、イルカ・クジラはもうかるというポール・ワトソンの引用が活動についての批判のすべてと言うことなのだろうが、インタビューに答えたSSの何人かの活動家たちは割とまともな答えをしており、見る側にもそのことに気づいた人がいるかもしれない。
おやっと思ったのは、(SSではなく)リック・オバリーへのインタビューで、彼が「自分が映画を撮っていたら、日本人をもっと登場させて、出来上がりは別のものになっていただろう(言葉は正確ではないかもしれないが)」というコメント。どう作りたかったか、どのように違うか、ということをもう少し聞いてみたかった。
もうひとつ、最後の挨拶で、八木監督が「反捕鯨の陰湿な嫌がらせ」(実際は中立ではあるが、日本の捕鯨推進勢力に批判的な研究者)と主張したアメリカの公文書問題のことも付け加えておきたい。これまで、米澤元日本代表、水産ジャーナリストで「伝統文化」という注入キャンペーンを成功させた梅崎義人氏のいわゆる72年のストックホルム人間環境会議においてアメリカがベトナム戦争(あるいは枯葉剤)隠しにクジラ保護を使ったというクジラ陰謀説があたかも真実のように繰り返し一部の人に使われてきた。最近では、昨年6月のテレビ討論で、鶴保議員がそのことを持ち出したのが記憶に新しい。これが、リベラルな人たちの間でも結構信じられたりして本当にうっとうしかった。
陰謀説が、下関でIWCが開催された2002年、TBSが「大国と戦った男たち」という番組で取り上げられ、それを証明するアメリカの公文書が存在したと言う話が出てきたそうだが、今回、映画の中でそれが番組からのカット付きで持ち出された。そして、そこで使われ、非公開とされた公文書の番号が明らかになった。それをチェックした何人かの人に教えてもらったのだが、結局それは簡単にインターネットで入手でき、アメリカがクジラと関連させて会議をねじ曲げたという事実など書かれていないことがはっきりしたのだ。それについて、八木氏のいいわけは、非公開としたのは、存在を分からなかった米国の担当者の怠慢であり、そのことに触れずに非公開かどうかという批判は「重箱の隅をつついたような」話だという。
しかし、この陰謀説が覆されるとこの映画の柱がなくなってしまう。それに対しては「TBSが段ボール箱一杯、そうした資料を集めて持っている」と彼女は言い訳するのだが、その中で特にテレビで使われたのが’陰謀’とは関係ない2つの文書なのだ。このいきさつは、私にとってはこれまでの迷惑ないいがかりから解放され、非常にすっきりするという結果をもたらしてくれた。
ちなみに、映画でも当時のスェーデン首相のパルメ氏が会議の冒頭演説でベトナム戦争を批判する映像と、抗議するデモも出てきて、結局は隠せなかったことは明らかなじゃないかと思ったのだが。
(ついでに、人間環境会議そのものが日本いじめのようなコメントもあったが、私が72年会議について、当時報道で知って印象深かったのは、水俣病の患者さんたちが、政府に任せられないとスェーデンにまではるばる訴えを持っていき、世界の人々が水俣病についての認識を共有することになったということだ)
話を戻すと、このビハインド・ザ・コーブという映画は、「原爆を投下し、またベトナム戦争ではエコサイドを行なったアメリカが、批判をかわすためにクジラを使って環境会議をねじ曲げた。従って、クジラの保護は全く正当性がない」という主張と、もう一つは「欧米が日本の食文化を規制しようとしているが、その根本にあるのが人種差別だ」と言う彼女曰くの「宇宙まで行っちゃうような壮大な話」を表現したもので、これが立田揚げを食べ続けてもいい根拠となるだけというのではちょっとさびしい。
私としては、彼女の壮大な構想と主張が、どのように問題解決に寄与するのか、という点に関心がある(残念ながら、ザ・コーブでもそれは見当たらなかったのだが)。海外に日本の声を伝えれば、海外の人たちがそっくりそれを受入れ、日本の立場を理解すれば問題は解決すると思っているのか、あるいは(この方がありがちと思うが)日本が正しい、と主張することこそが解決なのか、そこが知りたい。
町長には「余計なお世話」と一蹴されそうだが、古式伝統捕鯨発祥の地として、捕鯨推進の旗手を努めることで多額の補助金を獲得し、その繰り返しのため返って自立できないずぶずぶの状態に陥ってしまった町が、自分たちだけで問題を解決できるのだろうか?また、イルカ産業に従事する人たちにしても、肉の販売不振といつまで続くか分からない生体販売/輸出に頼ることがどれほど将来のためになっているのか。そして、なによりも、海洋環境の悪化と捕獲圧によってその生息を危うくしているイルカたちが、人の続ける不毛な対立でますますその将来を暗くしているということが懸念されるからである。
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