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2016年2月 9日 (火)

だんだんむき出しになってきたニッポンのこころ・・

 この1月20日、イルカ解放の活動家のリック・オバリー氏が、成田空港の入管で捕まり、収監されたことは報道などでご存知だと思う。海外の情報だと、実際になんらかの違法行為を行ったわけではないのに手錠までされ、10日間も収容されて10キログラムも体重が減ったそうだ。
 彼は、2003年から毎年、イルカの追い込み猟の季節などに来日し、現地の監視を行ってきたこと、そしてアカデミーを受賞した映画「TheCove」の主人公で、海外からイルカ猟が強く非難される元を作ったことが当局の癇に障ったのだろう。

 昨日は、とある週刊誌から電話取材を受け、彼と一緒に活動しているかどうかと聞かれ、していないこと、もともと日本国内での活動が不十分なところで海外圧力が強くなってしまえばなかなか問題解決にはつながらないことを指摘し、一線を画してきたと話した。

 国内活動については、まさに反省すべきところだが、なんせ、海外のようにイルカを含む野生動物を保全するのが一般常識というところと、資源利用しているところでは人々の感覚が違うことは感じてきた(世代が下がるとそれほどの差異はなくなっているようだが)。
 また、国にしても、70年代、80年代に捕鯨問題で学習したことから、産業と人の生活の問題の根本的な解決を考える労力を省いて、文化や思想の違いとし、それを理解しない海外が悪いとくくった方が簡単で、その方向をずっと踏襲し成功してきた。
 イルカ類を捕獲することは国の法律で認められているのは確かだが、イルカが日本の所有物ではないこと、国境を越えて移動する動物であることを考えれば海外の人たちが反対する権利はある(それだけでも、今回の逮捕の不当性は明らかだ)。
 それだけではなく、日本国内で、イルカという野生生物を資源利用し続けることが(持続可能性から野生動物保護に至るいくつもの側面において)私たちにとってよいことなのか、必要なのかという判断を、産業の維持や人々のもつ感情、そして沿岸のイルカの生態調査など科学的側面などの情報をきちんと認識した上で選択していくことこそ、海外の批判に対しても(また、それで生計を立ててきた人々の将来を考える上でも)必要ではないかと思うのだ。外からやいのやいのと言われたくなければ、自ら率先してきちんとやればいいのだ。

 今回のような明らかに民主的な手続きをすっ飛ばして海外活動家を拘束し、さらに強制送還するような措置をとることが一体誰の特になるというのだろうか?
 捕鯨問題に端を発した国と産業による情報操作と‘伝統文化'という名前の印籠が、問題解決への行政の怠慢、一部議員の汗を流さずナショナリズムを標榜するための道具として効果的に使い回されてきた。今回事件はさらに一歩進んで、民主国家を逸脱する強権発動にもかかわらず、「海外活動家に対するもの」という形で批判を封じ込めているように見える。
 

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