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2016年2月27日 (土)

裏コーブ見てきた

 目の具合がずっと悪いので映画はあんまり見たくはない。でも、この映画が予想以上にいろいろなところで物議をかもし、友人に「見に行こうよ」と誘われて行く気になった。
 映画を作ったのは、元はハリウッド映画の配給会社の事務員だったという人で、なんでも国際司法裁判所(ICJ)の判決に納得がいかなくなって、突然仕事を辞め、映画会社を作り、貯金をはたいて、「The Cove」に反撃するための映画を作ったというのだ。これだけでもかなり首を傾げたくなるような話だが、映画の中では繰り返し「大好きな立田揚げが食べられなくなる」と言う危機感を動機として訴えている。当時のメディアは確かに「食べられなくなる]と大騒ぎしたが、それをそっくり信じたということだろうか???

 映画そのものは、(「きれいな映像」とはいいがたいものの、始めてカメラを手にしたというのに全く手ぶれもない!)しつこいくらい、様々な人からのコメントを重ねることと、捕鯨にまつわる日本の歴史の様々な証拠を紹介することで進行し(短期間に良く集めたものだと感心)、縦軸にはこれまでの捕鯨推進の人たちのプロパガンダの焼き直しの、特に目新しいことはない引用が続く。
 ただ、うまいなと思ったのは、とにかく、コメントをインターネットの掲示板のごとくに批判も訂正もなく、ただただつぎからつぎへと繰り出していくことで、その流れに乗っていくと、切り身についての話だけが日本におけるクジラ問題であるかのように見えて来る。映像版掲示板、あるいはツイッターとでもいったところだろうか?ウソであれ、間違いであれ、太地の人や鯨肉を食べたい人のことばを抽出し、繰り返し、それに捕鯨推進の中核的な存在である米澤元コミッショナー、ジャーナリストの梅崎氏、太地町長やもとクジラの博物館館長、森下/諸貫政府代表及び代表代理、さらには例のICJ裁判で日本側証人をしたノルウエーの鯨類学者ワロー氏などのキメのコメントをうまく挟み込み、たたみかけていくことで、欧米の日本いじめ、とかアメリカの陰謀という反・反捕鯨の主張を本当らしく見せる。これまで、海外から批判されて肩身が狭いと思っていた人たち、ニッポンの優位性を主張したい人たちには一服の清涼剤にでもなるのだろうか、当日の20人弱の観客の多くがサインを求めたり一緒に写真撮影をねだったりしていたのに少し驚く。

 コーブへの批判は、ほぼ太地町に駐留する海外活動家たちの威圧感ある姿で、イルカ猟の実態とか、イルカ漁師の主張など、コーブの内容そのものへの批判は出てこない。シーシェパードの言葉も断片的に差し挟まれるが、多分、彼らの主張は彼女にとっては宇宙人の言葉も同然なのだろう、深く追求されるわけでもなく、反論するわけでもない。まあ、イルカ・クジラはもうかるというポール・ワトソンの引用が活動についての批判のすべてと言うことなのだろうが、インタビューに答えたSSの何人かの活動家たちは割とまともな答えをしており、見る側にもそのことに気づいた人がいるかもしれない。
 おやっと思ったのは、(SSではなく)リック・オバリーへのインタビューで、彼が「自分が映画を撮っていたら、日本人をもっと登場させて、出来上がりは別のものになっていただろう(言葉は正確ではないかもしれないが)」というコメント。どう作りたかったか、どのように違うか、ということをもう少し聞いてみたかった。

 もうひとつ、最後の挨拶で、八木監督が「反捕鯨の陰湿な嫌がらせ」(実際は中立ではあるが、日本の捕鯨推進勢力に批判的な研究者)と主張したアメリカの公文書問題のことも付け加えておきたい。これまで、米澤元日本代表、水産ジャーナリストで「伝統文化」という注入キャンペーンを成功させた梅崎義人氏のいわゆる72年のストックホルム人間環境会議においてアメリカがベトナム戦争(あるいは枯葉剤)隠しにクジラ保護を使ったというクジラ陰謀説があたかも真実のように繰り返し一部の人に使われてきた。最近では、昨年6月のテレビ討論で、鶴保議員がそのことを持ち出したのが記憶に新しい。これが、リベラルな人たちの間でも結構信じられたりして本当にうっとうしかった。
 陰謀説が、下関でIWCが開催された2002年、TBSが「大国と戦った男たち」という番組で取り上げられ、それを証明するアメリカの公文書が存在したと言う話が出てきたそうだが、今回、映画の中でそれが番組からのカット付きで持ち出された。そして、そこで使われ、非公開とされた公文書の番号が明らかになった。それをチェックした何人かの人に教えてもらったのだが、結局それは簡単にインターネットで入手でき、アメリカがクジラと関連させて会議をねじ曲げたという事実など書かれていないことがはっきりしたのだ。それについて、八木氏のいいわけは、非公開としたのは、存在を分からなかった米国の担当者の怠慢であり、そのことに触れずに非公開かどうかという批判は「重箱の隅をつついたような」話だという。
 しかし、この陰謀説が覆されるとこの映画の柱がなくなってしまう。それに対しては「TBSが段ボール箱一杯、そうした資料を集めて持っている」と彼女は言い訳するのだが、その中で特にテレビで使われたのが’陰謀’とは関係ない2つの文書なのだ。このいきさつは、私にとってはこれまでの迷惑ないいがかりから解放され、非常にすっきりするという結果をもたらしてくれた。
 ちなみに、映画でも当時のスェーデン首相のパルメ氏が会議の冒頭演説でベトナム戦争を批判する映像と、抗議するデモも出てきて、結局は隠せなかったことは明らかなじゃないかと思ったのだが。
 (ついでに、人間環境会議そのものが日本いじめのようなコメントもあったが、私が72年会議について、当時報道で知って印象深かったのは、水俣病の患者さんたちが、政府に任せられないとスェーデンにまではるばる訴えを持っていき、世界の人々が水俣病についての認識を共有することになったということだ)

 話を戻すと、このビハインド・ザ・コーブという映画は、「原爆を投下し、またベトナム戦争ではエコサイドを行なったアメリカが、批判をかわすためにクジラを使って環境会議をねじ曲げた。従って、クジラの保護は全く正当性がない」という主張と、もう一つは「欧米が日本の食文化を規制しようとしているが、その根本にあるのが人種差別だ」と言う彼女曰くの「宇宙まで行っちゃうような壮大な話」を表現したもので、これが立田揚げを食べ続けてもいい根拠となるだけというのではちょっとさびしい。
 私としては、彼女の壮大な構想と主張が、どのように問題解決に寄与するのか、という点に関心がある(残念ながら、ザ・コーブでもそれは見当たらなかったのだが)。海外に日本の声を伝えれば、海外の人たちがそっくりそれを受入れ、日本の立場を理解すれば問題は解決すると思っているのか、あるいは(この方がありがちと思うが)日本が正しい、と主張することこそが解決なのか、そこが知りたい。
 町長には「余計なお世話」と一蹴されそうだが、古式伝統捕鯨発祥の地として、捕鯨推進の旗手を努めることで多額の補助金を獲得し、その繰り返しのため返って自立できないずぶずぶの状態に陥ってしまった町が、自分たちだけで問題を解決できるのだろうか?また、イルカ産業に従事する人たちにしても、肉の販売不振といつまで続くか分からない生体販売/輸出に頼ることがどれほど将来のためになっているのか。そして、なによりも、海洋環境の悪化と捕獲圧によってその生息を危うくしているイルカたちが、人の続ける不毛な対立でますますその将来を暗くしているということが懸念されるからである。
 

2016年2月22日 (月)

国際シンポジウム「海洋における温暖化と酸性化」

17日は、久しぶりに海洋政策研究所主催のシンポジウムに参加した。
https://www.spf.org/opri-j/news/article_20895.html

 2014年、同研究所が海洋政策財団であったときに、海洋の酸性化についての海洋研究開発機構の白山義久氏の講演を聴き、予想以上に大きな問題であることを知った。
開会挨拶の中で、寺島綋士さんが2014年のセミナーのことにふれ、もっと一般に知らしめる必要性を感じたということで、今年から3年間(だったと記憶)、研究所として酸性化問題にコミットして行くとし、その端緒となるのがこのシンポジウムだと述べられた。

 基調講演は、海洋に関する国際政策を強力に推進するデラウエア大学のビリアナ・シシン–サイン氏とフランス国立科学センターのジャン–ピエール-ガトュッソ氏。
 サイン博士は早口に海洋政策の現状と課題を次から次へと滔々と語った(以前にも感じたことだが、この方の話は、重要項目をそのまま次々に繰り出してきて、脇目もふらないところがあり、私のような素人はついていくのが大変だ)。はじめに、海洋政策における2つの柱ーボトムアップ(すなわち、国や地域の海洋に関する政策や取組)とトップダウン(国際条約や交渉における海洋環境の保全・管理と利用)及びそれら縦割りに行われている課題を統合していくことが重要だとその取り組みについて紹介された。

 ボトムアップの好例として日本の海洋基本法を持ち出されたのにはがっくり。まあ、主催者が音頭をとってできた法律だから仕方ないのだろうが・・・

 一方で、国際的な海洋政策推進に関しては、2015年の持続可能な開発会議(SDGs)のプロセスに入っていなかった海洋を、主要課題に入れることに成功したこと、またパリでのCOP21における海洋問題を提起し、海洋と気候変動に関して政治的なリーダーシップを発揮し、46に及ぶパートナーシップのもと、オーシャンズデイをハイライトとしてたくさんの海洋関連のイベントを行った。そして、海洋環境の変化が小島嶼国に与える深刻な影響がクローズアップされ、最終的な合意文書には島嶼国の人々の努力が実って意欲的な目標値(1.5%)につながったことを評価した。
 もう一つの課題は、今、海洋問題で国際的に注目されている国の管轄外の海域、つまりABNJだ。その保全と管理に関しては、国連海洋法条約の元、国連で議論が行なわれている。海洋はつながっており、温暖化、酸性化だけでなく、海洋の汚染や海洋ゴミなど、その64%を占める公海における管理は健全な海洋環境にとって非常に重要なのだが、残念なことにはABNJについて、各国が最も関心を寄せるのは、公海における遺伝子資源の獲得や航行の自由、鉱物資源採掘など利益につながるところで、なかなか合意形成も難しいところだ。今後の動向が注目される。この3つの課題をどのように政策的に前進させていくかが今問われている。
 次のガトゥッソ氏は、海洋のもと機能の重要さとそれ故に海洋環境の変化が私たちにもたらし得る甚大な影響を、現在の二酸化炭素排出量が変化しない場合とコペンハーゲン合意に従った場合の比較を示し、なぜ今、私たちが排出量を大幅に制限しなければならないのかということを分かりやすく示した。そして、すでに計測可能な変化が認められる危機的な状況であることを訴えた。過去にはそれほど多くはなかった研究がこのところ実態に合わせてうなぎ上りに増えているそうだ。その上で、パリ合意がどれほど海洋問題にとって重要であるのかを強調した。つい最近、フィジーが最初に合意を採択したというニュースを見たが、この合意が早急に実現していくことが望ましい。
(ついでだが、COP21のシンボルマークは素晴らしい!
http://www.ambafrance-jp.org/article9503
ついでにこの漫画もフランスらしい)

 基調講演が終了し、パネルに移ってモデレーターの白山義久氏、宮原正典、井田徹治、山形俊男氏あわせて4人のパネラーが登壇、それぞれ短いプレゼンテーションが行なわれた。
 白山さんは冒頭にも書いたことだが、海洋の酸性化の問題についてこれまでも精力的に訴えてきた方で、タイトルもそのものずばり、「海洋酸性化問題をいかに主流化するか」である。すでに北極域で始まっている貝類の殻の消失など実際の危機について人一倍強い懸念を抱いていることが分かる。しかし、今回かなり違和感があったのは、カーボンストレージのプロジェクト紹介だった。後のディスカッションで早速サイン氏が懸念を示されたが、それについて、すでに苫小牧でかなり大掛かりな実証試験が行われており、規制に関しては海洋汚染塔防止法という国内法があるので対処できると彼は主張する。しかし、同法は船舶などによる油汚染や有害物質の漏出に対するもので、陸域に深い穴を掘り、そのまま海洋の深層部分までパイプを通してCO2を貯蔵することによる海洋生態系への影響については不明であリ、白山氏の思いは伝わるものの、海洋の環境影響評価手法が確立されていない状態で進めることは問題があるのではないかと思った。気候変動の緩和策として、繰り返し海洋、沿岸域の改変という技術的な解決法が訴状にのぼるが、それらがともすると海洋の生物多様性の損失につながるもので、先の生物多様性条約会議では、ユースがジオエンジニアリングに強い反対の意見を出したことが記憶に新しい。
 宮原氏の話も興味深かった。水産系ではこれまであまり漁業との関連で温暖化や酸性化を取り上げることが少なかったが、今回、彼が関わる調査の中で、黒潮の流れが早まり、親潮との混交海域における稚魚の成育に問題が起きるという懸念が示された。マグロ問題では、産卵海域や稚魚の成長する海域の保護に後ろ向きだという話を聞いていたが、どうせ将来的にはこうした問題が起きるのだから、いまのうちにとってしまえと思っていると勘ぐるのはうがち過ぎだろうか?冗談はさておき、彼も後で言っていたように、日本人の食に海洋の変化がどれほど大きく関係して来るかという提起は、問題の主流化に大きく貢献するのだろう。
 井田氏はメディアの立場として、酸性化の他に、海洋が抱えている海洋ゴミの問題や海のデッドゾーンなど、健全な海を保全するのに喫緊の課題を紹介しつつも、目の前に見えることではないこれらの問題への一般の関心の低さ、と報道の難しさを訴えた。最後の山形俊男氏は、海洋酸性化がもたらす私たちの生活への影響を経済的な規模も含めて示し、その上でその実態をまず解明していく必要性を訴え、「海洋危機監視」をいプロジェクトの立ち上げと情報の発信をしていくという計画を述べた。

 海洋基本法の中にはもちろん海洋環境の保全や生物多様性という言葉がちりばめられている。しかし、では法の下で具体的に行なわれていることは何か、というと、活発に邁進しているのは海洋開発計画であり、活発に議論されているのは領土問題で、環境は今のところお飾りに過ぎない。
 一方で、その埋め合わせのように、笹川財団による「ネレウスプログラム」やグローバルオーシャンコミッションの紹介など、海洋の危機に警鐘を鳴らす試みがなされている。同じ根元から出てくていると思えるこのふたつの矛盾を整理し、健全な海洋環境を守る方向に展示、国際的な海洋保全に歩調を合わせていくためには、一般市民の積極的な関与が求められると感じる。残念ながら、内閣府にある海洋政策本部に市民の声を届けるのはこれまでの経験から言うと難事というほかはない。最近盛んに発信されている日本の食の問題を考える上で、健全な海洋は必須だというのに。
 

2016年2月 9日 (火)

だんだんむき出しになってきたニッポンのこころ・・

 この1月20日、イルカ解放の活動家のリック・オバリー氏が、成田空港の入管で捕まり、収監されたことは報道などでご存知だと思う。海外の情報だと、実際になんらかの違法行為を行ったわけではないのに手錠までされ、10日間も収容されて10キログラムも体重が減ったそうだ。
 彼は、2003年から毎年、イルカの追い込み猟の季節などに来日し、現地の監視を行ってきたこと、そしてアカデミーを受賞した映画「TheCove」の主人公で、海外からイルカ猟が強く非難される元を作ったことが当局の癇に障ったのだろう。

 昨日は、とある週刊誌から電話取材を受け、彼と一緒に活動しているかどうかと聞かれ、していないこと、もともと日本国内での活動が不十分なところで海外圧力が強くなってしまえばなかなか問題解決にはつながらないことを指摘し、一線を画してきたと話した。

 国内活動については、まさに反省すべきところだが、なんせ、海外のようにイルカを含む野生動物を保全するのが一般常識というところと、資源利用しているところでは人々の感覚が違うことは感じてきた(世代が下がるとそれほどの差異はなくなっているようだが)。
 また、国にしても、70年代、80年代に捕鯨問題で学習したことから、産業と人の生活の問題の根本的な解決を考える労力を省いて、文化や思想の違いとし、それを理解しない海外が悪いとくくった方が簡単で、その方向をずっと踏襲し成功してきた。
 イルカ類を捕獲することは国の法律で認められているのは確かだが、イルカが日本の所有物ではないこと、国境を越えて移動する動物であることを考えれば海外の人たちが反対する権利はある(それだけでも、今回の逮捕の不当性は明らかだ)。
 それだけではなく、日本国内で、イルカという野生生物を資源利用し続けることが(持続可能性から野生動物保護に至るいくつもの側面において)私たちにとってよいことなのか、必要なのかという判断を、産業の維持や人々のもつ感情、そして沿岸のイルカの生態調査など科学的側面などの情報をきちんと認識した上で選択していくことこそ、海外の批判に対しても(また、それで生計を立ててきた人々の将来を考える上でも)必要ではないかと思うのだ。外からやいのやいのと言われたくなければ、自ら率先してきちんとやればいいのだ。

 今回のような明らかに民主的な手続きをすっ飛ばして海外活動家を拘束し、さらに強制送還するような措置をとることが一体誰の特になるというのだろうか?
 捕鯨問題に端を発した国と産業による情報操作と‘伝統文化'という名前の印籠が、問題解決への行政の怠慢、一部議員の汗を流さずナショナリズムを標榜するための道具として効果的に使い回されてきた。今回事件はさらに一歩進んで、民主国家を逸脱する強権発動にもかかわらず、「海外活動家に対するもの」という形で批判を封じ込めているように見える。
 

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