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2015年6月19日 (金)

野生動物を展示すること

 小学校に上がる前、(たぶん4歳か5歳の頃)祖父が場末の映画館に映画を見に連れて行ってくれた。上映されていたのはエノケンの孫悟空だったように思うが、肝心の映画そのものは全く記憶にない。その代わりに今でもはっきり覚えているのは、映画の前に上映された2つのニュースだ。(といっても、全体に雨が降ってたような印象があるのでニュース自体もそう新しいとは限らないのだが)
 そのうちの一つは原爆の後遺症に苦しむ人々の映像の一コマで、女の人が髪の毛を梳かそうと櫛を入れると、そのまま髪の毛がごそっと抜けて櫛についてきてしまうさまだ。しばらくの間、夢でうなされた。

 もう一つは、ゾウが上野動物園に到着して、鼻を持ち上げて観客に挨拶しているところだ。
ゾウについて当時のことを調べてみると、1949年にインドの故ネール首相から、台東区の子供たちの願いに対して送られたインディラというメスのゾウのことと、新聞社がそれを聞いてタイから輸入した花子というゾウのことが出てくる。私の記憶ではゾウは2頭いた。最初に上野動物園に連れてこられたのは花子で、その後にインディラが到着したとあるので、そのときに撮影されたものではないだろうか。私が衝撃を受けたたのは、ゾウの姿ではなく、この2頭のゾウの足に巻き付けられていた重たそうな鎖と、草1本生えていないむき出しのコンクリートだ。見た当時に何事か意識したわけではないが、ずっと後で何が違和感となって心に残ったかに思い至るのだ。

 ゾウに関しては、もう一つ忘れられない体験がある。1995年か96年、ある人の写真集のための選別作業の中で、アフリカに一度も行った事がないことに引け目を感じ、思い切って行くことにした時の事だ。目的地はタンザニアのセレンゲティなどいくつかの国立公園で、最後に行ったタランギレという公園での印象的な出来事だ。
http://www.tanzaniaparks.com/jp/tarangire.html
 すでに夕闇が訪れようという時間、帰路にゾウの群れに出会った。少し離れたところで車を止めて見守っていると7〜8頭のゾウが右方向からゆっくりと行進してきた。最初、気づいたときにはその中に1頭の子ゾウがいた。ゾウの群れは、車に気がついた様子もなく、そのままのペースでたんたんと車の前を行き過ぎる。そのとき(驚いた事に)、彼らのペースそのものは全然変わらないというのに、こちらが気づく間もない短い間に群れの中に子どもがすっぽりと隠されて見えなくなっていたのだ!そのスマートなやり方と来たら!彼らが自分たちの暮らしを持っていて、自分たちの意志と考え方で生きているという事が初めて実感できた瞬間だった。


 WAZAの決定をこれまでの反・反捕鯨の人たちは「日本いじめ」「伝統文化への無理解」とくっつけようとするが、一方で国内でも動物園・水族館の将来を真剣に考えるきっかけと捉える人たちもいる。
 私自身は、生き物を飼う事や見せる事に全く反対するわけではない。しかし、時に、生き物を見せる事がその生き物の生態を歪んで伝えてしまう可能性があるという事を忘れるわけにはいかない。特に、いわゆる珍獣と言われる希少動物たちは、姿を見せる事が目的となりがちで(また、集客の目玉となることから展示施設の経営に直接関係してくるということからも)いくら自然の素晴らしさを伝えるなどと理由を付けても、受け取る側は結局はぬいぐるみとそう変わらない認識に陥る可能性があるのだ。
 特にこの間のイルカ関連の議論では、生理、生態に沿った飼育環境を整備するという解決ではなく(生理・生態の重要な一つである繁殖については、施設にお金がかかりすぎるだの、授乳中はショーに使えないなどが壁となっているとされ)、生け捕りで手に入らなくなった際に見せ続けるための繁殖が目的という逆立ちした考え方になっている。

 また、見る側にしても、珍しいものを見る事が目的になればそれは一種の消費行動とも言えるものになってしまい、(往々にして地味な)身近な生き物や自然への関心、想像力を培う妨げになるかもしれない。飼育する側のあり方の再確認とともに見せる工夫が求められるが、一方で想像力を育て、生物多様性への理解を培う教育や飼育の規準を厳しくし、代わりにそうした飼育施設への多面的な支援などの制度の設計が求められている。
 

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