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2015年5月27日 (水)

イルカ飼育に関してー今後の課題

 JAZA/WAZA決着今後の課題は

1)JAZAは、今後動物園水族館のあり方を検証する場となりうるのか

 日本動物園水族館協会(JAZA)が、世界動物園水族館協会(WAZA)から資格停止の通告を受け、残留を決定するまでに、日本国内でも非常に多くの報道があった。
 この流れの中で見えてきたのは、JAZAは会員となった施設の寄り合い所帯なので、その軸となるようなJAZAとしての考え方、規準や方針はない。従って、WAZAの問いかけに対して、最終的には議論なしの投票による決着以外できなかった。もし議論があったとしても、それぞれの立場表明が行なわれる以上になるとも思えず、本来求められていたJAZAとしてのスタンスの確認とは少し異なり、最終的には元々もっていた施設の方針をそのまま進めるだけの結果となったのではないか。
 JAZAとしての動物園水族館のあり方/質を検証するせっかくの機会を生かしきれなかったことは残念だが、動物園水族館法の制定に向けた今後の議論の進展を望みたい。

 残留する事に決まった直後には、会員による賛成のコメントも出ていて、日本の動物園や水族館についての議論の高まりも予想されたものの、その後は動物園や水族館のあり方をより深堀りするのではなく、海外との認識の差によって〈日本の伝統である〉イルカ追込み猟が残酷とされ、その主張が受け入れられてしまったという捕鯨問題に次ぐ閉鎖性と、これまでのようなイルカ入手先を失ってしまったので、(集客の目玉である)ショーを続けるための繁殖がうまくいくかどうかが大きな問題だと言う興業上の損得問題に狭まってしまった感がある。

http://www.yomiuri.co.jp/local/shizuoka/news/20150521-OYTNT50358.html
  読売:「イルカショー存続を」…追い込み漁問題

2)イルカ捕獲・展示の問題ーnon human personhood

 今回の通告は、WAZAが2005年に飼育する動物の福祉と倫理の規範(イルカだけではない)を定めたときに、JAZAが真剣に受け止めなかった結果だいうことに言及するものは少ない。その代わりに、今回のWAZAの決定が過激な反捕鯨団体/動物保護団体が強く訴えかけた結果だというが、どうしてそこに至ったか、何が問題とされたのか?と問う事なく、単純に日本と他の国との認識の相違でくくられるのは少し勉強不足だと感じた。

http://www.sankei.com/column/news/150522/clm1505220002-n1.html
 「産経:主張_イルカ入手困難 実情をさらに訴え続けよ」
 世界動物園水族館協会(WAZA)の通告は事実誤認と偏見に基づいてはいな
 かったか。孤立化をちらつかせて日本を追い込んでいく手法には憤りを覚える。
 日本動物園水族館協会(JAZA)は日本伝統の追い込み漁で捕獲したイルカ
 の入手を断念し、その旨、WAZAに報告した。決して、好んで求めた結論では
 ない。

 イルカなど、人間以外の動物の持つ認知能力(自分と他の違い、想像力、未来を予測し、問題の解決をしようとする力など)に関しては1950年代頃から多くの科学的な研究がなされており、2001年にはアメリカの心理学・行動生物学者ロリ・マリーノ博士や神経学者ダイアナ・レイス博士によるイルカの認知能力を検証する’Mirror self-recognition in the bottlenose dolphin: A case of cognitive convergence’が科学誌に掲載されている。
http://cercor.oxfordjournals.org/content/early/2014/04/25/cercor.bhu077.full.pdf+html
 また彼らは、イルカのそうした能力について積極的に発信しており、類人猿やゾウなどとともに鯨類を飼育することの問題提起につながってきた。こうした科学研究がWAZAの倫理規範の土台を構築している事は間違いない。国内報道では、このような視点は見逃されている。
類人猿やイルカなど、人間と同じような認知能力を持つ動物に、non human person(人類ではない人格)という呼び方をすることもある。2013年、エール大学で、こうした研究に関する国際会議も行われた。
http://nonhumanrights.net/abstracts/

 イルカに関する事例が単純に日本の認識と違うかというとそうではない。
たとえば、京大の霊長類研究所。ここで飼育されてきたチンパンジーについては、人との比較においてもよく知られている。イルカとの比較もある。
http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/publication/MasakiTomonaga/Tomonaga2013-SR.html
さらには、医学感染病のため実験動物として民間に飼育されたいたチンパンジーたちが、熊本のサンクチュアリに移籍され、30年ぶりで空を見ることができたという事も簡単に検索できる。彼らが「3人」と表現されている事をご注目。
http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/k/128.html

 皮肉なことかもしれないが、科学の発展によって、ヒトという種と他との種の仕切りが曖昧になってきているのだ。’海外文化の押しつけ’というのは、言い逃れに過ぎない事がわかるだろう。

3)イルカ猟の問題
「「追い込み漁」は、イルカを生きたまま捕まえる伝統的な漁法だ。(朝日)」など、イルカを捕獲して展示してきたあり方について検証するのではなく、伝統産業だと言うベールに包んで、たんにその意義を鵜呑みにする意見が増えてきたようだ。追込み猟の存続のために税金を投入すればどうか、というような意見もあり、その背景には、イルカ肉販売不振から追込み猟が廃れ始めており、それを存続可能にしているのは生体販売だという認識があるのかもしれないが、メディアはまずそこまでしてイルカ猟を残すべきかどうか、とまずは問うべきではないのか。
 イルカ猟によるイルカ入手法は残酷ではないのかどうか、ということをはかる物差しは、推進する人たちの主張(改善された、丁寧に扱っているという水産の倫理の範囲内)が根拠となっている。これは、捕獲する事を前提としたもので、例えばサハリンでここ数年繰り返されている巾着網でのシャチの捕獲の稚拙さと単純に比較すればそうかもしれない。しかし、国際的に問題とされてきた議論(群れで狭い仕切りに追込む方法に個体群の消滅の可能性があること、狭い湾に追込まれ、その後の選別方法がもたらす苦痛ー社会生活を営むイルカが想像力を持つことが分かってきた事から、自分や仲間が捕獲され、あるいは殺される事への恐怖・苦痛が存在するという認識)に対する具体的な答えにはなっていない。追込まれたイルカたちがパニックを起こし、互いにぶつかり合い、傷つけあってしまう事は今更言うまでもない。追込まれる群れの大半はメスと子どもで、この子どもが馴致して飼育するのに適していることになる。
 また、これまで捕獲されてきたイルカたちは、水産資源としての管理方法で考えられてきているので、種の存続にとって重要な地域個体群の有無、他の個体群とのつながり、繁殖海域など、(捕獲されていないミナミハンドウイルカ、個人研究者の地域的な研究などほんの一部を除き)まだ分からない事も多い。同じ海域で 、40年近く群れを捕獲し続けてきた場合、イルカが元々その海域をどのように利用していたのか、どのような群れが存在したのか、解明されることなく消滅する個体群もあったかもしれない。
ちなみに、「国が科学的に管理している」という中身は、往々にして推定される数のみである。

 参考までに、興味深い記述を紹介しよう。太地において水族館で人気のハンドウイルカに関しては、「捕獲は極めて低いレベルにあった。これは肉が不味であるとして食用を好まなかった住民の嗜好によるもの」だったが、1980年に345頭の捕獲が記録されているのは「動物園の飼料として販路が開かれたことによる(「イルカ」11章ハンドウイルカ 粕谷俊雄著)」(同じ「イルカ」第3章イルカ追込み猟116ページに、富戸の追込み猟に関して、「鳥羽山(1969)はハンドウイルカの捕獲が食用目的ではなく、水族館の需要に応じて捕獲したものである」という記述もある)。

 今回の事件でイルカ猟そのものが停止するわけではない。JAZAメンバーがイルカの購入をやめても、所属していない飼育施設や中国を中心とする海外販路が生きているため、問題はそのまま存在し続ける。私たちがどのようにこれに向かい合うかが問われている。

4)動物園・水族館の意義はどこに

「ゾウやオランウータン、ライオンまでが「人質」に取られた(産経)」など’希少動物の飼育施設間でのやり取りが国際的に出来なくなる’、と海外圧力に屈したという意見が出ている。
 本来ここで語られるべきは、動物園水族館の存在意義に関わる事であるはずなのだが。一時期、動物園は必要か?という根源的な問いかけがあり、その中で動物園もそのあり方を真剣に考え、種の保存への貢献や野生動物の救護、さらに飼育環境改善としてのエンリッチメントの導入も行なわれてきた。

 日本動物園水族館協会は、目的として4つの項目を挙げている。その第1番目に来るのが種の保存である。
http://www.jaza.jp/about.html
1.種の保存
2.教育・環境教育
3.調査・研究
4.レクリエーション

 実際に自然の中で野生動物を観察したり、生態に関する優れた映像が身近になった昨今、動物園や水族館で希少な野生動物を飼育し、それを見せるのが果たして教育的か?という議論が継続して行われてきた。かつては動物園の呼び物だったお猿の電車など、動物による見せ物は倫理的にそぐわないとされ、ゾウやオランウータンなど、希少な野生動物を野生からもって来るという事が常識外であるという共通認識が生まれている。そうした中で、動物園がその生き残りをかけているのが「種の保存」である。動物の貸し借りのみならず、情報や技術の交換など国際協力はその上で欠かせない。(上の報道ではそのことが欠落して、問題点が逆転している事は残念だ。)
 その流れの例外が鯨類だ。特に、日本では、追込み猟という猟法で(生け捕りが伝統的かというとそうではなく、むしろ、近年の水族館需要にその方法がたまたま都合が良かったということに過ぎない)、JAZA会員のコメントにもあるように、安価に入手できたからこそ、他の動物のように必死に飼育、繁殖する努力を怠ってきたということだ。設備的にも繁殖は無理というところも少なくないようだが、環境省の展示動物の飼育規準にも「生態に合わせた環境」という言葉がある。海水浴場やヨットハーバーでのイルカの飼育などは例外としても、それに近い飼育環境も少なくない。そのようなところで、生態に合わせた飼育ができると考える方がおかしい。
 現在、環境省は、種の保存を推進するための強力なパートナーとしての動物園水族館を求めて新たな法律の枠組みを検討中と聞く。
 JAZAの中でも、イルカ飼育を経営の主軸にしているようなところは論外だと考えるところがあって不思議はない。そうしたところは、今回の「ガイアツ」にむしろ感謝しているのではないだろうか。

 国内での動物福祉、倫理に関する議論は熟しておらず、環境省の動愛法の動物福祉のあり方の検討は十分とは言えないうえ、いわゆる‘ペット’にかなり限定されているところがあって、水産資源としての鯨類への適用はないに等しい。
 動物園や水族館が本当に種の保存や研究、教育施設として必要なのか、という根本的な問題、また、実際に私たちが必要とする科学調査や研究が行われてきたか、その展示の仕方が教育的か、飼育施設がその動物の生態にあったものなのか、どの施設がほんらいの目的に沿って運営され、どの施設は違うかという評価・議論がこの事件によって十分行なわれたと言えるだろうか?
 今回の報道を見ても、ことイルカに関してはその目的の1番目にある種の保存や調査・研究に言及するコメントは少なく、繁殖できるかどうかについても、学術研究のためというよりは経営の中心をなすショーの継続のためという1点にかかっているようだ(残留するかどうかという決定も、現状で困るか、困らないかという程度に見えた)。中には、出産して授乳中はショーに使えないから繁殖はしないというようなコメントまであり、水族館の本音が出尽くしたともいえるようだ。
 
  「20頭のうち10頭を太地町から入手した福岡市の「マリンワールド海の中道」はこれまで
  繁殖に積極的ではなかった。イルカは生後2年ほどは母乳を飲み続けるため、その間、母
  イルカが本格的なショーに出られなくなるのが理由の一つだった。(朝日)

 「イルカショー存続を」…追い込み漁問題(タイトルで・・・読売)
  「下田市の下田海中水族館の浅川弘営業課長も「JAZAには追い込み漁は正当
  だというこれまでの主張を貫いてほしかった」と話し、「将来的にイルカの入手
  が困難になった場合、JAZAからの離脱を検討する状況がありうる」とした。」

 「現在飼育しているイルカは問題とされないが、繁殖ができない水族館は将来的
  に飼育するイルカがなくなってショーができなくなり、経営に大きな影響が出る
  可能性がある。(中日)」

 これを書いている最中にも5つの施設がJAZAを離脱したという記事がでた。種の保存のため、あるいは鯨類の調査・研究のためというきれいごとは脇に置き、死んでもすぐにイルカを取り替える状況を残しておきたいことが優先されているように思えた。

 ちなみに、イギリスでは1993年にイルカ飼育施設が消滅したが、これは、飼育の規準が厳しく定められて飼育環境の改善が求められた事(お金がかかる)に加え、水族館でイルカを見るという行為を人々が好まなくなったため、経済的に引き合わなくなったからだと言われる。動物の生態を理解し、本来の生態にあった飼育が本当に出来るのかどうかを問い、動物福祉にのっとった飼育基準の改正を求め(法的な課題)、飼育環境に対する厳しい目を育てていくこと(教育的課題)、つまり私たち一般のあり方が問われていることを忘れてはならない。


 

2015年5月21日 (木)

イルカ飼育に関して

 昨日、世界動物園水族館協会(WAZA)に絶縁状を突きつけられていた日本動物園水族館協会(JAZA)が、イルカ追込み猟によるイルカの購入を断念し、WAZAのメンバーに留まると、採決の結果決めた。
イルカ猟がどうかというだけでなく、野生から動物をもってきて展示するというのがすでに時代遅れなのだから、当然の結果だといえる。また、報道をいくつか見ると、イルカというのは「教育目的」というよりも、客寄せの目玉だから困ったという本音がはっきり出ていて、そういう飼育施設のあり方への警鐘にもなってくれればいいな、と(それほど期待しているわけではないが)思ってもいる。
 ICJに続き、国内世論ではなく、国際世論で決定してしまった今回の結果については、まだまだ解決しなければならない今後の課題がいくつかある。国内で、冷静な議論が起きることを願っている。

・ショーによる客寄せ目的である事がはっきりした今回の件だが、(野生からもってこられなければ)繁殖すれば解決するのか。狭い水槽での飼育は改善されるのか。(問題がイルカ捕獲の方法論に留まらず、飼育における動物福祉の観点は議論されるのか?)→飼育展示の規準(環境省)の見直しはされるのか(かつて規準改正議論で、イルカ猟について問題提起したところ、水産資源だから〜と環境省が逃げた)。

・太地におけるイルカの生体販売は、赤字の太地公社にとって救い主であった。今後、脱退しても捕獲は続ける(海外への輸出など)だろうと思われる。いわゆる生け捕りの問題だけでなく、イルカ猟そのものについて、「伝統」という修飾語に惑わされずに議論する必要がある。捕獲による地域個体群への影響についての科学的な調査(国際的に信頼される透明性のある)、それに基づく関係者による合意形成の努力などには、国内世論が必須。

・カマイルカに2007年捕獲枠がついたのは、それ以前に水族館において100頭あまりの「保護個体(定置網などに引っかかったもの)」が飼育され、施設間の譲渡が行なわれて、本来の一時的な保護ではなく、飼育施設で一生を送る事になるものが増え、水産庁と動水の協議で枠を設定することにしたと聞いている。今後、こうした「保護]個体が増えることはないだろうか?

・動物園や水族館の水準アップが今回の事件で可能になるやも?

朝日新聞5月21日より:
「JAZA前会長の山本茂行・富山市ファミリーパーク園長の話 日本の水族館や動物園は、太地町か ら安くイルカが手に入れられるので保全への取り組みを棚上げしてきた。WAZAは、2005年に 世界動物園水族館保全戦略をまとめ、自然から生物を収奪するのではなく、自然保護センターとして の役割を水族館が果たしていくことを求めた。

 欧米では、野生の生き物を捕まえて飼い、ショーをするということを否定する動きが強まっている。 イルカなどの海洋生物は頭がいい生き物ととらえている。そういう世界の動向を分析し、日本の戦略 を構築することができていなかった。

 イルカショーは、イルカ本来の行動や習性を伝えるものだったのか、ただの見せ物だったのか。国民 の水族館に対する意識も問われる。海洋生態系の保全は国際的にますます重視されつつあり、イルカ は問題の一端に過ぎない。」


 

2015年5月13日 (水)

飼育された鯨類の野生復帰は可能か?

ナショナルジオグラフィック6月号より。

’Can Captive Dolphins Return to the Wild?’

http://ngm.nationalgeographic.com/2015/06/rewilding-orcas/zimmerman-text

エーゲ海で2006年頃捕獲された2頭のオスのハンドウイルカの2012年に行われた野生復帰プロジェクトを通して、野生復帰に至る道筋を解説。翌年に韓国、チェジュ島の施設で飼育されていたインド太平洋ハンドウイルカの成功した野生復帰の紹介も。
(イルカの脳が、人との関わりの中で本来の成長を妨げられてしまうという当たり前の事に気づかされた)
人に慣れてしまった鯨類を解放するには、きっと人になじませた時間、あるいはそれ以上のリハビリと環境等の条件が必要のようだ。不可能事ではないにしても。
もっとも、不自然な環境に閉じ込めなければそんな大変な思い(+金)をしなくてもいいわけだ。

2015年5月12日 (火)

よくわからないが「平和」の文字が

 クジラ問題ではありませんが、今朝の新聞の「安保法案:自衛隊活動、大幅に拡大 平時から戦時まで」というタイトルが気になった。
要するに(9条の改正なしの範囲で)これまで規制されてきた自衛隊の武力行使を緩和しようとするもので、14日には閣議決定する予定らしい。
しかも、
   安保関連法案は多岐にわたるため、既存の法律10本を束ね一括して改正するための
  「平和安全法制整備法案」と、他国軍への後方支援のための新法「国際平和支援法案」
   の2本として国会に提出する。」(毎日新聞記事より)
と、国内、国際の二つの戦争協力法案に、「平和」という冠がついているところが姑息だ。誰がだまされるのだろう?と思うのだが、だまされるというのは往々にして、だまされたい気持ちがあるものだから・・・

 ジョンソン基地跡地利用計画もこうした一連の自衛隊活動の拡大に沿ったものなのだろう。訓練する「公園整備]にしても、新たな病院建設にしても、新たな事態に対応出来るように進めているのだと認識していく必要がある。
 5月29日と30日には住民説明会が開かれる予定。

そういえば、防衛省の予算の使い方が全く不透明でなってないという記事が出ていたのだった。

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/toyo-20150511-69177/1.htm


2015年5月11日 (月)

大丈夫?マゴンドウ?

連休最後の日の報道。イルカ猟が終了して次は小型捕鯨か。

 http://mainichi.jp/area/wakayama/news/20150506ddlk30040230000c.html
 沿岸小型捕鯨:今季初の水揚げ マゴンドウ2頭 太地 /和歌山

 毎日新聞 2015年05月06日 地方版

 太地町沖で今月から解禁された沿岸小型捕鯨で5日、マゴンドウ2頭(いずれ
 も体長4・7メートル)が今季初めて水揚げされた。6日に競りにかけられ、国
 内で販売される。

 このブログでは繰り返しになるが、日本政府の管理のもとで行なわれている鯨類捕獲は、農水大臣認可の小型捕鯨と知事認可のイルカ漁業(突きん棒+追込み猟)で、6日に捕獲されたマゴンドウ(コビレゴンドウ)は、小型捕鯨とイルカ漁業に枠が設定されている。小型鯨類では、2004年までマゴンドウに50頭、タッパナガに50頭が、2005年以降はそれぞれ36頭の捕獲枠が設定されている。
 その他にイルカ猟ではマゴンドウのみ1993年から2007年までは450頭の枠が、それ以降は毎年少しずつの減枠となっており、2014年/2015年には追込み147頭、突きん棒(沖縄)36頭の枠が設定されている。
 捕獲頭数は、水産庁の資料では2000/2001年に261(タッパナガ7頭を含む)、2001/2002に387(タッパナガ47)、2002/2003に176(タッパナガ47)、2003/2004に118(タッパナガ42)、2005/2006に154(タッパナガ22)、2006/2007に271(7)、2007/2008に338、2008/2009に182、2009/2010に295、2010/2011に44、2011/2012に121、2012/2013に213、2013/2014が99頭。2000年から2013年までだけでも2784頭。北方型タッパナガは、2007年以降捕獲実績がない。3つの方法で捕獲されているマゴンドウも、2010年には追込みのための発見がなく、猟期を1ヶ月延長したものの、捕獲はできなかった。(県と水産庁の協議で決定。研究者は反対したと聞いている)
 一方、水産庁の国際漁業資源の現況によると、日本沿岸におけるコビレゴンドウの推定個体数(資源量推定)は、同種の北方型であるタッパナガで5,300頭、南方型であるマゴンドウが15,057頭としている。
 
 長年日本沿岸でのイルカ類の調査・研究に携わってきた粕谷俊雄氏は、その労作「イルカー小型鯨類の保全生物学」で、この種の生態と人との関係に関して110ページに及ぶ詳細な解説をしてくださっている。
 これを素人に分かる範囲でまとめてみると、
・コビレゴンドウは世界の熱帯から温帯にかけて生息し、日本沿岸には千葉を境に北にタッパナガと呼ばれるタイプと、南にマゴンドウと呼ばれるタイプが生息する。タッパナガは、マゴンドウに比べてオスで2m近くも大型である。
・移動範囲はそれほど広くないが、いくつかの個体群が存在すると考えられる。アメリカ西海岸でよく研究されているシャチに似て、「母系の単位が基本となって、それらが合流したり、離れたりして生活している」のではないか。(現在のいわゆる‘資源量’推定では、個体群の考慮はない)
・メスの寿命は最高齢で62年で、オス(平均45)に比べて長い。
・妊娠期間は15か月と長く、授乳期間は3歳から6歳くらいまで。メスは40代を過ぎると更年期を迎える(群れの20~30%)。
・年取ったメスは、その経験上、育児と情報の担い手として群れの生存に貢献している。
・「個体の知識として蓄積された情報やそれに基づく行動は、学習によって群れの中の他の個体に引き継がれ、世代をまたいで保持されるに違いない、これが動物行動学で言う文化である」こうした文化は、「鯨類集団にとっては自らの適応力を高めるもの」であるし、「種にとってはその多様性を種内に保持することは種の生存の可能性を高めるもの」である。従って、種の遺伝的多様性だけでなく、文化の多様性を保存する必要性があると思われる。
・小型捕鯨による老齢メスの間引きにより、群れ組織を破壊し、生活能力が低下するおそれがある。
・追込みによる群れごとの捕獲は、文化の多様性を一つずつ潰していくような作業である。

そして、最後に粕谷氏は、「コビレゴンドウや類人猿のような社会性の強い動物に、果たして水産資源学的な管理方法が適用できるのか」と疑問を呈している。

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