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2014年2月 7日 (金)

1997年の今日(2月7日)、シャチの捕獲が

 2月7日は、私たちには特別の日である。1997年に和歌山県太地で10頭のシャチの群れが湾の追込まれ、そのうちの5頭が‘学術目的’で捕獲され、3つの水族館に売られた。

 小型鯨類の中でも、シャチに関しては研究が進み、その複雑な社会性や音響などが当時でも明らかになっていた。すでにアメリカでは1978年には捕獲が止められており、シャチの捕獲は世界中に驚愕を持って迎えられた。各国大使館前では激しいデモが行われ、水産庁や水族館は抗議のFAXで業務が出来なかったと言われる。いまも私たちのところには当時送られてきた(処分しなければと思いつつ出来ないでいる)ファックスのうずたかい山がある。

 シャチのうち、白浜のアドベンチャーワールドに入れられたシャチ3頭のうち、まだ乳飲み子であったオスのシャチと、妊娠を疑われたメスのシャチが4ヶ月後に、他のシャチたちもその後も次々と死んでいき、とうとう2008年には名古屋港水族館にブリーディングローン名目で貸し出された最後の1頭も死んでしまった。
 その前の年、捕獲シャチの学術研究発表という形ばかりの研究発表会があり、その後、水産庁の資源の現況では突然シャチの推定個体数が跳ね上がるというイベントもあったが、今のところ、具体的な捕獲計画は持ち上がっていない。

 その代わりに、ロシアのカムチャツカ、サハリン海域でのシャチ捕獲が本格化してきた。
これは実は、2001年に名古屋港水族館がシャチの捕獲をロシアの業者に依頼し、失敗したことに端を発しているのだが、名古屋港水族館はシャチ1頭の買値を1億円とし、失敗した業者に数千万円を支払うという信じられないことをしたのだ。それに味を占めたのか、ロシアの業者は2003年にシャチ捕獲に成功(しかし、捕獲したシャチはやがて死亡)、その後はほぼ毎年のように捕獲を実施してきた。

 そして今年は、計7頭のシャチが捕獲され、捕獲業者はなんとソチに水族館を建設してシャチ2頭を入れ(他は中国に売り払ったらしい)、オリンピックにかこつけて稼ぐことを考えた。しかし、ブラックフィッシュ効果もあってか、強い反対の声が上がった。そのせいもあってか、シャチたちはモスクワの狭い水槽にいるという。

 ロシアの同海域に、ロシア政府は毎年総計で10頭の捕獲枠をつけており、シャチ研究者からは異なる個体群をひとくくりにした推定個体数での枠に反対している。

 シャチのような頂点捕食者は元々それほど数がいるわけではなく、北米においても数千いると思われていた個体数が実は千頭あまりであったことが個体識別の結果明らかになっている。日本周辺のシャチも、北米とのつながりや、オホーツクのつながりなど解明すべきところが全く分かっていないまま、数だけ一人歩期しているのが現状だ。

 今回のオリンピックに絡んでは、性的な少数者への差別など人権問題で、フランスやドイツの首脳がオリンピック参加を控えた。その間隙を縫って、どこかの首相が関係を強めるためにでかけるようだが、どうせなら、ロシア–日本海行きのシャチの移動情報等、国境を越えて共同で調査するくらいのことをしてみせたらどうだい。

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