鳥獣保護法改正案に見る生き物へのまなざし
1月17日の早朝、太地で250頭あまりのバンドウイルカが追い込まれた。その中に1頭、乳離れのしていないアルビノの子どもが含まれていて、CNNを中心に海外メディアは早速それを取り上げた。
普通はその範囲で収まるところを、昨年にアメリカ大使として日本に赴任したキャロライン・ケネディさんが自らのツイートで非人道的なイルカ猟に対してアメリカ政府は反対するとコメントしたところから、問題は大きくなった。遅れてならじと、イギリス政府やドイツ政府も反対を表明。海外の非常に多くの人たちがケネディさんのコメントに賛同する一方、国内では彼女の声明を批判するツイートであふれた。
しかし、これらのツイートの大半(日本の伝統的な産業とか、アメリカだって過去に原爆落としたりひどいことやってんじゃないの)は大きく的を外れていると思われる。伝統かどうかと言えばかなり微妙だが、少なくとも水族館捕獲は伝統とはいえないが、それ以上に問題なのは、過去にやったことを裁くことによって、今起きていることを正当化することはできないからだ。彼女はそれらについて何ら言及しているわけではなく、イルカの追込み猟のやり方が非人道的だと考えたわけで、そうした非難をする人たちはその点について、どう考えるかをコメントする必要がある。
高度の社会的な群れを構成するイルカの捕獲方法として群れを一網打尽にして母親と一緒にいた子どもを引きはがして捕獲することはどう考えても人道的とは言えない。水中でもがき暴れるイルカを瞬時に殺すことは技術的にかなり難しい中、時間を掛けて殺される仲間を目撃し、また自分自身も殺されることを予想させることもはやり人道的とは言えないだろう。
一方で、日本ではイルカ猟が合法であり、県が許可した期間、許可された数を捕獲して何が悪い?という漁業者の主張を、いくら方法が非人道的であったとしても、止めることは難しい。特に日本においては、海にいるものも陸にいるもの同様、存在そのものに価値を置くのではなく、人と経済的な活動が一義的に文句なしに認められ、異なる価値観を押しつぶすようなところでは、残念ながら前記の批判は問題の解決を導き出せないかもしれない。
こうした議論による溝は年々深まるばかりで、その一端に日本の自然や生態系に関する認識、理解の広がりのなさがあると思われる。日本の伝統的な自然との関わりを出して海外の批判に対比させる向きもあるようだが、批判の的となっているのは近代化以降、日本ががむしゃらに行ってきた成長戦略であり、その犠牲の一つである自然や生物の利用の仕方である。
1月15日、鳥獣保護法改正に向けた検討小委員会が行われ、改正に向けた最後の検討が行われた。修正を行った後、今月末の中央環境審議会で案が成立する。
今回の改正の引き金となったのは「これまで保護ばっかして来たので増えすぎちゃって困った動物がいるので、’保護’ではなく、’管理(?)’にしてもっと積極的に殺そう」ということだ。そのために、これまで依存してきたハンターだけでなく、(最初は、もっとハンターではなく、の傾向が強かったがやや表現を曖昧にした)専門の業者を認定してもっと効率よく殺そうということだ。
誰がどのような内容で専門性を担保して認定するのか、いまいちすっきりしないが、とにかく、専門業者を認定するというところまではこぎ着けた。
それに伴い、国と地方、民間の役割を明確にし、例えば農業被害で困っている農業者には自前で処理をしていただくために、これまで狩猟とあまりかわりない規制がかけられていた捕獲に関して緩和を行おうということや、国立公園など、国管轄のところにおけるもの、希少性のある動物の管理(捕殺)は国が計画を作って実施する。
今回の議論は最初から最後まで、浮き足立った環境省が目の色を変えてシカを殺したいという色彩が濃く、それを達成するため、どのように一般市民を懐柔するかというテーマに沿って行われた。年末から行われたパブリックコメントではやはりそうした方向への違和感を示す声が多かったが、それについて環境省は、「さらに国民の理解を得るような取組を推進する」というパブコメの意味を取り違えたような返事だった。
海に関連しての議論は今回見送られたものの、2002年の改正時に環境省管轄となったアザラシによる漁業被害が大きな問題として出てきているところから、どうやって適用除外種(特にクジラ類)も含めて海生哺乳類の管理を推進するかではなく、被害をもたらす動物をどう管理するかを今後の課題としただけだった。
私たちはこうした問題の根っこにあるのは日本の農業政策(あるいは漁業政策)であり、殺すことだけで解決はできないと考えてきた。パブコメで、被害対策は農水でもできるでしょ?環境書がやるべきことは、科学的計画的な保護管理ではないの?と書いたのだが、委員から、環境省は被害対策がゴールではなく、マネジメントをやるべきなのでは?と言う意見が出されたのは、すでに案に関する議論が終了した後だった。
これまで環境省に少しでも関係を持っていただくことで、鯨類について水産庁と異なる角度で管理を検討してほしい、また啓発を行ってほしいと考えてきた。たとえば、今回のイルカ猟に関しても、日本の統一見解として水産物だと威張るかわりに、例えば昨年5月のIWC科学委員会に置ける太地のイルカ猟に対しての懸念や、追込み猟への勧告が出されたことに、異なる視点で検証する場があってもいいのだし、産業推進ではない立場でものをいうところは絶対必要だと思うのだ。しかし、そういう願いは百年早かったのかもしれない。
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