« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

2011年9月14日 (水)

「文化」と言われると金縛りにあってしまう日本のメディア

<重要なのは、海外との対立ではなく私たち自身のこと>

 またか、と9月12日付け毎日新聞夕刊を見て思った。
特集ワイドのタイトルは「捕鯨は文化か蛮行か」
「イルカ漁解禁の太地町ルポ」という見出しが右肩にあり、
「『海の人間』を殺すのか」と「牛や豚はよくて、何で?」「漁業者と反対派続く長い戦い」
とサブタイトルが続く。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110912dde012040111000c.html

 この記者は冒頭に「反対派にも話を聞いた」と書いてはいるが、国内の多様な意見は
もとより産業としての捕鯨業とかイルカ捕獲業に関する事前の下調べはあまりしなかった
と見え、これまで流されてきた業界の見解を超えた新たな視点は全くない(もっとも
この手の記事で、きちんと国内の調査をした事例を私は知らない。これも横並び
日本メディアの体質か)
 毎回思うのだが、日本のメディアはだまされやすいのか、あるいは怠惰なのか。
なぜ「東西文化対立」というあいまいな位置づけに対してこうも簡単に思考停止が
働くのか。

<メディアのお仕事、その責任は?>

 海外活動家の抗議に対して、メディアは問題を明らかにするために本来ならする
であろう国内でのさまざまな事前調査や中立的な視点を忘れ、ただただ、お国を
守る盾になり切ってしまうので、取材は勢い漁業関係者と海外活動家というわかりやすい
二極対立にまとめられ、一般市民は理解に必要な基本的情報を得ることができないの
が現状だ。

 今回のように騒ぎが大きくなると、一般市民も同調しだすので、メディアはさらにそれに
のっかった記事を書き、ますます問題から遠ざかる結果が生まれる。
この問題に限ったことではないかもしれないが、問題解決を望む地道な活動にとって
これほど迷惑な話はない。

当然のことながら、私たちは、こうした海外の活動に同調していないが、だからといって、
メディアのあり方を容認しているわけでもない。

<食べる、食べないの対立ではない>

 「イルカを食べるな」というつもりは全くない。少なくとも、自覚的に食べるおとなは
その責任の範囲できめればいいことだ。しかし、判断できない子どもたちはまた別だ。
特に、フェロー諸島の事例は知っておく必要があると思うし、記者の『まだ水銀中毒の
報告はない』で止めるあたり、これまで繰り返されてきた数々の公害問題へのメディア
の日和見的で無責任な対応を想起させ、情けない。


 *フェロー諸島の事例
 原田正純・田㞍 雅美「小児性・胎児性水俣病に関する臨床疫学的研究」26P
 http://www3.kumagaku.ac.jp/srs/pdf/no14_no01_200901_005.pdf

 私たちはまた、産業を攻撃するつもりもないが、そもそも、自然が相手なのだ。
イルカが激減してしまっては産業そのものがなりたたないことは指摘しておきたい。
もしもではなく、1980年代の伊豆地方で実際に起きたことでもある。

<イルカやクジラは自然の一部。個人の所有物ではない>

 日本が生物多様性条約会議を主催してから1年。生物多様性を保全すべく、愛知目標という
今後10年の世界で共有する目標を採択した。
同じとき、環境省は海の生物についてのレッドリストを作成すると宣言した。これまで、
水産資源としての評価のみでその生態や現状に関しての情報が十分ではなかったからだ。

 海の生態系の頂点にあり、生物多様性にとって重要な要であるクジラ類に関しても、
やっとわずかばかりの光が当てられる可能性が出てきた。しかし、これが国内で共有
されるまでにはまだまだ時間が必要だと今回の記事でも強く感じた。
 水産資源であったとしても、クジラ類は人間の管理が遠く及ばない自然の賜物
だと言うことを多くの人々に理解してもらえる道のりは遠い。

 日本周辺にはおよそ40種ほどのイルカやクジラが棲息しているがその生態については
じゅうぶん知られているとは言えない。

<漁業資源として評価され続けるクジラ類>

 水産庁のHPに「資源管理の部屋」というところがあり、国際漁業資源の現況というところに
水産総合研究センターの資源対象種についての評価が公表されている。ここには、現在イルカ猟
の対象種である9種のうち、イルカ猟対象種では比較的よく調査されているイシイルカのみ、
個別評価が公開されている。
 公開されている種もされていない種も、データの多くは捕獲された死んだ個体から
得られたもので、目視調査についてもデータが古かったり、調査期間が不十分
のものも多い。多くはどのような地域個体群が存在し、どの海域で繁殖したり餌を食べて
いるか不明という現代の生態学から言えばかなり疑問の残るものしか見ることはできない。
推定個体数という、数の棚卸しだけで、多様性に富んだクジラ類の生態を反映できるのか、
という疑問もある。

*小型鯨類の捕獲に関する評価は以下で見られる。
 http://kokushi.job.affrc.go.jp/H22/H22_45.pdf

 しかも、私たちが知ってきたところではその管理体制もかなりずさんなのだ。
(7月1日のブログ参照)

<個体群の消滅は絶滅への一里塚>

 もう一つ、強調しておきたいことは、太地で9月から実施される追込み猟は、
回遊してきたイルカの個体群を丸ごと捕獲し、消滅させるやり方をとる。「個体群の
消滅は絶滅への一里塚」という言葉もあるが、太地でこの40年行われて
きた捕獲によって得られたデータからは、どこにどんな個体群が存在していたのか、
いないのか、どこで繁殖したり餌を食べたりしていたかなどはわからないままだ。
そういえば、主力のコビレゴンドウは昨年の漁期中の捕獲がゼロだった。そして、
業者は漁期の延長を勝ち取った・・・

 イルカやクジラの捕獲を考えるときに、イルカやクジラが業者の専有物でなく(家畜動物と
大いに違うところである)、私たち日本の未来の子どもたちからの預かりものであり、
さらには人類の共通の財産だということを忘れてはならないだろう。この問題の重要な
ポイントである。


<広く大洋を移動する種について、国外からものをいう権利もある>

 クジラ類が広く国を超えて移動する生き物だということも理解すべきである。
1国で勝手に利用し尽くしてしまうことが倫理的に正しいのかは疑問のあるところ
である。
 海外の人であれ、イルカ捕獲に対して言う権利は持っている訳で、日本としては
これに対してきちんと向き合うつもりなら、これまでの管理方法や体質を検証し直し、
透明度を高めて信頼性を確保する必要がある。
(ついでながら、日本が参加を渋っているボン条約の批准も信頼性回復の重要な
手だてだろう)

<世界のクジラ類についての見方は>

 小型鯨類はこれまでのところ捕鯨対象種と異なり、当該国の管理にゆだねられてきた
(といっても好き勝手に利用していいということではないことは国連海洋法条約第65条
に書かれている)。

 *第65条  海産哺乳動物

 この部のいかなる規定も、沿岸国又は適当な場合には国際機関が海産哺乳動物の開発に
 ついてこの部に定めるよりも厳しく禁止し、制限し又は規制する権利又は権限を制限する
 ものではない。いずれの国も、海産哺乳動物の保存のために協力するものとし、特に、
 鯨類については、その保存、管理及び 研究のために適当な国際機関を通じて活動する。

 国際捕鯨委員会(IWC)では、一再ならず大型の捕鯨対象種のみではなく、小型鯨類も
管理対象とすべきという議論が重ねられている。しかし日本をはじめとする捕鯨国は
これに反対し続けている。
 日本は小型鯨類捕獲に関しての批判に対し、2000年まで「自主的」に捕獲実績を
報告してきた。しかし、同年イギリス政府から、捕獲方法が残酷だという指摘を受け
態度を硬化、報告も日本語のウェブ以外、出さないことにしてしまった。

<文化としての捕鯨/産業としての近代捕鯨、イルカ追い込み猟>

 文化としては、太地の伝統的な古式捕鯨は1878年、明治初期に終了(クジラが減少)、
その後は、アメリカなどに出稼ぎに行き、産業拡大に伴って南極や北太平洋で行われた近代
捕鯨に携わってきた。1986年のモラトリアム以降は、小型沿岸捕鯨として、ツチクジラや
コビレゴンドウを捕獲し、また調査捕鯨の委託事業を鮎川沖と釧路沖で行ってきた。

 ついでに言うと、捕鯨というのは、捕鯨砲を使って鯨類を捕獲する方法で、小型イルカの
捕獲には向いていない。小型沿岸捕鯨は国管轄の事業で、知事許可のイルカ猟とは区別され
ている。
 太地でのイルカ捕獲は細々と行われてきたものの、イルカの大量捕獲が可能な追込み猟は
いさな組合発足時、つまり1969年に開始された比較的新しいものである。

<まず自分たちの足下から問題の解決を>

 こうした背景をまず理解するなら、イルカ捕獲が単に東西の文化の違いだけで片付くもの
ではなく、まずは国内の、自分たちの問題でもあることに気づくだろう。その上で、いったい
私たちがどうしたいのかを決めていく必要があるが、そのためにはメディアが本来のお仕事に
目覚め、もっときちんとした情報を流すことが重要であろう。


2011年9月 1日 (木)

ラテンのNGOから日本のみなさんへ(2)

(この記事は、同財団より日本の市民に向けて翻訳の了承を得て掲載するものです)


クジラ財団(フンダシオン・セタス/アルゼンチン)の意見
          セシリア・ガスパルー(Cecilia Gasparrou)


数日前に、第63回IWC年次会合が終了しました。ある人たちにとっては、クジラ類についてなんの議論もない集まりがまた終ったと思う人もいるでしょう。

しかし、ジャージー州セントヘリアーの今回会合は、21世紀にふさわしい会議に向けて新たなプロセスとなる重要な判断が行われた会議でもあったのです。
IWCは、その過程におけるより高度の透明性の強化に向けた決議を採択しました.例えば、参加費用の支払い方法は銀行振込に限り、現金支払いはできなくなったということです。
こんなことは大した出来事ではないように聞こえるかもしれませんが、IWCの状況では、過去にはメンバー国からの反発があったことも含め、この採択は重要なステップでした.疑いもなく、この決議はIWCプロセスの著しい改善につながることに違いありません。

もう一つの重要な課題は、10年来ブラジルとアルゼンチンにより提案されてきた南大西洋クジラサンクチュアリの時宜にかなったプレゼンテーションでした。

我々の国にとって、この提案は大型クジラを主とする索餌、繁殖、移動海域の保護を目的とした重要なものでした。
捕鯨国は、この提案が漁業活動や船の航行を限定するものと位置づけようとしていますが、しかし、実際はこれらの活動を規制したり、限定したりするものではないことは明白です。
ブラジルとアルゼンチンの提案は議論に付され、その後採決されるはずでした。ところが採決に移る段階で、捕鯨関係国が提案に関する投票を阻止するため、定足数に満たないように会議場を去ると言う行為に出ました。
このやり方は、議論を生じ、第64回IWCにおいては、この関連規則に関する評価が示されると思われます. サンクチュアリの提案は、投票に至りませんでしたが、議論の終わりにはIWCに認識され、従前に強化されることになりました。


ジャージー島での1年後、第64回IWCが我々の地域、パナマで再び開催されることは、我々にいくつかの重要な課題を示しています。
概して言えば、ミナミセミクジラの評価が行われることです(前回の評価は1988年に行われました)。

ラテンアメリカにおけるミナミセミクジラの保護計画が策定される予定です。種についての理解と保護のアジェンダの強化(クジラ類目視、船との衝突、混獲、海洋のゴミ、気候変動とクジラ類への影響等々)は継続されますし、先住民生存捕鯨の問題も続いて取り組んで行きます。

我々の組織は、IWCにおける作業にかかわっており、今後の動きに期待しています。

http://www.cethus.org/index_ing.html

« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »