おまけ(ジェラルド・ダレルのことなど)
木曜日、会議の後でベストウェスタンホテルでNGOのレセプションが開催された。
冒頭に司会進行をしていたWDCSのマーク・シモンズ氏がジェラルド・ダレルの話をし、文章を引用したのは少しうれしかった。
「まず最初に、保全というのは何を意味しているだろう?これら希少な生き物を絶滅から防ぐことだけではない(中略)あなたはいかなる動物も、その生活する生息域を保存しなくては守ることはできない。生息域を脅かしたり破壊すればそれを射殺したことと同じことになるのだ。だから、保全するというのは、森を守り、草地を守り川や湖、海でさえも守らなくてはいけないということなのだ。これは動物の命を守るということに必須なだけでなく、人々の将来の生存のためなのだ。みんなが避けて通りがちなところだが」そして、「私たちは言葉にできないほど美しく、複雑な庭園を授かっている。しかし、
(中略)問題は、我々が実にひどい庭師だということだ・・・私たちは自分は神だと考え、自然から遥か遠く離れてしまっている。これはいつだって危険な思い上がりではある」( Two in the Bush IKAN仮訳: 国内では「ダレルの動物散歩」1966年月刊ペン社として発刊のはず)
マークは、この会議がダレルの自然動物園のあるジャージー島で開催されたこと、翌日に予定されている南大西洋サンクチュアリの提案の重要性について触れている。
ダレルはイギリスのナチュラリストであり、冒険家、動物の捕獲人として、50年代前後に活躍した人だ。まあ、彼のような人が存在したのは、まだ植民地主義の名残があったことも関係するだろうが、とにかく生き物好きな彼は、何冊もの自然と動物に関連した非常によい本を書いている。
そして、希少な動物の絶滅を防ぐため、1958年に動物の絶滅を回避するため、ジャージー島に私設の動物園を作るのだ。動物園は、今でもこうした動物の保護を目的に、運営されている。
http://www.durrell.org/
今回、IWCがジャージー島で開催されたことは私にとっても感慨深いことではあったが、残念ながら、時間がなくて動物園を訪問できなかった。
私がジャージー島の名前をはじめて目にしたのは彼の著作による。今から40年も前のことで、(当時、まだ勢いのあった暮しの手帖社がいくつか本を出版していて、そのうちの1冊がダレルの「積みすぎた箱舟:The Overloaded Ark 1953 」という本だったのを覚えておいでも方がいるかもしれない)独特のウィットに満ちた語り口に引かれ、ずいぶんたくさん読んだ(そのあと、少し批判的な気分になり、IWCが開催されるということでジャージー島の名前が出るまで忘れていた)。
批判することは簡単だが、考えてみれば生息域の破壊は個人で食い止められるものではなく、当時の彼にとって、それが最上の手段だったことだろう。今のように、保護区の議論やサンクチュアリが国際環境関連法で議題に上るような時代とは異なり、彼がそうした手段しかとれなかったことは容易に想像がつくことだ。
(環境省が「生息域外保全」などとダレルがすでに50年以上前にやむなくとった手法を、種の保存の切り札として今更言い出していることを考えれば、日本がどれほど生息域の保全に無理解かということは明らかかもしれない)
サンクチュアリの設定について「科学的ではない」という文言をよく捕鯨したい人たちは使う。その中心になっているのは、私の知っている限り、クジラの推定個体数で、多いか少ないかという話だ。でも、最近の保護区の話はそうではないし、生物多様性条約ではかなり積極的に公海のネットワークの保全を奨励しているし、GEFを通じて資金提供を行ったり、地域住民の貢献を応援している。
クジラのような高度回遊種を指標とした広域の海域保護のネットワークは、地域の漁業活動にも貢献しうるものだし、沿岸国がどのような選択を行って自国沿岸を管理し、また広域のネットワークを成功させていくかは、試行錯誤によって実るものと思われる。
捕鯨の否定だとばかりにいきり立たずに、もっと地域への貢献も含めてたような充実した内容での議論が行われることを望んでいる。
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