イルカウォッチングに行こう
5年前から、いつも今頃、イルカの新捕獲枠(2006年に水産庁が発表した5年間の暫定枠)を教えてもらうことにしているが、今年はまだ作業中ということ。5月末まで延長されたコビレゴンドウの追込みに関しての検証は、今回ではなく、来年度に予定されている5年後の見直しまで持ち越されるようだ。
この暫定捕獲枠では、毎年少しずつだが、捕獲頭数が減らされている(その代わりにカマイルカが新たな捕獲対象種になった)。これが最善かというと疑問があるが、小刻みな枠の設定に、一応設定上の苦労が見えないこともない。
捕獲実績は,2000年以前はIWCに報告されてきたが、その後はホームページで公表する(という割にはなかなか出てこないが)ことになっている。これで見てもわかるように、せっせと捕獲しているところは和歌山県太地町だということがわかる。
参考:水産庁 捕獲頭数(2000〜2009)
http://kokushi.job.affrc.go.jp/H22/H22_45.pdf
もう一方の追込み猟実施地の富戸では2004年からイルカ猟を中止しており、捕獲数はかなり減っている。2004年も水族館の依頼で生け捕りが主だった。
富戸は、もともとダイビングによる売り上げの大きなところで、イルカ猟は何年かおきのボーナスのようなものだったようだが、なんといってもこれをやめさせたのは、元イルカ漁師の石井泉さんの功績といえる。彼は、1996年に富戸でイルカ猟に参加したのだが、違反捕獲を知った後、その行為を恥じて漁協の数のごまかしを認めず、孤立しながらも告発を続けた。イルカ猟のときの実績をそのまま生かし、海外活動家の助言でイルカウォッチングに転向したのである。
ウォッチングの初日、湾近くに現れた大きなマッコウクジラによってそのスタートが切られた。
東京近郊で、戦後かなりのイルカが乱獲されてしまったなかで、こんなウォッチングポイントがあるのはすごいことだ。
が、しかし、ここにきて問題が出てきた.
海外ではウォッチングが大変人気で、年々観光客の数がうなぎ上りに増えているそうだ。
一方、どうも日本人はせっかちで、動物を「見る」感覚が「見たいときにすぐ見える、なでなでできる」というような、ぬいぐるみから脱却できない人が多いのだろうか。その本来いるところに「お邪魔する」という感覚から遠いようだ。彼らは彼らの生活に従っているから、見えないこともあるという本来の見方にまだ、慣れないだけなのだろうか。
ということで、なかなか国内のウォッチングが広がらない。参加者が増えなければ、実施している人たちが継続していくことは難しくなってくる。特に、今回の地震が沿岸地域に影響を与えており、ウォッチングを実施している人たちも苦労していると聞く。
私自身の初体験は、カナダのバンクーバー島の太平洋に面したトフィノというところで、1987年ネイティブのウォッチング屋さんの操る小舟で荒海に乗り出し(小雨まじりだった)、コククジラを探した。3月のことで、風は吹く、しぶきはかかる、冷たい氷雨がそぼふる揺れまくる船上で、やっと見えたコククジラの背中は本当に感動的で、忘れられない貴重な思い出となった。
こうした環境そのものが彼らの一部だということをそのとき理解した次第で、その体験はお金を払えばいつでも死んだような(あるいは仕込まれた芸を見せる)イルカが見えるという水族館体験とは天と地ほども違いがある。
原発事故が終息しない。今後、海の汚染が進み、生き物も住めないような環境になってしまうかもしれないという不安が消えない。私たちが安易で簡便な生活を選んだ結果に起きた事故であり、ある意味、自然の中に出て行って野生動物に出会うより、閉じ込めていつでも見物できることを選ぶ行為につながっているのではないか、と思う。
私たちがしたことの大きさを知る上でも、海に出かけ、しっかりとその姿を目に焼き付けておこう。
イルカたちに会いにいき、ごめんなさい、といおう。
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