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2011年6月28日 (火)

生物多様性保全

 昨年10月23日のオーシャンズ・デイ・アット・ナゴヤで、環境省は海洋生物多様性戦略を策定し、海洋の生物多様性の保全に務めるという決意を公表し、その中で海生生物のレッドリスト作りを始めるといった。
 
 1997年に、当時の野生生物課長に希少種であるシャチをリストしてくれるようお願いにいってから実に13年もたってのことだ。
 宣言は、環境省としてはずいぶんと勇気のいることだったと思うし、宣言をしてくれたことには感謝している。
 しかし、今日、レッドリスト作りのための予算の獲得が来年度に見送られてしまったということを知った。それからリスト作成のための情報の収集や基準作りのための手法、水産庁との仕切りなどが検討されるということだ。

 こうした歩みののろさは、いわゆる「関係省庁」との関係においては仕方ないことなのかもしれない.しかし、いくつかの種については「間に合うだろうか?」という懸念があり、すごく落胆したのも事実だ。

 産業を行っている人たちをことさら追求するつもりはないが、捕る人たちは自ら持続的な利用に資するようなデータ(資源量)をもっているわけではなく、水産庁の下の研究機関の調査と試算するもの、それのほぼ基づいた水産庁の出す枠の遵守をもって持続的な利用をしていると考えている。現状からは仕方ないこととして、場合によっては、専門機関あるいは専門家の意見をすっ飛ばして、水産庁・県と業者との話し合いですますこともあるようだ。

 「自分たちが資源管理していかなければ漁業がだめになる」として積極的に管理を実施するような地域的な漁業管理のあり方とは異なり、かなり広く移動して、その生活する範囲そのものも把握しにくい種であるから仕方ない、といえば、そうかもしれない。しかし、そういう種だからこそ、国内ばかりでなく、国外の目もあるのだ。

 国連海洋法条約ができてから、海のものは一部産業の所持品ではなく、国を超えた人々共有の財産だということになっている。また、同条約では鯨類の保護について、国際的な決まりよりも厳しい保護を関係国がとることを奨励している。

 この6月20日から開催された国連の期限なし非公式顧問会議において、モナコが冒頭のプレゼンテーションで、海洋法条約における鯨類の保全策が不十分であり、もっときちんと議論し、保護すべきという意見を出しているという。もちろん、単にクジラが「かわいい」というのではなく、海洋生態系における重要な役割を理解してのことである。

 だからこそ、もし利用したいというなら、利用する側がきちんと国際的にも納得のいくようなデータで証明していく義務があると思う。

 水産庁はきっと、ちゃんと管理してきたというでしょう。しかし、私たちはもちろん、海外はそれでは納得できない。もし、ちゃんと管理してきたことが本当ならば、隠さず、環境省との連携のもとで、既に希少になってしまった種の保全に早急に着手すべきだと思う。

 水産庁のもとの研究機関はこれまで、とかく産業の振興を念頭に置いて研究する必要があったが、対象種の利用がなければ研究の存在価値が薄れることはなく、むしろ今後は海の保全、生物多様性保全の観点からの調査研究の必要性が増すだろうし、それが国際的にも貢献するような場面もでてくるだろう。福島の影響もまた、今後日本がきちんと調査し、結果を明らかにしていくべき新たな課題である。

 来年は国連海洋年だということである。海を単なる冷蔵庫扱いにしないで、もっと「海洋国家(?)」にふさわしい保全のあり方を国を挙げて考えていただきたいものだ。
 

2011年6月22日 (水)

海は死にかけていると・・・

 昨日、環境NGO議連による勉強会があり、三重大学の勝川俊雄氏が「水産物の放射能汚染について」という題目での講義が行われた。
 水産資源管理と経営について研究されている氏が今回の福島原発事故により、今後影響を受けざるを得ない水産の現状理解の重要な鍵として、生物、あるいは生態系への放射能の影響を調べられた中で、特に消費者に向けた水産物への影響をわかりやすく話してくださった。
もちろん、彼のブログを訪問し、こうした記事は既に見てはいたが、「食べる上で気をつける」こと以上に、食物連鎖による濃縮、沿岸域での海草や低生生物をはじめとした海洋への影響の深刻さを今一度感じてしまったことだった。

 生態系や生物への影響の深刻さが私たちに理解されるようになるまで(データが蓄積されるまで)、長い時間がかかることであり、わかったところで、その影響を消し去ることはできない。私たちは、壮大な、行方もわからない実験を始めてしまったのだ、という思いがひしひしと感じられる。

 そんなとき、知り合いから、BBCのリチャード・ブラック氏の記事を知らされた。

http://www.bbc.co.uk/news/science-environment-13796479

世界の海洋関連の科学者が海洋の保全を目指して組織したIPSO(International Programm of State of the Ocean)が発表した海洋の概況についての記事で、気候変動や酸性化、そして乱獲など人間活動が大きなインパクトを海洋に与え続けきたことはこれまでも語られてきたが、分野の異なる科学者がそれぞれの研究成果を分かち合った結果、それぞれの影響要因が負の相乗効果をもたらしていることが明らかになり、その劣化速度がこれまで個々に考えられてきたよりも相当早いということがわかった。海はまさに死にかけているのだ。

そして、もちろん。それに、世界的な放射能汚染という新たなインパクトも加えられることになるわけだ。

2011年6月17日 (金)

検討会ってなんだろう?

 いま、調査捕鯨始まって以来はじめて(と思われる)、鯨類調査捕獲に関する検討会が行われていて、来週月曜日に第4回目が行われる。非公開で、議事の概要のみ公開されている。中身を見て感じるのは、これまで30年近く、どれだけ根本的な議論がなされてこなかったか、というつけの結果、議論も行ったり来たりして、委員の中にも結構戸惑いがあるのではないか、と思われた。部分部分には結構鋭い意見も出てはいるものの、全体としては日本の調査捕鯨そのものの評価ではなく、鯨肉需要の話、それにSS対策で、これまでの国会での捕鯨推進議員による議論とあまり変わりはない。中には、8月までに求められた予算獲得のためと思われる意見まであったりして。

 1999年、鳥獣保護法の改正問題に関わって以来、ずいぶんいろいろな検討会を傍聴してきた.結果として思うのは、検討会を主催する行政や機関が、結果をおおむね想定しつつ委員を選び、資料を作り、参考人を呼ぶというのが現在までは一般的で、もちろん効率を考えればそのやり方が一番いいのかもしれないが、「想定外」のことが起こらないように仕組んであるという印象が強い。

 それでも、委員の中にはNGOが入ることもあるし、結構厳しい意見を言う委員が混じることもあり、それはそれで仕組む方にとっては想定外ではないのかもしれない。どの程度開かれたものか、多様な意見を反映させようとしているかは、そのときの担当責任者の資質による(もともと問題意識が高く、解決能力がある)が、逆に、非公開であるとか、かなり限定的な人選で行われる場合は、政治的な意図がより明確で、変化を求めない方法だ(つまり現状追認のためのアリバイ作り)といえるのではないだろうか。
 それでも、今回のように業界からの圧力で委員が招集された後に検討会の開催タイトルが変わってしまったのは私にとって初体験で、そこまで弱腰なのか、という半分あきらめに似た気持ちになる。

さはさりながら・・・
 税金を使っておやりになるのですから、委員の人選、参考人の人選(うちは「零細すぎて」問題外だそうですが)、結果ありきではない議論の進め方と透明性など、今回だけではなく、すべてにおいて市民の納得のいくやり方をしてほしいと要求するのは当たり前だと思うが。

民主主義が根付くのに、あと何十年?という気持ちになってしまうのでした。

 

2011年6月16日 (木)

イルカウォッチングに行こう

 5年前から、いつも今頃、イルカの新捕獲枠(2006年に水産庁が発表した5年間の暫定枠)を教えてもらうことにしているが、今年はまだ作業中ということ。5月末まで延長されたコビレゴンドウの追込みに関しての検証は、今回ではなく、来年度に予定されている5年後の見直しまで持ち越されるようだ。

 この暫定捕獲枠では、毎年少しずつだが、捕獲頭数が減らされている(その代わりにカマイルカが新たな捕獲対象種になった)。これが最善かというと疑問があるが、小刻みな枠の設定に、一応設定上の苦労が見えないこともない。
 
 捕獲実績は,2000年以前はIWCに報告されてきたが、その後はホームページで公表する(という割にはなかなか出てこないが)ことになっている。これで見てもわかるように、せっせと捕獲しているところは和歌山県太地町だということがわかる。

参考:水産庁 捕獲頭数(2000〜2009)
http://kokushi.job.affrc.go.jp/H22/H22_45.pdf

もう一方の追込み猟実施地の富戸では2004年からイルカ猟を中止しており、捕獲数はかなり減っている。2004年も水族館の依頼で生け捕りが主だった。

 富戸は、もともとダイビングによる売り上げの大きなところで、イルカ猟は何年かおきのボーナスのようなものだったようだが、なんといってもこれをやめさせたのは、元イルカ漁師の石井泉さんの功績といえる。彼は、1996年に富戸でイルカ猟に参加したのだが、違反捕獲を知った後、その行為を恥じて漁協の数のごまかしを認めず、孤立しながらも告発を続けた。イルカ猟のときの実績をそのまま生かし、海外活動家の助言でイルカウォッチングに転向したのである。
ウォッチングの初日、湾近くに現れた大きなマッコウクジラによってそのスタートが切られた。
 
 東京近郊で、戦後かなりのイルカが乱獲されてしまったなかで、こんなウォッチングポイントがあるのはすごいことだ。

が、しかし、ここにきて問題が出てきた.

 海外ではウォッチングが大変人気で、年々観光客の数がうなぎ上りに増えているそうだ。
一方、どうも日本人はせっかちで、動物を「見る」感覚が「見たいときにすぐ見える、なでなでできる」というような、ぬいぐるみから脱却できない人が多いのだろうか。その本来いるところに「お邪魔する」という感覚から遠いようだ。彼らは彼らの生活に従っているから、見えないこともあるという本来の見方にまだ、慣れないだけなのだろうか。

 ということで、なかなか国内のウォッチングが広がらない。参加者が増えなければ、実施している人たちが継続していくことは難しくなってくる。特に、今回の地震が沿岸地域に影響を与えており、ウォッチングを実施している人たちも苦労していると聞く。


 私自身の初体験は、カナダのバンクーバー島の太平洋に面したトフィノというところで、1987年ネイティブのウォッチング屋さんの操る小舟で荒海に乗り出し(小雨まじりだった)、コククジラを探した。3月のことで、風は吹く、しぶきはかかる、冷たい氷雨がそぼふる揺れまくる船上で、やっと見えたコククジラの背中は本当に感動的で、忘れられない貴重な思い出となった。

 こうした環境そのものが彼らの一部だということをそのとき理解した次第で、その体験はお金を払えばいつでも死んだような(あるいは仕込まれた芸を見せる)イルカが見えるという水族館体験とは天と地ほども違いがある。


 原発事故が終息しない。今後、海の汚染が進み、生き物も住めないような環境になってしまうかもしれないという不安が消えない。私たちが安易で簡便な生活を選んだ結果に起きた事故であり、ある意味、自然の中に出て行って野生動物に出会うより、閉じ込めていつでも見物できることを選ぶ行為につながっているのではないか、と思う。

 私たちがしたことの大きさを知る上でも、海に出かけ、しっかりとその姿を目に焼き付けておこう。
イルカたちに会いにいき、ごめんなさい、といおう。

 

2011年6月 7日 (火)

イルカの事故死(続き)

アメリカの海洋漁業局に、飼育されている海生哺乳類のデータベースがあり、その動物がどこからきたか、どこで飼育されているか、またはいつ、どんな原因で死んだかということを検索できることを知人から教えてもらった。

http://databases.sun-sentinel.com/news/broward/ftlaudMarineMammals4/ftlaudMarineMammals_list.php?goto=23

アメリカ国内だけでなく、他の国の状況もわかる。

こうした情報の透明性は、イルカ飼育の問題を考える上でも重要だ。飛び出して怪我をしたり、死んだ個体情報だけでなく、コップを飲み込んだとか、ハリケーンのために死んだとか不慮の事故にどんなものがあるかもわかる。こうした動物を限られた施設に閉じ込める問題もまた、こうしたデータを見ていくうちに明らかに理解されることになるだろう。

動物園や水族館が教育施設であり、また動物愛護法の対象であるというなら、文科省でも環境省でもいいので、飼育されている海生哺乳類のデータベースをつくり、公開してもらいたいものだ。

2011年6月 6日 (月)

飼育イルカの事故死について

 6月4日、名古屋港水族館でイルカショーの合間の練習中に、カマイルカのメスが水槽から飛び出し、死亡したそうだ。

http://www.asahi.com/national/update/0605/TKY201106050073.html
ショー練習中にイルカ事故死 プール外に転落 名古屋


死んだのは、太地で捕獲され、2008年に名古屋港水族館に入れられた
「サラ」(推定17歳)で、翌2009年にメスを出産、このときも一緒にショーに
出ていたようだ.何とも痛ましい話だ。

もともと、カマイルカは外洋性のイルカの中でも特に活発だといわれる。泳ぎ方も早いし、ブリーチングを頻繁に行い、自然界でも空中で回転を行ったり宙返りを行う(マーク・カワーディーン著「クジラとイルカの図鑑」)。

カマイルカは、体の鮮やかな白黒の模様と活発な動きで、水族館で人気があり、2008年に捕獲が許可される前は、定置網にかかった個体を「保護」名目で水族館飼育することが常態化し、水産庁が捕獲を後付けしたと思われる種だ。

こうした活発なイルカを狭いコンクリートの水槽に閉じ込めつつ、本来大好きな宙返りや回転をさせるわけだから
事項が起きてもそう不思議はない。

させる水族館だけでなく、「豪快」なショーを見たがる人たちがいることが残念だ。

一応名古屋港水族館の水槽は日本でも最大級なのだから、他の水族館でも事故はいつでも起きうる。これまで、
内密に飛び出し事故の情報は何件か送られてきていたが、「さすが」名古屋港水族館、こうした情報も一般公開するようだが、同水族館だけに対して不備を責めるのは間違いというものだ。

昨年7月に、美ら海水族館でオキゴンドウがやはりショーの最中に飛び出したという動画は海外のサイトで
見つけられるし、また、アメリカでも2008年、オーランドのディスカバリーコーブという水族館で、ショーの最中
2頭が空中衝突してしまい、そのうちの1頭が死亡したという記事が出ている。

狭い飼育施設への閉じ込めと、その「ストレス解消」と称するショーにより、イルカたちが災難を被っていることを
せめてこの不幸な事件の教訓としたいものだ。

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