公共放送の役割は
仲間が昨夜放映のNHKスペシャル「クジラと生きる」について知らせてきた。
タイトル(「クジラと生きる」)からして見なくても大体どんな内容かわかってしまうようなものを、ざわざわ見る必要があるのか?とも思いつつ、海外活動家がどんなことをやっているかという怖いもの見たさもあって見てみた。
太地の産業の一つ、イルカ猟に従事する漁業者とイルカの捕殺に抗議して町に常駐する外国人活動家との摩擦を通して、「くじらと生きる」太地の姿を紹介するというもの。
もちろん、イルカ猟をやっているいさな組合にとって、イルカを捕獲するのは何の疑問も持たずに続けてきた生業のわけだし、外から突然人非人扱いされたら驚くだろう。それに、実際、町に常駐している外国の活動家たちの態度ったら、本気で問題解決を考えているとも思えないほど無礼きわまりなく映っており、これを見た多くの人たちは、太地の人たちの肩を持っても仕方ないと思われるほど。
ただし、番組の作りはかなり意図的で、何も知らずに見た人たちにかなり誤った情報と誤解を与えたと思われる(今に始まったことではないが)
まず、番組ではイルカの追い込みについて「くじら漁」ということばを繰り返しいっていた。しかし、水産庁のHPでみればわかるが、「クジラ漁」というカテゴリーの産業はなく、現在停止されている商業捕鯨の他に鯨類を捕獲しているのは「小型捕鯨業」と「いるか漁業」である。いさな組合のやっているのは、行政のことばでは「いるか漁業」ということになる。
http://kokushi.job.affrc.go.jp/H22/H22_45.pdf
確か、10何年前にも、同じように太地のイルカ漁を取材した番組があり、そこでも「くじら漁」ということばが繰り返し使われていたことを思い出した。番組を作る側が意図的に太地→古くから捕鯨をしてきた歴史ある町という点を強調したくて、比較的新しい産業であるイルカの捕獲ではなく、わかりやすいように「クジラ」ということばを使ったものと思える。確かに、イルカもクジラではあるが。
以前もそうだったのだが、このときも偶然ながら捕獲されていたのはハナゴンドウだった。
ハナゴンドウは、マイルカ科の比較的小型の外洋性のイルカで、いわゆるイルカのような目立つ吻がなく、丸い頭をしているから「ゴンドウクジラ」の仲間にされているのだろう。この種の捕獲が始まったのは、戦後で、古式捕鯨とは関係がない。
太地では、コビレゴンドウは明治にすでに独自に開発した5連銃のようなもので捕獲していたが、追込み漁という方法での捕獲は1970年代後半からで、太地の伝統文化というわけではないようだ(番組では「追込み網漁」といっていたが、こうした呼び名ははじめて聞いた)。太地の中でもいさなに所属する人たちは23人、町を代表するというわけではない。だから、外国の活動家とのいざこざで町に迷惑がかかると気にしたりもする。
一方で、こうしたいざこざの原因について、つまりなぜ抗議するかということを、冒頭で活動家から聞いているのに、彼らの答え(危機に瀕する海の生態系の頂点にいる鯨類を守ることは海洋を守ることにつながる、とか、社会性のある動物である)をぜんぜんまともに受け取っていなくて、ナレーターも漁業者もその家族も、いちように、可愛いとか頭がいいとかで殺してはいけないと言われるのは心外、人は他のいのちを食べて生きている、というように話を持っていき、議論はまるでかみ合っていないし、また、かみ合わせようという努力も双方にまったくといっていいほどない。
番組プロデューサーは多分、本気で肩入れして、こんなのを作ったのだろうとも思うけど、上質のドキュメンタリーであれば、批判しやすい一部の活動家の素行を映し出すだけでなく、対立の根っこにある原因について、問題の表面を掘り下げる(せめて1cmくらい!)気概があった方がいいと思う。
イルカの捕獲に「規制はない」と番組では説明していたが、実際は知事許可事業で、ちゃんと規制は存在し罰則もある。それは、鯨類の捕獲はよほどきちんと管理できないとリスクが大きいことを意味していて、日本という国ではそれが守られていないと考える人たちが少なからずいるということ(これまでの既成事実の積み重ねによるもの)は知っていたほうがいい。
鯨類は1国にとどまらず広く回遊していることからから、また、国連海洋法ができてから、野生動物は人類の共有財産であるという認識が共有されていて、海外からだって物申す権利があるということなど、もっとさまざまな面からの問題提起があるべきだし、この時代なのだから、制作当事者にとってそうした情報の入手はむずかしいことではないはずだ。結局は、そうした客観的な分析が、視野狭窄に陥りがちな個人を越え、安易な同情でお茶を濁す代わりに今後の問題解決の役に立つ情報につながっていくのだから。
いつもながら思うのだけれど、NHKは一応、公共放送という位置づけなのだから、本当の意味で市民の利益となる情報の提供を、せめてたまにはしても罰は当たらないと思うのだ。
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