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2011年5月26日 (木)

クジラから放射能汚染物質

 釧路沖で行われている調査捕鯨で捕獲したミンククジラの肉からセシウムが検出されたということだ。
 24日に発表した水産庁は、福島原発との因果関係は不明としている。

 ミンククジラの汚染調査で、放射性物質はこれまで検査してこなかったのかもしれないが、それにしてもこのセシウムはどこからきたのか?

 福島や茨城沖ではヨウ素やセシウムに汚染された魚(コウナゴ)が発見されている。
そして、ミンククジラは、コウナゴをよく食べるということだ。
3月の事故の結果が既に出ているということかとも思うが、そうだとするとずいぶんと早い。

 しかもー
結構な濃度の汚染水が今でも流れ続けているようなのだ。

 セシウムは、半減期が30年くらいと聞いているので、今後、小魚を食べるタイプのクジラたちに、放射能が年を重ねるごとに濃度を増して蓄積されていくということなのだろう。

 函館でのツチクジラ捕獲も始まるようだし、6月に入れば千葉沖でのツチクジラの捕獲も始まる。

 これらのクジラ肉の汚染調査がこれまで行われているとは聞いていないが、今後は必要となるだろう。

そうして、、海洋の汚染、広い海を泳いで生活している生き物たちへの放射能の影響被害は、日本国内にとどまらない。

人の健康への懸念はもちろんのこと、原発の恩恵には決して浴することのない、魚たち、クジラたちをはじめとする海の生き物の将来が気がかりだ。


ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110524/dst11052413090008-n1.htm
産経:クジラからもセシウム 基準値以下、北海道釧路沖の調査捕鯨
2011.5.24 13:08



2011年5月23日 (月)

公共放送の役割は

 仲間が昨夜放映のNHKスペシャル「クジラと生きる」について知らせてきた。

 タイトル(「クジラと生きる」)からして見なくても大体どんな内容かわかってしまうようなものを、ざわざわ見る必要があるのか?とも思いつつ、海外活動家がどんなことをやっているかという怖いもの見たさもあって見てみた。

 太地の産業の一つ、イルカ猟に従事する漁業者とイルカの捕殺に抗議して町に常駐する外国人活動家との摩擦を通して、「くじらと生きる」太地の姿を紹介するというもの。

 もちろん、イルカ猟をやっているいさな組合にとって、イルカを捕獲するのは何の疑問も持たずに続けてきた生業のわけだし、外から突然人非人扱いされたら驚くだろう。それに、実際、町に常駐している外国の活動家たちの態度ったら、本気で問題解決を考えているとも思えないほど無礼きわまりなく映っており、これを見た多くの人たちは、太地の人たちの肩を持っても仕方ないと思われるほど。

 ただし、番組の作りはかなり意図的で、何も知らずに見た人たちにかなり誤った情報と誤解を与えたと思われる(今に始まったことではないが)

 まず、番組ではイルカの追い込みについて「くじら漁」ということばを繰り返しいっていた。しかし、水産庁のHPでみればわかるが、「クジラ漁」というカテゴリーの産業はなく、現在停止されている商業捕鯨の他に鯨類を捕獲しているのは「小型捕鯨業」と「いるか漁業」である。いさな組合のやっているのは、行政のことばでは「いるか漁業」ということになる。

http://kokushi.job.affrc.go.jp/H22/H22_45.pdf

 確か、10何年前にも、同じように太地のイルカ漁を取材した番組があり、そこでも「くじら漁」ということばが繰り返し使われていたことを思い出した。番組を作る側が意図的に太地→古くから捕鯨をしてきた歴史ある町という点を強調したくて、比較的新しい産業であるイルカの捕獲ではなく、わかりやすいように「クジラ」ということばを使ったものと思える。確かに、イルカもクジラではあるが。

 以前もそうだったのだが、このときも偶然ながら捕獲されていたのはハナゴンドウだった。
ハナゴンドウは、マイルカ科の比較的小型の外洋性のイルカで、いわゆるイルカのような目立つ吻がなく、丸い頭をしているから「ゴンドウクジラ」の仲間にされているのだろう。この種の捕獲が始まったのは、戦後で、古式捕鯨とは関係がない。

 太地では、コビレゴンドウは明治にすでに独自に開発した5連銃のようなもので捕獲していたが、追込み漁という方法での捕獲は1970年代後半からで、太地の伝統文化というわけではないようだ(番組では「追込み網漁」といっていたが、こうした呼び名ははじめて聞いた)。太地の中でもいさなに所属する人たちは23人、町を代表するというわけではない。だから、外国の活動家とのいざこざで町に迷惑がかかると気にしたりもする。

 一方で、こうしたいざこざの原因について、つまりなぜ抗議するかということを、冒頭で活動家から聞いているのに、彼らの答え(危機に瀕する海の生態系の頂点にいる鯨類を守ることは海洋を守ることにつながる、とか、社会性のある動物である)をぜんぜんまともに受け取っていなくて、ナレーターも漁業者もその家族も、いちように、可愛いとか頭がいいとかで殺してはいけないと言われるのは心外、人は他のいのちを食べて生きている、というように話を持っていき、議論はまるでかみ合っていないし、また、かみ合わせようという努力も双方にまったくといっていいほどない。

 番組プロデューサーは多分、本気で肩入れして、こんなのを作ったのだろうとも思うけど、上質のドキュメンタリーであれば、批判しやすい一部の活動家の素行を映し出すだけでなく、対立の根っこにある原因について、問題の表面を掘り下げる(せめて1cmくらい!)気概があった方がいいと思う。

 イルカの捕獲に「規制はない」と番組では説明していたが、実際は知事許可事業で、ちゃんと規制は存在し罰則もある。それは、鯨類の捕獲はよほどきちんと管理できないとリスクが大きいことを意味していて、日本という国ではそれが守られていないと考える人たちが少なからずいるということ(これまでの既成事実の積み重ねによるもの)は知っていたほうがいい。
 鯨類は1国にとどまらず広く回遊していることからから、また、国連海洋法ができてから、野生動物は人類の共有財産であるという認識が共有されていて、海外からだって物申す権利があるということなど、もっとさまざまな面からの問題提起があるべきだし、この時代なのだから、制作当事者にとってそうした情報の入手はむずかしいことではないはずだ。結局は、そうした客観的な分析が、視野狭窄に陥りがちな個人を越え、安易な同情でお茶を濁す代わりに今後の問題解決の役に立つ情報につながっていくのだから。 

 いつもながら思うのだけれど、NHKは一応、公共放送という位置づけなのだから、本当の意味で市民の利益となる情報の提供を、せめてたまにはしても罰は当たらないと思うのだ。

 

 


 

2011年5月20日 (金)

調査捕鯨のあり方検討会のゆくえ

 水産庁が調査捕鯨について議論する有識者の検討会を開催することを以前(4月21日)に書いた。

そのときにも、非公開であることや、水産庁という推進母体が行うことの問題をあげたが、今回、議事録要旨が公開されることでこうした懸念が的中というか、思ったよりもひどいことがわかった。

 議事録要旨を読むと、委員の一人が「事前に送ってもらった開催要旨(案)では『今後の鯨類捕獲調査のあり方について』幅広い意見を聞くため委員会を開催するとなっていたが、今日の資料では『鯨類捕獲調査を安定的に実施するため』意見を聞くと変わっている」と指摘され、宮原水産庁次長は、鯨類捕獲調査をやめることを議論するのではないか、という誤解あるいは否定的な議論をするのはないかという意見をもらったので、と要するに捕鯨推進派からのクレームを受けて変えたことを明らかにしている。

議事概要 第 1回検討委員会議事概要(PDF:190KB)

 鯨類捕獲調査というものが、真っ当なものであれば、やるやらないをはじめとして、多様な立場からの議論をしても問題ないだろうに、逆にこうした押さえ込みはおかしなこと、と良識ある人は思うのではないだろうか?

 国が推進してきたいわゆる『国策』では、今、原発問題が大きくクローズアップされており、原発施設から放射能がだだ漏れしつづけるような異常事態に至っても、相変わらず国策の旗を降ろすつもりもなく、メディアもはっきりと反原発を打ち出せない状態にある。

 捕鯨問題は原発のように、何かあれば市民が直接的な被害を被るようなものではないのは確かだが、この際、国策として『正しい』ものであるのなら、曲がったキャンペーンによって議論を封じ込めて続けるのではなく、改めてまっさらな議論を始める必要があるのではないだろうか?

 ついでながら、原発の危険性や日々の政府や東電の対応について、良心的な科学者が何人も自らの地位や名誉を捨ててきちんと意見を述べていることを大変心強く思っている。
 捕鯨についても、そうした国内での意見の表明が増えていくことを望んでいる。

 最近、新評論から『解体新書/捕鯨論争』という本が出た。
 決して反捕鯨の立場からの本ではないのだが、最初に出版を予定してきた出版社は上層部の反対で出版できなかったと聞く。
 編者である石井敦氏とは、必ずしもすべての意見を同じくしているわけではないが、こうした客観的な好著が出たことを歓迎する。

 また、せっかくはじめて調査捕鯨についての議論の場ができたことだから、産業界を代表する人たちばかりではなく、こうした第三者からの意見聴取は日本国民にとっての利益となるものだと思うのだが。
 




2011年5月18日 (水)

また、コビレゴンドウのこと

 太地でまた、コビレゴンドウの追込みが行われたようである。

日本周辺のコビレゴンドウの生態については、捕獲された個体からの情報に偏り、まだ未解明なところが多いようだが、1995年に発行された「日本の希少な野生水性生物 (II) V水生哺乳類」によると、その生息に関する評価では、遺伝子が異なるタッパナガが「希少」とされている一方で「とりあえず」普通とされている。

 「とりあえず」の意味するところは、この種に複数の系統群がある可能性を捨てきれないことと(捕獲された個体のサンプルではどうだったか?)、「絶滅が危惧される状態にあるとか、そのような状態に近いうちに到達するとも『断定できない』」という理由による(ない、ともいっていない)。そして、評価そのものは、今後数年間の漁獲動向を見て再検討されることが望ましいと結ばれている。

 それから16年ほどたっているわけだが、昨年は追込みの時期には1頭も捕獲できなかった。過去10年、1290頭の捕獲があり、年によって多かったり少なかったりしてはいるものの、ゼロという年はなかった。
 そのため、漁期を延長しようとし、昨日までに3回の追込みが行われた。
 許可権限をもつ和歌山県は、小型沿岸捕鯨業者との調整ができているからということで簡単に許可したようである。
 今日、電話して聞いたところでは、水産庁も捕獲枠の範囲内であることと、小型沿岸捕鯨業者との調整ができていることから、「問題なし」としたようであるが、ここにはコビレゴンドウという生き物の生物的な評価や漁期を延長することによるリスク評価というものはないようだった。

・漁期延長で3回捕獲されたコビレゴンドウは、それぞれ、これまで捕獲され続けてきた個体群と遺伝子を同じくするのか?
 それとも、別の系統が回遊してきたのか?
 また、通常の漁期に捕獲できなかったということが深刻な乱獲の結果ではないといえるのか。

 漁業活動がなりわいとして重要なことを理解したとしても、もう一つ忘れてほしくないことは、野生動物は捕獲したものの専有物ではない、ということだ。だいたい、消滅してしまったら生業そのものも成り立たなくなるのではないか。

 どうしても捕りたいのであれば、せめてその捕獲が群れの消滅→種の絶滅にはつながらない、という科学的な証明くらいはすべきだと思うし、そうした道筋を示すのが行政の役割ではないのかと思う。

 それに、イルカ類についていえば、各国管理という考え方そのものにも限界があると思う。
 高度移動の種については、国際管理が前提とならないと、いくら「ちゃんとやってます」といってもそうではなかったという過去が既に山ほどある。にわかに信じられないのは海外の人たちだけではない。

 漁業管理について、科学的な根拠を、透明性を持って議論できる公開の場をそろそろ検討したらどうでしょう?

 

2011年5月 9日 (月)

海の汚染について

 今朝の新聞に、福島原発の敷地内と周辺の海域で4月18日に採取した土や海水からストロンチウム90をはじめて検出したことがでていた。

 このストロンチウム90という核種は、かつて60年代(私が子供だった頃)は放射能の別名といってもいいようなものだった。当時南太平洋などで行われていた核実験の影響で、「魚には放射能がたまっている」というような話にもなっていたと記憶する。実験の場所、そして水に溶けやすく、骨にたまりやすいということで、当時のこうした反応はいわれのないことではなかったのだろう。

 今回の海洋への汚染水の流出については、当初、放射能は海で希釈されて影響は少ない、などといわれた.しかしその後すぐに、茨城沖のコウナゴに汚染が認められ、周辺海域でのコウナゴの流通が止められ、現時点では漁も行われていない。この時点ではヨウ素とセシウムについての発表で、それだけでも十分ひどいが、発表されなかったほかの放射性物質も存在したはずだ。原発周辺の海底からも放射能が検出されているということだ。

 4月2日に報道された超高濃度(しろうとには判断もできないほどの)汚染水の流出発見。4月6日には「低濃度」の汚染水の海洋投棄も始まった.考えてみれば、どんどん、どんどん、水を投入して原子炉の冷却を行っている訳だから、放水された水はいずれどこかに流れるわけで、高濃度の汚染水はためられているだけでなく、コンクリートの割れ目などから漏れだし、地下水を汚染したり、海洋を汚染し、原子炉が安定するまでは続く可能性もありそうだ。とにかく早急に止めないと、ここの魚の成長サイクル、そして食物連鎖による濃縮で、魚たちやそれを食べている様々な生物に長年にわたって影響を及ぼすだろう。

 生物多様性条約の会議のときに私たちはたびたび「海はひとつながり」といういいかたをしてきた。汚染された海水は、海流に乗って、世界を巡る。これまでの情報からも、海で希釈されたとしても、長期間にわたる汚染水の流出で、日本周辺だけでなく、世界の海に迷惑を与えてしまった。原発を今後どうするかという選択は、日本国内の問題にとどまらない。

 海洋生物多様性保全のために、昨年名古屋で、国を超え、多くの人たちで議論が重ねられたのだが、そうした努力もいっぺんに失われてしまうような大きな問題をおこしてしまったわけになる。
 海の生態系はいったい今後どうなるのか、海の生き物たちにどんな影響が出るのか、いま、魚が食べられなくなるかどうかより、よほど心配なことではある。
 

 

 

2011年5月 6日 (金)

コビレゴンドウの捕獲

 5月3日の朝、メディアの人から取材を受けた.太地でクジラを今年は捕らないといっているがどう思うか?というもので、え?それはイルカ猟のことですか?と聞くと、クジラだ、という。

 確か、小型捕鯨船は2隻ともミンククジラを捕りに釧路にいっているはずだし、とそのときには状況を理解できず、自分から捕らないというなら悪いことではないと思うが、それが継続するかどうかはわからないから、もしそういう事態であればそれをきっかけに、中身の議論ができればよい、となんだか間抜けな答えをした。

 その後、情報を得て、要するに小型捕鯨船が釧路にいってしまったため、5月からの沿岸小型捕鯨ができなくなったということがわかった。なあんだ。

 ところが、翌日、海外からゴンドウを捕獲したというニュースが入った。?確か、追込み猟は4月で終了したはず•••
実は、小型捕鯨で捕獲しないのであれば、と追込みをしているいさなが漁期延長を願い出て、「めでたく」県の許可をえたということらしかった。
 太地では、この「クジラ」の特に内臓を食し、肉は九州地方に主に販売するということで、町長はこの許可について「追い込み漁が特別に認められたことはたいへんありがたい。これで町全体が潤うと期待している」とコメントしたそうである。(町全体が潤うためにどれほど捕獲するつもりなのかは知らないが)
 「伝統文化」の勝利。

 ここで少しこの「クジラ」のことを書き記しておきたい。
マゴンドウと呼ばれるのは、マイルカ科のコビレゴンドウのこと。日本沿岸には、2つのタイプのこの(あえていうが)イルカが存在し、三陸あたりにいるやや大きいタッパナガと呼ばれるものと、南の海域のマゴンドウと呼ばれるものとにわかれる。
 日本での生態調査は十分行われていないものの、母系社会を構成し、妊娠期間は15(1説に17)ヶ月、1産1仔で成熟する年齢は人間と変わらず、メスの寿命は60歳程度。シャチの推定個体数はこのコビレゴンドウが生活史が似ているからと類推されているので、シャチに似た社会構造をもっているかもしれない。
 一度、畠尻湾に捕獲されたコビレゴンドウの鳴き声を聞いた時に、シャチのようなコールだな、と思った覚えがある。

 決して繁殖力の旺盛な種ではない。そして、問題は、この種が(特にこの黒潮周辺の個体群が)毎年追込みという方法で群れごと消滅させられているということである。

 また、いわゆる海外活動家が騒いでいるため信憑性が薄れてしまったが、このコビレゴンドウの内臓からは、水銀の暫定基準値の数千倍もの水銀が検出され、県は内臓を食べないようにという注意をかつてしたことがある曰く付きのものである。食べる、食べないは個人の自由かもしれないが、こうした激しい化学物質汚染が、当のイルカたちに何の影響も及ぼしていないとは考えにくい。
 原発の汚染水放流という新たな危機もある。
人がほかの生物に対して行う害について、もう少し謙虚になれないものか、とつくづく考える。

 「個体群の消滅は種の絶滅への一里塚」ということばがあるが、少なくとも、許可を出す県の役人や町の責任者はこうした事実をしっかりと認識し、将来に禍根を残さないよう考えてもらいたい。


 

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