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2011年4月 7日 (木)

海の汚染と生物多様性

 地震のときに落ちてしまい、床に重ねていた本を、やっと少しずつ片付けている。
 中に、原子力資料情報室が2008年に出した「原発は地震に耐えられるか」という冊子や「地震帯国に原発はごめんだ」というパンフレットもでてきた。

 もちろん、福島原発付近で起こりうる地震や津波の危険性が訴えてあり、改めてぱらぱらとつまみ読みしてみるだけで、当時の電力会社がどれくらい、そうした災害に対して無頓着なのかということがわかって愕然とする。

 それだけではなく、自分自身の浅はかさに忸怩たる思いがある。入手したときは、もちろん、その通りだなあと思っていたはずだが、やはり本気で怖がっていたわけではないのではないか、と悪夢が現実になって初めてはっとする。知り合いには、原子力による発電分は支払わない運動を続けている人もいるのだし、また、毎月、反原発のデモを継続している人もいる。気持ちではそうした行動を支持しつつも、何ら具体的に行動してこなかったという痛みがやりきれない。

 地震発生から4週間もたつ訳だが、原子力施設が相変わらず非常に怖い状態におり、明日どうなるかの不安が消えない。もちろん、そこで、なんとか惨事が繰り返されないよう、被曝にたえて働く人たちがいることについては、ことばもない。

 こんなことから、なかなか、「書く」行為に移れなかった。しかし、昨日、おとといと、海の汚染が大きく取り上げられるようになってしまった。
 実は、冷却のための放水をずっと続けていることは気になっていて、循環するようなシステムもないその水は、いったいどうなるのだろう?と思いながらもこうした複雑な構造に無知なことから、何も言わなかった。素人考えながら、海に流れるのだろうか?と思っていたところやっぱり、そうした水は、高濃度に汚染されながら、行き場がなくなって、最後は結局、流れられるところから海にでていくのだった、と理解した。しかも、高濃度の汚染水を所蔵するため、それよりいくらか低い水を意図的に捨てるということを知って、本当にあっけにとられてしまった。海は彼らにとっては単なる水たまりなのか?

 漁業を営む人たちの怒りは当たり前だ。また、近隣国だって、そんなことされたらたまらないと思うだろう。

 そして、偉い学者さんたちがこぞって「海では希釈されるから大丈夫」といっていることを聞きながら、原子力などに何ら恩恵を受けていない海にすむ微生物、水草、貝、そして魚たち、カメやクジラ、海鳥たちのことが気になってならない。

もっとまじめに反対を叫ぶんだった、とつくづく後悔する日々なのです。

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