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2011年4月22日 (金)

調査捕鯨のありかたの検討

4月21日告示の以下の検討委員会について、知人から聞いて知った。

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「第1回 鯨類捕獲調査のあり方に関する検討委員会」の開催について
http://www.jfa.maff.go.jp/j/press/enyou/110420.html

水産庁は、平成23年4月22日(金曜日)に
「第1回 鯨類捕獲調査のあり方に関する検討委員会」を開催いたします。

1.概要

我が国では、商業捕鯨の再開に必要な鯨資源に関する科学的知見を
収集することを目的として鯨類捕獲調査を実施しておりますが、
近年、南極海鯨類捕獲調査については、反捕鯨団体の妨害活動に
より計画どおりの調査を実施できない状況にあります。
このことを踏まえ、今後の鯨類捕獲調査のあり方について幅広い
意見を聞くため、本委員会を開催するものです。

なお、本委員会の配付資料及び議事概要については、後日、
次のURLで公開することといたします。
http://www.jfa.maff.go.jp/j/study/enyou/index.html

2.日時及び場所
平成23年4月22日(金曜日)13時30分~
農林水産省 本館3階 第1特別会議室
東京都 千代田区 霞ヶ関1-2-1

3.委員会の構成

別添委員会名簿をご参照ください。

4.議題

(1) 検討委員会の開催趣旨について
(2) 鯨類捕獲調査について
(3) 今後の進め方について
(4) その他

<添付資料>(添付ファイルは別ウィンドウで開きます。)
鯨類捕獲調査のあり方に関する検討委員会 名簿(PDF:47KB)

告示ここまで******************************

開始以来初めて南極海での調査捕鯨を中止(推進側としては中止を余儀なくされた)、
その後の会見で筒井信隆農水副大臣は、今後の見通しについて、有識者の意見を
聞く機会を持つとした。

これは1986年以来、調査捕鯨について国内で議論される(多分)初めての機会という
ことになる。
内容的にはそれほど過大な期待はしなかったものの、筒井副大臣の発言は評価
できると考えていた。

しかし、この発表で「やはり」という落胆はある。

いくつかあげてみよう。
まず、調査捕鯨を実際に計画した水産庁が主催していること。
ありかたの検討としては、第三者機関が行うことが望ましいが、
告示の冒頭にもあるように、これまで調査捕鯨を実施してきた
考え方の延長線上に行われる検討である。

幅広い意見といいながら、傍聴も不可で、議事内容も要旨しか公開されない。
しかも、検討委員の名簿を見ると、文化人類学者、水産資源管理、
国際法関係、消費者、ジャーナリストなどの構成で、生物学、生態学の知見を
有すると思われる人がみあたらないばかりか、捕鯨推進を強く表明している人
はいるが、批判的な人は含まれていないようだ。

調査捕鯨における国際的なギャップとなっている野生生物としてのクジラをどう見る
のか、あるいは国際政策や経済的な側面からみた捕鯨について議論するつもりも
ないのであろう。

これではハナから行き着く先がすでに見えていると、よい機会と思っただけに
大変残念だ。

せめて、今後、一般意見に対しても開かれた場をつくってもらいたいと思ったのだった。

2011年4月 7日 (木)

海の汚染と生物多様性

 地震のときに落ちてしまい、床に重ねていた本を、やっと少しずつ片付けている。
 中に、原子力資料情報室が2008年に出した「原発は地震に耐えられるか」という冊子や「地震帯国に原発はごめんだ」というパンフレットもでてきた。

 もちろん、福島原発付近で起こりうる地震や津波の危険性が訴えてあり、改めてぱらぱらとつまみ読みしてみるだけで、当時の電力会社がどれくらい、そうした災害に対して無頓着なのかということがわかって愕然とする。

 それだけではなく、自分自身の浅はかさに忸怩たる思いがある。入手したときは、もちろん、その通りだなあと思っていたはずだが、やはり本気で怖がっていたわけではないのではないか、と悪夢が現実になって初めてはっとする。知り合いには、原子力による発電分は支払わない運動を続けている人もいるのだし、また、毎月、反原発のデモを継続している人もいる。気持ちではそうした行動を支持しつつも、何ら具体的に行動してこなかったという痛みがやりきれない。

 地震発生から4週間もたつ訳だが、原子力施設が相変わらず非常に怖い状態におり、明日どうなるかの不安が消えない。もちろん、そこで、なんとか惨事が繰り返されないよう、被曝にたえて働く人たちがいることについては、ことばもない。

 こんなことから、なかなか、「書く」行為に移れなかった。しかし、昨日、おとといと、海の汚染が大きく取り上げられるようになってしまった。
 実は、冷却のための放水をずっと続けていることは気になっていて、循環するようなシステムもないその水は、いったいどうなるのだろう?と思いながらもこうした複雑な構造に無知なことから、何も言わなかった。素人考えながら、海に流れるのだろうか?と思っていたところやっぱり、そうした水は、高濃度に汚染されながら、行き場がなくなって、最後は結局、流れられるところから海にでていくのだった、と理解した。しかも、高濃度の汚染水を所蔵するため、それよりいくらか低い水を意図的に捨てるということを知って、本当にあっけにとられてしまった。海は彼らにとっては単なる水たまりなのか?

 漁業を営む人たちの怒りは当たり前だ。また、近隣国だって、そんなことされたらたまらないと思うだろう。

 そして、偉い学者さんたちがこぞって「海では希釈されるから大丈夫」といっていることを聞きながら、原子力などに何ら恩恵を受けていない海にすむ微生物、水草、貝、そして魚たち、カメやクジラ、海鳥たちのことが気になってならない。

もっとまじめに反対を叫ぶんだった、とつくづく後悔する日々なのです。

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