それから先は(2)
調査捕鯨の中止について、各紙が大きく書いている。割と冷静に現状を伝えている読売(2月19日「南極海捕鯨 崖っぷち」)のようなものもあるが、たいていはきちんと裏づけ調査もしないで、思い込みの情報の垂れ流しというほうが多いようだ。
たとえば、「踏みにじられたルール」というタイトルの道新の社説。「調査捕鯨の目的は、クジラの生態に関する科学的データの収集であり、正々堂々と続けるべきだ」とあるが、国際的にそういう共通認識がないからこそ、SS
に対しての対応に差が出ていることを理解すべきだ。
たいていの報道が、「日本がおこなっている調査捕鯨が国際的なルールにのっとった正当なも」のという書き方をしている。ではどんなルールなのか、というと、国際捕鯨取締条約以上のところまでは気が回らないらしい。
中には、調査捕鯨の捕獲枠が「IWCで認められた」という誤解で書いているものもある(朝日2月19日「南極調査捕鯨 岐路に」)。この捕獲枠は、日本が勝手に決めているもので、今回、コメント数がいちばん多い、小松元日本政府代表代理が、二期調査の枠を「値段を落とせば売れる」という早合点のもとに拡大したものだ。もう一度念押しをするが、この第二期計画は、第一期調査の結果評価をIWCの科学委員会が行う前に、実施したものだ。
しかも、個体数を推定するのは調査捕鯨とともにおこなわれてきた目視調査であり、殺すことで個体数がわかるわけではない。1987年から調査を開始しながら、未だに、南極ミンクの数は科学者の中で合意に至っていないのだ。
調査を続けるためには鯨肉を販売しなければならず、鯨肉販売には理由がいる。しかし、わざわざ南極まで出かけて肉を得ることを「文化」というにはかなりの無理が必要だということは、すでに多くの日本人が理解しているのではないか。
今回、その鯨肉で調査をまかなうのも限界に来ているということが明らかになり、捕鯨推進の側からは、税金で何とかしてほしいという希望があるようだ。税金を投入する必要があるほどの事業なのかどうか、じっくりと検討するよい機会になればと思う。
調査捕鯨を開始するときは、まだ大手捕鯨産業が存在したので、沿岸の事業存続を優先するような選択肢が政府になかった。これが元凶となって、ここまで問題がこんぐらがってしまった。
当時、沿岸での捕鯨存続の提案がアメリカからあった。その後も何回も(1992年の京都会議、1996年のアイルランドの妥協提案など)提案が繰り返されたのに関わらず、「原理・原則」というわけのわからない主張で沿岸捕鯨は葬られてきた。
「反捕鯨」が頑固に譲らないという書き方を多くがしているが、それはお互いさまではないか?
2007年にIKANが沿岸小型捕鯨業者が調査捕鯨のために財政的な圧迫をうけていることを訴えた。国際的にその認識は広まったものの、その後も政府は沿岸基地の利益関係者に調査捕鯨との両立を訴えさせるなど、これまでの過ちを認めようとはしないまま、どつぼにはまってしまった。
こうしたことは、少しでも背景調査をすればすぐにわかることであろう。安易にSSに対して怒りをぶつけるだけですますことなく、問題を整理できるだけの力量をメディアが持つことを熱望する。
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