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2011年2月21日 (月)

それから先は(2)

 調査捕鯨の中止について、各紙が大きく書いている。割と冷静に現状を伝えている読売(2月19日「南極海捕鯨 崖っぷち」)のようなものもあるが、たいていはきちんと裏づけ調査もしないで、思い込みの情報の垂れ流しというほうが多いようだ。

たとえば、「踏みにじられたルール」というタイトルの道新の社説。「調査捕鯨の目的は、クジラの生態に関する科学的データの収集であり、正々堂々と続けるべきだ」とあるが、国際的にそういう共通認識がないからこそ、SS
に対しての対応に差が出ていることを理解すべきだ。

 たいていの報道が、「日本がおこなっている調査捕鯨が国際的なルールにのっとった正当なも」のという書き方をしている。ではどんなルールなのか、というと、国際捕鯨取締条約以上のところまでは気が回らないらしい。

 中には、調査捕鯨の捕獲枠が「IWCで認められた」という誤解で書いているものもある(朝日2月19日「南極調査捕鯨 岐路に」)。この捕獲枠は、日本が勝手に決めているもので、今回、コメント数がいちばん多い、小松元日本政府代表代理が、二期調査の枠を「値段を落とせば売れる」という早合点のもとに拡大したものだ。もう一度念押しをするが、この第二期計画は、第一期調査の結果評価をIWCの科学委員会が行う前に、実施したものだ。

 しかも、個体数を推定するのは調査捕鯨とともにおこなわれてきた目視調査であり、殺すことで個体数がわかるわけではない。1987年から調査を開始しながら、未だに、南極ミンクの数は科学者の中で合意に至っていないのだ。

 調査を続けるためには鯨肉を販売しなければならず、鯨肉販売には理由がいる。しかし、わざわざ南極まで出かけて肉を得ることを「文化」というにはかなりの無理が必要だということは、すでに多くの日本人が理解しているのではないか。

 今回、その鯨肉で調査をまかなうのも限界に来ているということが明らかになり、捕鯨推進の側からは、税金で何とかしてほしいという希望があるようだ。税金を投入する必要があるほどの事業なのかどうか、じっくりと検討するよい機会になればと思う。

 調査捕鯨を開始するときは、まだ大手捕鯨産業が存在したので、沿岸の事業存続を優先するような選択肢が政府になかった。これが元凶となって、ここまで問題がこんぐらがってしまった。

 当時、沿岸での捕鯨存続の提案がアメリカからあった。その後も何回も(1992年の京都会議、1996年のアイルランドの妥協提案など)提案が繰り返されたのに関わらず、「原理・原則」というわけのわからない主張で沿岸捕鯨は葬られてきた。
 「反捕鯨」が頑固に譲らないという書き方を多くがしているが、それはお互いさまではないか?
 
 2007年にIKANが沿岸小型捕鯨業者が調査捕鯨のために財政的な圧迫をうけていることを訴えた。国際的にその認識は広まったものの、その後も政府は沿岸基地の利益関係者に調査捕鯨との両立を訴えさせるなど、これまでの過ちを認めようとはしないまま、どつぼにはまってしまった。

 こうしたことは、少しでも背景調査をすればすぐにわかることであろう。安易にSSに対して怒りをぶつけるだけですますことなく、問題を整理できるだけの力量をメディアが持つことを熱望する。

 

2011年2月18日 (金)

それから先は・・・・・

 南極での調査捕鯨が中止になったということだ。国内外のメディアは、反捕鯨活動家の妨害によるとしている。
確かにそれもきっかけのひとつだろうが、勝ったか、負けたかという話ではなく、問題の所在を明らかにしないまま、終わることは疑問がある。

 南極では、これまでもいわゆる「妨害活動」は毎年あった。その中でも捕獲は続いていた。
今年はすでに2月半ば。もし継続したとしても、南極の3月の天候はかなり荒れると聞いている。捕獲できる可能性は少なくなっている。それに、1月にリリースしたように、鯨肉在庫はこれまでになく大きくなっている。捕らなければならない必要性はない。
 撤退する口実としては、余りかっこよくはないかもしれないが、非難できる相手がいる。撤退にはしかるべき「花道」が必要だろうと思っていたけど、まさかの展開ではあった。

 誰もが思うだろうが、「このさきはどうなるのだろう?」。

 調査捕鯨に関しては、あんまり一般に知られてはいないが、これまで多様な方面からの疑問が出てきていた。

 1986年、調査捕鯨開始の際に、まず第一に捕鯨産業の存続と市場の継続が考えらていた。
 その上で、南極に生息するミンククジラの数が捕獲に耐えるものであることを証明することを目的とし、個体数解明と自然死亡率を明らかにすることを掲げて、ミンククジラ捕獲を開始した。ところが、この計画自体、2006年のIWC科学委員会の評価で目的を遂げていないことが明らかになってしまった。

 しかし、その評価の前に、第二期の調査が始まった。今回の目的は、南極の生態系を解明することであるとし、ミンククジラだけでなく、ナガスクジラやザトウクジラに捕獲対象を広げた。(ザトウクジラは世界的な抗議により断念)。しかし、生態系を解明するのに、なんでクジラだけ捕獲するのか?という素朴な疑問もあり、また、日本も参加しているCCAMLR(南極海洋生物資源保存委員会)がそれに適任、という意見などあり、結局は日本のやっているのは条約を盾にした商業捕鯨ではないか?というのが疑問が国際社会に広がった。日本ではこんなに非難されているSSが支持を得ているゆえんである。

 今回の調査活動で、第二期の活動が終了する予定であると聞く。鯨肉の消費低迷で、すでに調査を実施する日本鯨類研究所と船を提供している共同船舶は大きな赤字を抱え、もはや、公的な支援なくしては調査は継続できない、という鯨研の正直な訴えも出ている。どういう計画が出されるのか注視していこう。

 同時に、調査捕鯨がいま必要かどうかの議論、今後、どのような方向で進む事がみんなにとってハッピーなのか、日本の国際責任として正しいのかが問われるべきだと思う。他に責任転嫁して、「ニッポンチャチャチャ」でお茶を濁すのだけは勘弁してほしい。

 とにかく推進で来た前政権ほどの執着はないと思われる民主党が、少しは違いを見せてくれても良かろうと思う。

 

 
 

2011年2月 7日 (月)

シャチ捕獲14周年

 気がついたら、今日2月7日は14年前に太地でシャチが追い込まれた日だった。10頭の群れで、そのうち5頭が水族館飼育のために捕獲され、5頭はリリースされた。
 沿岸シャチは希少種なので、このときの捕獲には『学術目的』という名目がつけられた。捕獲後に飼育計画を出したところもいくつかあったと聞いた。

 1頭は、太地くじらの博物館が買い入れた。このメスはのちに名古屋港水族館に繁殖用に貸し出され、2008年に死亡した。3頭は、白浜のアドベンチャーワールドが購入した。そのうちの1頭は、例外的にオトナのメスで、妊娠していたと言われている。もう1頭はまだ乳離れもしていないようなオスの赤ちゃんで、捕獲後4ヶ月で死亡。その後を追うように、大人のメスも死んだ。(この赤ちゃんの大きさは、ちょうど先ごろ死んだナミが捕獲されたときと同じくらいだったようだ)残ったオスは2004年に死亡している。
 残り1頭は、静岡県の伊豆三津シーパラダイスに、アイスランドで捕獲されたオスの「お嫁さん」として購入された。その後、お婿さんに先に逝かれてしまい、2007年に死亡。

 日本沿岸のシャチの生態はまだ未解明のままである。そのことを口実に、シャチの捕獲を口にするものもいるが、この5頭、さらにはその前に生け捕り、あるいは油採取のために捕獲された1000頭以上のシャチの死は、沿岸シャチの生態解明にまったく何ももたらしてはいないといって過言ではない。

 前にも言ったと思うが、名古屋港水族館のように、大枚はたいてシャチを死なせるようなところは、罪滅ぼしに、
沿岸シャチを捕獲する(させる)代わりに生態調査を実施したらどうか、と思う。
 

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