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2010年4月 1日 (木)

あるシャチの半生

 この1年、和歌山県にある太地という人口3000名余の町は世界的に有名になった。アメリカから来た活動家によるイルカ追い込み猟の隠し撮り映画がアカデミー賞をとったことによってである。
(ついでながら、この映画については、こうしたやり方が問題解決に資するとも思わないため、私は支持していない。)

 この太地町に「太地くじらの博物館」という施設がある。ある人に言わせると、捕鯨に頼らない街づくりのシンボルとして建てられ、その中核がそこに飼育されていた1頭のメスのシャチであった、という話だ。
 このシャチが、名古屋にある名古屋港水族館に請われて、譲渡されることになったは前に書いた。その金額5億円。クジラの博物館にとって死活問題であるシャチの譲渡だが、太地の人たちはシャチの譲渡に必ずしも賛成ではないと聞く。


 シャチは1985(1986年とも言われる)年にオスのシャチとともに太地沖で捕獲された。オスのほうはゴローと名づけられ、白浜にあるアドベンチャーワールドに売られ、2005年に死亡している。大柄で、大変おだやかな性格だったといわれる。
 一方、捕獲時にゴローよりやや大きかったメスシャチは、ナミちゃんと名づけられてそのまま太地の海囲いの中で飼育された。
翌1986年、同じ太地で2頭のシャチが捕獲され、名前も付けられるまもなく期間で死亡、1997年には世界に衝撃を与えた5頭のシャチの捕獲が実行されている。
 シャチは音響の動物といわれ、仲間同士の複雑な音のバリエーションによる会話が明らかにされている。
ナミは、捕獲されるシャチのなきごえを確実に聞いているはずだが、誰もナミの反応を確かめるものはいなかった。また、いかなる理由か、97年に同博物館に買われ、2006年に名古屋港水族館に運ばれたクーとは一度も一緒に
されなかった。ナミもクーもリーダーになる素質を持つ強い個体であり、一緒にはできなかったのかもしれない。想像でしかないが。
 
 26歳という年齢は、野生のメスのシャチにとって盛りのときのはずである。しかし、実際、よほどの生命力がない限り、長く生きるものはいない。果たして、まったく異なる環境に移されたナミが長く生き延びられるかどうかは、かなりのかけである。その証拠に、太地は、ナミの所有権の移譲を、ナミを海囲いから引き上げたときからとしている。このリスクを負ってまで、飼育することの必然性が名古屋港水族館にあるか、というと、かなり疑わしいものがある。じっさい、名古屋港水族館関係者がクーによる集客効果について、思ったほどではなかったともらしているからである。

 繁殖に関することはもっとリスクがあるようだ。いまだにその計画については誰も明らかにしていないが、ある研究者は、日本にいるオスシャチはアイスランドからの個体であることから、「かなり難しいのではないか」といっている。
だいたい、現在の生物学から言って、で会う可能性のない海域同士の繁殖が種の保存に資するはずはないのだから、これはかつてはやったライオンとヒョウによる繁殖「レオポン」に近い奇異なことである。

 「だから」、と捕獲を正当化するつもりかも、というかなり強い懸念が残る。

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