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2009年7月 7日 (火)

マデイラ行き 2

  来年のよりよい成果を狙って、日本政府がしたことは二つある。

「漁獲減少はクジラのせいだとは言っていない・・・日本政府」
 ひとつは、2日目のランチタイムセッションでのJARPNIIの紹介である。森下参事官は、すでにクジラポータルサイトの激論・討論において12月時点で、クジラが魚を食べつくすとはいっていないと述べているが、今回はさらに「クジラによって漁獲が減少したということではなく、その可能性を検討するためクジラと魚の関係を調べる」という言い方に変わっており、これまでの主張を知る人たちに不誠実という思いを抱かせた。そのスタンスを理解してか、かつて口々にクジラ害獣説を主張したカリブ諸国と南太平洋諸国はその件には沈黙を通し、アフリカのギニアとトーゴがあいまいに触れたのみになった。
余計なお世話だが、「捕鯨にはかかわらないが、クジラによって自分たちの漁獲が減少することが問題でIWCに加盟した」と訴えた国々は今後どうするのだろうか?

「調査捕鯨あっての沿岸捕鯨か?」
 もうひとつは、調査捕鯨と沿岸捕鯨の関係について、太地の議会議長に直接「調査捕鯨なしには日本の捕鯨はない」といわせたことである。三原氏のプレゼンテーションは、かつての太地の捕鯨が「アメリカの捕鯨」によって衰退し、あせった捕鯨者が荒天の中を無理にセミクジラ捕獲の船出して多くの犠牲者を出し、クジラ組みが消滅した事件を引き合いに、沿岸での捕鯨再開の正当性と調査捕鯨の必要性を訴えるというかなり論理的にも迷走した内容で、これも、この間私たちがレポートしてきた「調査捕鯨が沿岸小型捕鯨業者圧迫の元凶」という事実への言い訳であるのは明らかだ。
ホガース氏は、議長辞任後、複数メディアに「モラトリアムの解除でクジラの捕殺数は減少するのに」と述べているが、実際は調査捕鯨を誰も止めることができない状態のままなので、今回争点となっている調査捕鯨の枠の減少→消滅はこのままこの会議では解決できないものと思われた。
日本政府はいずれにしても「ちゃんと妥協策を示したのに海外の反捕鯨団体が妥協しないのがいけないのだ」という失敗のいいわけができ、がんばったのだから予算もつくということなんだな、と下種の勘繰りをしたくなる。

<市民参加の道は・・・>

 一方で、市民社会は表向きは「参加の必要性」をうたわれながらも、結果的にはガス抜きにしかならないスピーチをあたえられるだけだ。それでも、たゆまずに続ける努力の源をどこに頼ればいいのか、私にはわからない。主張することで何かが変わるわけではないが、ゆがみを感じるのは、重要事項の決定は密室で行われてその詳細はわからないこと、監視の目の届かない妥協への各国の譲り合いが、市民社会を置き去りにしていくことの懸念だと思う。

 国際会議におけるNGOの立場は、特定者の利益に傾かない公共の利益の追求だということで価値がある。特に、70年代に、自然の消滅、野生生物の絶滅の加速などが明らかになり、1国での管理が難しいことから、自然環境を守る国際条約がいくつか作られ、産業の利益追求への歯止めとしてのNGOの存在が評価された。
 しかし、産業界の巻き返しというものは常にあり、さらには、途上国の権益もくわわって、より「柔軟な」方向が求められている。
 ガチンコ対決では解決が難しいことはもとより理解のうえだが、争点をあいまいにすることがよりよい解決を産むとは到底思われず、結局は双方欲求不満に陥るのが「おち」という気がする。
 そんな中で、少数派の日本のNGOとしては、双方の意見を理解しようと努力しながらも、NGO本来の筋を通すことが、よりいっそう重要だと私は思っているのだが。
 
Casino_madeira

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