マデイラ行き 3
<あやふや>
2000年に、「南極のミンククジラ推定個体数760,000頭はもはや最良の数字とはいえない」という科学委員会の報告があったから、すでに9年が経過した。
今年の科学委員会の報告では、調査の方法によって最大で128,7000頭、最小は461,000頭という大きな隔たりのある数字が出された。最初のものは、従来の目視の方法によるもので、同じ方法でも2巡目が上記の数で、3巡目は688,000頭、新しい方法では2巡目が747,000頭、3巡目が上記最小値。
大きな隔たりについては、日本側は、ミンククジラがパックアイスの中にいるため過小評価されているといっているが、科学委員会はこの差がどこから来たものかさらに検討が必要といっている。
個体識別が完了した場合はいざ知らず、野生動物の生息数は陸上でもなかなか正確なところはわからず、アバウトであることを認識しつつ、調査を重ねる。ましてや穏やかなばかりではない南極の海のことである。早々簡単には結論はでないと思うが、日本政府はなぜか、目視調査SOWERへの船の貸し出しを打ち切ることにした。「致死的、非致死的いずれも重要」といっていたのに、南極での「非致死的調査」はやめ、北西太平洋ではじめるというのだ。IWCの管理下でやりたいというオーストラリアの非致死的科学調査へのあてつけという人もいたが、真相はわからない。オーストラリアの調査に参加することにしたというならそれはそれで結構なことだが。
推定個体数がこれまで日本では一人歩きして、あたかもスーパーのたな卸しをしたみたいに、一桁の数までをあたかも実数のように言う行政担当者までもいた。
それから、よく日本では間違ってとられる(というか、利用したいという側が恣意的に使うからだが)ことに「持続的な利用」という言葉がある。「持続的に利用できます」ということは、「利用しなければいけない」ということではなく、使うことも出来るがではどうしましょうか?という話し合いの前提で、利用する、しないは互いの了解事項だ。だから、「使いたいというのが科学的で、NOというのは非科学的」というような日本で横行している論調は間違いだし、場合によっては民主主義の欠落のしるしとも言える。
マデイラは火山由来の島ということで、切り立った崖のところどころに荒々しい岩肌が露出している。その上に、さらに赤い屋根が連なっているところは不思議な光景ではあった。
マデイラ自治政府の首都フンシャルは、かなり急な坂の連なりで出来ている。メインとなる道路を除き、舗装は海砂利-薄べったくて角の丸くなった7~8センチの石-をぎっちりと水平に並べた美しいが歩きにくいものである。特に急な坂を下りるとき、薄い靴底では辛いものがある。そろそろと歩く横を、自動車がものすごいスピードで下っていく。よく事故が起きないものとあきれてしまう。
私たちが滞在した周辺は比較的豊かな地域と見え、こぎれいなアパートが連なり、窓辺には花が咲き乱れていて歩道もきちんと清掃が行き届き、夜歩きをしても、怖い思いはなかった。
マデイラ自治政府のレセプションは、町はずれの要塞で行われた。入り口で、フェニックスと名前は忘れたが葉ランの花束をプレゼントされ、海を見渡すけっこう狭い見張り台で風に吹かれて社交が開始される。ワインなどもいろいろ用意されていたが下戸の私はこれについてコメントできない。島の産業のナンバーワンのマデイラワインは、「甘くない梅酒のようなもの」と誰かが言っていた。シェークスピアも形無し。
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