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2009年7月21日 (火)

マデイラ行き-旅の終わり

 経費削減が不可欠な活動事情とあって、IWC会議ではいつものことだが、朝はホテルのビュッフェ、昼ごはんはスーパーでパンや果物を買ってすます。マデイラのパンは、レストランで聞いたところ、ピタを分厚くしたような丸いパンで、ガーリックバターを真ん中に塗って食べる。スーパーにもあるが、レストランで注文するとガーリックバターがたっぷり真ん中に塗ってある、表面がこんがり焼けたパンが出てきてこれがおいしい。
 Portsantferry
スーパーで買うパンも、皮がパリッとして中がしっとりした全粒粉や黒いタイプなどお好み次第といったところ、思いがけずおいしいのがうれしかった。それにトマトや果物、飲み物で一人2~3ユーロでおいしくいただけ、お腹もいっぱいになる。

 マデイラもポルトガル本土同様、漁業が盛んで魚料理がおいしいという前評判であったが、魚を食べないことにしてしまった私は、これについてあまりきちんと報告することができない。ただ、はからずもオフとなった金曜日に訪れた市場は、奥に広々とした魚市場が設置され、地元の魚がいろいろと並べられ、大きなマグロがぶつ切りにされていた。とても清潔な見学もしやすいつくりで、ぐるりと上階にしつらえられたギャラリーから、観光客が次々と写真を撮っていく。
 町中に何軒もあるレストランの売り物も魚料理で、屋外に並べられたテーブルでは観光客が赤い顔をして、CORALという地ビールやマデイラワイン、ポートワインを飲み、山盛りの魚料理をつついている。エスパーダという黒タチウオやサケ、イワシ、アジや鯛と種類も多く、おいしいという話だった。黒タチウオにバナナを載せたフリッターを頼み、すこしつまんでみたが、まったく生臭みがない白身の魚で、バナナとの意外性も思いがけず相性が良く、おいしかった。高いレストランもあるのだろうが、わたしたちがいったところは20センチくらいの大きなイワシ3尾のバター焼き(+山盛りポテト)が5ユーロと安かった。

 食べ物ついでに書くと、マデイラのお土産やさんに並んでいるハニーケーキと言う黒いケーキは、サトウキビのシロップで作られるもので中にナッツなどが入り、自然食店にあるキャロブケーキに似て、パサパサ感に好みが分かれるだろうが、私はけっこう好きだった。ケーキも、海外では甘すぎて食べられない場合が多いが、毎回、コーヒーブレイクに出たエッグタルトなどの小さなケーキは好評のようだったし、ホテル近くのベーカリーカフェで食べたケーキも甘みも抑えてあり、おいしかった。

 マデイラは最初に書いたように、海から突き出している島なので、ビーチというものがないに等しい。それで、観光客は、海辺に立ち並ぶホテルのプールで海を見ながら泳ぐ。白浜で遊びたい人や釣り人たちは、となりのポルト・サント島までフェリーで遊びに行くらしい。毎日、大きな白い船が何回も出入りしていた。
 毎週土曜日に行われる花火も海岸べりまで行って見物した。最初、1,2発打ち上げた後で、手元で暴発したような気配でそのまま止まってしまい、もう終わりかとあきらめて帰りかけたらやっと本格に始まった。日本の打ち上げ花火と似たようなものもあるが、色彩感覚が違うなあ、と思った。オレンジとか、緑とか、あんまり日本では見ない組み合わせや色が使われて、なかなか見事なものだった。
この花火大会も地元のおっさんに聞くところでは、前回はロシア、その前はイタリアというように、あちこちの花火を打ち上げるような趣向も凝らされているようだ。

 こんなことでもなければ一生のうちで来ることもなかったろう島で、花火を見物するのも不思議なものだ。

ついでに。

 帰りの飛行機の便の不具合で、リスボンに一泊することにした。夕方について翌日昼ごろには飛行場に行くことになっていたので、見物というほどの時間もない。しかも、マデイラの最後の日から雲行きが怪しくなり、強い風と雨に見舞われたが、ポルトガル本土でもそれが続いた。ホテルに到着すると同時くらいに驟雨。

 実はもしポルトガルにきたら一度は行きたかったところがある。「ファドの家(カサ・デ・ファド」と呼ばれるポルトガルの地歌のライブハウスである。ホテルのフロントにいくつかのパンフレットが置いてあったのをみて、フロントの人に聞いてみた。
するとホテルから「すぐ」にあるファドの家を紹介してくれた。ここが最高というので、雨がいったん上がったところで、教えられたとおりに行ってみた(実際は15分以上、石畳を歩く羽目になったが)。8時ごろから始まるよ、といわれて、その頃についたのだが、すでに何組かの人たちが食事をしてわいわい騒いでいた。ロビーで待つ間、そばに60代くらいの機嫌の悪いおっさんが2人座っており、後で、席に案内された後でギターを抱えてこの二人が入ってきたとき、ああ、この人たちが演奏するのか、と気がついた。
その二人の後から若いなかなか素敵な女性が入ってきて、早速歌が始まる。ああ、ファドだ・・・とそのこぶしの具合に、私の知っている唯一のファド歌手のアマリア・ロドリゲスの雰囲気を思い出す。ギターの音色もしみじみと美しい。
アマリア・ロドリゲスという人は、まだ私が子どものころ、父親に聞かされた「暗いはしけ」という悲しい、しかし美しい歌で知った。その歌は、フランス映画「過去を持つ愛情」の主題歌として世界にファドを知らしめるきっかけとなったものだ。他にも、「思い出のリスボン」とか「ポルトガルの4月」など、アメリカ映画の主題歌やシャンソンとして日本でも知られている歌がある(ホテルでは有線で「なつかしのリスボン」を繰り返し流していた)。

 その夜は、15分くらいずつ、5人のファディスタが競い合ってそれぞれのファドを歌った。70歳を越した巧者もいれば、若くて実に伸びやかに歌いあげる若い人もいる。「なつかしのリスボン」など人気ある歌になると、レストランの人々が一緒に歌いだし、手拍子を打って盛り上がった。これが本場のファドなんだな、と実感した。
 結局、最後まで粘って、ブラジルから来たというへんてこな夫婦と記念撮影する羽目にもなったが、思いがけない出来事となった。

2009年7月18日 (土)

マデイラ行き 4

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 北西太平洋調査についての検討もあった。特に、日本と韓国沿岸での混獲だけでなく、調査捕鯨によって捕獲される日本海個体群(J-stock)に与える影響への懸念がいくつかの国から挙げられた。イギリスは、「調査捕鯨で消滅するのでは?」というようなかなり激しい発言をし、アメリカは日本と韓国で増えている混獲の数が調査捕鯨を上回っているとし、混獲回避のための勧告の必要性を訴えた。

 私たちは第3次国家戦略のとき、混獲の回避を求めたパブリックコメントを出したが、回答は「クジラは延縄では混獲されない」というとぼけたものだった。商業利用で、かなり定期的な混獲と流通経路があるようなので、いまさら混獲回避などできないというわけだ。毎年、日本だけで、ミンククジラの混獲が100頭を上回る。これにJARPNの100頭と沿岸調査の120頭を加えれば、RMPの限度を越えるに違いない。沿岸での捕鯨再開問題はこの事実を避けて通ることは出来ない。それを、海外反捕鯨国の「感傷」と片付けるのは不誠実というものだろう。日本は一体どこで妥協をしているのか?教えてほしいものだ。

 そういえば、2日目にあった北西太平洋調査に関するプレゼンテーションで、魚食問題のほかにもちょっと面白いことを発見した。
 日本は、北でマッコウクジラ10頭の捕獲枠を設けているが、自際は5頭前後の捕獲で推移している。以前、鯨研の方と電話でお話したときのこと、マッコウクジラの水銀汚染がかなりひどく、そのまま保管していて処理に困っている、なにかいい方法はないだろうか?と話された。赤身肉は食用にあまり適していないので以前も脂をとった後は、ミンクなど飼育動物の餌などにしていたと聞いたが、とっても困るのだ。

 しかも、彼らの食物は、深海のイカ類がほとんどであることは知られていたが、この調査では人間が資源として利用しているものをたくさん食べていることの証明が必要で「アカイカ」とのバッティングを調べるという方針だった。しかし、一向にマッコウの胃袋からアカイカが出てこない。今回初めてのことだが、この説明を試みたようなのだ。いわく、「マッコウクジラは中・深海のイカを食しているのはわかっていたが、表層ではどうかということをアカイカを例に調べた」そうである。

 オーストラリアは、また看板スターのピーター・ギャレット環境相を登場させ、南極海での非致死的調査の開始を告げた。あくまでも国際的な合意に基づく調査で、目視やバイオプシー、空からの調査など総合してクジラ類の生態を調べるというものである。
 彼はまた、NGOのいくつかのグループの記者会見にも参加し、いまや世界119カ国が実施しているホエールウォッチングの経済的な効果を訴え、推進を強く支援した。

 一方で、今回号で唯一の決議としてアメリカ、ノルウェーからだされた「温暖化の鯨類に与える影響への懸念」がコンセンサスで採択された。翌日には、コスタリカによるコスタリカ政府と国際NGOの合同調査によるレポート紹介もあり、海洋を例に取り、今後の温暖化とその緩和がいかに生物多様性保全に重要かが語られた。

 最初にも断ったように、今回会議は前回のチリにもまして「何にもないことが美徳」の会議で、しかも問題解決のための小作業部会のもとに、議長のサポートグループというものを立ち上げ、その会合が行われるので一日繰り上げで終わることとなった。グループの12カ国は、アンティグア&バービューダ。オーストラリア、ブラジル、カメルーン、アイスランド、メキシコ、ニュージーランド、セントキッツ、スェーデン、米国である。
ロシアのなんとかいう人形のように、中に小さな人形が幾重にも入っている仕掛けで、その代わり、小作業部会の公開性を高めたそうだが、どんどん、核となる話は小人数で決められていくという、やりきれない仕組み。
問題解決には、日本が過去の欧米の仕打ちへの恨みをいったん脇にどけて(ここが大切)、潔く問題の解決を-つまり、今のいかがわしいやり方を-停止し(つまり調査捕鯨をやめ)、そのうえで、実際に日本の市民が鯨肉を今必要としているのか、必要ならばどれくらいあればいいのか、そのためにはどうすれば言いかを真剣に議論し、政府と一部業界ではなく、市民のニーズとして、海外に発信していくことではないか、とひそかに思っているのだが。

 昨年は次回開催地に立候補するところもなかったが、今回モロッコが手を上げ、アガジールと言う大西洋に面した漁村で開かれることになった。またまた、日本からはかなりの遠隔地になる。

2009年7月14日 (火)

イルカの貸し出し

 梅雨明けしたようで、心なしか日差しも一段と強さを増したようだ。
 この前の日曜日に、久しぶりに私書箱チェックをして、見知らぬ人からの手紙を見つけた。和歌山県の田辺市に出来た扇ヶ浜という海水浴場で、夏休み期間中の7月18日から8月16日までイルカを「飼育」し、「観光客を楽しませる‘イルカふれあい事業’を市と商工会議所が企画している」、という地元の新聞記事がはいっていた。
計画は、2頭のイルカ(バンドウイルカ?)を太地くじらの博物館から借受け、海水浴場の一部を仕切って展示、餌やりやタッチングをするという。

 先日のマッコウクジラの迷い込みとそのときのにぎわいに味を占めたのだろうか? そうだとしたら、あさましいものだ。

 早速、田辺市に電話して詳細を聞いてみた。イルカを展示する場所は、推進が3.5メートルの海辺のオープンスペースで、日差しをさえぎるものも、隠れ場所もない状態で四六時中、イルカが展示される。1日、5,6回、観光客に餌やりやタッチングをするという。
 展示動物の飼育規準では、飼育する動物が日差しから逃れ、また避難できるようなスペースが必要と書いてあるが、というと、担当者はそうしたスペースがないことを認めたうえで「和歌山県の許可を得ている」という。
 水族館や販売業者さえ、イルカを移動するときには日焼けを懸念してぬれた布を身体にかける。もともと、水中にいる時間が長い動物だから、空気に長い間さらされているのに弱いわけで、それが真夏の直射日光にさらされたらどうなるだろうか?
 市の職員は、獣医は常設されるのか?という問いに、週1回、太地クジラの博物館の獣医が巡回すると答えた。また、経験のあるもとトレーナーが常駐するようである。
 しかし、海水浴場という(しかもイルカなどいなくてもけっこう繁盛しているところらしい)不特定多数の行き来する場所で、直射にさらされた状態で芸をさせられるというのは一種の「虐待」といえないだろうか?
 すでに実行段階に入っており、こうした飼育展示は賛成できないということと、せめて隠れ場所の設置を強く要望する以上は出来なかった。

 環境省は、動物取扱行は都道府県の管轄なので、県が許可したというなら「適正」であろうというしかし、かつて、淡水河川に一時的にイルカが入れられるという通報も受けたことがあり、どのように適正なのかは実際に現場を見ないと(しかも生態を良く知っていなければ)わからないだろう。環境省にその気がないのは明らかだし。

 環境省は、こうしたケースは想定外であることを認めた。今後の規準上、こうした事例も考慮してほしいといったが、後味は悪い。
 
 
 

2009年7月11日 (土)

マデイラ行き 3

<あやふや>


 2000年に、「南極のミンククジラ推定個体数760,000頭はもはや最良の数字とはいえない」という科学委員会の報告があったから、すでに9年が経過した。
 今年の科学委員会の報告では、調査の方法によって最大で128,7000頭、最小は461,000頭という大きな隔たりのある数字が出された。最初のものは、従来の目視の方法によるもので、同じ方法でも2巡目が上記の数で、3巡目は688,000頭、新しい方法では2巡目が747,000頭、3巡目が上記最小値。
 大きな隔たりについては、日本側は、ミンククジラがパックアイスの中にいるため過小評価されているといっているが、科学委員会はこの差がどこから来たものかさらに検討が必要といっている。

 個体識別が完了した場合はいざ知らず、野生動物の生息数は陸上でもなかなか正確なところはわからず、アバウトであることを認識しつつ、調査を重ねる。ましてや穏やかなばかりではない南極の海のことである。早々簡単には結論はでないと思うが、日本政府はなぜか、目視調査SOWERへの船の貸し出しを打ち切ることにした。「致死的、非致死的いずれも重要」といっていたのに、南極での「非致死的調査」はやめ、北西太平洋ではじめるというのだ。IWCの管理下でやりたいというオーストラリアの非致死的科学調査へのあてつけという人もいたが、真相はわからない。オーストラリアの調査に参加することにしたというならそれはそれで結構なことだが。
 推定個体数がこれまで日本では一人歩きして、あたかもスーパーのたな卸しをしたみたいに、一桁の数までをあたかも実数のように言う行政担当者までもいた。

 それから、よく日本では間違ってとられる(というか、利用したいという側が恣意的に使うからだが)ことに「持続的な利用」という言葉がある。「持続的に利用できます」ということは、「利用しなければいけない」ということではなく、使うことも出来るがではどうしましょうか?という話し合いの前提で、利用する、しないは互いの了解事項だ。だから、「使いたいというのが科学的で、NOというのは非科学的」というような日本で横行している論調は間違いだし、場合によっては民主主義の欠落のしるしとも言える。

 マデイラは火山由来の島ということで、切り立った崖のところどころに荒々しい岩肌が露出している。その上に、さらに赤い屋根が連なっているところは不思議な光景ではあった。
 マデイラ自治政府の首都フンシャルは、かなり急な坂の連なりで出来ている。メインとなる道路を除き、舗装は海砂利-薄べったくて角の丸くなった7~8センチの石-をぎっちりと水平に並べた美しいが歩きにくいものである。特に急な坂を下りるとき、薄い靴底では辛いものがある。そろそろと歩く横を、自動車がものすごいスピードで下っていく。よく事故が起きないものとあきれてしまう。
 私たちが滞在した周辺は比較的豊かな地域と見え、こぎれいなアパートが連なり、窓辺には花が咲き乱れていて歩道もきちんと清掃が行き届き、夜歩きをしても、怖い思いはなかった。

 Madeira_reception
マデイラ自治政府のレセプションは、町はずれの要塞で行われた。入り口で、フェニックスと名前は忘れたが葉ランの花束をプレゼントされ、海を見渡すけっこう狭い見張り台で風に吹かれて社交が開始される。ワインなどもいろいろ用意されていたが下戸の私はこれについてコメントできない。島の産業のナンバーワンのマデイラワインは、「甘くない梅酒のようなもの」と誰かが言っていた。シェークスピアも形無し。

Iwc61room

2009年7月 7日 (火)

マデイラ行き 2

  来年のよりよい成果を狙って、日本政府がしたことは二つある。

「漁獲減少はクジラのせいだとは言っていない・・・日本政府」
 ひとつは、2日目のランチタイムセッションでのJARPNIIの紹介である。森下参事官は、すでにクジラポータルサイトの激論・討論において12月時点で、クジラが魚を食べつくすとはいっていないと述べているが、今回はさらに「クジラによって漁獲が減少したということではなく、その可能性を検討するためクジラと魚の関係を調べる」という言い方に変わっており、これまでの主張を知る人たちに不誠実という思いを抱かせた。そのスタンスを理解してか、かつて口々にクジラ害獣説を主張したカリブ諸国と南太平洋諸国はその件には沈黙を通し、アフリカのギニアとトーゴがあいまいに触れたのみになった。
余計なお世話だが、「捕鯨にはかかわらないが、クジラによって自分たちの漁獲が減少することが問題でIWCに加盟した」と訴えた国々は今後どうするのだろうか?

「調査捕鯨あっての沿岸捕鯨か?」
 もうひとつは、調査捕鯨と沿岸捕鯨の関係について、太地の議会議長に直接「調査捕鯨なしには日本の捕鯨はない」といわせたことである。三原氏のプレゼンテーションは、かつての太地の捕鯨が「アメリカの捕鯨」によって衰退し、あせった捕鯨者が荒天の中を無理にセミクジラ捕獲の船出して多くの犠牲者を出し、クジラ組みが消滅した事件を引き合いに、沿岸での捕鯨再開の正当性と調査捕鯨の必要性を訴えるというかなり論理的にも迷走した内容で、これも、この間私たちがレポートしてきた「調査捕鯨が沿岸小型捕鯨業者圧迫の元凶」という事実への言い訳であるのは明らかだ。
ホガース氏は、議長辞任後、複数メディアに「モラトリアムの解除でクジラの捕殺数は減少するのに」と述べているが、実際は調査捕鯨を誰も止めることができない状態のままなので、今回争点となっている調査捕鯨の枠の減少→消滅はこのままこの会議では解決できないものと思われた。
日本政府はいずれにしても「ちゃんと妥協策を示したのに海外の反捕鯨団体が妥協しないのがいけないのだ」という失敗のいいわけができ、がんばったのだから予算もつくということなんだな、と下種の勘繰りをしたくなる。

<市民参加の道は・・・>

 一方で、市民社会は表向きは「参加の必要性」をうたわれながらも、結果的にはガス抜きにしかならないスピーチをあたえられるだけだ。それでも、たゆまずに続ける努力の源をどこに頼ればいいのか、私にはわからない。主張することで何かが変わるわけではないが、ゆがみを感じるのは、重要事項の決定は密室で行われてその詳細はわからないこと、監視の目の届かない妥協への各国の譲り合いが、市民社会を置き去りにしていくことの懸念だと思う。

 国際会議におけるNGOの立場は、特定者の利益に傾かない公共の利益の追求だということで価値がある。特に、70年代に、自然の消滅、野生生物の絶滅の加速などが明らかになり、1国での管理が難しいことから、自然環境を守る国際条約がいくつか作られ、産業の利益追求への歯止めとしてのNGOの存在が評価された。
 しかし、産業界の巻き返しというものは常にあり、さらには、途上国の権益もくわわって、より「柔軟な」方向が求められている。
 ガチンコ対決では解決が難しいことはもとより理解のうえだが、争点をあいまいにすることがよりよい解決を産むとは到底思われず、結局は双方欲求不満に陥るのが「おち」という気がする。
 そんな中で、少数派の日本のNGOとしては、双方の意見を理解しようと努力しながらも、NGO本来の筋を通すことが、よりいっそう重要だと私は思っているのだが。
 
Casino_madeira

京都水族館計画について思ったこと

 7月5日、京都の「京都水族館を考えるつどい実行委員会」から、生物多様性とイルカ飼育について話してほしいという依頼があり、京都にでかけた。
 京都水族館計画というのは、京都駅から徒歩15分くらいにある「梅小路公園」に隣接した京都市の所有する倉庫跡地をオリックス不動産が借り上げ、内陸で最大規模の水族館を建設すると言うものである。
 昨年7月に「つながるいのち」と銘打ったその計画が公開され、検討委員会も設置されてその計画が妥当だという答申も出た。
 ところが、年末に市が行ったアンケートの結果、市民の7割が反対を表明した。
 「水文化」を持つ京都で、水の流れを再現してつながり感を生み出すとしながら、その中心に据えられているのは新江ノ島水族館をモデルとしたもので、相変わらずのイルカなどによるショーである。

 イルカのショーの是非は、「生物多様性」とは直接的に関係のない「動物の福祉」であり、その意味ではやりにくい話ではあったが、生物多様性保全に資するような水族館のあり方と日本周辺のイルカの生息状況を示すこと、それに、イルカが本来どのような生態を持つ動物なのか、を示すことで、依頼にこたえることとした。

 実際は、冒頭に、他団体によるイルカ捕獲のDVD上映があり、生物多様性がなにか、ということも福祉の問題もごちゃごちゃの展開になってしまったが、それでも地元の新聞報道では私が紹介したシーライフセンターやモンタレー水族館のことも触れてあったようなので、話もまったくの無駄ではなかったと少しほっとした。

 帰り道に、どうせだからとその倉庫跡地を見によって見て驚いた。細長い空き地が公園の脇にのび、向いには見下ろすような形で狭い道路とその向こうに住宅が続く。たとえてみれば、小高いところに薄い細長い長方形の積み木を横に立てたような形なのだ。
 そこに住む人たちにとって、もし水族館が出来たなら、建物が分厚い壁となってえんえんと連なり、日の光や風をさえぎることになるだろう。

 水族館の是非より前に、こんなところに施設を建てる企業、そして半額で土地を貸す行政の神経を疑いたいと
つくづく思ったことだった。

2009年7月 3日 (金)

マデイラ行き 1

 マデイラ行き- IWC61会議報告

 飛行機が高度を下げるにつれて、海から直接盛り上がる台地に、点々とオレンジ色の屋根が重なるのが見える。リスボンから2時間弱、マデイラ島は、壺を伏せたような形で大西洋にそそりたつ。

「大西洋の真珠」と呼ばれるこの島が,意外なことに「ちょっと熱海のようだ」というのは、旅の仲間が同時に感じたことである。海辺に立ち並ぶホテル群と急な斜面に連なる家々の様子に、日本の温泉地を連想してしまったのだろう。ただし、屋根瓦は暖かいオレンジ色、壁はオフホワイトときれいに統一されていて、その部分はヨーロッパ的な洗練が感じられるが。
 ホテルへの道中で見る島の植生は、本来の姿を想像するのが難しいほど多様である。アブラヤシ、タコノキ、イチジク、バナナ、タイサンボク、ゴム、ピラカンサやフジ、ニセアカシヤ(もどき)、プルメリア、さまざまな色の花の咲くキョウチクトウ。
 
 会議場となっているホテルは、島一番のカジノをもち、入り口にはど派手な看板がIWCのバナーの代わりに出ている。
 マデイラ地方政府は、最初、メディアとNGOに対して厳重なチェックを敢行しようとした。NGOの要請で、ポルトガル政府関係者が動き、事前の身分証明書の提出は見送られたが、登録の最初にパスポート提示を求められる。世界が恐怖によって分断されている実感がある。しかも・・・
 外務省は、マデイラ旅行者への注意事項として、人々を刺激しないために捕鯨の話題などは慎むようにとHPで訴える。

<会議の概要>

 今回会議は始まる前からすでに「何も起こらない」ことが約束されていた。そのため参加しなかった人たちも結構いるはずで、特に日本からのメディアの少なさは予想以上だった。 互いを思いやり「サプライズはなし」というのがホガース議長の方針である。

 主要な課題のひとつ、調査捕鯨、日本の小型沿岸捕鯨、サンクチュアリのパッケージはすでに来年の検討事項となっているが、会議冒頭、日本政府は正常化への貢献として、アラスカ会議からの決まり文句である「日本が本来認めていないいくつかの議題-すなわち、保存委員会の検討議題や小型鯨類等IWCの管轄外であると日本が考える議題の削除を求めない」ということに加え、調査捕鯨の捕獲数削減、サンクチュアリの容認といった「妥協」提案を行った。
 日本ではこの政府の意見を代弁する報道もあったようだが、私にはオーストラリア政府の「(IWCの管理を受けないで行われている)調査捕鯨こそが問題の根本原因であり、その検討がまず行われるべき」という意見がまっとうであるように思える。

 今回のもうひとつの課題は、デンマーク領グリーンランドにおける捕獲枠の拡大への対応である。前回チリで、グリーンランドはセミクジラとザトウクジラの新捕獲枠を要望した。セミクジラ2頭の捕獲は認められたものの、ザトウクジラの暫定枠は否決され(昨年の唯一の投票)、今年会議で見直されることとなった。今回の提案は、東グリーンランドでのミンククジラの枠の削減(200頭から178頭)とザトウクジラ10頭の5年間の許可願いであった。しかし、これはまだ反対意見もあり、2010年単年度の捕獲と再提案されたものの、コンセンサスを得られず、来年まで持ち越された。

 ここで、これまでの議論の問題点の典型が出てきたと感じた。
 先住民生存捕鯨は、一部先住民にとって、伝統的、文化的に不可欠な要素としてだけでなく、それを主要な蛋白源として活用してきた地域に、商業捕鯨とは異なる管理の方法で枠を算出して許可しているものである。
ここで問題となるのは、
1. これまでの地域消費の範囲を超える現金収入源として特別捕獲枠を設定するのか
2. 枠の無原則的な拡大は許されるのか
という先住民生存捕鯨の定義の見直しであって、カリブ諸国が競って演じた「先住民を特別扱いする新植民地主義」とか「飢えている子どもを見殺しにしてよいか?」といった義憤もどきは、論議の的を外れたものであるように思われる。

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