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2009年4月 4日 (土)

海洋環境の保全に関するシンポジウムの感想

 シンポジウムがあったのは先週の土曜日だから、すでに1週間たってしまった。
毎日、書かなければと思いつつ、あれこれと頭の中でこねくり回しているうちに、どんどんと日にちが過ぎてしまう。なんとね。

 このシンポジウムは企画の段階から参加していて、海洋環境にとって重要なプレイヤーである水産業についてきちんとした批判が必要との判断の元で勝川俊雄氏を選んだ。彼の書くブログは先鋭で、仲間内でもけっこう評判が高いのだが、それだけに敵も多いようだ。
 これまで接してきた水産関係者や行政のことを考えると、そのことは容易に理解できることだが、一方で、メディアとかNGOの中でも、水産行政への批判を漁業者への非難と受け止めて、彼を受け入れない雰囲気がある。

 そんな中でのシンポジウムだったが、会場(弘済会館)がほぼいっぱいになるくらいの人が入って、50分間の彼の話に集中した。

 漁業が何で衰退してしまったか、ということ水産行政への批判は相変わらず鋭く説得力があったが、国内外における漁業資源の枯渇についての消費者としての責任にも言及したことも非常に良かったと思った。

 「もっとお魚を食べましょう」とこれまでの乱獲に大いに責任のある日本人が言うのがはたしていいのだろうか???将来にわたり、お魚を食べ続けられるようにするためにはなにをすればいいか・・・・・

 彼の主張は、日本が使っているTAC制度(7種の魚種に関して資源量を解明してそれから総捕獲枠を決定している)は、早い者勝ちのオリンピック方式になるから、まだ育ちきらない市場価値の低い魚を多くとる結果となって持続的な利用が難しい、それに対してノルウェーやニュージーランドで採用するITQという個別の捕獲枠の割り当てのほうが、急がずに市場価値が上がってから捕獲できるので漁業者に有利というものだ。

 これに対しては、日本の漁業現場にはそぐわないと水産庁は導入するつもりはないようだ。

 おや!と思ったのは(当たり前かもしれないが)、国内漁獲量の減少により、輸入や養殖で代行しようとしているが、輸入に関する国際責任とともに、養殖が結果的に自然のものに変わりうる可能性はない、問題が多い産業だと言い切ったところだ。
 どうも日本型の資源回復を、農林業と同じ発想で養殖や種苗放流でまとめようという方向に私は大きな疑問を持ってきたので、これはなかなかうれしかった。
 それから、海洋環境についてもきちんと話され、海洋保護区の漁業への貢献だけでなく、ニュージーランドを例にとって、生物多様性の保全をまず考える必要があるとも言われた。
特に、周辺海域の生態系の区分をまず行い、生物多様性の特徴的な海域のどこを重点的に保全するかというマッピングを行っているという話は、以前から環境省に海洋保護区としてまず必要なこととして言い続けてきたことを
裏付ける話だったのでうれしかった。

また、開かれた水産業の将来にとって、多様な関係主体の参加が不可欠であるとし、その中での市民やNGOの役割の重要性も指摘してくれた。

 次に報告した海洋政策本部は案の定、海洋保護区の「あるべき」姿について省庁間で検討中(いつまでやってるんだか)だし、自然公園法改正でも、漁業と本気で切り結ぶつもりはないようだ。
 一応、2010年対応を考えているものの、上手な作文しか出来上がらないな、という感を強くした。

 その後、いろいろな感想を聞いたが、一つは、NGOとしてもっと消費者の啓発に努めたほうがいいというものと
漁業者が海洋環境の悪化に責任があるということへのためらい、感情的な反発といったものもあった。

 消費者の啓発については、アメリカがスーパーなどで実施している(と以前テレビでみた)販売されている魚が希少性が高いかどうかの判断ができるような表示の導入が考えられる。
 しかし、持続性という選択肢は安全性へのこだわりほど即効性が感じられず、それ以前の教育が不可欠だと思う。
一方で、漁業者の責任については、現行漁業制度の下での問題だけでなく、たとえば沿岸開発など、水産以外での議論が必要だろう。
 水辺の乱開発にまで水産学は踏み込めるのか。今後も見て生きたいと思った。

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