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2009年3月19日 (木)

IWC中間会合ーローマ 2

 チリで再開されたNGO発言だが、特定の時間に押し込められてしまうために、行われている議論に有効にかみ合わせることがほとんど不可能なものだ。勢い、所信演説のような格好になるのもやむをえない。

 各国がどの程度意見を聞く用意があるのか不明な中で(可能性は低いと思う)、それでも所信演説ではなく、日本という特殊な立場にいる以上、市民の目から見た捕鯨への日本のあり方や産業の実態を伝えるということが発言することの意義なのだろうと考えた。

 特に、今回の日本沿岸捕鯨の社会経済的、伝統的な側面の議論において、各国がその商業性を暗黙の了解事項としつつ、妥協点を図るという方向に対しては、日本人として釘をさしたいという気持ちがあった。
 国際的な管理に棹さして日本が行っている捕鯨行為を何とかするため、泣く泣く妥協するというのでは、どっちの側にとっても「前向き」とは言いがたい。そのことの意味を日本の中でもっとみんなが噛みしめる必要があると私は考える。

 もう一つ、日本政府は決して自ら語ろうとはしない、日本沿岸の希少なミンククジラ個体群について、国際的な管理が必要とした。本当は、国内できちんと管理がなされるべきことで、こんなことを訴えるのは恥ずかしいことなのだけれども。
 25,000頭のミンククジラがすくなくとも2つの個体群によって構成されていることをどれだけの日本人が知っているだろう? いまのところ、海域的に比較的混在が少ないといわれる海域での沿岸業者委託調査が実施されているものの、定置網での混獲についてはなんらの規制もされていない。2007年、2008年と混獲されたミンククジラの約半数がこの希少個体群で、日本海側での混獲ではこの危険性が高いようだ。
 しかし、3月14日の北国新聞にも明らかなように、

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/HT20090314401.htm

混獲・座礁が増えたことはそのまま沿岸捕鯨への期待に直結する。迂回して情報を提供するのも歯がゆいものがあるが、これまで伝えようとしてきたものの、なかなか伝わらないことも事実である。

 
 今回の私の発言は捕鯨に絶対反対するという内容ではなく、議論のベースとなるデータ提供である。捕鯨に反対するコミュニティは、それでも私を3人の代表発言者の一人として選んだのはけっこう感激だった。
 「感情的な反捕鯨」と反復する前に、国内の状況の冷静な分析こそ日本市民に求められることである。

 
 議長の妥協案に関していえば、南極で捕獲数を少なくし、沿岸で始めるという選択肢は、日本政府にしたら「もうけもの」なのではないかと私は邪推する。沿岸の漁業者にいい顔が出来、「仕事をしました」というアリバイも作れるうえ、南極での多すぎる捕獲枠の消化や運搬に頭を悩ませることもなくなるのだから。

 でも、もし、妥協点が見いだせなくても日本には失うものはない。ただそのまま、続けるだけで、しかも、今回は「アメリカにいじめられた!」と強く訴えることが出来る。 それはすでに既成のシナリオとして出来上がっているだろう。

 日本のメディアの中にも、オバマ大統領で政策が変わるので、今回が勝負どころというような記事が散見したが、すくなくとも私が見てきた限りではそのような緊張感はなかった。


 

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