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2009年3月27日 (金)

中間会合-ローマ つけたし

Rome_044

写真は、私が止まったサンファンゲストハウスのフロント。小さな銅版がゲストハウスの表示。

最後の日は、SSが以下に日本の調査捕鯨を妨害したか、というビデオ上映でおしまい。
午後は解放され、短い観光?と思ったら、GPのH君がこれから日本政府の記者会見があるから
聞きにいかないか、という。本会議は、ポータルサイトでの中継が残っているので帰国後に
見ることが出来るが今回はそういうものもないので、どのような話をするか興味があり、聞きに
いく。

教会を改造したの?という感じのなにやら由緒ありそうなホテルで、記者会見場に行こうと
ホテルを入って会場前で水産庁にとめられた。記者のみの会見だから、傍聴はできないと
いうことだ。まあ、こんな会議でも隠すことがあったか、と感心してしまう。

おとなしく、それでも出てくる記者さんたちに話しかけてみようとホテルの前でしばらく待ってみた。

出てきた記者さんが驚いて、何で入ってこなかった?と聞く。
なんでも、今回は記者さんたちすべての申し合わせで、傍聴を許可することにして、その旨政府
に伝えたのだという。

担当者は、問いただされて、最後には「ミス・コミュニケーションでした」と謝った。

傍聴を止めるのは子どもじみたやり方だと思ったし、ちゃんと言ってくれた記者さんに感謝。
今後、少しは態度を変えるだろうか???

2009年3月25日 (水)

中間会合ーローマ 3(おしまい)

 2004年のIWC会議で一度イタリアには来たことがある。ソレントと周辺はまさにミニヨンの「わがふるさと」が実感される花咲き乱れるレモンとオリーブの国だった。
 今回のローマはそれとは異なるが、やはり「さすがは古都」と思われる情緒のある都市だ。

 狭い石畳の両側にはびっしりと中型・小型車が駐車していて、大きなとおりは渋滞がひどいという車事情があるが、それでも見上げる建物の狭間から見える青空に洗濯物がはためくさまはイタリア、ネオリアリスモの世界そのまま。
 到着が5時間近く遅れて真夜中にタクシーでついたところがちょうどそんな高いビルの間で、目の前には古めかしい鉄の門が閉まっている。運ちゃんから「確かにここだよ」といわれてみれば、小さくゲストハウスの小さな表示。呼び鈴を押したら寝ぼけ眼のおっさんが出てきて中に入れてくれた。中庭の先に、なかなか風情のある入り口があって、入ると古いつくりの家の雰囲気で、長い年月磨かれてきたと思われる木の床がぎしぎし鳴る。ロビー前のサロンには天窓があり、その周囲にいくつかの部屋の木の扉が並ぶ。

 ホテルよりもよほどいいところにあたったとうれしくなった。近くには、サン・ジョバンニ・ラティラーノという教会があり、毎朝きれいな鐘の音が聞こえた。

 最初の日に、宿の人にバスに乗せてもらったのはいいが、暗くなっても帰り道が少し心細い。それを声に出していったものだから、海外の友人が心配して、「あんたが宿に入るのを見届けない限り、心配でホテルに帰れない」とばかりについてきてくれた。持つべきものは友である。

 と、観光旅行ではないので、この辺でとめておこう。

 会議は最初にも書いたように、アリバイつくりか?というようなもので、最後の議長のプレス発表からして「雰囲気がよくなった。攻撃的な議論がなくなった」というのが唯一の成果(?)のようだ。

 オバマ政権になって、アメリカのスタンスが実際にどう変化するかはまだは最終的にはわからないが、日本政府側にしたら、失うものもなし、抵抗する相手が強いほうが格好がつくというものである。
 少なくとも、今回の妥協案の可能性としてある、南極では無理な枠を消化しなくてもよくなり、沿岸業者にも恩を売れ、国内のイケイケ勢力に「ちゃんと働いた」と成果を報告できるというような、日本一人勝ちみたいなことだけは避けたいな、と思う。

 3月23日から、オーストラリアはチリで発表した「南極国際鯨類調査」のワークショップをシドニーで開催しているようである。
http://www.ens-newswire.com/ens/mar2009/2009-03-23-01.asp

 参加国は13。1国独断ではなく、国際的なパートナーシップのもとでの科学調査で、5年間の計画をIWCに提出する。また少なくとも2013-14年までの非致死的科学調査のための資金として1400万オーストラリアドルを計上するとしている。

 1昨年のJARPAの評価会議で、日本の当初目的が達成されていないことが明らかな今、この調査計画はけっこういいところをついていると思う。
 IWCの将来が、問題解決とは異なる政治的な決着にならないためにも、どんどんこうした積極的な提案が前に進むことを望みたい。

2009年3月19日 (木)

IWC中間会合ーローマ 2

 チリで再開されたNGO発言だが、特定の時間に押し込められてしまうために、行われている議論に有効にかみ合わせることがほとんど不可能なものだ。勢い、所信演説のような格好になるのもやむをえない。

 各国がどの程度意見を聞く用意があるのか不明な中で(可能性は低いと思う)、それでも所信演説ではなく、日本という特殊な立場にいる以上、市民の目から見た捕鯨への日本のあり方や産業の実態を伝えるということが発言することの意義なのだろうと考えた。

 特に、今回の日本沿岸捕鯨の社会経済的、伝統的な側面の議論において、各国がその商業性を暗黙の了解事項としつつ、妥協点を図るという方向に対しては、日本人として釘をさしたいという気持ちがあった。
 国際的な管理に棹さして日本が行っている捕鯨行為を何とかするため、泣く泣く妥協するというのでは、どっちの側にとっても「前向き」とは言いがたい。そのことの意味を日本の中でもっとみんなが噛みしめる必要があると私は考える。

 もう一つ、日本政府は決して自ら語ろうとはしない、日本沿岸の希少なミンククジラ個体群について、国際的な管理が必要とした。本当は、国内できちんと管理がなされるべきことで、こんなことを訴えるのは恥ずかしいことなのだけれども。
 25,000頭のミンククジラがすくなくとも2つの個体群によって構成されていることをどれだけの日本人が知っているだろう? いまのところ、海域的に比較的混在が少ないといわれる海域での沿岸業者委託調査が実施されているものの、定置網での混獲についてはなんらの規制もされていない。2007年、2008年と混獲されたミンククジラの約半数がこの希少個体群で、日本海側での混獲ではこの危険性が高いようだ。
 しかし、3月14日の北国新聞にも明らかなように、

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/HT20090314401.htm

混獲・座礁が増えたことはそのまま沿岸捕鯨への期待に直結する。迂回して情報を提供するのも歯がゆいものがあるが、これまで伝えようとしてきたものの、なかなか伝わらないことも事実である。

 
 今回の私の発言は捕鯨に絶対反対するという内容ではなく、議論のベースとなるデータ提供である。捕鯨に反対するコミュニティは、それでも私を3人の代表発言者の一人として選んだのはけっこう感激だった。
 「感情的な反捕鯨」と反復する前に、国内の状況の冷静な分析こそ日本市民に求められることである。

 
 議長の妥協案に関していえば、南極で捕獲数を少なくし、沿岸で始めるという選択肢は、日本政府にしたら「もうけもの」なのではないかと私は邪推する。沿岸の漁業者にいい顔が出来、「仕事をしました」というアリバイも作れるうえ、南極での多すぎる捕獲枠の消化や運搬に頭を悩ませることもなくなるのだから。

 でも、もし、妥協点が見いだせなくても日本には失うものはない。ただそのまま、続けるだけで、しかも、今回は「アメリカにいじめられた!」と強く訴えることが出来る。 それはすでに既成のシナリオとして出来上がっているだろう。

 日本のメディアの中にも、オバマ大統領で政策が変わるので、今回が勝負どころというような記事が散見したが、すくなくとも私が見てきた限りではそのような緊張感はなかった。


 

2009年3月17日 (火)

IWC中間会合ーローマ 1

 万年資金不足で、中間会合は遠慮しようと思っていた。
土壇場で気が変わったのは、昨年のチリで合意された対立する争点を洗い出し、妥協点を探る「IWCの将来」のための小作業部会の流れだ。
議長のパッケージ提案として、調査捕鯨、サンクチュアリと日本の沿岸小型捕鯨の引き換え調停案が出された。
沿岸の捕鯨については、国内世論では支持を得やすいところであり、すでにメディアも前向きな動きと期待する記事がでていたのはここでいうまでもない。 
 
 これまで、主に国内で捕鯨問題についてのべつ角度からの情報提供を務めてきたIKANとしては、国内はもちろん海外にも事実を伝えるため、ここは働きどころであろうと判断した。

 IKANの立場は、合意形成に向けて、より誠実に事実関係の情報を共有することが不可欠だというものだ。そのため、対立する論点を前に出すよりも、事実を伝えることを主目的としてきた。

 すでにブログにも書いたが、昨年5月に私たちは政府の言うところの「原住民生存捕鯨と同等」である4つの捕鯨地域の調査を行った。それまでの断片的な知識でも、いわゆる伝統捕鯨地というものとは若干異なると考えてきたので、そのことを確認する調査が必要だったのだ。

 結果は、HP上のレポートに明らかなので重複は避けるが、大手メディアのムード的な「日本チャチャチャ」は不愉快なので、記者クラブに冊子を届け、会合の報道が誤った判官びいきの方向に流れないことを願った。
 幸い今のところ、あんまり感情的な報道はないようだ。もっとも、中間会合そのものが気の抜けたサイダーみたいなものだったということもあるので、冊子が何らかの影響を持ちえたのかどうか、そこはなんとも判断できないのだが。

 中間会合は、「IWCの将来」と銘打って、一応はIWC本会議では十分議論しきれないところを集中的に議論する場と考えられ、決定事項は本会議にゆだねられる。
 今回の会議は、昨年チリ会合以降に数回開催された小作業グループ内の議論をオープンにするため設けられている。合意形成のための33項目の点検をA,Bの議論順位をつけて行うので、先にあげたパッケージ提案はAである。

 初日、会合そのものは非公開でメディアも受け入れないものとされた。

 しかし、翌日、早速、非公開は会議終了後は公開可能と修正される。その後から、けっこう内容が日本のメディアで流れた。誰か、フライングしたものがいるようだ。

 公開するために事務局の仕事が増えたという理由で、2日目の会議は午前中に短縮された。当初、2時から予定されていたNGO6団体(捕鯨推進3、捕鯨反対3)のプレゼンテーションは、予定よりも早く午前11時からスタートした。
 捕鯨反対の3団体のうち1つが私たちで、日本の沿岸捕鯨に関しての懸念を伝えることで、今後の議論への貢献をしたいと考え、そのための用意をぎりぎりまで行った。
 

2009年3月 5日 (木)

ラッコ用水槽に入れられたイルカ

 「生きる」ということ中身が、単に息をしているというだけでは不十分であることはいまさら言うまでもない。

 飢えや渇き、栄養不良にならないこと、不快な生活環境にないこと、身体的な痛みや怪我、病気から解放されていること、通常の生活を送る権利、恐怖や絶望からの解放。
 これらは、生きていくために十全ではないかもしれないが不可欠のものだ。

 地球上には、こうした生活を保障されていないたくさんの人々がいる。
 国家の介在する解決不可能なようにも見えることも含め、こうした悲劇は、人の持つ欲望や征服欲、知らないものを脅威とみなし、排除したい傾向、あるいは知らないものが同じように痛みを感じることを認めない、認めたくない狭さが基にあるように思う。

 人同士においてさえ、乗り越えることの難しいこうした悲劇は、ヒトのみならず地球上の多くの生命を脅かしているといえる。
 生物多様性条約を持ち出すまでもなく、人は人だけではなく、他のいのちともつながりを持つことでこの地球上に生かされてきたからである。
 
 実は最初に掲げたのは、人が他のいきものを飼育する場合の規準として一般的になりつつあるものだ。

人が飼育する以上、こうした最低限の生きる権利を守りなさい、もしそれが不可能な場合は飼育を断念しなさい、というのが本来掲げられた目的だと思うが、往々にして、出来るならばそうしたい、というくらいの倫理規準でしかないのが現実だ。

 たとえば、ある水族館がマダライルカという成獣で2m平均のイルカを数頭、水深が140mの狭い水槽に入れているとする。
 イルカたちは日がな一日、頭を水の上に出して浮かんでいる。
 もともとは、かなり広い海洋をそのホームレンジとし、沿岸に沿って深くもぐって餌を探し、音響を使って血縁関係を中心とした仲間で群れ集うというのがかれらの「普通の生活」のはずである。
 しかし、捕獲され、親しんできた仲間を殺されて狭い平板な水槽に入れられた彼らは、彼らが当然受けるべき権利のほとんどを奪われている。

 動物の福祉に冷たい日本の国の動物の愛護と管理の法律でさえ、飼育される動物が自然光を享受でき、避難場所を持ち、自然に立ち上がり、横たわり、羽ばたき、あるいは泳ぐことを保証すべきだと示している。

 このラッコ施設は今、水深を深くする工事をしているというので淡い期待を持ったが、実際は20cmくらいかさ上げをするだけらしい。広さはもちろん変わらないし、140cmが160cmになっても、かれらの生活空間としては不十分であることはいうまでもない。

 動物の福祉に熱心なイギリスでは、イルカを飼育するということへの批判もさることながら、適切な飼育環境を整えることが採算に合わないことからイルカの飼育をやめている。
 
 数値目標など、もっと具体的な基準が必厳しくなれば、各動物園や水族館が自然と飼育できない動物とそうでない動物を明らかに出来る。

 一方で、動物の生態に関する知識がいきわたり、不自然な飼いかたをしている動物に対しての一般の認識が変わることも重要だ。「不適切に飼育されている動物を見たくない、見るのが悲しい」というような感性を育てていくことは、もしかしたら人へのやさしさへと還元されるかもしれない。
 
 
 

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