小型沿岸捕鯨について思うこと
3月9日からローマで行われるIWCの中間会合(IWCの将来がテーマ)に先立ち、IWC議長の日本の小型沿岸捕鯨を認めようという提案がメディアに流れている。
これは、先ごろ行われた作業グループの中で、対立する課題33項目のひとつになっているもので、事務局長は、これは中間会合で話し合われるテーマのひとつとしているが、日本にとっては捨てて置けない話ではあろう。
国内でも議論の分かれる調査捕鯨(「WEDGE」の谷口論文、あるいはシーシェパードの’活躍’でこれまでよりは
耳目を集めていると思われる)と少し違い、沿岸捕鯨は日本国内で反対するものの少ないところだと思う。
IKANとしては、国内世論に楯突くつもりはないのだが、どうも沿岸捕鯨については、「伝統的に続いてきた沿岸での捕鯨を自国海域で行うのだから問題なかろう」というような表層だけで捉えているところが少し気になる。
(最近、小型沿岸捕鯨協会のサイトの肝心なところはメンバーのみの閉鎖的な扱いになってしまったが、昨年初めまでの業績などを参考にして構成すると)
沿岸小型捕鯨というのは、近代捕鯨開始の後で、1900年代半ば近くに大型捕鯨の補完的な役割を担って、小型であるミンククジラ捕獲を中心に起きてきたものであるということ。政府許可制になったのは1946年という戦後であること。
ミンククジラの捕獲は、三陸沖と北海道沖で行われ、千葉や太地沖では行われていないこと。
網走や鮎川は大型捕鯨基地が初めにあって、大手の捕鯨産業が撤退した後で小型沿岸捕鯨が栄えたこと、モラトリアムの際にはアメリカから沿岸捕鯨を残そうかという提案があったにもかかわらず、日本政府は大型産業擁護に回って沿岸捕鯨提案を受け入れなかったこと。
モラトリアムの後に、沿岸でツチクジラ、コビレゴンドウ、ハナゴンドウを捕獲し、生肉の供給源として独占的な事業をしてきたこと、その後、調査捕鯨の拡大によって、ツチクジラなどの価格が下落し、赤字に転落したこと。
現在操業している船は5隻で、そのうちの4隻は沿岸調査で収支があっており、のこる1隻は太地町漁協が所有しているものであること。
昨年、網走と鮎川の捕鯨業者が旧A&Fの事業所を含めて「鮎川捕鯨」という企業を創立したこと。
網走沖では、ミンククジラの個体群のうちで希少な日本海個体群が混じっている可能性があり、混獲を防ぐことは出来ないこと。
消費地は捕鯨基地とは直接一致せず、九州地域の比率が大きい。
ということで、提案にあるようにモラトリアムは存続して(商業的な捕鯨はしないということ)、特別枠として地元のみの捕獲・流通・加工・消費が厳密に遂行されれば、網走は捕獲が出来ず、鮎川は商業的な企業で、和田と太地はミンククジラの捕獲そのものが出来ないということになる。
先ほど、ラジオで石破農水大臣のコメントとして、調査捕鯨をやめることはありえないというコメントがあったが、
日本政府・業界にとっては取引条件がもう少し良くなれば「日本国内どこでも国内流通・消費だ」というような日本的解釈のもとで沿岸捕鯨再開もありうるかもしれない。
でも・・・・
沿岸捕鯨者も、今回のような特別枠でこそこそと日の当たらない方法ではなく、正々堂々と商業捕鯨をやりたいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
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