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2008年11月29日 (土)

フェロー諸島の調査で・・・

 今日、「ニューサイエンティスト」の記事を友人が送ってくれた。
それにによると:

フェロー諸島のチーフ・メディカルオフィサー(医薬局の責任者?)は、ゴンドウクジラはもはや人が消費するにはふさわしくないと考えるべきだと勧告した。
理由はクジラが有毒であるということだが、これはフェロー諸島住民に対する調査で明らかになったものである。

フェローでは、毎年数千頭(原文まま:実際は千頭前後)のゴンドウクジラが捕獲され、食用にされていた。しかし、フェローの住民への声明で、「ゴンドウクジラの肉と皮下脂肪は余りにも多くの水銀、PCBs、DDT派生物を含んでおり、人が消費するには安全ではない」という勧告が出たのである。

調査は、胎児の神経系の発達へのダメージ、高血圧、子供の免疫力低下、またパーキンソン病の罹患率上昇、循環系障害、成人における不妊の可能性といった影響が明らかになったとされる。
(ニューサイエンティスト11月28日記事から抜粋)

日本でも、太地などゴンドウクジラを嗜好する地域があり、一部の人が繰り返し摂取している懸念がある。

だが一方、こうした残念な結果がでたもとである海洋汚染に、フェローの人々や太地の人々だけが直接的に責任あるわけではない。


日本を含む多くの先進国ではすでに水銀に関する規制・禁止が行われており、回収された水銀の処分についても検討がなされている。
一方で、国内で使用しなくなった水銀が途上国に輸出され、その国の健康被害を生み出しているという話も聞く。

おりしも、水銀の国際取引に関して、アメリカのオバマ上院議員がリーダーシップを取り、アメリカからの水銀の輸出禁止の法案が通過すると聞く。EUでも同様な動きが活発化しているそうである。日本でも輸出禁止法を急がなければならない。

クジラの水銀汚染については、「火山活動など自然界にあったものだから心配ない」という意見を聞くが、安全であるという保証があるわけではない。

海洋の汚染の原因は人間活動によるものが大半と考えてもいいだろうと思う。
だからこそ、そうした人間の健康被害だけでなく、海に住む生物、とりわけクジラたちがどのような影響をこうむっているか、非常に気にかかる。


2008年11月25日 (火)

公海における10の原則

 先月、バルセロナで行われたIUCN世界自然保護会議で、海洋の保全に関する決議がいくつも出た。そのなかで、海洋の保全を前進させる重要な提案として公海における10の原則が提唱されている。

 先週行われた海洋ネットによる海洋保護区の学習会で、このことを取り上げたいと考えたのだが、実際は日本沿岸での海洋保護区設置をどのように実現させるのか、ということ、もっと言えば、海洋保護区をどう定義するのか、と言うようなところで足踏みをしており、なかなか前に進まない。

 その中で、環境省は東アジアのサンゴ礁ネットワークの推進を、海洋保護区のネットワークと位置づけたいようである。もちろん、こうした動きは大いに歓迎すべきだと思う一方で、環境省の言う「漁業と両立する」海洋保護区ではなく「漁業に資する』海洋保護区という位置づけをもっと明確にしてほしいと思う。

 沿岸の漁業の衰退のなかで、少ない資源(漁業としてだけでなく、捕食動物も含め多面的に)をとりあうのではなく、生物多様性保全によって、沿岸漁業が復活するという道筋をこそ、獲得する必要がある資、漁業者に積極的に訴えていく必要もある。

 同時に、前にもいったと思うが魚を食べ続けたいのであれば、沿岸のみならず、遠くまで行ってとにかく引っさらってくるだけでなく、公海におけるガバナンスをきっちりと築き上げるリーダーシップを、COP10に向けて日本がとることが望ましい(夢かもしれないが)。

公海のガバナンスにおける10原則

海洋は、地球の表面70%以上を覆っている私たちの惑星の独特で特別な、そしてなくてはならない要素である。海洋は酸素を生み出し、大気から二酸化炭素を吸収する、そして気候と気温を調節し、世界に暮らす人々のかなりの部分に対して食物と暮らしを支えるものを提供している。医薬、エネルギー、運送路、その他さまざまなサービスそして多様な文化にとっての絆でもある。

資源に関する国家の管轄権は近年200海里まで拡大されたが、海洋の約60%は「公海」そして国家の管轄権を超えた深海底として残されている。魚が多少生息しているという他は生命が存在しないとされてきたが、私たちは今、海洋のこれらの部分が惑星で最も豊かな生態系のある部分を擁していることを発見しつつある。この公海の生態系は、無責任な漁業、船舶による運輸活動、汚染そして気候変動を含む多くの原因によりますます脅威にさらされている。しかし、公海を統治する包括的な方針や管理の枠組みはなく、現存するつぎはぎの法律は、17世紀のオープンアクセス原則を主に基盤としており、長い間、陸地、大気、宇宙にさえ適用されてきた環境保護に関する方針を無視している。

国家の管轄権を超えた海域では、多くの人間による活動が無規制のままであり、エコシステムはほとんど考慮に入れられず科学的情報もしばしば無視されている。

海洋資源管理の経験は多くの教訓を提供してきたが、それらは実行に移すことが必要である。公海のガバナンスを改善するための重大な政策課題に取り組む準備はできており、生物多様性保全を改善するための具体的なステップを踏むことが可能である。過去のモニタリング、海洋のガバナンスの枠組みの遂行に関する制約は、技術的な進歩により克服されたが、この課題(公海のガバナンス)に注力するという政治的な意志は依然として欠如している。良いスタートは切れたが、まだすべきことがある。

私たちは危機的な時に直面している。海洋のガバナンスシステムは進化する必要があり、以下の現代的な原則が公海のガバナンスを改善させ、海洋の持続可能な発展を確実にするために適用されるべきである。

1 公海における条件つきの活動の自由
海洋を「アクセス自由で共有可能な資源のプール」として扱う時代は終った。私たちの海洋資源は極度に枯渇しており、従ってその利用は規制が必要である。国際法、特にUNCLOS (国連海洋法条約)を再確認し遂行すること、また保全義務を果たしているかどうかにより公海利用に条件をつけることなどが必要である。共有する海洋資源へのアクセスはモニタリング、認可、(法律の)遂行を含む包括的で効果的な統治と対をなさなければならない。

2 海洋環境の保護と保全
国家の管轄権を超えた海域を含む海洋環境の保護、保全に対する義務は地球および地域規模のレベルで、多くの法的手段に秘められている。しかしこの義務はこれまでほとんど果たされることがなかった。今日、増大する脅威により、海洋環境の保護を確かなものにすることが緊急課題となっている。国家の管轄権を超えた海域を含む海洋の持続可能な開発の確保に向けて持続可能な開発に関する世界サミット目標とコミットメントを実現することが非常に重要である。

3 国際協力
国家の管轄権を超えた海域の生物多様性は、それぞれの国が共に行動しなければ保護することはできない。保全、管理に必要な手段が効果的に遂行されるためにはセクターと国家を超えた調整が不可欠であり、こうした協力を確実にするための制度上のメカニズムが必要である。RFMO(地域漁業管理機関)を基盤とする現在のモデルは、枯渇し、あるいは過剰利用された資源の分配を単純に目的とするのではなく、海洋を真に管理するために洗練させる必要がある。明らかに今、それぞれの国家は、現存する地域の管理機構による委任統治と協定の権限を拡大し、また保全と公海に存在する全ての資源の持続可能で公平な利用を確実にするためにギャップを埋めることが求められる。

4 管理への科学的なアプローチ
管理に関する決定は最良の有効な科学に基づくべきであり、力のあるわずかな人間のロビー活動に拠るべきではない。今後の科学的なリサーチは、生態系における持続可能な資源の利用を強化すること、保全方法に関する順応的な適用方法を周知する、モニタリングに関する基準の開発を進めることなどが要求される。公海と深海底の理解、知見である科学的知識は、既存のさまざまなプロジェクトとイニシアティブを基礎にし、さらにそれらを乗り越えることで緊急に改善されることが必要である。

保全手段は商業価値を持つ資源が存在する地域に適用されることから、国家の管轄権を超えた海域に関する決定は、効率的な法令遵守、経済的な誘因(インセンティブ)の適応を促すために、社会経済についての情報をも検討しなければならない。

5 情報の公的な入手
私たちは、公海と深海底の生物多様性に関してより深く学び始めたばかりである。これらの資源を適切に管理するためには、私たちの海洋と資源利用への影響に対する理解を深め、その理解したところを広く知らせることが重要である。海洋資源利用に関する情報、特にその利用者からのデータ、また科学的な観察およびリサーチ結果は交換され自由に入手できるようにされるべきである。こうした情報は、わずかな人間だけが理解できる専門用語にとどめるべきではなく、全ての人々が理解可能な言葉によって(人々が)入手できるようにするべきである。保全管理の努力が成功し持続可能なものとなるためには、海洋資源に関する支持の広がり、人々への普及啓発、そして海洋資源により利益を得ている人々(の参加)などが必須なのである。

6 意志決定の過程での透明性と公開性
社会は、より効果的な漁業および海洋エコシステムの管理を要求しており、公海の資源管理に関して、より高い透明性とより多くの関係者による参加を確保することが緊急に必要である。さらに、論争の可能性を最小限に抑え国際協力を促進するために、意志決定過程が透明で説明可能な方法でされることが必要である。地域のまた世界規模の組織は、意志決定に全ての関係者が有意義に参加すること、オブザーバーが全ての会議、ドキュメントにアクセスできること、そしてオブザーバーからアドバイスを受けつける必要がある。

7 予防的アプローチ
公海管理に関する知識基盤がエコシステムに関する基盤より弱いことは論証可能である。しかし、このことを行動の欠如の根拠としてはならない。順応的管理にとって、変化や不確定性の程度に対応したことを意思決定が可能である。

公海のガバナンスに関しては、他のどの場所よりも予防原則が実践にあたっての標準にならなければならない。環境アセスメントに必要な要件と予防的なアプローチが、公海における全ての活動に対し実践されなければならない。また公海にすでに存在し、あるいは新たに出現する新しい活動に対する地球規模で適応可能なデフォルトメカニズム(何もせずとも機能するメカニズム)として利用される必要がある。このことは、活動が重大な危害を(公海に)及ぼしていないと主張する人々に、そうである(危害を及ぼしている)ことを示し、環境に対する危害に対し責任ある関係機関が責務を負うことの立証責任を求めるものである。

8 エコシステムアプローチ
35年以上前に国連総会で認められたように、「海洋の問題は密接に相互に関連しており、全体として検討される必要がある」。エコシステム管理に目的を与え、海洋統治システムが長い間苦しんできたセクター別、種を基盤としたアプローチから距離を置くために、より大きな図を検討する必要がある。

エコシステムアプローチは、より洗練され実効力を持つ必要がある。大規模の海洋プランニングと海洋保護区のネットワーク、生物多様性保全を目的とした他のエリアを基盤とした管理方法などが漁業、海洋管理へのエコシステムアプローチの不可欠な部分とならなければならない。公海は、政治的な限界や関係者が(他の場所に比べて)少ないこと、そして実質的な所有権が発生しないことから、エコシステム管理を実施するのに理想的な場所である。

9 持続可能で公正な利用
国家の管轄権を超えた海域の資源利用には、個々の利用者の権利、利益と国際社会の間でのバランスが必要とされる。資源管理は結果として資源が、現在そして将来の世代が必要とするものを満たす生物多様性を維持する、持続可能な方法で利用されなければならない。有害な活動、誤った誘因、特に国家の管轄権を超えた海域の生物多様性に有害な影響を与える破壊的な活動を差別する必要がある。

また国際協力や、攻勢で相互に受け入れ可能な基盤であることを基礎とした環境配慮型の技術の開発、採用、移転が非常に必要である。開発途上国の利益や関心事に対しては特に注意が払われるべきである。

10 地球規模の海洋環境の管理人としての国家の責任
国家は、政府機関、国籍を明示した船舶、同国人(個人と法人)による公海での活動に関して責任を負う必要がある。国家は、責任を持ってその活動が国際法と上記に述べた原則に沿った形で行われることを保証しなければならない。公海での船舶、同国人による活動は、認可および適切な国家による継続的な指導と監視を必要とする。汚染者、利用者負担原則にのっとり、海洋環境と資源にその船舶、同国人が損害を与えた場合、国家は他の国家、国際社会に対し責任を負わなければならない。

2008年11月13日 (木)

沿岸の生物多様性保全に

 昨年はご存知のように、海洋基本法が制定され、その中においても「生物多様性保全」が認識されている。
また、同じく、昨年作成された生物多様性国家戦略の中には「沿岸・海洋の生物多様性保全」が明記され、その
日本の責任範囲として排他的経済水域を含むと解釈されている。

 言うまでもなく、生物多様性保全には、その地域の野生生物の絶滅を防ぐことが大前提である。また、その中でもその地域(海域)の傘となる生物の保全は、その保全地域(海域)に含まれる幾多の種の保全に寄与できるので、生物多様性保全の要と考えられる。

 しかし、我が国においては、その傘としての重要な種を構成する海生哺乳類、とりわけその4分の3を占める鯨類の保全に対しては後ろ向きである。国家戦略でも、クジラが積極的にでてくるのは生物資源としてであり、具体的な保全策は見当たらない。あんなでっかいからだが目に入らないのか、目からはみ出してしまうのか・・・
 役人も中にはNGOの中にさえ、イルカとかクジラとかいうことばは使ってはいけないものと考える人たちがいる。

「産業」への顧慮が主たる理由であるが、水産庁も国が条約を批准しているわけだし、生物多様性保全に対して義務がある。もう少し、きちんと生息実態を把握するべきだと思うが一方で、実際は産業の実態も把握していない、あるいは誤解しているんじゃないかと思われるフシがある。

 生息状況についても産業との関わり(ウォッチングは含まれない)の濃いもの(食用と考えられているもの)でない限り、生息調査は実施されないと考えても良い。
 このような考え方で、しかも、産業として成り立ちにくい種についても将来的な資源という考え方を捨てないまま、管轄権を手放さないので、いつまでたっても、データ不明種はそのままである。

 たとえば、北米では、シャチの南の個体群が人間活動を主な要因として、減少しているということが数値的にも明らかにされている。こうした正確な個体群の情報などないまま、追込み猟は群れを根こそぎし続けているのだ。


 風の便りに、これまで追込み猟を実施してきた伊豆の最後の捕獲地・富戸で、湾内に定置網を設置し、イルカ追込みを実施しない選択を行った。定置網の設置具合で、その時期に南下してくるイルカたちを追い込むのが無理な状態であるという。

 それだけではない、当の猟を実施していた人たちの口から、「そんな時代ではないでしょう」という言葉ももれてきているのだ。

 水産庁は、現状に対して昨年から5年計画で捕獲枠を漸減させているが(沿岸のイルカに限定した水産庁の調査が始まったのは昨年で、この結果ではなく、かなり古いデータも含まれるものだ)中には既存の産業は永遠に続いて行くという考えか、捕獲しないならもっと積極的なところに枠を持っていけばいいという考え方の役人もいるようだ。

 今年もやがて(今週中だろうか?)南極に向けて調査捕鯨船団が出発する。第2期調査では、その捕獲数を激増させたものの、外では反捕鯨団体の攻撃とうちでは肉のだぶつきでとうとうミンク捕獲数を1割減らしたと今日のニュース報道にあった。

 イルカ肉は、一部を除き、クジラ肉代用品として出回ったもので、調査捕鯨の鯨肉の出回りで市場価値が落ち、イルカの追込み猟では、むしろ水族館への供給を主体とするものに変化しつつある。
もともとの業態ではなく、付随的なものであるが、それも、水族館での繁殖の成功などにより、一時期のようなニーズは少なくなっているといわれる。

 将来を見据えるとすれば、漁業者も行政も単に存続を前提とするのではなく産業としてのあり方を真剣に考える時期にあるのではないだろうか?
 海の生き物が取ったものの獲物だという考え方はもう捨てたほうがいい。

「もうそんな時代ではない」のだと思う。

 

 

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