« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月29日 (月)

南極オキアミのこと 生き物のことを知り、まもる意識を・・・2

 25日の夜、文京シビックセンターで『地球温暖化と南極の生物多様性』~生態系を支えるオキアミ保全の視点から~というセミナーがあった。

 講師は、北海道大学の山中康裕さんと南極南大洋連合のリン・ゴールズワージさんで、まず山中氏が気候変動と海洋、特に南極の環境変化について語った。
 温暖化による氷の溶解で塩分が低下、海流の動きが変化すること、また二酸化炭素の増加により海の酸性度が高まり、生物が影響を受けるというあたりをPPTでわかりやすく話してくれた。温暖化は、南極の降雨(降雪)を増やすということも知った。

 リンさんは、元はオーストラリア政府の役人として南極環境調査に携わった方のようだ。
オキアミというものについては、これまでクジラなどの海洋生物の餌となる動物プランクトンというくらいの知識しかなかったが、今回の話で私はすっかりオキアミの魅力にはまった。

 南極オキアミは、エビの仲間だが、エビとは違うオキアミ目に属する。
 オキアミというと、うんと小さいものだと勝手に思ってきたが、実際は6cmにまで成長し、11年も生きるということを聞いて少し驚いた。南極オキアミの生物量は6500万トンから1億5500万トンにも上ると考えられ、ひとつの群れとして時には1㎥で10万匹も密集することもあるそうだ。
 このオキアミを食べるのは、クジラのほかに魚はもちろん海鳥、アザラシ、ペンギンなど南極に住む生物が直接間接にお世話になっている非常に重要な要となる種だ。

 オキアミは、日中に海面近くで植物プランクトンを食べ、夜に海底で糞をする。このときに、CO2を表面で吸収して海底に沈めるという温暖化防止を黙ってせっせとやってきたという。その量たるや、1年間で車3500万台分のCO2ということだから、あだやおろそかに出来ない。

 この南極オキアミが今危機に瀕している。ひとつは気候変動で南極の氷の状態に変化が出来ているから。冬の間、彼らは氷の下にいる藻類を食べてしのぐが、氷が少なくなるとこの藻類がいなくなり、南極オキアミの食べるものがなくなるらしい。(何でも冬の間に餌の量が減るに連れ、体が縮小するという特技を持っているという!)

 30年間の観測の結果、南極の海氷面積は40%も減った。また、冬に海氷の張り出す時期が遅くなり,その後退時期も早まっているらしい。
 あの南極の道化ものアデリーペンギンも最大65%も減少しているとも言われる。餌のオキアミの減少に加え、降雪量が増え、氷上に作る彼らの巣が雪解け水で流されるということも起きているそうだ。
 南極の生態系が気候変動でどんどん変わっているのは確かなようだ。

 オキアミの話に戻ると、もうひとつの問題がある。

 1960年代にオキアミ漁が始まり多くの国が資源としてのオキアミに関心を持った。南極オキアミは南極海に広く分布するが、南極大陸に沿って、ウェッデル海の辺りとロス海周辺に集中しているらしい。

 オキアミ漁は操業しやすいウェッデル海に集中し、南大洋でももっとも大きな漁業活動となった。これまでは目の細かいトロール網で集中している群れを一網打尽に取ったが、最近はノルウェーが新式のバキュームポンプ付の船を乗り入れ、一気にオキアミを吸い込んで捕獲するという。これまでの船13積分を1隻で捕獲できるというすごい開発(そういえば、近代捕鯨も開発したのはノルウェーだった。実はたいへん怖いところかもしれない)。

 オキアミというと、日本では釣りの餌として使われる。以前、政府は食料として利用しようとした。臭いが結構きつかったりして成功しなかったようだが、安くて冷凍保存できるということで、釣り人には欠かせない餌らしい。

 一方、ノルウェーは、最初から養殖魚の餌として利用、その需要も急速に伸びているようだ。そして、日本もやがて養殖魚の餌として、捕獲量が増えるのではという懸念も表明された。
 ほかにも、サプリメントみたいなものの利用とか、今後利用拡大があっても、縮小はあんまり考えられない。

 オキアミの資源利用に懸念を持ち、生物資源の持続的利用のために『南極の海洋生物資源の保存に関する条約(CCAMLR)』が作られた。この条約は『生態系アプローチ』と『予防原則』を取り入れた画期的な条約である。

 発表者はこの条約の下で年間捕獲量は決められているものの、監視制度などや新たな漁法の制限など資源保護となる管理を行い今後のオキアミの保全をすべきと主張する。

 人事のようで、そうではない。どうなる、どうする?オキアミ?

2008年9月27日 (土)

生き物を知ることーまもりたい意識を培うために 1

 今週はたまたま、2つの貴重なセミナーに参加(聴衆として)することができた。

 ひとつは、IUCNのコククジラ西太平洋個体群(ニシコククジラ)に関するセミナーで、9月21日から、IUCNのニシコククジラの専門委員会が日本で開催され、そのさなかに山田格先生らの尽力でパネルメンバーの多くが出席して開催されたものである。

 中身は、ニシコククジラの回遊経路となっている国々で、どのような絶滅回避のための保護策がとれるかという今回会議の実践としてのまたとない機会であったが、IUCN-Jが海洋関連へのかかわりが不十分であるところに加えて、国立科学博物館が主催できなかったため(理由は想像してください)、十分な告知もされず、参加者は関係者がほとんどという残念な結果になった。

 まず、IUCNの海洋の責任者というべきカール・ルンディン氏から、ニシコククジラとIUCNのかかわりが紹介された。サハリンのエネルギー開発とその影響を受けるニシコククジラに関しては、すでに書いたと思うので、詳細は省くが、サハリン・エネジーを構成している会社のひとつシェルが、IUCNとのかかわりを持つことから、サハリン島の北東部の開発によってコククジラの主要な餌場への影響がどのようなものであるかという影響評価がサハリン・エネジー社からIUCNに委託され、独立した作業部会がIUCN内にでき、調査を行い、アドバイスをしてきた。そして、第2フェーズで石油・ガス採掘のプラットフォームからサハリン島に渡されるパイプラインは、コククジラに配慮して迂回経路がとられるという「影響軽減策」がとられた。
 もちろん、実情を知るものにとって、クジラ保護がこれで万全ということはない。餌場のほぼど真ん中に位置するプラットフォームそのものが問題であるのだが、そこは企業としては変えるつもりもないし、地震探査の騒音や操業時に起こりえる油漏れなど、コククジラの存亡はロシアン・ルーレット状態である。

 その後、IUCNは独立パネルを継続、IWC科学委員会との協力の下、プーチン元大統領への進言なども行い、周辺諸国へ働きかけている。日本政府は、今年1月1月にやっとニシコククジラを水産資源保護法にリストアップ、4月からは、所持・販売が禁止されることになった。この背景には、この3年間で5頭(それもメス)を定置網で死なせるという悲劇的な事態を起こしているからである。
 定置網混獲というのがかなり意図的なものばかりであれば所持・販売禁止が効くだろうが、日本列島周辺は定置網が張り巡らされているわけなので、法律に掲げられたからといって、保護策が十全とはいえない。回遊時期を把握し、監視を強化して、万が一に供えて1頭たりとも殺さない覚悟が必要であろう。

 私自身、いくつかの自然保護などのニュースレターにニシコククジラのことを書いたので、いくらかはその生態については知っているつもりでいたが、さすがに実際に調査にかかわっている人たちの話は面白く、さらにコククジラへの親近感がわいた。

 クジラの中でも初期に枝分かれした古い種であり、ハクジラなどに典型的な社会的な群れは作らないらしい。親子の絆もそれほど深くなく、1,2年で子離れする(それでも、子供を守る母クジラの勢いに、デビル・フィッシュなるあだ名をかつてアメリカでもらっていたことをどこかで読んだことがあるのを思い出した)。

 コククジラは北半球のみに生息し、3つも個体群が確認されているが、そのうちのひとつ北大西洋はかなり古くに絶滅した。人間の関与がかなり疑われるものの、絶滅の原因はわからないというのが正しいことも学んだ。

 もうひとつの個体群の東側コククジラとはカムチャツカでしっかりと別れている。東側の個体群は、ご存知のようにアメリカの海生哺乳類保護法の導入で強力な保護策がとられ、絶滅を免れて現在はレッドリストからはずされるという輝かしい復活の歴史を持つ。

 一方、ニシコククジラはというと、餌場はわかっているが、繁殖上の確認は出来ていないということで、その早期発見と保護が待たれる。夏から秋にかけて1年分の餌(甲殻類や無脊椎動物、小魚)を食べ、その後体重が30%も減る場合があるそうである。いわゆる『やせクジラ』といわれるものが一時期増えたが、この餌のとり具合なのか、それとも健康上の理由なのか、まだ分かっていないようである。

vニシコククジラは、1974年にいったんは絶滅を宣言されたが、その後定置網にかかったなどの事件日本でもあり、1977年に韓国で個体群として生存していることが確認された。

 さて、日本とのかかわりである。沿岸近くに生息し、動きも緩慢であったコククジラは結構早くから捕獲されてきたらしい。日本沿岸で捕獲が難しくなると、古式捕鯨の時代にも、朝鮮半島に捕鯨者は出かけて言ったというのも結構驚きだった。また、近代捕鯨になって、同じく日本沿岸で取れなくなって朝鮮半島で捕獲を行ったが、捕獲のピークは75頭で、翌年から激減している事実から、この個体群がもともとかなり小さかっただろうということも理解できた。

 (大隅清治氏は『資源として健全に回復させて捕獲する』というようなことをあとで言っていたが、採算が取れないような小さな群れを果たして持続的に捕鯨できるのだろうか?このあたり、日本の楽観主義というか、非現実的というか、無責任というか・・・)

 ニシコククジラの移動経路は、大陸沿岸と日本列島の日本海側、太平洋側と3つあるそうだ。メインは大陸沿岸ということだが、この間日本の太平洋側での混獲があいついだことから、移動経路が代わってきているのではないか?と考える研究者もいるようだ。
 
 外国から来たパネルメンバーは日本に遠慮して、なかなかズバッとものを言わなかったが、その分、粕谷俊雄先生が厳しく日本の取るべき方法を指摘された。
 法律が出来たからといって解決できるものではなく、業者を含む多様な関係者がきちんと関与すること。行政のやるべきこととともに、市民がもっとしっかりと監視を行い、行政を動かさなければいけないとまたまた背中を強く押される思いがした。

 それにしても、一般参加者の少なかったことはもう一度言うが残念でしかたがない。

 もうひとつのセミナーは南極のオキアミ。でっかいものから小さいものになるが、またまたここでもオキアミの魅力に取り付かれた次第。オキアミについては後日。

 

 
 

 

2008年9月20日 (土)

シャチの死

 きのう、名古屋空の連絡があり、クーが死んだことを知った。
 クーは、1997年の2月に和歌山県太地町で捕獲された5頭のシャチの最後の生き残りだった。推定18-19歳ということだから、人でいえば「これからが花」という時に死んでしまったことになる。

 捕獲された当時の記録を見ると、体長4.55m、体重1400g、ほんの子どもだったという事がわかる。
 捕獲された畠尻湾のすぐ横の太地くじらの博物館に1000万円で購入され、10m四方ほどの狭い囲いにかなり長い間閉じ込められていた。
 その後、オキゴンドウやカマイルカと「異種間交流」という立派な学術研究のためいっしょにされ、咬んだり、咬まれたりと研究に「貢献」をしたが、同じ博物館と長年飼育されてきたメスのシャチ「ナミ」とは一緒にされなかった。同じ年に尾びれに腫瘍が出来、完治したといわれるものの、抗生物質耐性ができたというような報告が1昨年の捕獲後10年の記念シンポジウムで報告されていたと思う。

 2003年11月にブリーディングローン名目で、仲良しのバンドウイルカとともに名古屋港水族館に移送され、そこで短い一生を終えることとなった。

 同じ群れの仲間は、ここで繰り返すこともないが、1997年(捕獲後4ヶ月の6月)、2004年(9月)、そして昨年(9月)と次々に死んでしまい、最後に残されたクーもこの7月から体調を崩していた。

最後のころの写真が水族館のHPに掲載されているが、2月に水族館でクーを見たときと比べ、心なしかひどく「薄く」なっているような気がしたのは私だけだろうか?
そのときは、限られた施設としては、クーがのびのびと泳いでいるなあ、とその力強さに感心したものだ。

 同水族館を非難するつもりはない。移送された時から、飼育者たちは誠心誠意、クーの世話をしただろうことは、彼らとの話で理解しているつもりだ。

 もちろん、野生下でも、病気や事故で寿命を全うできないものは少なからずいるに違いない。

 それを考えたとしても、若くして捕獲された5頭がわずか10年ばかりで次々死んでいくという状態が普通だとは思えない。飼育の仕方の問題ではなく、シャチのような生き物を狭い人口施設で飼育することに限界があると思わざるを得ないのだ。

 こうした現実は、日本だけのことではない。中には30余年も生きているコーキーのような超人的シャチもいるものの、弱い個体は捕獲後1,2年で死亡するし、ほとんどが寿命の半分も生きながらえることが出来ない悲しい事実がある。

 シャチは世界的にも希少であること、その生態が理解されるにつれ人々にありのままの姿が愛されるようになってきたことで、これまでの捕獲記録や飼育の記録がかなり正確に記されており、その軌跡をたどることが比較的容易である。こうした記録が役に立つのはシャチ保護のためだけではない。

 なぜなら毎年、かなりの数の野生イルカ類が生け捕りされ、水族館に売られている。中には、捕獲された後、海外に輸出されるイルカもいる。こうした軌跡は一部追跡されてはいるものの、なかなか一般的にはなっていかない。
 捕獲されたシャチの個別情報は、同じ状態のイルカたちにも当てはまるに違いない。

 擬人化は良くないという話があるのは確かだが、私たちは、擬人化し、感情移入しないとなかなか事態を頭に深く浸透させ、理解することが出来ないのではないのか、それほど、傲慢で身勝手な動物なのではないのか、と思う。

 イルカ漁師にとって水族館からの注文は肉の需要が減少している現在は天の助けだと思えるに違いない。特にシャチのような希少動物の捕獲は彼らにとっては宝の山を掘り当てるようなものだろう。

 しかし、彼らが野生の希少な動物が彼らの所有物ではなく、人類の共有財産であって、未来の子どもたちにとっても宝だということを少しでも理解しているだろうか?

 彼らは、水産庁が「持続的な利用」だと保証しているところに安心しているのかもしれないが、どうせ、水産庁の担当者などは数年で変わり、その後のことに責任など取らないものだ。研究者でさえ、同じデータを使ってありえないような数字をはじき出す事だってあるのだ(推定個体数の激変!まじめな研究者にとってこれは恥ではないかと思った)

 官僚にとって、物言わない動物の種の保全より、おおいにものをいってくる人のほうが怖いのは言わずもがなだろう。

 「持続的」であるということが事業主体(漁師)、そして事業の対象(この場合はイルカ)双方に当てはまらない場合もあるということを、当事者にどうしても理解してもらわないといけないのだが、いずれは消え行く産業であっても、より健全な沿岸漁業に転換させるエネルギーを使うよりも、延命させるのが彼らの選択だろう。今のままの霞ヶ関では、そうした態度を変えさせることは不可能ではないにしてもかなりむずかしい。

 しかし、一方で海外からの圧力は、こうした彼らが逆に自分たちの存在価値を見出す元になるので、解決を先延ばしにするくらいしか、いまのところ効果を発揮していない。


 ひとつ。水族館で飼育されている動物を見に行かないという選択がある。経営する方は利益が出なければその事業から撤退するからである。

 イルカ類の飼育は、かなりお金がかかるといわれている。水族館経営を支えるのをやめることはそれほど難しいことではないだろう。

 

  
 
 

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »