« IWC会議ー3日目 | トップページ | シャチの死 »

2008年8月 4日 (月)

IWCチリ会議3日目ー後半

 調査捕鯨に関していえば、日本国内では結構多くの人が「科学的な調査は必要」と内容とは関係なく、支持している気配がある。また、これをやっていることで「日本だけが科学的」というような恐るべき信仰が生まれている。しかし、会議内容を繰り返し聞いていれば「そうかな?」という疑問もわいてくるはずだし、最近は国内でも批判がちらほら出始めている(クジラポータルサイトへの平賀氏の投稿など)。

 岩波の「科学」7月号では、東北大の石井敦氏が、「世界」での執筆に続き、2006年12月に行われたIWC科学委員会のJARPAの評価会議を紹介して、18年と100億にのぼる税金を投じて、数千等のクジラを殺した結果、目的を果たさないような日本の調査捕鯨はほかの水産資源に関する日本の科学への信頼を損なう恐れがある、と日本の調査を端的に批判している。

 最近では、石井氏はその評価会議の抄訳を、捕鯨外交批判論文の共同執筆者である大久保彩子氏とともに
東大の米本研究室のHPに掲載しているので内容を知ることができるだろう。

http://yonemoto.rcast.u-tokyo.ac.jp/m_5_k.html

 また、以下のHPでは、鯨研通信438号に掲載された藤瀬良弘氏の「IWC/JARPAレビュー報告」をもともとの評価会議の内容と照らし合わせて批判しているのでこちらのご参照のほど。

http://chikyu-to-umi.com/kkneko/frame3.htm

 JARPAの致死的な調査の必要性は限りなく???だ。

 そして、科学委員会は「科学的許可=調査捕鯨」の致死的調査に関して、IWCの評価が必要と報告。これに関してはニュージーランドなどいくつかの国が評価。
 EUを代表してスロベニアが調査捕鯨はIWCの管轄のもとで行われ、段階的に収束していくべきと発言。

 森下氏の発言は「21世紀にはほかの動物を殺さないというならわかるが何でクジラはいけないの?」という疑問で始まった。そして、ほかの国の科学者を受け入れてもいいけど、調査捕鯨に批判的な人はだめ、とか、ジャーナリズムが無責任にたきつけるから良くないとか、イギリスの意見を聞いていると話し合いは出来ないかもしれないなど、ちょっと取り乱した発言。

 面白かったのは、ロシア代表で(彼は最近、一生懸命、話にジョークーと思しきことばーを取り入れようとしている)日本をコペルニクスにたとえて、彼は「それでも地球は回る」といって火あぶりにされた。日本を火あぶりにしてはいけない、と擁護した。

 隣で「エー!!!。それってガリレオじゃない?」という声が。コペルニクスは自説を表になかなか出せなかった人だよね?だから当然裁判沙汰などにはならず、ましてや火あぶりなんて(ガリレオだって、蟄居させられたかもしれないが火あぶりになってはいないですよ)。

 議論は相変わらず両陣営に別れた(最近は南米とEUが元気がいい)。スイスの発言、致死的手段をとるのは
1.ほかのメソッドでは結果が得られない  2.比率と貢献度 の2点という常識的な指摘をもう一度考えてみるといいと思う。

 その日の議題には、海の安全も上がっていたが、すでに昨年決議がコンセンサスで採択されたということもあり、日本政府が妨害行動のエスカレートに関する文句を述べ、オランダやオーストラリアを始めいくつかの国がが賛同しおしまいとなった。

 その後は、気候変動に関して。クジラ保護管理に、ますます避けては通れない問題となっている。

 小型鯨類についての科学委員会報告があり、その中で日本のイシイルカ猟に関してかなり強い勧告(捕獲のレベルを持続可能なところまで早急に下げること、オホーツク海における混獲を含めた個体数調査の実施)がでている。日本は、アメリカの管理方法(PBR)の概念を取り入れたとしているが、科学委員会の報告は、捕獲枠は安全を見越した場合は総個体数の0.5で、イシイルカ型の個体数の3.6%、リクゼン型4.5%の捕獲枠設定は、通常でもイシイルカ型で1.8倍、リクゼン型で2.3倍も高いということだ。

この日の最後は、NGOのプレゼンテーション。
 ワシントン条約会議などでは、NGOの存在意義が認められて、会議中にも発言することが出来るが、IWCでは、かつて、故ジョン・デンバー氏がプレンゼンテーションとして歌を歌ったのをきっかけに、発言が止められた。
今回は、捕鯨推進、反捕鯨のそれぞれの立場から3団体ずつが各5分間のプレゼンテーションの時間をもらった。
まず、チリのNGOが南米NGOを代弁して、クジラの非致死的調査の推進と地域社会におけるホエールウォッチングの重要性、そして、会議における透明性と市民参加を訴えた。

 その次は、ノルウェーのハイ・ノースアライアンス。捕鯨業者漁業者中心に作られた団体で持続可能な利用を支持。WWFインターナショナルは、西アフリカの海洋地域環境担当者が気候変動によるクジラ類への影響を懸念し、IWCが気候変動を議題に載せたことを歓迎、致死的調査の停止とサンクチュアリの重要性を強調した。

 ウーマンズ・フォーラム魚は、日本人にとっての魚食文化の重要さ、その一部としての鯨食文化を紹介した。私自身、直接的な意見交換をしたことはないが(紙上討論はある)、どうしても理解できないのは、このひどい日本の水産行政への批判がでてこないことだ。もし、魚を食べ続けることが重要であれば、まずは「クジラを食べよう」より先に、水産庁のやり方に物申してもいいのではないか?
 それをやらないで、「クジラが魚を食べすぎてる」というテーマの絵本を作ったり (ほんの少しでも水産資源に関する専門家の報告を見れば、それがかなり眉唾だとわかるはずではないのか)、せっかくのプレゼンテーションでも「彼女の論旨は何?」と隣の人にいぶかしがられるようなことしかしない。いまどき、小松さんだって水産行政に関してはもっと建設的な意見をいっている。せっかくの「ヤマトなでしこ」の活躍なのだから、もう少し勉強して、日本の漁業のために(企業ではなく沿岸の小規模漁業者のために)がんばってほしいのだが。

 次は、グリーンピースで、若手の花岡くんと2000年のアデレードでドミニカのスキャンダル(日本の票買いで環境大臣が辞職)に関する記者会見をしたモナ・ジョージさん。
ところが、セントキッツが「IWCの将来」のお約束を破って「動議!」。「6団体で6人じゃなくてはだめ、5分を二人で分けるのはまかりならぬ」というのだ。結局、花岡君が日本語で5分間プレゼンしたが、「もし60年後に私たちの孫の誰かがコミッショナーとしてこの会議に出席したときに、「IWCが本当にクジラ管理に貢献し、多くのクジラを絶滅のふちから救うことが出来た(要旨)」と胸をはれるようなIWCにしてほしい、という最後の言葉が心に残った。

 その後は、ラテンアメリカの(たぶん)漁業同盟で、こちらは「漁業の多様性を保全しよう」というものだった。

  NGOが発言できると最初に聞いたときは結構うれしかったが、こうしてみると、本筋の議論からは遠くはなれ、どのような影響がそれによってもたらされるかは疑わしく、さらにNGOを蚊帳の外においた議事が進行するのに対しての一種のいいわけでは?とかんぐりたくなるのだ。


 

« IWC会議ー3日目 | トップページ | シャチの死 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。