IWC会議ー3日目
いつもぎりぎりの旅費を工面して会議に出かけるので、泊まる宿は会議場からかなり離れたところになる場合が多い。会議場と宿の行ったり来たりで終わる旅だから、遠く離れているというのは、その地域のことを知るためにはいい選択だと思う。
最初の日は、たまたま同宿者がタクシーに乗るから一緒に行こうといってくれたので、宿の前でタクシーを拾った・・・まではよかったが、会場まで、ラッシュ時の東京なみののろのろである。かたことのスペイン語で、「ずいぶん車が多いねえ」というと、タクシーの運ちゃんは「これでも少しは動いているほうさ。もっと早い時間は、働いているよりもうちにいたほうがましだよ」という。
大きな交差点で驚くべきものを発見。信号が変わったところを見計らうように、ささっと若い女性が交差点の真ん中に銀色のピンをもって現れ、ジャグリングの技を披露したのだ!(写真提供:佐久間淳子)
しばし演技を終え、信号が変わると優雅にお辞儀をして信号待ちしている車に近寄る。窓が開き、小銭がわたされるという按配。ジャグリングの変わりにいろとりどりのリボンの吹流しを持って踊るものあり、顔を真っ白に塗ったパントマイムあり。私は見なかったが、火のついたピンでジャグリングをみせたものもいるという。
顔なじみとなった警備の人に挨拶して(軍服のようなカーキ色の制服を着た彼らも、最初はおっかなそうな顔をしているが、毎日になると結構なつっこくなる)、めんどうな荷物チェックを受け・・・・今日は遅刻らしい(ヒトを頼んでの時間確認は要注意)。
さて、会議。
肝心の3日目の会議の議題はまず、日本の小型沿岸捕鯨の先住民捕鯨に準じた特別捕獲に関する説明。内容はすでにPEWの会議場で出されていたものだ。
これまで日本政府はIWC会議において繰り返し小型沿岸捕鯨の再開を求めてきた。
不思議なことに(あるいは探し方がたりないのかもしれないが)、政府は日本が「悲願」である小型沿岸捕鯨の再開をIWCに求めてきたという言葉こそ毎回発表するものの、提案内容について紹介されたのは見たことがない。
IWCのHPに小型沿岸捕鯨の背景資料というPDFファイルが掲載されているから、見るつもりならば見られないこともないが、一般の人たちがここまで見ることはまずないのではないだろうか。
それによると、日本政府の提案の背景として、「21年前にモラトリアムが課せられて以降、政府は小型沿岸捕鯨基地の網走、鮎川、和田、太地の地域社会の困窮を緩和するための暫定的救済措置としての沿岸捕鯨を繰り返し要求してきた」と記している。そして、その要求は本会議によって認識されてきたにかかわらず、会議においてその要求は拒絶され、しかも改定管理制度が停止された状態で、捕鯨再開が出来ない、と続く。
しかし、日本政府が沿岸基地の人たちの代弁をしているか、といえば、この間の会議を見てきた限りでは、かなり疑わしい。知られたところでは、1996年のアイルランド提案で、沿岸での捕鯨を再開し、調査捕鯨は段階的に縮小するというものがある。これは日本を含む両側が反対し、頓挫したが、「良い提案だったのに」という感じで繰り返し、会議では発言される。確か、ソレントだったと思うのだが、森本日本代表がそれに対して「沿岸だけでは持続的利用が出来ない」といっていた。
つまり、日本としてはあくまでも公海が本流で、沿岸は傍系ということだ。でも、一体どこが公海で捕鯨しようというのだろうか? 原油の高騰で、ますます公海での捕鯨は割に合わなくなっているというのに?
そういえば、水産業界が次々と休漁措置を発表するなか、政府は早々と予算を計上して、漁業者救済を宣言、最大で90%もの原油値上がり分を保証するという。
遠洋漁業に関していえば、割が合わなくなったのは今回がはじめではないのだし、抜本的な施策を提案するならともかく、こんな場当たり的な措置で解決するとも思えず・・・・・
小型沿岸捕鯨に関する政府の要求がIWC向けではなく、国内へのリップサービス(とちゃんと働いていますよ!というポーズ)だとしか思えないが、それと同じような一時しのぎの「なだめ」に見えてしまう(今も、沿岸の漁業をしている人と話したが、あの救済策は実は沿岸漁業者にとってはあまり意味がなく、主に遠洋の漁業者向けだと思うといっていた)。
(日本が沿岸捕鯨再開に消極的であるという内容については、アラスカ会議の後でのJANJANの記事に詳しいのでそちらを参照してほしい)
http://www.news.janjan.jp/world/0706/0706280989/1.php
ご存知と思うが、国際捕鯨取締条約以前の1930年代から、国際社会は商業捕鯨とは異なるカテゴリーとして、先住民族が代々行ってきた捕鯨に関しては、一般的な規則とは若干異なる先住民の生存のための捕鯨を(その種を絶滅に導かないという保証において)認めてきた。
しかし、最初は「手漕ぎのカヌーか帆を張った船で」「火器は使わず」「先住民のみで」行うというお約束だった規則も、だんだんと変わり、「先住民か、その政府が代行する」となり、また火器使用も認められるようになり、先住民捕鯨自体がイベント化したり、肉や加工品が観光用のお土産となって売られるようにもなってきた。
こうした条件緩和に対して、日本政府は「商売もしているじゃないか、何で日本はだめなんだ」と、そもそも論ではなく、やってもいい、悪いのレベルでIWCに迫っている。
しかしこれまでは、日本の沿岸提案は、商業捕鯨そのものじゃないか、ということで本会議で採択されなかった。
今回の日本の説明(作業部会で議論されるもようで、「正常化」のもとで提案としてだされているわけではない)によると、ミンククジラの北緯35度、西は東経150度(オホーツク海を除く)の5年間の捕獲枠で、その肉及び加工品の流通は完全に地域消費のみとしている。
また、その捕獲枠は北西太平洋捕獲調査(JARPNII)から差っぴくので、O-stockにも資源量の少ないJ-stockにも影響はない、という。(この捕獲調査というのはIWCの承認を得たものではない。さらには、毎年100頭前後定置網に混獲されているミンククジラは勘定に入っていない。
つまり、捕獲調査は続行する、その上でモラトリアムはそのままでいいから、あらたな地域的な捕鯨を新しいカテゴリーとして認めてほしい、というのだ。
こうした提案を小型沿岸捕鯨に従事する人たちがどう受け止めているのだろう?と思って、HPを見たら、ちょうど総括のところは工事中だった(これまでにも、このHPで毎年のIWCで日本政府がどのような提案を行ったか、それをどう考えているか、というような紹介や解説はなかったと思う)。
ひとつ、この小型沿岸捕鯨協会のHPではっきりしていることは、調査捕鯨の拡大が小型沿岸業者の赤字と重なっているということだ。
小型沿岸業者は、確かにモラトリアム受け入れとともに、沿岸におけるミンククジラ捕獲を断念し、そのかわりにツチクジラ、コビレゴンドウ、ハナゴンドウを捕獲してきた。しかし、一時は、クジラ肉の高騰で、ツチクジラにいい値がつき、(楽ではなかったかもしれないが)何とか生き延びてきたのだ。
しかし、調査捕鯨の拡大による鯨肉の増加とだぶつきで、沿岸のハクジラ肉が値崩れを起こしてしまった。政府はその補てんのつもりだろうが、これら業者に沿岸での年間120頭の調査委託を行っており、そこでどうやら収支が合う形になっている。
モラトリアム実行当時はアメリカ提案の「公海での捕鯨を断念する代わりに沿岸でミンククジラを捕獲したらどうですか?」という提案を切り捨て、その後も何度となく国際的には沿岸ではなく、公海での捕獲に固執し、挙句にその拡大で沿岸業者を圧迫してきたというのが事実だ(このことは、小型沿岸捕鯨の関係者がよーく知っているはず)。
IKANはこの間、政府提案にあげられてきた4つの捕鯨基地での予備調査を実施した。そこではさらに、日本政府が主張している「先住民生存捕鯨に順ずる地域をベースとした捕鯨」という沿岸捕鯨に関しての問題点が浮き彫りにされた。
その一部を紹介すると
・4つの捕鯨基地の中で、沿岸でミンククジラを捕獲できるのは鮎川のみ(網走ではすでに小型沿岸捕鯨に使用できる船がない状態で、しかもJ-stockとの混獲の恐れがあるために水産庁が許可しないだろうと思われる。モラトリアム以前の沿岸ミンク捕獲でも和田と太地沖でミンククジラの捕獲は行われていない)。
*もし地域流通消費のみということが厳密に行われるならば、ミンク肉を消費できるのは鮎川だけということになる
・捕鯨の歴史400年というのは太地の古式捕鯨を指すものだが、太地での古式捕鯨は1986年に終焉し、その後太地の漁業者は捕鯨産業に従事してきた(捕鯨に関しては出稼ぎをしてきた)。今回、少しびっくりしたのは、太地にクジラの卸業者は8軒あるそうだが、クジラ肉を販売しているのはお土産やさんで、小売店ないようなのだ。
・網走と鮎川は東洋捕鯨という近代捕鯨を推進する会社が基地として1930年ごろ開発したところで、もともとが、商業的捕鯨地域である。
・和田は地域的にはツチクジラを食べるところであり、ミンククジラは人気がない。また、和田の捕鯨会社は活動拠点を鮎川としているため、救済枠としてのミンククジラ捕獲は地域社会の利益にはなりえない。
・鮎川は、今年3月網走の業者、マルハ・ニチロの元販売会社とともに、会社組織をつくった。
・最近の共同船舶によるアンケート調査の結果では、クジラ肉消費は九州地域がいちばん多い。
で、外務省のお役人さんに、早速、「地域消費、流通に限ると言うのでは太地などは困るのでは?」と聞いてみた。彼の考えでは、長崎の人が鮎川でクジラ肉を買っても、地域消費とみなす、というものだった。
確かに、ペーパーにも「先住民捕鯨のもとでの’地域消費’でもその国のすべて、場合によっては国境を越えた輸送も許容範囲になっている。日本はこれを強く支持する。日本としては限定的な国内流通であれば’地域消費’として受け入れられることを期待する(仮訳)」とあり、たぶん、ここに沿岸でミンクを捕獲していない網走や太地や鮎川、下関、長崎なども入るのだろう。クジラ肉を消費している地域ということでは大阪や博多も入るかもしれない。
要は、クジラ肉が売れる地域に関してはすべて「地域消費」という話なので、これまでと実質変わらないものだが、一見譲歩しているかのように見えるところがミソ(努力結果)なのだろう。
しかし、ここで疑問がでてくる。
その1.もし万が一、沿岸での捕鯨が許可されたら、業者委託の調査はどうなるのか?同じ船で、「こちらは調査です」「こちらは沿岸捕鯨です」という風に分けられるだろうか?それとも単に、その分が移行するのだろうか?
その2.調査捕鯨肉と地域流通肉はどのような形で区別されるのだろうか?小売店でいちいちDNA検査をするとも思えず・・・
その3.先住民というDNAレベルでの区別ではない、地域住民をどのように特定するのか?その地域に過去何代暮らしてきたか?とか???
このように見るとこれまで「絶対に通らないよ」というような中身の提案をしてきた政府が、相変わらずあまりきちんとした展望もなく、却下されるのを見越して「こんなに譲歩したのに!」といいたいがためにひねり出したのではないか、と疑りたくなってくる。
このあとは特別許可とランチタイムを使ったJARPAIIの紹介が続く。
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