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2008年7月30日 (水)

IWC会議ー3日目

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 いつもぎりぎりの旅費を工面して会議に出かけるので、泊まる宿は会議場からかなり離れたところになる場合が多い。会議場と宿の行ったり来たりで終わる旅だから、遠く離れているというのは、その地域のことを知るためにはいい選択だと思う。

 最初の日は、たまたま同宿者がタクシーに乗るから一緒に行こうといってくれたので、宿の前でタクシーを拾った・・・まではよかったが、会場まで、ラッシュ時の東京なみののろのろである。かたことのスペイン語で、「ずいぶん車が多いねえ」というと、タクシーの運ちゃんは「これでも少しは動いているほうさ。もっと早い時間は、働いているよりもうちにいたほうがましだよ」という。


 大きな交差点で驚くべきものを発見。信号が変わったところを見計らうように、ささっと若い女性が交差点の真ん中に銀色のピンをもって現れ、ジャグリングの技を披露したのだ!(写真提供:佐久間淳子)

しばし演技を終え、信号が変わると優雅にお辞儀をして信号待ちしている車に近寄る。窓が開き、小銭がわたされるという按配。ジャグリングの変わりにいろとりどりのリボンの吹流しを持って踊るものあり、顔を真っ白に塗ったパントマイムあり。私は見なかったが、火のついたピンでジャグリングをみせたものもいるという。

 顔なじみとなった警備の人に挨拶して(軍服のようなカーキ色の制服を着た彼らも、最初はおっかなそうな顔をしているが、毎日になると結構なつっこくなる)、めんどうな荷物チェックを受け・・・・今日は遅刻らしい(ヒトを頼んでの時間確認は要注意)。

 さて、会議。

 肝心の3日目の会議の議題はまず、日本の小型沿岸捕鯨の先住民捕鯨に準じた特別捕獲に関する説明。内容はすでにPEWの会議場で出されていたものだ。

 これまで日本政府はIWC会議において繰り返し小型沿岸捕鯨の再開を求めてきた。
 不思議なことに(あるいは探し方がたりないのかもしれないが)、政府は日本が「悲願」である小型沿岸捕鯨の再開をIWCに求めてきたという言葉こそ毎回発表するものの、提案内容について紹介されたのは見たことがない。

 IWCのHPに小型沿岸捕鯨の背景資料というPDFファイルが掲載されているから、見るつもりならば見られないこともないが、一般の人たちがここまで見ることはまずないのではないだろうか。

 それによると、日本政府の提案の背景として、「21年前にモラトリアムが課せられて以降、政府は小型沿岸捕鯨基地の網走、鮎川、和田、太地の地域社会の困窮を緩和するための暫定的救済措置としての沿岸捕鯨を繰り返し要求してきた」と記している。そして、その要求は本会議によって認識されてきたにかかわらず、会議においてその要求は拒絶され、しかも改定管理制度が停止された状態で、捕鯨再開が出来ない、と続く。

 しかし、日本政府が沿岸基地の人たちの代弁をしているか、といえば、この間の会議を見てきた限りでは、かなり疑わしい。知られたところでは、1996年のアイルランド提案で、沿岸での捕鯨を再開し、調査捕鯨は段階的に縮小するというものがある。これは日本を含む両側が反対し、頓挫したが、「良い提案だったのに」という感じで繰り返し、会議では発言される。確か、ソレントだったと思うのだが、森本日本代表がそれに対して「沿岸だけでは持続的利用が出来ない」といっていた。

 つまり、日本としてはあくまでも公海が本流で、沿岸は傍系ということだ。でも、一体どこが公海で捕鯨しようというのだろうか? 原油の高騰で、ますます公海での捕鯨は割に合わなくなっているというのに?

 そういえば、水産業界が次々と休漁措置を発表するなか、政府は早々と予算を計上して、漁業者救済を宣言、最大で90%もの原油値上がり分を保証するという。
 遠洋漁業に関していえば、割が合わなくなったのは今回がはじめではないのだし、抜本的な施策を提案するならともかく、こんな場当たり的な措置で解決するとも思えず・・・・・


 小型沿岸捕鯨に関する政府の要求がIWC向けではなく、国内へのリップサービス(とちゃんと働いていますよ!というポーズ)だとしか思えないが、それと同じような一時しのぎの「なだめ」に見えてしまう(今も、沿岸の漁業をしている人と話したが、あの救済策は実は沿岸漁業者にとってはあまり意味がなく、主に遠洋の漁業者向けだと思うといっていた)。

 (日本が沿岸捕鯨再開に消極的であるという内容については、アラスカ会議の後でのJANJANの記事に詳しいのでそちらを参照してほしい)
http://www.news.janjan.jp/world/0706/0706280989/1.php

 
 ご存知と思うが、国際捕鯨取締条約以前の1930年代から、国際社会は商業捕鯨とは異なるカテゴリーとして、先住民族が代々行ってきた捕鯨に関しては、一般的な規則とは若干異なる先住民の生存のための捕鯨を(その種を絶滅に導かないという保証において)認めてきた。
 しかし、最初は「手漕ぎのカヌーか帆を張った船で」「火器は使わず」「先住民のみで」行うというお約束だった規則も、だんだんと変わり、「先住民か、その政府が代行する」となり、また火器使用も認められるようになり、先住民捕鯨自体がイベント化したり、肉や加工品が観光用のお土産となって売られるようにもなってきた。

 こうした条件緩和に対して、日本政府は「商売もしているじゃないか、何で日本はだめなんだ」と、そもそも論ではなく、やってもいい、悪いのレベルでIWCに迫っている。

  しかしこれまでは、日本の沿岸提案は、商業捕鯨そのものじゃないか、ということで本会議で採択されなかった。
 今回の日本の説明(作業部会で議論されるもようで、「正常化」のもとで提案としてだされているわけではない)によると、ミンククジラの北緯35度、西は東経150度(オホーツク海を除く)の5年間の捕獲枠で、その肉及び加工品の流通は完全に地域消費のみとしている。

 また、その捕獲枠は北西太平洋捕獲調査(JARPNII)から差っぴくので、O-stockにも資源量の少ないJ-stockにも影響はない、という。(この捕獲調査というのはIWCの承認を得たものではない。さらには、毎年100頭前後定置網に混獲されているミンククジラは勘定に入っていない。

 つまり、捕獲調査は続行する、その上でモラトリアムはそのままでいいから、あらたな地域的な捕鯨を新しいカテゴリーとして認めてほしい、というのだ。

 こうした提案を小型沿岸捕鯨に従事する人たちがどう受け止めているのだろう?と思って、HPを見たら、ちょうど総括のところは工事中だった(これまでにも、このHPで毎年のIWCで日本政府がどのような提案を行ったか、それをどう考えているか、というような紹介や解説はなかったと思う)。
 
 ひとつ、この小型沿岸捕鯨協会のHPではっきりしていることは、調査捕鯨の拡大が小型沿岸業者の赤字と重なっているということだ。

 小型沿岸業者は、確かにモラトリアム受け入れとともに、沿岸におけるミンククジラ捕獲を断念し、そのかわりにツチクジラ、コビレゴンドウ、ハナゴンドウを捕獲してきた。しかし、一時は、クジラ肉の高騰で、ツチクジラにいい値がつき、(楽ではなかったかもしれないが)何とか生き延びてきたのだ。

 しかし、調査捕鯨の拡大による鯨肉の増加とだぶつきで、沿岸のハクジラ肉が値崩れを起こしてしまった。政府はその補てんのつもりだろうが、これら業者に沿岸での年間120頭の調査委託を行っており、そこでどうやら収支が合う形になっている。

 モラトリアム実行当時はアメリカ提案の「公海での捕鯨を断念する代わりに沿岸でミンククジラを捕獲したらどうですか?」という提案を切り捨て、その後も何度となく国際的には沿岸ではなく、公海での捕獲に固執し、挙句にその拡大で沿岸業者を圧迫してきたというのが事実だ(このことは、小型沿岸捕鯨の関係者がよーく知っているはず)。

 IKANはこの間、政府提案にあげられてきた4つの捕鯨基地での予備調査を実施した。そこではさらに、日本政府が主張している「先住民生存捕鯨に順ずる地域をベースとした捕鯨」という沿岸捕鯨に関しての問題点が浮き彫りにされた。

 その一部を紹介すると

・4つの捕鯨基地の中で、沿岸でミンククジラを捕獲できるのは鮎川のみ(網走ではすでに小型沿岸捕鯨に使用できる船がない状態で、しかもJ-stockとの混獲の恐れがあるために水産庁が許可しないだろうと思われる。モラトリアム以前の沿岸ミンク捕獲でも和田と太地沖でミンククジラの捕獲は行われていない)。

 *もし地域流通消費のみということが厳密に行われるならば、ミンク肉を消費できるのは鮎川だけということになる

・捕鯨の歴史400年というのは太地の古式捕鯨を指すものだが、太地での古式捕鯨は1986年に終焉し、その後太地の漁業者は捕鯨産業に従事してきた(捕鯨に関しては出稼ぎをしてきた)。今回、少しびっくりしたのは、太地にクジラの卸業者は8軒あるそうだが、クジラ肉を販売しているのはお土産やさんで、小売店ないようなのだ。

・網走と鮎川は東洋捕鯨という近代捕鯨を推進する会社が基地として1930年ごろ開発したところで、もともとが、商業的捕鯨地域である。

・和田は地域的にはツチクジラを食べるところであり、ミンククジラは人気がない。また、和田の捕鯨会社は活動拠点を鮎川としているため、救済枠としてのミンククジラ捕獲は地域社会の利益にはなりえない。

・鮎川は、今年3月網走の業者、マルハ・ニチロの元販売会社とともに、会社組織をつくった。

・最近の共同船舶によるアンケート調査の結果では、クジラ肉消費は九州地域がいちばん多い。

 で、外務省のお役人さんに、早速、「地域消費、流通に限ると言うのでは太地などは困るのでは?」と聞いてみた。彼の考えでは、長崎の人が鮎川でクジラ肉を買っても、地域消費とみなす、というものだった。

 確かに、ペーパーにも「先住民捕鯨のもとでの’地域消費’でもその国のすべて、場合によっては国境を越えた輸送も許容範囲になっている。日本はこれを強く支持する。日本としては限定的な国内流通であれば’地域消費’として受け入れられることを期待する(仮訳)」とあり、たぶん、ここに沿岸でミンクを捕獲していない網走や太地や鮎川、下関、長崎なども入るのだろう。クジラ肉を消費している地域ということでは大阪や博多も入るかもしれない。

 要は、クジラ肉が売れる地域に関してはすべて「地域消費」という話なので、これまでと実質変わらないものだが、一見譲歩しているかのように見えるところがミソ(努力結果)なのだろう。

 しかし、ここで疑問がでてくる。
その1.もし万が一、沿岸での捕鯨が許可されたら、業者委託の調査はどうなるのか?同じ船で、「こちらは調査です」「こちらは沿岸捕鯨です」という風に分けられるだろうか?それとも単に、その分が移行するのだろうか?

その2.調査捕鯨肉と地域流通肉はどのような形で区別されるのだろうか?小売店でいちいちDNA検査をするとも思えず・・・

その3.先住民というDNAレベルでの区別ではない、地域住民をどのように特定するのか?その地域に過去何代暮らしてきたか?とか???

このように見るとこれまで「絶対に通らないよ」というような中身の提案をしてきた政府が、相変わらずあまりきちんとした展望もなく、却下されるのを見越して「こんなに譲歩したのに!」といいたいがためにひねり出したのではないか、と疑りたくなってくる。


 

 このあとは特別許可とランチタイムを使ったJARPAIIの紹介が続く。

2008年7月23日 (水)

IWC-2日目

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 マポチョ河は、サンチアゴを東西に走る。アンデスからはるばる旅してきたと思われる流れは激しく、黄土色ににごり、まるで大雨の降った直後の川のようである。流れの両端には、たくさんの太ったハトとカモメが餌をあさっている。ハトは、ここサンチャゴでは水鳥に属するらしく、街中では見かけない。ほかにもシギなど水鳥もちらほら。
 両岸は切り立ったコンクリートの護岸で、ホテル周辺では緑地帯になっている。ホテルから25分くらい歩いてこの川にかかる橋にたどり着き、それからさらに5分歩くと会場になっているシェラトンにつく。

 2日目の朝は、クローズトのコミッショナー会議があり、IWCの将来についての議論がなされた。
お昼近くになって、本会議がようやく始まり、タンザニアが参加したと事務局からの報告がある。これで81カ国(今回参加国は72カ国)。
 新たな参加国のウルグアイが挨拶する。ウルグアイでは98年に政令を発布し、海生哺乳類はすべて保護の対象となった。現在は混獲の削減と密漁をなくすことに務め、ウォッチングの推進を図っているという。

 IWCの将来についての議長のサマリーが配布された。それによると、
・会議の実質と手続き上の改善
・IWC60における独立した論点についての議論と合意形成をどのように実現していくのか、
の2点についての勧告に合意があったということである。そのことにより、今後その目的を達成するために3つのアネックスにまとめられている。

 Annex AはIWCの手続きの改正である。これには以下の3点が含まれる。
 ひとつは、これまでの互いの立場の表明を表すような会議の場ではなく、事前に合意形成をおこない、できるだけ投票は避ける。もし対立する見解があって動議が出るようなケースでは議長の裁量が優先される。また決議はこれまでのような前日ではなく、特別の例外を除いて60日前に提出し、そのことについて十分な議論と合意形成が出来る状態が望ましい。
 二つめは参加した際の手続きで、新参加国に関しては、これまでのように即日ではなく、参加了承の後30日たって始めて投票権が与えられる。
 もうひとつは作業言語に関するもので、公用語の英語はそのまま、作業言語としてフランス語、スペイン語が英語とともに使われる。それ以外の言語に関しては、会議の席で自前の通訳を通してであれば利用してかまわない。

Annex Bは実質的名議題の進展を期待するため、小作業グループを設置することである。これまで意見が対立して進展しなかった内容のなかで33項目が検討対象として上がっており、小作業グループに参加する24カ国が項目を検討し、その議論をテーマごとに単一ではなく、ひっくるめたパッケージとして議論し、合意形成に持っていくというものである。項目の中には、この会議の目的は何かというようなものから、日本の沿岸捕鯨、モラトリアム、海洋のガバナンス、科学委員会の機能性、小型鯨類、倫理、動物の福祉、海洋保護区、気候変動と保護委員会の管理計画など、対立する(と思われる)議題がぎっしり詰め込まれている。

参加国は:
アンティグア・バービューダ
アルゼンチン
オーストラリア
ブラジル
カメルーン
チリ
コスタリカ
デンマーク
フランス
アイスランド
イタリア
日本
韓国
オランダ
ニュージーランド
ノルウェイ
パラオ
パナマ
セントキッツ&ネビス
南アフリカ
スェーデン
イギリス
アメリカ
である。

Annex Cは科学委員会に関連する課題で、本会議と切り離した場合の影響、途上国などからの科学者の新加入、鯨類調査に関して未熟な参加国への支援、科学委員会への招待科学者に関してなど。

 小作業部会は、本会議中に組織会議を開く。これには参加国以外のコミッショナーも参加が可能で、開催日などを議論し、中間会合を経て作業内容を報告する。作業部会そのものは決定権はなく、部会でまとまった案を示し、それが本会議にかけられるという仕掛けである。

 議長の報告に対し、両陣営からの賛意の言葉が送られた。
 そのなかで、なかなか面白かったのはオーストラリアの発言である。環境大臣、ピーター・ギャレット氏は、IWCが過去の経験を生かし、国際的な管理機関に生まれ変わるべきだと主張した。今までの緊張の原因の多くは特別許可捕獲であると総括。建設的に変えていくため、南極海での新しい鯨類の管理計画を提案することで将来のプロセスに貢献したいと発言した。

 「IWCの将来」という問題としには、モラトリアムによって商業捕鯨を一時的に止めている状態をどのような合意形成で解決していくのかという話である。したがって、再開を含めさまざまな選択肢があるということからいえば、商業捕鯨に反対する側にとっては1歩譲った状態ではある。
 そうしたなかで、単に反対するという原則論ではなく、新しい計画を提案するのは、現実には障害が多々あるものの、なかなかにくい問題解決への方法論であると思われた。
 
 彼が属していたという「ミッドナイト・オイル」というバンドの演奏は知らないのだけど、説明するときに動く彼の手が非常に大きいのがとても印象的だった(ギターを弾くのにいいかも)。もちろん、彼の話しぶりは想像していたよりもずっと明晰で、なかなか好感が持てた。

 2日目はそのほかにデンマーク領グリーンランドの捕獲枠拡大の要望があり、その紹介のPPTが上映された。
昨年、5年間の捕獲枠更新が行われており、その際にも要望が出たが、まだ科学委員会の評価の出ていないザトウクジラの捕獲に関して、本会議は否定的だった。また、ホッキョククジラに関しては、カナダの個体群と遺伝子が同じかどうかが評価されていなかったが、今回、ホッキョククジラに関してはカナダの群れとグリーンランドのものが同じ群れに属するという報告があり、またザトウクジラに関しても暫定枠が提示された。
 彼らがこの捕鯨をどのように厳しく管理しているか、また需要がどのくらい増えているかという数字も提示された。しかし一方で、グリーンランドにおける地域消費の内容が拡大されているという指摘もある。「地域社会」というものが何を実際に意味するのか、先住民捕鯨の定義のあいまいさが気にかかる。
 グリーンランドの捕獲枠拡大については、後に議論されるということになった。

 ホエールウォッチングに関しての議論も行われた。南米や南アフリカでは、沿岸の地域社会にとって重要な産業となっているということがこれまで度々紹介されている。特にブラジル、コスタリカ、エクアドル、コロンビア、アルゼンチンなどにおけるホエールウォッチングの経済効果は目覚しい。ブエノスアイレスグループ(南米や南アフリカなど)は、ホエールウォッチングこそ真の持続可能な鯨類の利用だとして鯨類の捕殺に反対している。
 しかし、捕鯨推進側は、最近ではホエールウォッチングの経済効果が否定できなくなったためか「両立できる」という意見である。
 実際には、ウォッチングを楽しむ人たちの目前でクジラが殺されたのを見てショックを受けたという報道やウォッチングのために捕鯨が出来なかったというような事件の報道もあるが。

 夜は、シェラトンのロビーでWSPA等の主催の写真展プラスレセプション、近くの大学でWWFチリによるパネルディスカッション(さすがチリNGOはまじめ?)と二つのイベントがあった(「持続的利用派」のイベントもあった)。

 毎日、チリのNGOがシェラトンのそばで警官に囲まれながら、連日抗議行動を行っていた(逮捕者もでたと聞いた)。その日は静かなキャンドルビジルだった。Ngosaction1_dscf00091_2

2008年7月21日 (月)

IWC1日目続き

 続いてクジラの「資源量」について、科学委員会からの報告があった。まず南極海のミンククジラ(クロミンク)だが、これは2000年に「76万頭という数はもはや正しい推定数ではない。もっと少ない可能性がある」とされてから、毎年、来年は出せるとされながら、なかなか出てこない。
 クジラの推定数は殺す調査ではなく、SOWERというIWCの目視調査が行われている(船は日本が提供しているのでまずはこの協力に対しての感謝が伝えられる)。

 この目視調査について、3つの方法で資源量推定をはじいているが方法によってかなり数の開きがある。今回は予備的結果として2つのモデルが使われたが、今後、合意可能な推定数を出すためのワークショップが提案された。

 もうひとつは、これまでの捕鯨時代から蓄積されている耳垢による年齢査定のモデルで年齢査定能力が影響してランダムなエラーが起きているため、今後はそのエラーのモデルを作り、調整していくという報告もあった。

 科学委員会議長の報告に対してニュージーランドは感謝をしつつも、南極で何が起きているかということを合意の得られない推定個体数で検討しないで、気候変動など科学的な傾向を見ていくことのほうが重要ではないか、という意見である。
 それに対して日本は、南極海で起きているかもしれない変化を致死的、非致死的両方の調査で行うことが重要であるとし、ランチタイムのサイドイベント、JARPA IIの紹介を見てほしいという。

 日本は、南極の環境が変化し、ポリニアと呼ばれる氷山の隙間に池ができ、そこにミンククジラが密集しているので、数が減ったという見かけの現象が起きたといっている。また、ほかの鯨種が増えてミンククジラを氷辺に追いやっているというのも繰り返される説である。

 私はしろうとかもしれないが、南極海での環境変化を見つけたということを日本政府が繰り返し重要なことのように言うのを聞くとちょっと恥ずかしい。生態系というのはいつでも変化しているもので、それ自体は問題ではない。問題なのは、人為的な行為が生態系を急激に変化させるような場合だと認識している。そういう意味で言えば、日本が「ミンククジラが(ウサギだかゴキブリのように)増えてほかのクジラが増えない」といい続けたのに対して、ほかの鯨種も増えていて(といっても捕鯨以前まで回復しきれているわけではないらしい)、再びバランスを構築しようとしているかもしれないし、ニュージーランドが言うように、南極の環境で大きな問題はまず気候変動かもしれない。

 ミンククジラ(あるいはナガスクジラ)をとりたい欲望と混同するのはやめてほしい。

 次は北太平洋ミンククジラで、現在合意されているO-stockとJ-stockのほかの系群に関しての追加情報が必要とされ、日本、韓国からの情報のほか、ロシア海域での情報が必要とされた。日本、韓国でのJ-stock混獲問題が指摘される。特に、最近発覚した韓国での密漁問題で、この個体群の捕獲が報告された。
 韓国は、地域保全管理に務めると発言、科学者を増やし、関係国とも協力して共同調査をすると発言。
ロシアは、科学委員会の当該海域における調査の必要性についての強い勧告に対し、正式に国に対して要請してほしいと答えた。
 日本からはロシア海域での調査が出来たことに関してロシアに謝意を表明し、コンスタントな継続を要望した。
それから、定置網による混獲では、定置網の設置は昔から同じ場所で行われ、定置網そのものは減少傾向になることを強調し、混獲がなぜ増えているか時系列にしたがって調査するとした。

 午後からは南極のザトウクジラ。南極で餌を食べるザトウクジラは、その繁殖海域をアフリカ大陸沿岸や南米、南太平洋に持っている。
最初はアフリカ大陸の両側(西と東側)でのそれぞれに存在する繁殖系群の調査の報告。西側で唯一確認されているのはガボンだが、東側は系群の関係が複雑で、今後写真IDやDNA調査などさらに行う必要があるらしい。
 南米でもルートが少しずつだが解明されており、これには南米の科学者が調査に参加しているということ。

 南太平洋やニュージーランド、オーストラリア東海岸での調査も進んでおり、回復が目覚しいところもあるが、いまだに十分回復できないまま小さな個体群がいくつも存在している南太平洋諸島のようなところもある。
 これらクジラの繁殖系群が南極のどこで餌を食べているか、というつながりの調査が重要であり、日本が闇雲に南極で捕獲することに大きな反発がある根拠となっている。

 そういえば映画「アース」では、南の海で生まれた子クジラを連れて、はるばる南極海に旅をするザトウクジラが紹介されていたが、「繁殖率何%」という冷たい数字で「科学」のすべてを伝えていると思っている日本政府の傲慢さにはため息が出る。

 stockという言葉は「資源」だけではなく、家系とか種族とか言う意味もある。「ミンククジラは76万頭いますよ」とか「魚を何トン食べている」とか言う数字を挙げて、日本だけが科学的だと「信じている」科学音痴のメディアの人もなんとかならないものだろうか?

 

 

2008年7月17日 (木)

チリIWC報告第1日目

 今回ははじめに書いたように、「IWCの将来」という議長のかなり強いリーダーシップ
で、意見の対立するものは事前に話し合いを行い、合意形成に努め、決議は原則ださない
という「合意」のもと、これまでのようなプレゼンテーション合戦は比較的少なかったため、
議事の紹介という点ではあまり面白いものではない。
 また、詳細については水産庁外郭団体が毎年中継しているので、それを見ている人たちも
結構いると思うので、周辺情報や裏読みのようなものになるだろうと思う。

 それにしても、国際会議数あるところ、実際に中継されている会議がほかにあるかどうか
私は知らない。言ってみれば捕鯨というのはそれほど大きな国際マターではないのだから、
それを同時中継し続け、さらにその会議の内容の懇切丁寧な説明が(もちろん、「正しい日本
国民の会議の読み取り方」ということですが)毎日付け加えられていて、その解説まるごと
本会議と錯覚しそうな変なものではあるが。

 2000年のアデレード会議から参加しているが、会場となる施設(ホテルが多い)の正面に
IWC会議の垂れ幕がなく、町にもそのことを示すバナーのない珍しい会議だった。そのくせ、
警備だけはすごく厳重(でも形のみ)で、カーキ色の軍服まがいの制服を着た警官がそこら
じゅうに立っていて、検問が行われていた。その割りに、ポール・ワトソン氏は堂々とホテル
で記者会見を行っていて、何がなし、神戸のばかばかしい海上警備を連想させられたものだ。
 
 会場には、さすがに今回の会議を示すなかなか凝ったデザインの垂れ幕があった。そして、
最初の挨拶には外務大臣と環境大臣が挨拶し、オープニング当日に地理のEEZすべてにおいて
鯨類の捕獲が禁じられるサンクチュアリに設定されたという報告があった。やるじゃないの、チリ。

 ご存知のように、チリな南北に細長いので、南米大陸太平洋側の半分以上がサンクチュアリ
指定されるのと同じ効果がある。最近もシロナガスクジラの群れが発見されたり、また繁殖域
ではないかと考えられているところだ。チリの沿岸域には43種の鯨類が生息するということで、
外務大臣の挨拶でも非致死的なクジラの利用ーホエールウォッチングの重要さも指摘された。

 今回新たに参加した国はウルグアイ、コンゴ(そして翌日にタンザニア)。数年前まで40数カ国
の小会議だったのが、参加国がほぼ倍増したようで、参加者数も国代表、オブザーバー、メディア
などで500人を越えたらしい。日本の記者さんたちは、相変わらず政府代表団と捕鯨推進の人
たちのあとを金魚のうんこのようにくっついている。

 議長のホガースさんはヒースローでの中間会合以降、「誠意ある」話し合いが続いていると
感想を延べ、決議案は本議会前に提出して議論し、コンセンサスを形成することを要請した。

 昨年に続き「よいこ」の日本が「日本としてはクジラの人道的捕殺=福祉、ホエール・ウォッチング
小型鯨類等、本会議の議題とは考えていないが、議長のリーダーシップを支持する意味合いから
反対の動議は行わないとつげる。また、JARPAIIのプレゼンテーションはランチタイムのイベント
ととして行うので、皆さん参加してほしいと要請し、対話に向けてすべての国が協力することを
願うとした。

 アルゼンチンが、議長のリーダーシップに感謝し、日本のこれまで行ってきた動議を今回
出さないことを賞賛しつつ、決議案をだしてはいけないのか、とするどい質問。

 それにたいし、議長は決議案は出ないものと確信しているが、権利はある、といいながら
ノーサプライズでコンセンサスをあくまでも尊重してほしいと釘をさした。

 デンマークが、EUの捕鯨を行わないという合意に触れ、IWCにおける共通ポジションに合意
しているが、海外領土であるグリーンランド、フェロー諸島に関してはEUの立場と異なる見解
を持ち、領土の利権を宗主国として代弁するという区別化を説明。
(グリーンランドは今回ザトウクジラ10頭の捕獲枠を要求して保護側を不安に陥らせている)

 その後は、科学委員会からのクジラ個体数に関する報告が続く。Andes1_p6240098


2008年7月14日 (月)

チリIWC報告ー前書き

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 会議の終わったよく28日、サンチャゴの中心部(セントロという)におみやげを買いに出かけた。土曜日とあって、地方から出てきたとおぼしき人々でごった返し、会議の行われたプロビデンシアの整然とした静けさと打って変わった賑わいである。その人混みで、ギターを抱えたストリートミュージシャンと思われるお兄さんが、なんと、ビクトル・ハラのイラストのついたTシャツを着ているではないか!早速カメラ、とレインコートのポケットをまさぐったが、カメラがない!さっき、ビーズやさんで色とりどりのビーズなど商品に囲まれた白い、でかい犬を撮ったばかりというのに・・・バックパックにもはいっていなかった。すられたのだ、まんまと。

という不始末で、今回の写真はすべて借り物だ(じゅんこさん、すみません)。

 最近の旅行といえばIWCの開催地くらいで、自ら望んでいくというわけではないのだが、今回の開催地であるチリ、サンチャゴには少しばかり思い入れがあった。

 ビクトル・ハラという人は、 1970年にアジェンデ政権を誕生させる世論形成に貢献した演劇人でシンガーソングライターである。アジェンデ政権が軍事クーデターによって倒された時に逮捕され、殺されてしまうのだが、彼の歌は世界に広まっている(日本でも、オーマガトキというレーベルで発売されている)。ギターを奏でながら歌う彼の歌は、チリの虐げられた先住民や底辺の人々への共感に満ち、強いメッセージ性をもっているが、それにとどまらずに美しく、優しく、力強い。
 一昨年のIWCで第60回会議がチリに決まったとき、真っ先に思い出したのが彼の歌だった。

<写真はシェラトンにあるIWC会議場でのオープニングとセントロでのストリートミュージシャン。右端がビクトル・ハラのTシャツを着ている>
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2008年7月12日 (土)

チリIWC報告など

 チリから帰国してすでに10日もたってしまった。1日に帰国して、その翌週の7,8日は札幌。
 G8洞爺湖サミットへのメッセージとなるNGOフォーラム・生物多様性イシューグループの主催する「洞爺湖G8サミットから生物多様性サミットへ―ロードマップto名古屋」というワークショップでは沿岸・海洋の生物多様性保全についてのコメントを受け持った。
 そんなこんなで何となくざわざわと落ち着かない(何より暑い)毎日。
 そして、さらにはチリ会議がなんとも便秘状態の会議だったこともあり、一向に書く気力が出なかったのだ。

・「IWCの将来」という魔法の言葉でみんながふところが深く、互いに理解しあっているという演技をした。

・肝心な内容はコミッショナー会議で行われ(バトルがあったかもしれない)、その結果が儀式的に本会議にもたらされただけ=これは今後小作業部会という形で24カ国の参加の元、非公開で議論される。

・深い溝については、何でもかんでも小作業部会にぶち込み、パッケージとして(個別課題ではなく)議論するらしい。小作業部会は果たして万能か?

・今回、ジョン・デンバーの歌以来、久々にNGOが発言する時間を持った。双方から3人ずつでそれぞれ5分間。
作業部会を非公開にする代わりのガス抜きというか、一種の座興のようだった。

・ひとつ救われたのは、オーストラリアの南極海における鯨類管理計画の提案で、科学委員会の勧告の元、他の国際的枠組みとの連携を行い、国際的な協力のもと、非致死的調査を行うというものである。

これから何回かにわたって、チリのことを含め報告を書く予定です。

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