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2008年4月25日 (金)

クジラ類の保護の遅々たる歩みについて

 昨日は、京都でCIVIL G8の会合があり、環境ユニットの生物多様性イシューグループとして、ワークショップが行われた。IUCNのジェフ・マクニーリー氏が最初に生態系サービスの経済的価値について例を挙げながらわかりやすく説明し、3千人の専門家によって2005年に報告された国連のミレニアム生態系評価の継続により、国際社会に与える生物多様性の経済的評価や多様性の損失によるダメージをさらに深く調査する必要性を訴えた。
コンサーベーションインターナショナルの日比保史さんが次に環境関連の法律と生物多様性、そして、温暖化と生物多様性の関係についてプレゼンテーションを行った。

 IKANにも海洋の生物多様性保全について語る機会が与えられ、昨年の環境大臣会合で海洋保護区のグローバルなネットワークの必要性が記述されたことに始まり、昨年の海洋基本法の制定、第3次生物多様性国家戦略における沿岸・海洋の生物多様性保全の動きなど国内の動きと、あいかわらずなかなか進まない海の生物多様性保全について、また、別の意味で特殊視されている鯨類の位置などについて話すことが出来た。最後はユースの林雄太くんのCOP9に向けてのユースの活動の紹介。
残念ながら、やはり海に関しての興味は薄いようだった。

 しかし、今回は、ポジションペーパーに沿岸のイルカ類の保護、調査捕鯨の国際的な協力のもとでの非致死的な方法への転換などを書き入れることも出来、これまで継子扱いされがちだった鯨類に多少のスポットをあてることが出来たことはうれしい。

 世間的には今もって調査捕鯨のいかがわしさに関して疑問を抱く人は少なく、日本が国際的に負うべき責任についてはまだまだ理解が不十分であると思う。
 沿岸のイルカ類の捕獲に関しても相変わらずで、群れを消滅させることへの危機感も薄いようだ。

 たまたま、太地でのコビレゴンドウ捕獲のニュースを知り、「えっ!4月になんで?」と思って水産庁に聞くと、県が決めることだといわれ、和歌山県に聞いたら、ゴンドウ類についてはおととし(2006年)に猟期が10月~3月末から9月~4月末までに変わっていたことがわかった。早まったということは水産庁に聞いたが、そのときに猟期の終わりも聞かなかったのがうかつだった・・・・・・・

 コビレゴンドウはシャチのような知名度こそないが、シャチの推定個体数が「生活史」が似ているとされるこのコビレゴンドウから類推されていたことでもわかるように、母系社会を形成していると思われ、妊娠期間も15ヶ月で1産1子と繁殖率も低い。メスは40歳前に出産をやめ、群れの福祉に貢献しているらしいところもシャチに似ているようだ。

 こうした生物を、えんえんと50年近くも群れごと消滅させ続けてきて、減っていなかったら奇跡というものだ。

 何回も書いていることだが、海の住むものは海洋法条約が出来たときに「取ったもの勝ち」ではなく、人類共有の財産となったはずだ。条約を批准する日本が一方で鯨類を「上陸しない(つまり日本固有のものではない)」から保護の対象からはずし、一方ではごく少数のものに勝手に取らせているっていうのは条約違反ではないのか?

 世論が喚起されることを切に望む今日この頃である。(食べたい論議だけするのはやめてね)
 

2008年4月 2日 (水)

イルカについての内外の認識の差

 南極での調査捕鯨に対する海外の批判の高まりに対してこちらはあまり国内での報道はないようだが、
イルカ猟への批判もかなりテンションが上がってきている。

 この日曜日(3月31日)のジャパンタイムズは、紙面1ページ半を使って「ついに隠密作戦により太地の
毎年繰り返されるイルカの恐怖が陽の目を見たー秘密の映像が世界に(イルカの)虐殺を明らかにする
だろう」という見出しの文章を掲載した。

 それによると、ネットスケープ創始者のジム・クラーク氏の援助により、アメリカの海洋保護協会という団体がプロの映像作家を太地に派遣し、お金に糸目をつけないハイテク機材を使って毎年太地で非公開で行われているイルカの捕殺のすべてをフィルムに収め、この6月には世界中でイルカ殺しの長編ドキュメンタリーが公開されるというものだ(日本では未定)。

 カメラを張りぼての岩に埋目込む作業は、元スターウォーズ関連の作業所で作られ、むずかしい海中撮影は、フリーダイビング世界選手権で7回優勝したクリックシャンクさんが可能にした、とも書かれている。

 昨年の10月には、世界で名だたるサーファーたちが殺されたイルカの魂に祈りをささげるというイベントを行い、
アメリカなどで人気のテレビ番組「ヒーローズ」の主演女優の一人、ヘイデン・パネッティーアが参加したことで
話題になった。

 「感情的でイルカだけ特別視している。理解できない」というが声聞こえてくるようだ。
海外での多量な情報の行き来に比べると国内では「知る人ぞ知る」マターで、一体何のことかわからない人も
少なくないに違いない。

 国内で陸上の動物と比べ、海の生物、とりわけ鯨類関係に関しては、情報がかなり限られていることをまず最初に言わなければならない。漁業資源としての扱いで、水産庁が仕切ってきたこと、水産庁が日本人=産業界と認識する傾向が強いことが原因と察する。


 昨年、国連はボン条約事務局とともに、2007年を国連イルカ年とし、2008年もそれを継承することにした。それは、ひとつには海の生態系の要の種であるイルカ類が人間の活動による海洋汚染や混獲、イルカ猟、海底開発のための地震探査やソナーによる音、船との衝突などで危機的な状況にあるという認識によるものだ。
 1994年に海洋法条約が発効したときにも鯨類への特別の保護が書き込まれたにもかかわらず、危機的状況が一向に変化していないということである。

http://www.yod2007.org/en/World_of_dolphins/index.html

世界的に見れば、イルカ類に関する生態調査も着々と進んでいる。その生活史や社会行動のほかに、イルカが
人間や類人猿のように自己を認識する能力を持っていること、洗練された認知能力があることや豊かな感情を持つということなどだ。一方で、彼らの生活は、長い進化の歴史の中で私たちのそれとはまったくかけ離れたものとなった。こうしたイルカたちの研究成果は、多くの人たちにイルカへの強い愛情を生み出す元となった。こうした事実をひとくくりに「感情的」と切り捨てることが果たして正しいものだろうか?

 自己認識能力を持ち、個性あるイルカをその社会的なつながりや役割を無視して「数」と「繁殖率」で管理するのが本当に「科学的」な管理といえるのか、非常に疑問がある。さらには、想像する能力のある動物を一晩魚網に捕らえておき、翌日に次々と殺していくという方法が果たして許されるものだろうか・・・・・誰もこうした光景を見たいとは思わないだろう(ジャパンタイムズには、親と思われるイルカが殺された瞬間にはねている子どものイルカの写真も掲載されていた。こうした映像がさらに怒りを呼ぶのは当たり前と思われる)。
もうこれ以上待てない、というのが今回の行動の意味だろう。

 これまで、日本の行政は動物の特性、生態を無視して、「日本の伝統産業であるし、科学的根拠によって管理している」と主張してきた。
 しかし、これまで科学者の意見は産業の要請の参考程度とみなされ、産業擁護の姿勢が改められることがなかったのもまた事実である(昨年改定された捕獲枠を見てもそれが明らかである)

 伝統的に捕獲してきた伊豆ではまもなく富戸の撤退で文化の口実も説得力はなくなるだろう。後継者に恵まれず、船を売るものもいると聞く。

 さらに、クジラ肉あまりで増加したイルカ捕獲なので、クジラ肉があまっている現在、その需要は激減している。
 沿岸のハクジラ肉に貯留した化学物質汚染に関しても、それなりの情報の浸透もあるので、今後飛躍的に
イルカ肉需要が高まるとは考えられない。残るのは、家畜飼料、肥料と水族館用の生け捕りだけだと思われる。(認知能力を持つ、繁殖率の低い大型の動物をわざわざ餌や肥料に捕獲するのをよしするだろうか?本来は社会的絆で仲間と結ばれている動物が、見世物として終生とらわれのままでいる姿を見てうれしいと思うだろうか?)

 産業に携わる漁業者も、将来の見通しが明るくないことくらいはすでにわかっているはずなのだ。
海外からの「圧力」ではなく、潔い撤退をぜひ早期に実行していただきたいものだと心から思う。また、そうした産業を擁護し、場合によっては背中を押してきた行政の責任を反省して一刻も早く撤退を促し、漁業者支援策などを立て、実行してほしい。
それが国際的にもきちんとした国としての責任であると私は思う。

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